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 一瞬の静寂が訪れる。そこからは様々だった。王が敗れたことを知って逃げだすオーク達もいれば、自分達は他の魔物とは違うのだから見逃してくれと言う者もあった。
 だが、到底許せる話ではない。彼らはこのオリヴィニスの地を穢し、そこに住まう人々を蹂躙して回ったのだ。神が愛したこの場所で働いた狼藉を見逃すことはできない。
 それでも、オークの集団はあまりにも数が多かった。竜や氷狼の力をもってしてもなお、半数近くは逃がしてしまったように思う。
 その場から魔物の気配が消えたときには、か細い月の位置が大きく変わっていた。それだけの時間、シエラは法術を行使し続けていたというのに、どういうわけだかさほど疲労は感じない。

「お疲れさん、ジア。相変わらず無口だなぁ、お前は」

 大きな氷狼がバスィールに寄り添い、頬を舐め上げている。男の声だ。彼は狼の姿で人語を操り、いくつか言葉を交わしたあとで竜の元へと駆けていった。
 こちらを見下ろす左右異色の瞳が印象的な竜だ。その身体が一瞬にして溶けたかと思うと、そこには優艶な風貌の男が立っていた。その隣に、野性味あふれる美丈夫が並んでいる。夜に馴染む褐色の肌に、星を纏った銀の髪。その顔立ちは、どこかバスィールに似ていた。

「エルクディア! お前もお疲れさん。よく頑張ったな」

 声をかけられ、はっとしたようにエルクディアが肩を跳ね上げさせた。そこに先ほどまでの苛烈な闘気はなく、筆舌に尽くしがたい空気がシエラとの間に流れている。
 誰もが触れることを躊躇う空気だろうに、氷狼族の男は一切気負わずに二人を交互に見やった。

「感動の再会を果たすにしちゃ、暗い顔してんな? ぼさっと突っ立ってないで、なんか言ったらどうだ」
「……マスウード」

 竜族の男が窘めるように名を呼ぶも、マスウードと呼ばれた男は承知の上だとばかりに肩を竦めた。
 マスウード。どこかで聞いた名だ。
 なんともぎこちなく、シエラとエルクディアは視線を合わせた。二人はそのまましばらく黙ったまま、ただ見つめ合っていた。静かで長い間、誰も彼らの邪魔をしようとはしなかった。
 頭上で星が流れる。上空では未だに多くの竜が飛んでいる。彼らの翼が月にかかり、蝕を起こしたかのように夜は闇を深くした。
 なにも言えなかった。言うべきことが思いつかなかった。
 だからシエラは、手を伸ばした。
 指先を柔らかく曲げ、手の甲を差し出した。
 エルクディアの眉が動く。彼はゆっくりとシエラに近づくと、流れるような動作でその場に膝を折った。氷狼が生み出した氷が放つ光に照らされて、ぼんやりとその姿が浮かび上がる。
 冷えた指先を包み込む手はあたたかく、彼の手にかかれば氷などあっという間に溶けてしまいそうだ。まるで、優しい炎に当たっているかのようだった。
 手の甲に、唇が触れる。少しだけかさついた、柔らかな熱だ。
 彼は手を離さぬまま、伏せていた瞼を押し上げた。新緑の双眸と目が合う。シエラはそこに、竜の影を見た。彼は翼も牙も持たないというのに、なぜだか彼が本物の竜に見えた。
 ゆえに、微笑んだ。彼女の竜が、そこにいた。求めることなどできなくとも、彼は確かに、彼女の竜だった。
 彼らはその日、夜が明けるまで一言たりとも言葉を交わさなかった。
 ──そうしなければ、懸命に築き上げた壁のすべてが崩れ去ってしまいそうだったからだ。



 たとえ届かなくても、ほら、翼を広げて、夜空に飛んで、隠してしまえばいい。
 すべては覆えなくても。
 すべては手に入らなくても。
 貴方の翼の分だけ、貴方のものにすればいい。

 月蝕(つきはみ)が起きようと、月は変わらずそこにあり続けるのだから。


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(2019.04.07)



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