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 もうすぐ昼時なので、問いかけたノルガド自身が空腹だったのだろう。不満そうに小さく唸り、寝転んだままシエラを睨み上げてきた。
 鎖が引かれる。傍に寄れという無言の合図に、シエラは不承不承従った。ベッドの端に座るなり、逞しい腕が腰に巻きついてくる。これではまるで、大きな子どもだ。
 先日の一件から、確かに違和感はあった。口調や外見は威厳を漂わせ、大人のそれのように見えるが、時折どうにも子どもじみている。

「要求が過ぎるぞ、姫神よ」
「ノルガド、お前いくつなんだ?」
「いくつというのは、俺の年を聞いているのか? それなれば、八十九だ」

 どこか眠たげな声で「それがどうした」と言われ、シエラはどうしたものかと小首を傾げた。
 人間の感覚からすれば、八十九歳というのは高齢も高齢だ。人生の終盤に差しかかっていると言って間違いないが、幻獣は人間よりも長命な種族が多い。竜であればなおさらだ。
 シエラの脇腹の辺りに顔を埋める竜王の頭を見下ろし、しばらく思案に耽った。水色の髪から覗く耳の先はやや尖り、人のそれとは異なっている。

「八十九というのは、竜の中では若いのか」
「――ここに集う戦士の中で、俺より若い竜はおらんだろうよ」

 喉の奥で低く笑い、ノルガドはシエラの腰に回した腕に力を込めた。視線が絡み合い、見上げてくる深青の瞳がきゅうっと細められるのを目の当たりにした。
 シエラの予想通り、竜の八十九歳というのは若い部類に入るらしい。千年竜は珍しいと言っていたが、裏返せば数百年は軽く生きられる種族なのだろう。そう考えれば、確かに百年に満たない竜は赤子のようなものに違いない。
 若い方が力が勝るのか、それともこの若さで王の名を冠するのは珍しいのか。竜に詳しいバスィールならば分かるのだろうか。

「お前、強いのか」
「この俺がまぎれもなく竜王だ。――それがすべての答えとなろう」

 竜は強さがすべてだ。
 ノルガドはきっぱりとそう言い切り、シエラの腹をくすぐるように撫でた。

「ここから出たくば、簡単だ。お前が奴を呼べば、すぐにでも望みを叶えてやる」
「馬鹿を言うな。……呼んだところで聞こえない」
「聞こえるとも。あれは、お前の竜だろう?」
「何度も言わせるな、私の竜などいない!」

 声を荒げたシエラを下から見上げ、ノルガドは片眉を持ち上げて笑った。悪戯を思いついた子どものような表情でもあり、獲物を前にした肉食獣のようでもある。
 今にも舌なめずりをしそうな笑みのまま、竜王はシエラの首に繋がる鉄の鎖を己の腕に絡めた。
 じゃらり。その音が鼓膜に妙に響く。

「ほう。なれば、問題あるまいな。姫神よ、俺の子を産め」
「……は?」

 瞬き一つ分にも満たない間に身体が自由を失い、上下の間隔が掻き消される。背中を柔らかな肌触りの敷布(シーツ)が受け止め、視界を空の色が埋め尽くした。天窓から降りそそぐ陽光が覆い被さるノルガドの輪郭を飾り、きらきらと光を零している。
 抵抗もなくじっとしていたのは、なにが起きたのか分からなかったからだ。鼻先に相手の体温を感じ、手首が縫い止められていることを自覚して、そこで初めて不快感と焦りが生じた。

「離せ! ふざけるな!」
「ふざけてなどいない。今は人間とはいえど、姫神ならば竜の子を産むに相応しい」

 身体を抑え込まれ、どれほど身を捩ったところでびくともしない。蹴り上げようとした拍子に服の裾が捲り上がり、透き通るような白い太腿が光の下に露わになった。その肌の上を手のひらが這う。ひんやりとした体温に撫で上げられ、全身に鳥肌が立った。
 暴れる腕が頭上で一纏めに抑え込まれる。片手であっさりとシエラの両腕を封じたノルガドは、シエラを宙吊りにしたあの日と同じ目をしていた。
 これまでも何度も戯れに触れてきた竜王だが、今回は違う。それくらいはシエラにも分かる。明らかな意図を持って身体を這い回る手に、焦慮に駆られて上手く舌が回らない。
 顎の輪郭を舌でなぞられ、裏返った短い悲鳴が零れた。乱暴に服の合わせ目を割り開かれ、熱い吐息が首筋を掠める。息を飲み、必死に顔を背けて迫る唇を避けた。

「やっ……!」

 強く閉じたまなうらに光が弾ける。暗闇の中に一瞬浮かんだ光は太陽にも似た金色だったが、シエラはそれをすぐに打ち消した。
 ――違う。
 太陽には触れられない。眩しすぎて近づけない。あれは求めてはいけないものなのだ。
 太い指先が脚の付け根に辿り着いたそのとき、シエラの脳裏に浮かんだのは星の光だった。


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