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*第34話
薄青の洞窟の中、愛する友は愛し子達を守り続ける。
友よ、その瞳が見つめるものはなにか。
友よ、その唇が紡ぐ名は誰のものか。
きらめく水晶の谷底に、私は想いを封じた。
愛しい友よ、愛する友よ。
貴方と駆けた森の風を覚えている。
乾いた砂の上で寝そべったあの日を、今もなおはっきりと思い出せる。
星を贈ろう。
愛しい友に、愛する友に。
守り人の証を贈ろう。
友よ、絆を繋げ。
たとえその血絶えようとも、私の星章が貴方を繋ぐ。
友よ、愛しい守り人よ。
月に寄り添う星となりて、どうか我らと共に。
氷狼の目覚め
宛がわれていた部屋に戻ることもせず、レイニーはまっすぐに厩舎(きゅうしゃ)を目指して突き進んでいた。旅支度を整えている暇などない。
焦燥感に胸を焦がされながら、吐き気さえ感じつつ先を急ぐ。
竜達はここにレイニーがいると知っていたはずだ。だとすればなぜ、憎き“裏切り者”を目前にして引き上げていったのか。そんなものは考えるまでもなかった。彼らは、レイニーが自ら竜の国に訪れることを確信しているのだ。
「レイニー! レイニー、待ッテ! 竜の国なんて行ったラ、確実に殺されるワヨ!」
アリスに眠らされていたスカーティニアは、目を覚ますなり状況を悟ってレイニーを必死で止めにかかった。被膜の翼を持つ黒猫が、足下を必死に駆けている。
オリヴィニスに向かうためには馬が必要だ。厩番(うまやばん)にいざ交渉をしようとした矢先、スカーティニアはすぐさま大きな黒豹へと姿を転じてしまった。
牙を剥き出しにして唸る姿に、若い厩番はあっという間に腰を抜かしてしまい、中の馬達も興奮して外に連れ出せる様子ではない。
「スカー! 急いでるのよ!」
「ダメ、落ち着いテ。こノままジャ、みすみす死にに行くダケだッテ言ってるノヨ」
「分かってる! だけど、ボウヤを見捨てるわけにはいかないでしょう!? そもそも、こんなことになったのはアタシのせいなんだから!」
「違うワ、違う。レイニー、“そもそも”なンテ言うナラ、アタシにも考えがあルワ」
「スカー、お願い。行かせて」
怯えた馬の嘶きが、そのままレイニーの不安感を代弁しているような気さえする。
急いでいたせいで外套(ローブ)は乱れ、普段ならば顔を隠すほど深く被っている頭巾も、今やまったく意味をなしていない。露わになった白い髪が花の香りを孕んだ風に煽られ、雨上がりの空と同色の瞳が切なく歪められた。
厩舎の前に立ちはだかる黒豹は、レイニーの懇願を受けても少しも揺らぐことはなかった。まっすぐに彼女を見つめ返し、はっきりと言葉を放つ。
「嫌ヨ。アタシは騎士たる猫(サー・キャット)なんだカラ。主人を守るノがアタシの役目。……そもそもノ原因ヲ、連れて行くワ」
「スカー!」
引き攣れるような声が出た。
スカーティニアとレイニーの付き合いは長い。レイニーが竜達に恨まれる原因を作ったあの夜も、彼女とは一緒にいたのだ。
レイニーとて、スカーティニアが言わんとすることは痛いほどによく分かっていた。このまま竜の国に赴けば、自分は間違いなく竜の裁きを受けることになるだろう。
いくら六大魔女の一人に数えられているとはいえ、もとより戦うことに向いていないレイニーでは竜に太刀打ちできるはずもない。先日逃げおおせたのだって、奇跡に近いことなのだ。
「あの人間があんなコト言い出さなかったラ、こんなコトにはならなかったノヨ。分かっテル?」
「聞いて、スカー。あの状況じゃ、無理のないことだったのよ。僅かな可能性があるのなら、誰だってそれに頼るわ。なにも人間に限ったことじゃないでしょう? だから、」
「だからッテ、アイツはのうのうと暮らしテ、レイニーがすべての危険ヲ背負うノ? おかしいじゃナイ。あの男を連れていけば、竜ハきっと喜ぶワヨ。元凶ハあの男なんだカラ」
助けてくれと頼まれた。泣いて懇願された。あの男の、あんな姿を見るのは初めてだった。
レイニーの脳裏にあの夜がよみがえり、当時の葛藤が嘘のようにはっきりと思い出された。レイニーの手を取った男の手の熱さも。震えた声も。零れ落ちた、涙の痕も。
そこに滲んだ想いは、決してレイニーには向けられないものだった。
どこまでなら手を貸しても許され、どこからが許されなくなるのか、その境界ははっきりと見えていたはずだったのに、当時の自分はそれを踏み越えた。迷い、悩み、苦しんだ末の答えだった。