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からりと転がっていた短剣――そう、シエラが拾い、シルディが持ち帰ってきたその短剣の柄に填め込まれていた小汚い石こそが、テュールに力を与える宝珠だった。
元気に飛び回る小竜を見て、シルディは微笑んだ。「だからあのとき、頑張ってくれたんだね」一度体力も底をついたテュールが再びその力を発揮できたのは、宝珠のおかげだったのだろう。
一番の目的は達成されたはずなのに、これっぽっちも晴れやかな気持ちにはなれない。
そんなシエラを気遣うように頬を舐めたテュールが、シエラが反応するよりも先に来訪者の気配に気がついて尾を振った。
「――……なんだ、起きてたのか。おはよう。珍しいな、シエラが早起きなんて」
扉が開いて目があった瞬間、エルクディアは一瞬だけ動きを止めて、何事もなかったかのように笑った。嬉しそうにその金髪に飛びつくテュールを視界の端に入れつつ、シエラは曖昧に頷く。
ろくに眠れていないなどと言えば、きっと彼は困る。そして困らせたところで、解決策などないのだからどうしようもない。結局なにも言うことができず、シエラは椅子の上で膝を抱えているだけだった。
そうこうしているうちにすぐにライナとシルディも部屋にやってきたが、やはりリースの姿は見えなかった。
「シルディ、リースは……?」
「……まだ。でも、前より顔色もよくなってるし、呼吸だって安定してる。目が覚めるのは時間の問題だと思うよ」
「もう四日も眠ってるんだ、そろそろ起きてもらわなきゃ困るしな。――だからシエラ、大丈夫だよ」
大丈夫なわけがないのに。もちろん、そんな言葉は音にはしない。「起きたらこれまで休んでた分、働いてもらわないとな」そんな風に軽く茶化したエルクディアの台詞に過敏に反応したのは、それまで押し黙っていたライナだった。
「……わたしは、反対です」
「え?」
「魔導師さんは、目覚め次第、アスラナへ帰すべきです。このまま同行を続けるのはあまりにも危険かと」
僅かに震えた声で、けれどまっすぐにシエラを見つめてライナが言う。その言葉の意味を理解するのに、シエラは少し時間を必要とした。
「危険? なぜだ、私はそうは思わない」
「……貴方は分かっていません。罪禍の聖人がどんな意味を持つのか。彼らは……、彼は、最も、魔物に近い存在なんです。いつ転化してもおかしくない人間を、貴方の傍に置くことはできません!」
「だが、シルディは罪禍の聖人でも、すべてが転化するとは限らないと言っていた! リースなら大丈夫だろう」
「いけません。半数が転化の危機にさらされているんです。それに、罪禍の聖人ということ自体……」
ライナはそこで言葉を区切ったが、シエラには容易に続きが想像できた。「罪禍の聖人ということ自体、罪そのものだ」おそらく彼女はそう言いたいのだろう。
「…………お前がそのような考えをするとは、思っていなかった」
「なにが言いたいんですか、シエラ」
宥めるように肩に置かれたシルディの手を振り払って、ライナは強い眼差しで見つめてくる。――むしろ、その眼光は睨んでいると言った方が近い。
張り詰めた空気に、さしものテュールも困惑を隠せない様子でエルクディアの頭にしがみつき、おろおろと二人を交互に見やっていた。
「シエラ」エルクディアに呼ばれるが、喉までせり上がってきた言葉を押し戻すことは不可能だった。
「なってもいないのに遠ざけるだなんて、臆病な上に……卑怯だ」
「っ! 貴方はっ……!!」
「クレメンティア」「ライナ!」
かっと目尻を赤らめて立ち上がったライナの肩を、両脇からエルクディアとシルディが押さえて無理やり椅子に座らせる。
すとんと腰を下ろした彼女は、かすかに目を潤ませて唇を噛み締めていた。
言いたいことはたくさんあるのに、上手く言葉にならないのだろう。それがもどかしくて悔しい。その葛藤がありありと分かってしまい、けれど引くことなどできず、シエラは同じように口を引き結んで顔を背けた。
無事に戻ってくることができてよかったと、そう言って笑いあいたいのに。それなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。