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「どうした、カサギ。あんたも吸うようになったのか?」
左耳の上のハゲはどうやらもう治ったらしい。伸びたとはいえ、それでもショートヘアの髪型は、下手をするとスズヤよりも短いかもしれなかった。
他に人がいるとは思っておらず、カサギは若干たたらを踏んだ。その動揺を見抜いてか、スズヤの瞳が眼鏡の奥できらりと光る。
「おれ、席外した方がいい?」
「え、あの、いや……」
「それとも、通訳としてこの場にいて仲介してやった方がいいのかな? なにしろこいつ、ありえないほど鈍感だから」
指さされたヒヨウは不思議そうに「なにが」と首を傾げていたが、そこで不思議がれる神経に、助走をつけて殴りたくなった。これだけの状況が揃っていて、それでもピンとこないのか。部外者であるはずのスズヤにはこうもお見通しだというのに、本人がまったく気づいていないというのはあまりにも切ない。
席を外してくれるようスズヤに頼むと、彼はまだ長い煙草を灰皿に押し付けてからからと笑った。
「おっけ、いいよ。じゃあまたね、ヒヨウ。あんまり後輩困らせないように」
「ああ、またな。ハルナによろしく」
スズヤを見送るなり、咥え煙草で尻ポケットから財布を取り出して「好きなの買ってこい」と自販機を指さすヒヨウに、今度こそ膝をついて項垂れたくなった。階級にして三つ、年齢にして二つの差は、どう足掻いても縮まりそうにない。少なくとも後者は、なにをどれほど努力したところで縮まりようがないのだ。
差し出された財布を丁重に断って、二本目の煙草に火をつけようとしたヒヨウの手をそっと掴んだ。どれほど「男みたいな」と形容されようと、ヒヨウは女だ。掴んだ手首はカサギよりもずっと細く、指もすっと通っていて綺麗だった。
「カサギ? どうしたんだ、そんな顔して」
「あんたが好きです、ヒヨウ二尉。さすがにもう意味は分かりますよね」
返事を促した日もカウントすれば、告白するのはこれで三回目だ。いくらなんでも「人として」だなどという言い訳はさせない。
逃がすものかと思いながら、じっと夜色の瞳を覗き込む。
「またその話か!?」
「何遍でも言いますよ。で、返事は。付き合ってくれんすか。くれないんすか」
「じ、時間をくれ!」
詰め寄るカサギの目の前に手のひらを翳し、ヒヨウはそんなことを叫んだ。これで顔が赤らんでいればまだ浮かれたものの、彼女の表情には単純な困惑と焦りしか見えてこず、落胆と苛立ちが芽吹いてくる。
よりにもよって「時間をくれ」ときたか。その一言に、カサギの中でなにかが切れた。
「時間をくれだぁ? もう半年もやっただろうが、ふざけんな!」
「は、半年待ったなら、あと一週間や二週間待つのも同じだろうが!」
「あんたまたそうやって逃げんのか!?」
「別に逃げたわけじゃ……! だがしかし、なんだ、その、み、三日は待て!」
騒ぐヒヨウの両手首を掴み、薄汚れたコンクリートの壁に押し付けていることに気がついたのはそのときだった。ちょうど十センチの身長差があるせいで、間近に迫ればあっという間に抑え込める。
至近距離から見下ろして、鼻先が掠めるほどの距離で低く唸った。それこそ空腹の獣を連想させるような唸り声が出た。獲物と認識された側は、本能的になにかを感じ取ったのかぴくりと震える。
「三日だな。三日待てばいいんだな。三日後の2100、この場所で絶対に返事を聞かせてもらう。いいか、逃げやがったら全館放送で同じ台詞吐いてやっからな」
寮内に響かせれば、面白い話に飢えている隊員達が我先にとヒヨウに群がるに違いない。返事はどうすると詰め寄って囃し立て、カサギが催促するよりも確実に事は進むはずだ。
年齢も階級ももはや関係ない。自分の言葉が完全に崩れていることに、このときのカサギは気づいていなかった。
日が落ち、薄暗い喫煙所に明かりが灯る。もう少し暗くなれば、この明かりに吸い寄せられるように羽虫が飛んでくるのだろう。光に吸い寄せられるのは、なにも虫だけの話ではない。
「――そんじゃ、失礼します」
手のひらに捕まえていたぬくもりを離して、一礼してから喫煙所を立ち去る。
勝負は三日だ。
今度こそ、絶対に逃がさない。