箱庭遊び [ 9/9 ]

遊び


hi


 ねえ、ゲルトラウト。あなたはなぜ、最善を尽くさないの?
 
 その人はいつもそう言っていた。最善という言葉の意味がよく分からない子供に対し、最善を尽くせと呪いのように言い聞かせていた。呪い。あの様子は、その言葉が最もしっくりくる。
 運命など鼻で笑って捨ててしまいそうな女性だったが、特別美しいわけでも、賢いわけでもなさそうだ。ただ、なぜだかいつも含みを持たせた笑い方をしていて、離れた塔の一室で静かに花を愛でていた。
 王は彼女のどこを気に入ったのだろう。
 そんなことを尋ねられるわけなもく、与えられるままに一時の激情を身に受ける。
 肌を滑っていく手は、のんべんくらりと暮らしている中年男性のものではなく、今もまだ身体を鍛え続ける人間のそれだった。ごつごつした指先に容赦なく全身をまさぐられ、聞くに耐えない声が王の耳を汚す。
 けれど彼は気分を害した風もなく、ぺろりと獣のように舌なめずりをした。

「どうした、上の空だな」

 そのようなことございません。
 そう言いたいのに、王は涼しい顔をして無体を働いてくる。誰もが恐れる尊顔に汗を浮かべ、時折それをぽたりと垂らして口端を吊り上げる様は、ひどく粗野で、かつ妖艶だ。
 このようなお姿を、彼はあの人にも見せたのだろうか。――だからこそ、あの公子が生まれたのだろうけれど。
 分かりきったことだ。このような睦みごとをしなければ、子は成せない。十一人の公子がいるということは――ああ、やめよう。このような下世話なことは、今考えるものではない。
 強すぎる快感は恐怖に変わる。きつく目を瞑り、指先の感覚が失せるほどに敷布を握りしめた。
 どうか早く終わりますように。
 そう望んでいるはずなのに、貪欲な身体はもっと熱を欲している。そんな浅ましさを知っているのは、本人よりも王の方だ。的確に攻め立てられた身体は、恐怖を引きずったまま快楽の高みを軽々と上り詰めてしまう。

「なにを考えている?」

 別段興味もないくせに、とは言えなかった。
 そんなことを口にしてしまえば、きっとこの首はたやすく飛んでしまう。死ぬのは怖い。王はこの身を切り捨てることに、瞬き一つ分も躊躇うことなく切れと言うだろう。
 あの人はなぜこの王を前に、笑っていられるのだろう。王は泣けと言う。だから泣く。瞼が腫れ上がっても、喉が枯れても、求められるままに。求めに応えなければ、自分はいらない存在だったから。
 お前は不要だと凍えた眼差しで告げられることは、過ぎた快楽よりも怖い。
 王の指先が顎にかかる。少しくらいは壊れてもいいだろう。そう言って、彼はこの身体を乱暴にむさぼっていく。こちらの気など微塵も考えていないのだろう手つきが、それだけ彼が純粋に欲をぶつけてきているのだと、教えているように思えた。
 憐憫ではない。哀れみで抱かれているのではない。気まぐれだとしても、今、彼に愛されているのは、他でもない自分だ。
 愛されているという言葉に心が伴うかは、分からないけれど。
 どうしても吐き出さずにはいられなかった想いが、あの人にはあったのだろうか。他の人は皆、なにかしら愛を求めていたような気がする。金のため、地位のためとはいえ、誰もが恐怖する王の心を得ることができれば――と、必死になっていたのに。
 あの人だけは、そんなそぶりがちらとも見られなかった。
 悦楽の波に飲まれながら、挑戦的な目を向けてきたあの人を思い出す。腕にまだ幼い公子を抱いて、彼に口づけながらあの人は言った。「あなたの最善は、なぁに?」ぞっとした。まっすぐに見つめてくる双眸の深さに、身体の芯が凍り付いた。

 最善はなにか?

 そんなものが分かったら、今頃こうして彼の下で無様に喘いでなどいるものか。
 分からないから、右往左往して結局痛い目を見ている。いつだったか、眠りに落ちる直前、戯れに王がこぼしていた。あの女は恐ろしい、と。
 彼にそれだけを言わせるなにかが、あの人にはあるのだろうか。
 あの人は、「最善」がなんたるかを知っているのだろうか。だとしたら、きっと敵わない。いいや、絶対に。
 そしてあの人と王の血を分けた子供は、末恐ろしい化け物になるに違いない。そんな世界に生きていける自信など、これっぽっちもなかった。

 苛烈なまでの快楽が過ぎ、ぐったりと人形のように横たわる身体を、王は興味なさそうに見つめる。その視線でさえ失せかけた熱を呼び覚まそうとするのだから、たちが悪い。
 王の興味を引くのは、一体どれほどのものなのだろう。あの人は、王の興味をどうやって得たのだろう。特に美しいというわけでもないし、身分が特別高いわけでもない。男に愛されるような愛嬌も、到底あるようには見えない。
 それでも王は、あの人に、他のどの妻達よりも気をかけているように思えて仕方がないのだ。それは愛情ではないが、それよりももっと深く、濃いもののように感じる。
 そのようなもの、自分はこれっぽっちも向けられてはいないのに。

「……どうした」

 興味も関心もないくせに、どちらをも持ち合わせたようなふりをして尋ねないでほしい。いっそ放っておいてくれと叫びたいのに、彼の眼差しがそれを許さない。
 いいえ、なんでもございません。それだけを返し、猫のように丸まった。
 王の声はそれ以上を追求しようとはしない。己に必要のある情報ではない限り、無理に引き出そうとはしないのが彼だ。
 ぎしりと鳴いた寝台と、隣から消えたぬくもりに、王が帰るのだと知る。見送らなければ。縮こまったばかりの身体を起こして目を向けた先には、ぞっとするほど妖しく笑む彼の姿があった。

「また来よう。少しは楽しめそうだ」

 その言葉に絶句する。
 いつの間にやら完璧に服装を整えていた王が、ひらりとその裾を翻して部屋を去る。扉の付近と寝台の脇に控えていた従者が、それを追った。
 ぱさり。敷布がずれ落ちた音ではっとする。急激に冷えていった肩が、ぶるりと震えた。
 王はなんと言ったのだろう。楽しめそうだと、彼は言った。それはつまり、自分に興味を抱いたということなのだろうか。あの人と、同じくらい?
 かっと一気に熱が身体を駆け抜け、同時に恐怖に近い感情に襲われた。あの人の言葉が耳の奥でわんわんと鳴り響く。



「あなたの最善は、なぁに?」



 自分が今から歩もうとしている道が、あの人の言う「最善」かどうかなど、分かるはずもないのに。


(20120919)

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