姉ちゃんが死んだ日、
あの日、姉ちゃんの手を握ったまま
俺は昔みたいに泣いた。
武州を出て江戸に来てから1度も泣かなかった。
泣かないと決めていた。
特別泣きそうになることもなかった。
あの日の俺は武州にいた頃の、
餓鬼の頃の俺に戻っていて。
枯れそうな程泣いた。
次の日、お通夜と葬式をした。
喪主であったことは確かだけれど
あまり何をしたのかは定かではない。
そのまま流れるように忌引をもらった。
近藤さんが気をきかせて通常より多めの
1週間の休暇。
俺は当たり前のように列車の切符を買っていた。

ガタンゴトン、
俺の身体を揺さぶりながら、列車は進む。
窓の外は都心を離れるほど、どんどんと緑色が増えてくる。

「おい、サド、これはどこに着くアルか」

向かい合わせの二人席
嬉しそうに窓に手を添えて、目をキラキラさせて外を覗くのは万事屋の神楽。
なんでか知らないが2枚の切符を買っていた俺は、気がつけばコイツの手を引いていた。

「田舎でィ」
「田舎ってどこの」
「俺の故郷」

言えば、神楽は大きな目を見開きぱちくりとさせる。
俺は急な椅子の腰掛けに背中を預けて、横に置いてあるペットボトルのお茶に手を伸ばす。

「なァ、これってすぐ帰れるアルか?」
「いんや、3日はいるつもりだぜィ」
「え!私、銀ちゃんに言ってないよ!それに何も持ってないネ」
「買えばいいだろ」
「お金も持ってないヨ」
「知ってる」

神楽は手荷物0だ。
だってたまたま居たところを俺が連れてきたから。
誘拐で訴えられても仕方ないかもな、
と心の中で思いながら
神楽は唯一手に持っていた酢昆布を咥える。
くちゃくちゃと噛みながら、落ち着いたのか外を見るのを止め俺と向かい合わせに、ちょこんと座った。
黙れば、まあ可愛らしい年頃の女の子に変貌するソイツ。お互い無言で、静かな空間は不快に感じることは無かった。むしろ居心地がよい、同じ速さで聞こえてくる列車の音と振動に眠気を誘われた。


1度武州に着く前に列車を降りた。
適当にそこで神楽の衣服と弁当を買って
再び列車に乗る。
神楽はずっと周りをキョロキョロしながら、何も言わず俺の後ろを着いてきていた。

「ん〜っ美味しいアル!ひさびさに牛肉食べたヨ!」
「そりゃあ良かったねィ」

列車に戻り今流行りの駅弁の、焼肉弁当を頬張る神楽はとても満足げに箸を進める。

「お前、そんなんで足りるアルか?」
「食欲ないんでィ」
「ふーん勿体ないアルここでしか買えないのに」

俺はどこにでも売ってる昆布のおにぎりを食べる。
咀嚼してもあまり味がしない。
この前からずっと。
俺っていつお腹すいてたっけ
俺ってなに食べるのが好きだったっけ
とか何も思い出せなかった。

再び列車に揺られて1時間半、
ようやく武州に着いた俺達は
増えた荷物を抱えて無人の駅に降りた。

「随分田舎アルな〜」
「まあねィ」
「でも自然がいっぱいで気持ちいいアル」
「そうかィ」

アスファルトも大きなビルも、けたたましい声も聞こえない静かな田んぼ道を歩いた。
砂利を蹴る感触とか、何だかすべて懐かしく感じた。

途中でたまたま通ったトラックの荷台に積んでもらって荷物と一緒に運ばれた。

「じゃあの」
「ありがとなおっちゃん」
「ひゃっほー!」

トラックのおっちゃんに別れを告げて、家の近くまで歩いた。
それは、俺と姉ちゃんが2人で住んでいた家。
2人には広すぎる、思い出たっぷりの家。
何年ぶりだろうか。
武州を出てから、戻ってくるのは初めてだった。
神楽が家の敷地内に走って入ってゆく。
俺はその後ろをゆっくり歩く。

「総悟ちゃん?」
「?」

突然、後ろから声をかけられ振り返る。

「やっぱり!総悟ちゃん!」

駆け寄ってきたのは、横に住んでるおばちゃんだった。
昔と変わらないおばちゃんは、農業で少しささくれた手で俺の手を取った。

「おばちゃん、お久しぶりです」
「随分立派になったねえ」
「ありがとうございます」
「ミツバさんのことは、お悔やみ申し上げます」
「急に畏まらねえでくだせえよ」
「おいサド!」

手を握られたまま、話しこんでいると、先に家に向かった神楽がひょっこりと顔を出した。
顔が、早くしろと言っている。
神楽を見て、おばちゃんが、あらまあとつぶやいた。

「総悟ちゃんの想い人かしら」
「違いまさァ」
「こんなところまで着いてきてもらって?」

おばちゃんが先程と打って変わってニヤニヤとわざとらしい笑みを浮かべる。
強く言うこともできず俺はグッと黙って目を逸らした。

「明日ね、神社でお祭りがあるの。いつでも浴衣の着付けしてあげるから、時間があったらおいで」

おばちゃんは、俺を通り越し神楽に向かって声をかける。
神楽は、本当アルか?!と嬉しそうに返事して勝手に約束を取り付けてしまっていた。
俺は深い溜息を漏らした。

おばちゃんと別れて家に入る。
錆びれた鍵穴に鍵をさすのも困難で立付けの悪い扉をガラガラと開いた。
少し前まで姉ちゃんが住んでいた家は清潔感に溢れていた。
きっと毎日丁寧に掃除をしていたんだろう。
家の所々に感じる姉ちゃんの断片に目頭が熱くなった。

「サド?」
「何でもねェ」

神楽は俺の返事を聞いてから飛び跳ねるように浮かれて家を探索していた。
和室でゴロゴロと寝転がって、キャーッと言ってはしゃいでるのを無視して荷物を下ろす。

「サド!お腹空いたアル!」

寝転んでいた神楽が突然起き上がって一言。
その一言にしぶしぶ台所に行くことになった。
神楽が勝手に冷蔵庫を開ける。
一人暮らしだった人間の少ない量の食材を全て取り出した神楽は、突然俺を台所から追い出した。
背中をグイグイと押される。

「出来上がったら呼ぶアル!」
「料理とか出来るんですかィ」
「当たり前アル!ちょっと待つよろし」

そう言って追い出された俺は、台所の外からそっと神楽を覗いた。
ふんふんふ〜ん、機嫌良さそうに鼻歌を歌う。
トントントンとリズミカルに聞こえる包丁の音。
あ、ダブった。
神楽の姿が姉ちゃんとダブる。
少しだけまた、泣きそうになったのを俺はグッと堪えて、そこから離れた。

遺品整理とか、しなくてはいけないのを分かりながら気が進まなかった俺はいつも姉ちゃんとご飯を食べていた居間に寝転がった。
大きめの長方形の木の机の横に、座布団を引いて寝転がる。
武州にいた頃は3枚縦に並べれば満足行く長さになった座布団も、いまや3枚では足りるはずない。
両親がいた頃と変わらない4枚しかない座布団では俺の身体は足りなかった。

「いつの間にか、デカくなってんだねィ」

たしか、いつもここで寝て姉ちゃんに起こされるんだっけ。
総ちゃん、起きて。ご飯できたわよ
って。
優しい声で囁いて、髪の毛をそっと撫でてくれたんだっけ。
そんなこと思い出しているうちに、少しずつ瞼が重くなってきて、俺はゆっくりと目を閉じた。

「起きて、総ちゃん」

懐かしい声に目が覚めた、気がした。
うわっと上から聞こえてくる驚いた声。
そこにいたのは勿論姉ちゃんではないわけで、
ふわり、と仄かに漂ってきた匂いに横を向くと机に綺麗に料理が並べられていた。

「冷めないうちに食べるアル」

と俺の前に座る神楽が立ち上がって、机の向かいに移動して座った。
味噌汁に野菜炒めに白米。
2人で食べるには少ない野菜炒め。
鼻腔を擽る旨そうな匂いに俺は箸を手に取った。

「料理出来たんだねィ」
「万事屋で料理は当番制アル。毎回同じメニューだったらゴッサ怒られるアル」

ずず、味噌汁を啜る。
これが万事屋の味かあ、と姉ちゃんが作ってたより少しだけ濃い味噌汁
ピカピカの白米は炊きたてで熱いがそれだけで甘みがあった。

「食材、ほとんど使ってしまったアル」
「そっちの方がありがてえや」
「お前、家族はどうしたアルか?実家なんだろ?」
「もう、誰もいねえや。みんな死んじまった」
「…ごめん」
「謝んな気持ちわりい」

最初は普通に交わされていた会話も途絶え食べ終わるまでお互い無言だった。
久しぶりに食べる温かい飯はちゃんと味を感じて、心が温かくなった気がした。
味付けとか、姉ちゃんのとは違うのに、どうしてこんなにホッとする味なんだろう。

その後食器を片して風呂に入って寝た。
次の日起きたら朝ごはんが出来上がっていた。

「すげえなオイ」
「当たり前アル。見直したダロ?」
「案外家庭的なんだねィ」

朝食は味噌汁にだし巻き卵と納豆と白米。
スタンダードな朝食って感じだ。
神楽は既に着替えも済ませていた。
こいつとこんな穏やかな時間を過ごすことになるとは。
自分でも思いもしなかった。
こいつも全然喧嘩を吹っかけてこない。
きっとこいつなりの配慮なんだろう。

「おいしい?」

向かいに座っていた、神楽が少し身を乗り出して俺を見る。
ああ、と応えると満足そうにニッと笑って神楽はまた朝食を食べだした。







夕方、相変わらず部屋で寝転んでいた。
神楽はどっか行っていた。
まあそのうち戻ってくるだろう、と縁側で寝返りを打つ。

「サド!どうアルか?」

突然帰ってきた神楽。
じろっと上を見上げると何時ものチャイナ服とは違った新鮮な服装。

「…昨日の」
「そうアル!浴衣、着付けてもらったネ」
「行かねえ」
「なんでヨ?!行こうヨ!」
「だりィ」
「お姉さんとの思い出の場所だからカ?」

神楽の言葉に目を見張った。
下ろしていた目線を再び神楽の方へ向ける。
神楽は寝転ぶ俺の横に座って、前を見ていた。

「さっき、おばちゃんに聞いたアル」

神楽がそう言って俺を見るので、俺は逃げるように再び首を下ろして寝転がる。

「ここにいた時は毎年お姉さんと行ってたって言ってたヨ。それに、部屋にお姉さんとお前の写った写真、何枚も飾ってたアル」

神楽の表情は分からない。
ただ声は聞いたことのないような優しい声色で。
顔を見たら泣いてしまいそうな気がして、俺は絶対神楽の方を見なかった。

「ねぇ、お祭り行きたいアル。」
「いやでィ」
「私じゃ役不足アルか?ならなんで連れてきたアルか?一人で行くのが怖かったから、でも来ないのも嫌だったから、切符2枚も買ったんでショ?私とことん付き合うヨ。お前が前を向けるまで。姉ちゃんを思って、ちゃんと泣けるまで」

そう言って、神楽は俺の髪の毛に触れた。
触り方とか、姉ちゃんと全然違う。
少し雑だ。繊細さが無かった。
でも、何でか目頭がまた熱くなって、熱い液体が目から溢れ出した。
せき止めていたダムが決壊するように、涙が止まらなかった。
姉ちゃんの着ていた白縹色の浴衣を身にまとって、神楽は俺の髪をなでる。
でも、どうしても神楽は姉ちゃんではなくて神楽だった。
どうしてこんなに似てないのに、同じことをしても神楽と姉ちゃんは違うのに、どうしてこんなに安心するんだろう。
心の紐が緩んだように、俺は泣いた。
神楽は何も言わず俺の髪を撫でていた。

「別れは、悲しいことアル。泣くこと、悪いことじゃないネ。でも前を向かなきゃ。その人のためにも。精一杯生きなきゃいけないアル」
「…何のために、生きてるのか分からねえよ」
「みんな、理由を探して生きてるアル。そこにいる理由を。お前も今から、それを探しながら生きていくアル」

ね?と子どもをあやす様に言う神楽。
涙は止まっていた。上半身を起こして、神楽と俺は向き合うように座る。
神楽の手が俺の頬をそっと触れた。

「見つからなかったら、どうすればいい?」
「いつか、見つかるアル」
「いつかって?いつでさァ」
「わからないネ。神様しか知らないアル。」
「ははっ、やってられねえや」

俺がうっすら自嘲気味な笑みを浮かべると、神楽は眉間にシワを寄せる。何でこいつが泣きそうな顔をしてるんだろうとか、頭の片隅で考えた。
何か言いたげに、神楽は口をパクパクとさせる。

「…わたしが、お前の生きる理由になってやるアル」

1度俯いて、また口を開いたと思えばそんなこと言うもんだから、俺はなんて言えばいいか分からなくて、ただ近づく神楽の顔と、唇に触れた柔らかい感触を受けて、ひどく戸惑った。

離れた神楽の顔は、真っ赤に染まっている。
俺は、こいつとキスしたのか、と気づくまで数秒時間が必要だった。

「おいサド、返事はどうしたアルか」
「え、ああ」
「これからは私を守るヨロシ」
「守る必要あるんですかィそこらの人間より丈夫だぜィ」
「うるさいアル。とにかく、私を守る!決まりアル!」
「はあ、仕方ねえ。ただし、俺にクビにされねえよう気をつけるんだねィ」
「それはこっちの台詞アル。私に愛想尽かされないようにせいぜい気を使けるヨロシ」

少し言い合って、フッとお互い同時に笑った。
お互い見合って、次はちゃんと唇を交わした。
少し、しょっぱかった。
それは、神楽の涙だった。





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