夜風がひゅうと吹くと彼女は私の腕にしがみついた。きちりとボタンを閉めたスーツごしの体温。柔らかい指の先。はあっと出される吐息。それらが私の感覚を拐ってゆく。
基山さんから『迎えに来て』というメールが入ったのはつい一時間前のことだ。彼女は終電を逃して駅に一人だったのだという。そして彼女の家はその駅からバスも無い時間に帰れる場所には無かった。家がこのあたりの知人で思い浮かんだのが私だったらしい。
しかし正直なことを言えば、私と彼女はたいして仲が良い訳ではなかった。挨拶なら交わすが、それ以上は別段親しくはなかったのだ。だから彼女からのメールに深夜番組を見ていた私は戸惑い、よく分からないまま駅から彼女を連れて帰ってきたのだった。
「いきなりごめんね。迷惑でしょう」
「大丈夫」
大丈夫ではなかった。私の部屋には人が一人泊まれるだけの宿泊機能は無かったし、冷蔵庫の中は買い物に行き忘れたせいで空だ。出来ることと言えば、私と彼女は背丈が一緒なので服を貸すくらいか。
「このアパートの二階だから」
安いアパートの階段を上がる間中彼女は私の腕に掴まっていた。理由はわからないが、夜暗いのが駄目なのだろうと考えておいた。葦のように絡まる彼女の腕。
自宅に着いてから私は先ず彼女を風呂に入らせ、その間に近くのコンビニに軽食を買いに行った。家に戻ったときには彼女は風呂から上がり、私の貸したTシャツにスェット姿だった。髪はまだしっとりと湿っているようだった。
「おかえりなさい」
「…ただいま」
ドアを開けた時の一言に戸惑いつつ上がる。基山さんはきちりと脚をたたんでいた。リラックスしなよと言えば、微笑んで脚を少し伸ばした。
「コンビニでパスタ買ってきたんだけど」
ビニール袋からプラスチックの容器を出して置いた。すると彼女は上目使いで何か言いたそうにした。大きな緑の目が私を見る。
「パスタで大丈夫?」
「…ごめん。私、コンビニの弁当ってどれも駄目なの」
「えっ」
聞けば、コンビニの弁当の独特の添加物の味が気持ち悪いのだという。そんな子が本当にいるのかと私は驚いた。基山さんはあんまりにも謎めいているのだ。私は彼女について何も知らない。どういう性格なのか、どうして遅くに駅にいたのか、どうして私の家に来たのか(彼女には駅の近くの他の仲の良い友人がいるはずなのだ。いなくても、仲の良い方の家に行こうとは思わなかったのか)。今のだって、私は彼女の駄目な物を知らなかった。
「どうしようか。あとは炊飯器にご飯が少しで…お茶漬けくらいしか」
「ならそれを頂いていい?」
彼女に承諾の返事を返すと、茶碗を取りだし冷めたご飯を盛り、茶漬けを作った。味は鮭だった。
茶碗を置き箸を渡せば、彼女は茶漬けを食べ始めた。空腹だったのか茶碗の中身はみるみる減っていった。私がのんびりパスタの包装を開け、食べんとする頃には茶碗の中身は半分以下になっていた。
「基山さん、お腹すいてた?」
「あ、いや、これは」
「疲れてたんだよね。いいよ、別に」
彼女は自分について彼女からは何も話そうとしなかった。私は彼女についてたくさんを知りたいが、聞いていいのか分からないから何も訊ねない。一線を越えたいような、そうでないような感覚がする。
言うか、言うまいか。私はその二択をぐるぐるとフォークにパスタを巻きながら考えた。パスタはあんまりにもくっつきすぎていて、巻いてみたらフォークはかなり太ってしまった。それを何とか食べようとしたら、基山さんがくすりと笑った。
「ねえ風丸さん、訊かないの」
「なにを」
「どうして私が此処に迷惑しに来たかって」
巻き付いていたパスタをなんとか食べ、フォークを置いた。彼女はすでに茶漬けを食べ終えていた。
「訊かない方がいいんだと思ってた」
「そう」
彼女は手を机に置き、指の先の方を見たり私の方を見たりを数度繰り返した。そのお陰で短い間が空いた。
「私ね、貴女が好きなの」
そう言うと彼女は目を細めた。私には彼女の言っている意味が分からなかった。好き、とはどういう意味なのだろう。よく分からない。
「それはどういう」
「私、貴女が好きなの」
彼女はもう一度そう言うとまた笑った。私はまだ意味を理解していなかったのだけど、なんだか胸がどきどきとしてしまった。基山さんの微笑みは私の何かに触れるものだったのだ。
私はよく分からない気持ちのまま立ち上がると布団を敷きはじめた。このまま彼女に見つめられていたらおかしくなりそうだったのだ。
「布団、一人分しかないから基山さんが使って」
「ううん。悪いから、風丸さんも一緒に寝よう?」
嵐の予感だった。
そしてこのあと私は不思議な彼女について深く知ることとなるのである。

(The Last Train)

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