基山ヒロトはたまに宇宙人になる。宇宙人になって俺を蹴る。腹だとか、足だとかを思い切り蹴る。「君はサッカーボールさ」宇宙人になったヒロトは必ず俺にそう言った。そう言って笑顔になるのだった。
 俺はどうしてヒロトが宇宙人になるのか分からない。でもどうしてヒロトが俺をサッカーボールにするのかは分かっているつもりだ。だから俺はヒロトが宇宙人になって俺をどんなにいたぶっても怒らないことに決めている。俺は彼の自己嫌悪を知っている。不器用さを知っている。だから俺はヒロトが何をしたって抵抗しない。否、そんなことは出来ない。素直な彼の心は今まで様々な葛藤に悶え苦しんできたに違いないんだ。そして、その結果ザクロのように離散した衝動を発散する場所が必要になってしまったことくらい、わかってる。だから俺は我慢するんだ。我慢して彼に蹴られるサッカーボールに徹するんだ。だって俺は彼が好きなんだから。

 雨の降っている日の夜だった。雨はしとしととコンクリートの地面を濡らしていた。あまりに優しく降っていたから、部屋の中にいたのでは音は聞こえなかった。
 俺は細い雨が落ちていく様子を眺めていた。窓ガラスを隔てた湿度100%の世界に思いを馳せる。其処は締め出された水分子が行き場をなくして漂う世界である。宇宙人基山ヒロトの存在を例えるならその水分子がぴったりだ。基山ヒロトからすら否定された基山ヒロト。それが宇宙人基山ヒロトなんだと俺は認識している。
 暗いグラウンドは静かに水を含み続けていた。
 カチャとドアを開ける音がした。振り返ると扉の前にヒロトが立っていた。彼は黙って足を進めると、俺の横に立った。俺は少し恐怖を感じて、無意識のうちに肩を強ばらせていた。彼がどちらの基山ヒロトなのか見た目では判らないのだ。君に会いたくなったんだよ、なんて可愛い理由(俺等は恋人なのだ)で来たのか、それとも彼はまた異星人になったのか。俺はヒロトが「風丸君!」と言って俺を抱き締めてくれることを期待した。そうであって欲しいと願った。
 ヒロトが僅かに唇を開いた。
「風丸君。ごめんよ」
それを言い終わった時には既に、彼はボールを蹴るためのモーションに入っていた。言い知れない絶望がまた俺を襲った。気が付いた時にはもう腹に彼の足が食い込んでいた。俺は蹴り倒され、床に倒れて無様な姿をさらした。痛い。晩に食べたものを吐き出しそうだった。
 宇宙人ヒロトは腹を蹴ると次は太股を蹴った。前回蹴られて痣が出来ていたところに足がぶつかって痛さが倍増した。俺は身を貫くような痛みを目を潤めながら耐えた。これは俺が基山ヒロトを好きだから出来る荒業だ。彼が彼の感情に自ら収集をつけさせるためなんだ。俺の献身は全て彼のためであった。
 それにしても今日の宇宙人基山ヒロトは変だ。普段なら蹴るときには必ず狂ったように(実際狂っているが)喋るのに今日は何も言わない。ただ黙って俺をひたすらに蹴っているだけだ。それに今までに一度たりとも狂った彼は謝まったことなど無かった。俺は不思議に思って「ヒロト」と声をかけた。
「何。風丸君」
「どうしたんだ」
 宇宙人基山ヒロトはピタリと蹴っていた足を止めた。足を戻してその場に立ち尽くすと、小さく震え始めた。俺を見下す目はひどく懊悩していた。俺には彼に何が起きたのか解らなかった。
「君のせいさ」
宇宙人基山ヒロトは震えながら言った。
「何しても我慢するから、俺は君が怖いよ…!」
意味が解らなかった。怖い?何故?それなら俺の方が怖いさ。お前に蹴られているのだから。何を言っているんだ?
「どうして俺を止めないの?どうして抵抗しないの?俺は…俺は君に狂った俺を止めて欲しかった!君は、優しいよ。きっと狂った俺を受け止めようとしてくれたんだよね。でも、その優しさは刃なんだ!何度、何度蹴った後の君をみて俺が絶望に沈んだか!俺は君の優しさが怖いよ…」
 ヒロトは立ちすくんで歪んだ笑いをしていた。俺は訳が解らなかった。狂ったのはヒロトだ。彼は色んな感情を俺にぶつけていた。でも狂いながら更に傷付いてたという。それが俺の優しさのせいなのだ。…俺の優しさのせい!
 絶望に呆然としながら俺はヒロトを見上げていた。彼はゆっくりとした動作でポケットから掌に収まるくらいの何かを取り出した。左手でそれを広げると中から本物の刃が現れた。部屋の中で異質に光るそれ。折り畳み式ナイフ。
「俺、怪我してる君を見るのが辛い。でもそれをしたのは狂った俺だからもっと辛い。風丸君、これは君から俺への復讐なの。俺、とても苦しいよ」
 復讐?違う。ただお前が好きなだけだったんだ。確かに今までに色々あったけど、復讐なんて、違うんだ!そう言いたいのに言葉がでなかった。俺の自己犠牲は只のエゴだったのだ。彼を好きなのは本物だったけど、それは彼には重すぎたんだ。もしこれが犬のような盲目的な自己犠牲愛ならこんなことにはならなかったのだろうか。俺は震えながらヒロトを見つめていた。
 ヒロトは泣きそうな笑顔で小さな刃物を首に当てがった。
「復讐なんだよね。でも俺、それでも君が好きなんだ。ごめんね。だけど君にとって俺はいない方がいいんだよね。だから俺、君のために死ぬよ」
ヒロトは、遂には笑いながら泣きはじめていた。空気の震えというのだろうか、俺は過敏に彼の右腕に力が入ったのを感じとった。そして、次に何が起こるかも。
 血管の上に当てがわれた刃物が眩しいくらいに銀に輝いた。息を止める音がして、そして、


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