魔法の装い。
(♀夢/忍卵/善法寺伊作/伊作の性別操作/百合要素含有/ほんのり留伊/片恋三角/現パロ)
放課後教室で僕は◎に言った。
◎は化粧好きだねと。
◎はチークブラシをチークパウダーで染めながら笑った。
化粧って魔法みたいでしょと。
化粧なんかしなくても◎はすごくきれいなのに、彼女はいつでも化粧ポーチを持っているし、学校でも遊びに行くときでも絶対に化粧をしている。でも、顔の作りの原型が見えないような化粧をしているわけじゃない。薄く、気付かないくらいに、顔を引き立たせるような化粧をしているのだ。
ホント言うと、僕は◎の素顔のほうが好きだった。
もとい、僕は◎が化粧をしはじめる前から、彼女の事を好きでいる。
化粧しなくてもキレイなのに、と言ったら、お化粧楽しいよ、と返された。
趣味でしていることなら僕は止められない。だけど、◎のその言葉が本心でもそうでなくても、彼女が化粧をしている本当の理由は、楽しいからなんて単純なものじゃないと僕は密かに気付いていた。
窓側の席で斜陽を浴びながら、きれいな手はリップスティックを手に取った。小さなリップブラシで色を取り、それを艶やかな唇に染め入れた。僕はつい◎の唇に注目する。不意にキスしたいなんて思って、妙に焦った。◎は絶対に僕がそんなこと思ってるなんて考えないだろうに、僕はそれを気取られる前に打ち消そうと目線を下ろした。すると視界には色とりどりの化粧品。可愛らしいデザインのそれらは、きれいな◎とはイメージが違う。
このこまごましているものたちが◎を変えている、と思うと、憎らしく思えるし、切なくもあるし、ありがとうとも思う。
◎が化粧という魔法で変わらなきゃならない理由を、僕は知っている。
「伊作もしてみる?」
「えっ…?」
◎の声で、ぼんやりした頭がコンマ遅れでヒャッと冴えた。口はまだぼんやりしてたけど。
◎はすでに化粧を終わらせて、頬杖をついて笑顔で僕を見ていた。
◎の動作はいちいちキレイで、僕の動悸はいちいち早鐘を打つ。いま顔が熱いのだって、彼女のせいだ。
◎は僕が赤面症だって思ってるみたいだけど。
「化粧…?」
「そう」
「いや、僕、化粧したことないから…おばけみたいになるよ」
「おばけて」
もちろんおばけとは、儚げな幽霊などではなく、厚化粧に失敗している子供向けキャラクターのようなおばけだ。
でも、興味がないわけじゃない。
化粧をすることによって、彼女の気持ちを少しでもわかることができたら、僕が彼女を支えられはしないか。
でもそれも出来はしないと思うけど。
「私がしてあげるわ。可愛くしてあげる」
「、」
(―――馬鹿…)
笑って言う◎に、胸中でその言葉が浮かんだ。
だってそれはきっと、◎自身を追い詰める行為のはずなのに。でも僕は、すでに僕に化粧してやるつもりの◎に「うん」と返してしまったけど。
◎の手が僕の顔に触れている。
それだけでもドキドキしているのに、◎が「上向いて」と言うのに従ったら下目蓋の皮膚をあっかんべーみたいに伸ばされてるときとか、「いーって口横に開いて」というのに従っていると、ひどい顔をしていないだろうかという意味でもドキドキした。
「伊作、緑すごく似合うね」
そしてそうやって誉めたりもするし。
元々だらだら残っていたこともあり、僕の化粧が終わる頃には下校時刻が間近だった。化粧品をカチャカチャと片付けながら、◎が言う。
「いい時間に終わったね」
「―――…うん」
つまり、◎と二人きりでいられるささやかな至福の時間が終わる時間だった。
化粧品を全部仕舞い終わってポーチも通学カバンに収めると、◎は薄い鏡を出した。
「ほら、伊作。見て見て」
僕に差し出す。
自分でも意識して触ったことのない部分をかなり触られたので、出来栄えはちょっと怖い。でも◎に施された顔に期待も膨らんでいる。
鏡で顔を見ると、一瞬息が止まった。
「うわ、誰」
率直な感想を言ったら◎が笑って「初めてはみんなそう思うよね」と言った。
いつも鏡で見慣れている自分の顔が、別人みたいに違う。化粧自体は濃いわけじゃないのに。
薄化粧だけで、こんなに自分じゃないように変わるのか。
「伊作」
教室のドアの方から声がした。すごくびっくりしてそちらを見ると、留三郎がいた。僕と目が合うと、留三郎もひどく驚いていた。だけどすぐにいつものように言った。
「伊作、帰るぞ」
僕はうん、と返事をして、のろのろと鞄を持った。
―――――別れがたい…。
「伊作」
◎に呼ばれて、僕はすぐ様振り返った。
見ると◎は笑顔だった。そうして呼び止められるのは初めてだったため、彼女が何を言うのか、予想がまったく出来なかった。僕は緊張して◎の言葉を待つ。
ほんの少し、時間が止まる。
「また、明日ね」
なんでもないように、◎は言った。僕は遣る瀬なくて口を引き結んだが、すぐに同じように返した。
「うん、また明日」
僕は◎を残して、留三郎と一緒に教室を出た。
「どうしたんだ?それ…」
廊下を歩いていたら、留三郎が不意に言った。僕は留三郎を見上げて「何を?」と思ったが、僕の視線から逃げるように留三郎は外方を向いた。数秒考えて、さっき教室でしていたことを思い出した。
「化粧?」
「……ああ」
様子がいつもと違うのはそのせいか、と僕は納得した。「◎がしてくれたんだ」と言うと、留三郎は「そうか」と反応した。そして何か噛み締めるような間を取ってから、再び口を開いた。
「…似合ってる」
頬を赤くして言う彼に、僕はただ「ありがとう」としか返せなかった。留三郎が僕を好きなことはわかっている。でも、僕は彼の気持ちなんかいらなかった。
(…◎)
―――『また、明日ね』
何かを隠している、優しい顔。それが、◎は留三郎を好きなんだと僕に知らせた。それはとっくの昔に気付いた。
化粧で魔法を掛けて別人になっている彼女が、あんなにも切なげなのに、果たして素顔になったとき、彼女はどうなってしまうのだろう。
『お化粧、楽しいよ』
それだけで◎はすべて誤魔化している。悲しみも切なさも苦しさも。
◎の素顔を隠している化粧が憎らしくて、そうすることでしかやり過ごせない◎が切なくて、だけどそれによって笑顔を作らせられる化粧にありがとうとも思う。
(いいな)
(…留三郎、いいなぁ)
僕が男だったら、◎を強引に抱き締めたりできたかな。
僕が男だったら、留三郎は◎を好きになったかな。
僕が男だったら、◎は僕に恋してくれたかな。
気持ちの吐露が出来なくて恋心をひた隠しにする。
「だって僕らは女同士だから」と、恋しい彼女を抱き締めることから逃げる。
そうして、僕は「男だったら」という現実逃避で行動を起こそうともせずに今をやり過ごす。
彼女を慰めることよりも、僕は彼女を失わないことだけを考えて、彼女が留三郎を忘れるのを待つ。
(化粧で魔法がかかるなら)
(そのせいにして、彼女を抱き締めればよかった)
過ぎた現実に彼女を慰める妄想をしても、現実では彼女に手を伸ばすことすらしない。
(ねえ、だから、一緒にいさせて)
(魔法がかかっても、僕は君に何一つしてあげられないけど)
それすらも、口には出せぬまま。