まだ倫理観を取り戻せない時の勝己






(英雄学/爆豪勝己/十傑パロ)





 人を殺すのに慣れてしまった後、穏やかだった日々の思い出は他人事になった。それと同時に勝己の中で人は無機質な人形へと変わった。同じ檻に閉じ込められた奴隷や殺し合いに歓喜してる奴らが人形に思えたのではない。思い出の人が人形になり、今ここにある全てはクソの肥溜めに変わった。勝己の中で、人間という存在の価値が底辺よりも下回ったのだ。

 それだけが人を区別できる基準になった。動くものは全て憎悪の対象。どうしてそうなってしまったのかを忘れてしまうほどに、憎しみは他を霞ませる力があった。

 揺らす個性の男の提案に乗って賭場を出たのは、飼い殺されている現状が気に入らなかったからだ。否、そもそも勝己が気に入ってるものなんて一つもなかった。時折静止画のように明滅する記憶すら、もはや自分のものとは思えなかったのだから。作り物のような胡散臭い幸せ。どうでもよかった。

誰ともいたくなかった。賭場を出るという目的を達した後、男と早々に別れたのはそのためだ。彼を殺してもよかったが、殺す必要はない。体を動かすには体力がいる。無駄なことはしたくなかった。行動の選択肢は全て消去法が決めた。

 動くものはなんでも食べた。戦闘において勝己の個性が爆破であることは幸運だった。魔物と動物の区別なく殺す。その中には時に人も紛れていた。
けれど人だけは食えなかった。屍肉を口に入れた瞬間、勝己が殺した奴隷を料理して頬張る肥えた人間の顔を思い出したからだ。不味かった。それは舌が認識した味覚ではなく、嫌悪感がそう思い込んだだけかもしれない。ただ、人間は不味いと根深く刷り込まれた。吐き気を催すほどに。

 夜、月が明るいと記憶が明滅した。自分も人形だった頃のこと。人形の世界はいつだって太陽があって明るかった。雨の記憶も優しかった。温もりがあった気がする。それが自分の中で再生される時、自分が一体誰なのかわからなくなる。自分はどうして、いつから、人形から人間に変わってしまったのだろうか。繋がっているはずの糸は、一体どこで切れたのだろうか。明確なはずのそのきっかけは深い闇に沈んでいた。

 勝己という名前を思い出したのは、そんな夜を幾度か繰り返した時だった。その名が別の記憶の糸を引くように、勝己、と呼ぶ声が頭の片隅で小さく響いた。何度も自分を呼んだ人だった。その人形のことだけを考えようとした時に、突然記憶の壁が激しく崩れた。

『勝己!勝己ぃぃいいい!!嫌ああああああ!!行っちゃやだあああ!!うわああああああん!!』

 耳をつんざくようなひどい悲鳴に、ぼとりと涙が落ちた。最後に残る人形の記憶。それだけは明るさから遠い場所に置かれた悲しみの記憶だった。

 急に寂しくなった。この世界にたった一人だけになってしまった。それでも誰にも聞こえないように顔を伏せて泣き声を殺した。
 勝己は急に、人形に戻った。寂しくて悲しくて人恋しくて、どうして自分がこんなところで一人ぼっちでいなければならないのか、その理不尽さが許せなかった。どうして自分が、一番好きだった子が、こんな目に遭わなければならないんだ。彼女は今も一人ぼっちで泣いているのだろうか。今の自分のように。

 なんで。

「うっ…く…、ぅう……っ」

 疑問は勝己が眠るまで残り続けた。
 次に目覚めた時には、勝己は昨日の記憶もまた人形に思えて、人形は全て死んでいると信じられた。
 この世界は一人で生きるようにできている。そう信じられた。