曰く、世界で一番可愛い君へ、恥を忍んだ贈り物。
(♀夢/英雄学/爆豪勝己/notヒーロー志望/匿名リクエストboxより「ぬいぐるみ×爆豪勝己」)
いらっしゃいませ、と猫撫で声のような高い女の声。入店と同時に出て行きたくなる。そもそも入る前から出て行きたかった。要は入りたくなかった。
店内はパステル調の壁紙やらレースやらでファンシーな柔らかい雰囲気。仄かにポプリの香りがする。店の中央には天井に届きそうなほど山積みのぬいぐるみ。店内には子供連れの夫婦や一人客の女性、店員も女性ばかり。若い男の客は自分だけだった。
男の入る店じゃねえ。勝己はあしらいきれなかった羞恥心にそう言葉を叩きつけた。
勝己にとっては間が悪かった。
来週は◎の誕生日で、プレゼントはまだ決まっていない。
中学に上がったあたりから、誕生日に欲しいものを尋ねても◎は何でもいいと答える。曰く、当日に勝己が何を選んだのかを知るのが楽しいので、物はなんでもいいとのこと。
◎よりも早く来る勝己の誕生日には財布を贈ってもらった。もらっているのでプレゼントなしというのはありえない。そもそも爆豪家は誕生日や節目を律儀に祝う習慣があるので、クリスマスにケーキを食べるのと同じくらい誕生日プレゼントは必須アイテムなのだ。
◎は小説をよく読むが、何を読んでいるのかはさすがに把握していない。贈るからには一番喜ばせてやるという意地があったので小説は除外している。ファッション用途の服やアクセサリーは勝己の守備範囲外。前回は名入れしたブックカバーを贈ったが、日常的に使っているどころかハードカバーから文庫本派に移ったようなので気に入ったのだろう。だから今回も◎にとって実用的かつ気に入る何かを、と思っているうちに誕生日が来週に迫ってしまった。
そんな中で、昨日◎がこの店から出て来るのを見てしまった。
はじめ見間違いかと思った。あとを追う形で店の前を通り、入り口の外から見た内装は明らかに◎の趣味ではない。ふんだんに飾り付けられ、甘く可愛らしいおとぎ話を表現したような……所謂、女の子の店。
しかし思い出す。◎は女だ。当然男だと思っていたわけではないし、性別など言わずもがなわかっている。だが性別の概念は◎への認識から抜け落ちていた。
あいつもこういうの好きなんか。
店内に並んでいるテディベア。それを持つ◎を想像をする。似合わないわけではないが、イメージが違う。こう言ってはアレだが、◎はあまり女の子らしくない。女子によく見られる集団行動とか、用途不明の可愛らしい何かを集めたりとか、オシャレに全身全霊をかけるとか、そういうのがない。店に並んでいるクマのぬいぐるみなど一体何に使うのか勝己には全く見当がつかず、故にしばらくその店を眺めて考えてしまった。
こんな店で一体何見てやがったんだあいつ。
なんとなく後ろ髪を引かれるような気持ちのまま、その日は通り過ぎた。
強い関心はなかったかもしれない。物見遊山のつもりで入ったのかもしれない。しかし彼女が女の子であるという事実を思い出してしまった手前、その店にあるものもプレゼントの選択肢に入ってきてしまった。
意外というのはつまり、インパクトがあるということだ。それだけ印象にも残りやすい。
勝己がその店に足を踏み入れることになったのは、要はそういうことである。
*
店の中には雑貨やアクセサリーも陳列されていた。ふと目に留まった髪留めの前で立ち止まり、手に取ってみる。形状を観察し、留め具を押すと軽く跳ねて外れた。バネが入っているようだ。飾りの部分には黒い薄布とレースが組み合わされたリボンが付いている。付けている姿を想像する。悪くなかったが、飾り気が邪魔くさく鬱陶しい。手頃な値段相応に、落としたら壊れそうな印象もあった。
……だったらぬいぐるみもいらねえだろ。邪魔だろこんなん。女はなんでこんなもんが好きなんだよ。
物は利便性、実用性があり機能的であることが望ましい。少なくとも勝己にとっては。使い時がなく眺めるだけの物など邪魔でしかない。この中から選ぶにしても、どれでも同じだと思った。
自分のヒーローコスチュームもデザイン性のみで取り付けているものがあるが、あれはいいのだ。カッコイイから。
店の商品はどれもこれもピンと来ず、もう店を出るかと思った。甘ったるい雰囲気で窒息してしまう。そう思いテディベアの山をふと見た時、その内の一つと目が合った気がした。否、正確に言えば、既視感があった。
どこかで見たことがある気がすると、記憶を振り返らせると思い当たることがあった。
(そういやガキん時にババアが買ってやってたろ、手触りいいやつ)
まだ幼稚園か、小学校に上がりたての頃だった筈だ。当時の◎はまだ今ほど本を読んでいなくて、勝己と一緒に遊ぶことが多かった。
友人夫婦から預かった女の子がガキ大将と共に勇ましくなるのを止めるためなのか何なのか、光己は◎にぬいぐるみをあげていた気がする。そういえば、ぬいぐるみを渡された◎は、勝己といる時とは違う様子で随分はしゃいでいなかったか。
じゃあやっぱあいつもこういうの好きなんか、と回想を切ろうとしたが、そのぬいぐるみはいつから姿を消したのだろう。数日は家の中で常に抱っこしていた気がする。食事時も隣に置いて、ままごとみたいなことをしていなかっただろうか。だけどほんの数日で終わった。ぱったりと見なくなった気がする。何故。
―――あ。
不意に、頭の中の緩みきった糸がピンと張る。あることすら忘れていた記憶の糸。
夕飯の後、勝己と勝と入れ違いに、◎と光己が風呂に入っていたときだ。ぬいぐるみはソファの上にちょこんと座っていた。背もたれによりかかって見えるように◎が置いたのだとすぐわかった。それはテレビを見ていた。勝己は勝に髪を乾かしてもらいながら、むんずとそれを引っ掴んで膝の上に載せた。毛並みはしっかり撫で付けられていて、目にはめ込まれたビー玉はじっと勝己を見る。勝己はなんとなく、面白くない気持ちになっていた。本当になんとなく。
毛を逆立たせるように撫で、足を掴んで逆さ吊りにしたりした。当然ぬいぐるみは痛くも痒くもないのだろうが、それが余計に面白くなかった。
風呂から上がった◎がやんちゃされたぬいぐるみを見て勝己から引き寄せて、母親が赤子を撫でるような手つきで大事そうにしたので、更に面白くなくなった。唇を尖らせた勝己に気付かず、◎はぬいぐるみに夢中だった。
◎のヒエラルキーで、ぬいぐるみの存在が勝己と同等、もしくはそれ以上ということを勝己は察してしまった。だからちょっと悪戯してやるつもりである日個性を使ったのだ。そうしたらうまく調整できず、思いの外強く爆破してしまい。
(…………俺が焦がしたんか)
見るも無惨に、ぬいぐるみは中の綿が出てきてしまうくらいに破れてしまったのだった。
そう、勝己はそのぬいぐるみにヤキモチを焼いたのだ。
クソくだらないことを思い出した、と頭を抱えたくなるのを必死に抑える。子供のやったこととはいえ、その子供は自分なのだ。タイムスリップでもできるのならあの時に戻って自分の頭をぶん殴ってやりたい。赤ん坊の頃にオムツを変えられた話をされる時と同じような屈辱だった。どうにかしてこの忌まわしい思い出を塗り替えなければならない。
*
誕生会はいつも●家だ。ただし◎の母親はキッチンに立って料理をするという行為をほとんどしたことがないため、キッチンを占領するのは光己になる。
この日ばかりは仕事人間の◎の両親もこの食事会に必ず参加する。家事能力がない二人はバースデーケーキやパーティーグッズの買い出しと飾り付けに余念がなく、この日は普段の生活感のなさが信じられないほど●家が華やかになる。
ついでに母でありカメラマンの都呼は、毎年◎の全身コーディネートに力を入れ、メイクアップも施し、誕生会が始まる前にスタジオを借りて撮影会を始め、家に帰ってからも満足するまで写真を撮りまくり、後日仕事よりも情熱的に写真の選別と補正を行い、出来上がった写真を完全データに仕上げて印刷所に依頼してフォトブックを作成している。毎年である。
そのため誕生会の◎はたいそう可愛らしく仕上げられている。都呼曰く、「世界で一番可愛い女の子」だ。
光己はその親バカっぷりに呆れながらも、◎の生活の大半を知らないながら似合う服やメイクや角度を完璧に知り尽くしてシャッターを切る都呼に毎年感心した。また、誕生会の準備段階を本人に見せるのは風情がないので、準備が完了するまでダイニングに入れないのはある意味役割と思って何も言わなかった。
◎はそのバースデーフォトブックは頑に勝己に見せたがらないが、都呼に仕立てられた自分の姿を気取って見せながら、「可愛いでしょう」と勝己に言う。普段ならば絶対に言わない台詞だが、撮影の間は都呼が溢れんばかりの賞賛を浴びせるので、◎も少しだけお姫様気分になってしまうのだ。
勝己も普段ならば容姿を褒めるなんてことはしないし、何かコメントをつけるとしても「普通だろ」程度で終わらせるのだが、誕生会の日の◎は勝己の目から見ても、その気取った態度を含めてとても可憐に映った。きれいにセットされた髪を崩さないように軽くぽんと叩き、親たちの耳に聞こえない程度の声で答える。
「悪くねえ」
勝己が言うと、◎は触れられた髪に手を添えながら、ふふ、と嬉しそうに笑った。それもとても可愛らしかった。
◎が自分の所有物と思うと至極気分がよかったし、始終機嫌のよい◎を見ていると所有欲がほんの少し膨らむのを感じる。これも毎年のことだ。
宴もたけなわ、お腹も膨れると自然と子供組と大人組に分かれた。大人組はお酒にほろ酔い気分で盛り上がっている。勝己が席を立っている間に、◎はもらったプレゼントをソファの上で広げていた。勝己は後で渡すと言っていたので手元にあるのは四つ。包装を丁寧に解き次々に開けている途中で勝己が戻ってきた。元いた隣に腰掛ける。
「オラ」
開けている途中の包装の上にぽんと無造作に置かれた。梨地の巾着袋がリボンで封をされている。大きさは空っぽのスクールバッグにちょうど入るくらいだった。箱ではないようだ。
「ふふ、ありがとう。開けていい?」
訊きながらさっそく手にかける。リボンを摘もうとした手が素早く掴まれた。
「開けんな」
「え?」
「……部屋で開けろ」
言いにくそうに、それだけ言う。◎が袋を見た後にもう一度勝己を見て、「うん」と了承すると勝己は手を離した。そして、かなり不本意そうな顔でこう続けた。
「あとそれ俺からだって誰か一人にでも言いやがったら殺すからな」
「そんなに恥ずかしいものなの?」
「うっせえな!」
てめえがあんな店入ってたからだろうが!
内心でそう続いたが、ぐっと堪えた。そしてダイニングでワインを飲んでいる四人の輪から「主役に何怒鳴ってんのよ!」と光己の野次が飛んできて、勝己はそれにも「うっせえ酔っ払い!」と怒鳴った。
その間に、◎はその袋を開けられない代わりに触りながら中身を想像した。全体的にやわらかいが、固い感触もある。単純な形ではないようだ。そして触っているうちに形を整えられたイメージがあるものと結びついた。その想像が意外なもので少し驚き、だから部屋で開けろだの、誰にも言うなだの言ったのかと納得した。◎はそのプレゼントと自分の想像が今日一番おかしくて、いつもより少し弾んだ声で笑った。勝己が睨んできたので、笑ったままそのプレゼントを膝に置いて抱きしめた。もう中身がわかっているように。
「楽しみにしてるわね」
◎が言うと、勝己は悔しそうに目を反らして、ソファの下で◎の足を踏んだ。◎がもう片方の足で更に上から踏み付けると、◎の足に挟まれていた勝己の足が素早く抜け出して一番上から踏む。◎は笑いながら悲鳴を上げ、勝己もバカバカしそうに少し笑った。