轟家での雨宿り。7
家に連絡してくると伝えて、◎は焦凍のいる居間を出て階段に向かった。段差に腰掛けて普通の声量で電話すれば、おそらく居間まで声が届かないと思ったからだ。
勝己と焦凍はクラスメイトだ。中学の時同様、家の外ではできる限り疎遠になった体で接しておきたい。
家には父がいるが、執筆の邪魔はしたくないので昼間同様爆豪家の固定電話へ発信した。しばらくコール音が続き、やがて応答があった。
『はい、爆豪です』
光己だった。
勝己はトイレか二階だろうか。外出しているかもしれない。そう思考したが、出たのが誰でも伝える内容が変わるわけではない。
「光己ちゃん。◎です」
『なんだ◎?何、どうした?』
「今日夕飯、私の分いらない」
『あそ。食べてくるの?』
「うん。あと、今日外に泊まるからその報告も」
『泊まり?どこ』
「友達の家。病院の近くの」
『へー。いいけど、ご迷惑なんないようにね。まぁあんたなら大丈夫だと思うけど。今度お礼しなさいね』
「うん」
『ちなみになんて人?』
「轟くん」
『くん?男?』
「うん」
『へえー、そう。仲良いの?』
「普通。でも雨宿りさせてもらった成り行きで」
『ふーん?あ、勝己』
不意に電話口の光己の声が遠くなった。向こう側で微かに『◎今日泊まりだってさ』と光己が言ったのは聞こえたが、それより先は光己の声が聞こえども話してる内容は識別できなかった。五秒ほど待ってもこちらへの応答に戻る様子がないので、要件は伝えたし切っていいかなと思った直後、『ああ!!?』と怒鳴り声が聞こえた。わ、と端末を少し離すと、電話機に何か当たるような音の後、勝己が出た。
『おいコラ◎!! てめぇ轟って半分野郎のことじゃねぇだろうな!?』
「その轟くん。出先で一緒になって屋根借りてる」
『ンなもん昼言ってなかったろうが!!』
「言わなくてもいいかなって思って」
『ザケんな! 帰れや!!』
「えー…濡れる」
『くだらねえ理由で駄々こねてんじゃ…何ニヤついてやがるババア!!』
声が遠くなる。電話の向こうの情景が一考もなく浮かんだ。
たぶん今光己ちゃんが勝己をからかいながら上手いこと言いくるめてるかなと考えながら、◎は腿の上にうつ伏せるように体を倒した。電話の向こうの怒鳴り声を聴きながら退屈を持て余す。その間に、勝己は轟くんのこと嫌いなのね、とのんびり考えた。
(体育祭のことまだ怒ってるのかしら)
それが一番強いだろうなと思った。もしくはヒーローを目指す者同士の対抗意識などもあるのだろうか。
おそらくこれが焦凍ではなく、勝己が好意的に思っている相手、あるいは勝己と交流のない◎の友人ならばこんなに怒っていないはずだ。
自分が好かれている自覚はあるが、勝己は過保護ではない。家族愛よりも強いのは所有欲で、今こんなに怒ってるのは自分の持ち物に嫌いな人間の手垢が付くのを嫌がる気持ちだろう。◎の中にも勝己に対してそんな所有欲があるので、そういった推測をするのは難くなかった。
いずれにせよ仲を取り持つ気はないので、電話の向こうの会話が終わってこちらの応答へ戻るのを待つ。
電話機が何かに当たるような音がいくつか続いた後、再度電話口に出たのは光己だった。
『いいってさ。まあ明日はあいつが迎えに行くんじゃない?』
「ああ、そう」
愉快そうな声に体を起こして答えた後、短く応答してから電話を切った。
そんなに嫌なら帰ろうかなとも僅かに思っていたので、勝己の了承をもぎ取った光己に内心でさすが、と思う。伊達に勝己の母親をしていない。
(光己ちゃん何言ったのかしら)
「………」
まあいいか。のんびりしよう。
そう思って段差から腰を上げて階段を下りた。
*
◎が電話をかけに居間から出るのを見届けた後、焦凍も腰を上げた。廊下に出て冬美がいる台所に向かう。見ると食材を確認しているようだった。
「姉さん」
「あ、焦凍。●さんって何か苦手なものとかある?」
「…洋食好きみてえだけど…」
「洋食かあ。急に言われると思いつかないな。いつも何食べてる?」
「サンドイッチはよく見る」
「それは夕飯向きじゃないわね」
「じゃあオムライス」
「オムライス…うまく包めるかな」
「別に洋食に拘らなくてもいいだろ。うどんとか唐揚げ定食とかも食ってんの見かけたぞ」
「本当?よかったー。じゃあ作り慣れたものでいいか」
平素より弾んだテンションで話す冬美に流される形で焦凍は応答した。何をしに冬美のところに来たのかを念頭においていたので平素より返事はおざなりだった。焦凍の返答を聞いてさっそく料理に取り掛かろうとする冬美を引き止めるように、焦凍は納得してない態度をあえて隠さずに言った。
「なんだよ泊まりって」
「だって暗い中女の子帰すの心配じゃない。こないだまた変な人が出たって学校に通知来たし。●さんって個性強いの?」
「いや…強くねえけど…」
普通科だしな、と思い返すと同時に、だったら泊めるのは別に変じゃないのかと早くも納得しかける。焦凍としては、それほど親しくもない女子を自分の家に泊めるのはもしかして不純なのでは、というぼんやりとした倫理観があった。これまで学校の友人を自宅に招いたことがないし、ましてやそれが年頃の女子であれば尚更だ。普通、女子の親なら軽々しく男の家に宿泊なんてさせないのではないだろうか。焦凍の脳内では、どっしりと構えた強面の頑固親父が「男の家に泊まるなど許さん!」と喝を入れていた。そのイメージが自分の父親とダダ被りしており眉間が強張りかけたが、いや、女子の親ならそれが普通……と色々と考えていた。
しかしともかく、一番大事なのは◎と◎の家の都合である。姉の提案はそこを軽視しているように思えて、焦凍はなんとなく気が引けていた。
「あんま困らせんなよ。本当はあいつすぐ帰るつもりだったんだぞ」
抗議のつもりでそう言ったのだが、冬美の返答は怯むことなく機嫌が良かった。
「だって焦凍が友達連れてくるなんて滅多にないじゃない。嬉しいのよ」
いい子だしね、と加えられた言葉に、確かにいい奴だけどよ、と焦凍はまたも流されそうになる。釈然としない気持ちは残るが、ならば何が最善なのかと問われると冬美の提案以上に適当なものはないように思えて口を閉ざした。
あ。
何かを思い出したような冬美の声に顔を上げると、冬美はやけにはっきりと焦凍を見てこんなことを言った。
「友達でいいの?」
「は?」
「彼女?」
「…友達」
「ふうん。あの子のこと好きなの?」
「…そんなんじゃねえ。なんで」
「ううん」
なんてことない質問だ。だが焦凍は自分でも驚くほどその問いに動揺した。実際焦凍にとって◎は友人だし、異性として意識もしたことがない。冬美に答えた後、●のこと好きなのか? と自問して、いや友達だろ、と自答した。
焦凍のその自問自答を見透かしているのかどうなのか、冬美は友人の好きな人を見破るために探りを入れるような気持ちで焦凍の様子を見ていた。年頃の弟にそんな質問をするなんて少し意地悪かなと思いつつ、焦凍にも年頃の少年らしい一面があるのが嬉しかった。
焦凍に女の子の友達ねえ。
流石にそれを言うとヘソを曲げてしまうかもしれないと思って口にはしなかったが、冬美のずっと機嫌良さそうに笑っていた。
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