君のヒーロープロセスと蛇足の私。12






(爆豪勝己/ヘドロ事件翌日)



「……ンだよ」

 勝己の声は至極不機嫌で、◎は自分の予想通りのことが勝己にあったのだなと確信した。勝己は◎のように、思ったことを隠して社交的に接するなんて死んでもしない男だ。恐らく話しかけるのを臆するほど勝己の機嫌が悪いので野次馬が◎の方にも傾れ込んだのだろう。

「いたから。はー、なんか今日疲れちゃった」

 一度後ろを振り返って人がいないのを確認してから、◎はどっと溜息を吐いた。家で接する時と同じ気楽さでグッと伸びをして、自分の中に溜まった淀んだ空気を入れ替えるように話した。お利口さんでいるのは中々に精神力を使うものだ。

「大丈夫?」

「ああ?」

 勝己の声音は相変わらず不機嫌で威圧的だった。苛立ちのせいか平素よりも荒い。普通なら萎縮して言葉を続けるのを躊躇うものなのだろうが、勝己の虫の居所が悪かろうが、◎はいつもどこ吹く風という態度で接している。そうした方が勝己の機嫌も直りやすい。片方がいつも通りにすれば、不和は大きくならないものだ。

「今日、随分賑やかだったんでしょ。野次馬が私のところまで来たもの」

「うるせーな。とっとと帰れよお前」

「別に変じゃないでしょ。昨日の今日だし」

 チッと舌打ちで返事をされた。相当機嫌が悪いらしい。相変わらずの態度に少々嫌だなとは思ったが、八つ当たりに本気で怒るほど◎は幼稚ではない。

 が、八つ当たりだと流せない言葉を勝己は続けた。

「てめぇも俺を心配すんのかよ」

「え」

「ウゼェんだよ。どいつもこいつも」

「、」

 一瞬、頭に閃光が走った。頭の中が空っぽになったような、何かが溢れて大渋滞しているような、両方の感覚。ひどいショックと、コントロールできない何かが、鞄を持つ手を痺れさせる。冷たくもある。急激な混乱を消そうとして、反射的に本能が頭を空っぽにさせてるようだった。



 どいつもこいつも。
 その言葉の中に自分もいるのか。勝己が有象無象に思う人達の中に。



 一緒に帰ろうとしたのは心配したからではない。学校でそうしているのと同じく、外面のいい態度で心配した振りをしただけだ。ただの口実に過ぎない。なのにそれがわからずに真に受けたのか。いつもなら気付くとか気付かない以前にわかりそうなものなのに。そんなことで自分を一蹴するのか。拒絶するのか。勝己が過敏になっているだけじゃないか。そんな感情が大渋滞を起こす。ショックで声が出ないのに、黙っていれば勝己が言った通りなのだと思われるのが我慢ならなくて◎は言葉を選ぶ余裕もないまま無理矢理声を出した。

「心配しなきゃいけない?」

 発した声は刺々しく、感情的になりそうなのを堪えた震えた声だった。
 平素よく聞く朗らかさでも、無関心さでもない声色に勝己は動きを止めて◎を凝視した。その驚いた目を見て、やっと自分を見たと思った。勝己は少し戸惑っているようだったが、それでも怒りは鎮火しなかった。

「だって勝己は生きて帰ってきたし、別に怪我もしてないし、これからああいうことに遭うかもしれない警戒心だって他人に言われるまでもなく持ってるでしょう? 私、何か心配しなきゃいけないことあるかしら?」

 自分がどんな気持ちになったのか知らせてやるつもりで◎は言葉を選んだつもりだった。しかし、こんなにも感情的になっているのに、気持ちを言葉にするのは思いの外簡単ではなかった。慣れた言葉の並びを使い、自分はこんなことが言いたいのだろうかと半ば混乱する。言いたいことと実際言っている言葉に齟齬を感じたが、激しい苛立ちは矢継ぎ早に声となる。

 初めて勝己を睨んだかもしれない。
 でもきっと、本当なら心配するのが普通なのかもしれない。危うく彼を失いそうになったのだから。だから彼の身を案じない◎はよほど楽観的なのか、身勝手なのか、やはり薄情なのか、果たして勝己にまで無関心であるのか。
ただ、「どいつもこいつも」という括りの中に◎を突っ込んで、◎を無視する勝己が許せなかった。

「じゃあいい。先帰る。今日は敵と会わないといいわね」

 勝己に嫌味を言ったのも、きっとそれが初めてだった。意図的に勝己に嫌味を言うことが一生のうちにあるなんて思ってもみなかった。

 拒絶されたことが許せなくて、言いたいことを言えなかったことが悔しくて、怒りを通り越して悲しくて、泣くつもりなんてなかったのに、勝己を通り過ぎた後に涙がポロポロ落ちた。それも悔しかった。



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