置き去りの君。






(♀夢/英雄学/爆豪勝己/notヒーロー志望/死if/悲恋)





 高校生の時、幼馴染が死んだ。生まれた時から側にいた兄妹同然の女だった。互いを己の所有物のように思い、親愛は自己愛のようだった。

 勝己はその死を人伝に聞いた。

 はじめ聞いたときは何かの冗談かと思った。日常的に誰かに死ねと言っておきながら、人の死を身近に感じたことが勝己にはなかったのだ。だから聞き慣れたはずのその言葉に思考は置き去りにされた。死とは何か、言葉の意味や定義を掘り返さなければならないほど理解するのに時間がかかった。

 勝己が◎の死を実感したのは、周りだけがどんどん◎の死を認めていったからだった。葬式の話やら各方面への連絡やら届出の話が次々と出てくる。きっと大人の方が死に慣れているのだ。長く生きていれば死に出会う回数も多いだろうとは想像がつくが、その時の勝己はそんな想像する余裕すらなく、気づけば始まっていた葬祭の渦中にいた。◎の葬儀の際、勝己は本当に右も左もわからず、ただ言われるがままに行動していた。制服を着て、その時ばかりはしまっていたネクタイも付けて、大人の言葉や、念仏や、泣き声などを他人事のように聞いていた。

 ◎の死体を焼く時、初めてやっと抵抗感が生まれた。なんで焼くんだ。そう思ったから、まだ◎の死をわからないでいたのかもしれない。死んだら火葬して骨を移して、なんて知っていることなのに、どうして◎の体を焼くのかわからず混乱した。しかし葬儀を止めるほどバカではない。子供のような理解力の低さと、相応に状況を読める自分が同居して、どうするのが正しいのかわからずにただ黙っていた。

 ◎を焼いている間、どうしてこの場に◎がいないのだろうと、何度か思考が落ちた。その直後に死んだからだと事実を正確に認識している頭が言い聞かせる。
 家族でいる時、そこにはいつも◎もいたのに、いない今がおかしかった。今まで過ごしてきた家族が別物になったような、そんな気がした。自分の隣は、こんなに空間が開いていただろうか。すぐ近くにいたはずなのに、誰を置いてもその心地を再現できる気がしない。

 ◎。

 涙腺が壊れたように常に涙を流し続けていたが拭う力もなかった。心の中で呼んで、時折声にして、その名に答える人がいない事実を知る。音もなく鋭い現実。世界はこんなにも他人事のように、自分を見放す場所だっただろうか。


 ◎の死を聞いてから骨が出てくるまで、勝己の目は涙に濡れていたが、不思議と骨を拾う時には止まっていた。思考がぴたりと止まり続け、人形のように葬儀に参加していた。葬儀に誰がいたのか、自分の両親と◎の両親以外は覚えていない。

 学校に行けそうかいと、父に聞かれた。
 行かないという選択肢が出なかったので、ああと短く、力なく答えた。

 学校に行くと、当然ながら◎のことを知らないクラスメイトたちは最後に会ったときと変わらなかった。ただし幼馴染が死んだことは知られているようで、葬儀のことについては誰も触れなかった。昼休みには切島が自分の好物の肉を勝己の皿に移すなんてことをして、いらねえと突き返してから、急に視界が開けた気がする。

 ここには◎がいない。

 ◎がいない場所では喪失の傷が和らいだ。
 ここで見るべきは◎ではないからだ。

 以来、◎のことを考えないようにした。学校から離れても◎のことを見ないようにした。ここで足を止めたら永遠に前に進むことができなくなって、自分の夢もこれまで積み重ねてきた努力も容易く水に流れると思った。
 そう考えれば、元の形に戻れる気がした。自分は変わらずにヒーローを目指せばいい。それは◎の死によってなんら影響を受けないことだ。◎を自分の娘のように思っていた自分の両親も、◎自身の両親も傷心でいる中、◎と最も近しい場所で生きてきた自分が真っ先に日常に戻っていくのを自覚した。


 勝己は◎がこの世に存在していた時と何一つ変わることなく自分の目標に邁進した。薄情だろうか。冷酷だろうか。声も、温もりも、戯れも、今日だけいないだけだ。そんな今日がいつまでも続いているだけだ。いつか来る兄妹離れが突然やってきただけだ。正月や盆の帰省からずっと帰ってこないだけだ。そう思うことで◎の死を軽く受け止めるようにした。

 見ないようにすれば、正面から受け止めなければ、今以上に深く傷つくことはなかった。ヒーローを目指す道程に◎はいなかったから、ヒーローになることだけを考えていれば◎を忘れることができた。

 ◎の仏壇も、墓参りも、◎ではない誰かのものだと思えばやり過ごすことができた。



 そうしているうちに、プロヒーローになった。
 元より目指していた通りに戦闘力を活かし、状況によっては危険に立ち向かうことも多くなった。家を出てアパートを借り、◎の存在を意図的に遠くへやった。

 ただ、どこかでやはり◎の死を嘆いていたのだろうか。勝己は何故か、戦いの中で命の危険を感じた瞬間も「死にたくない」と思うことがなかった。ああ、死ぬ、と静かに思うだけだ。

 だが勝己の生命力はとてつもなく強いらしい。幾度も致命傷を負い、生死の境を彷徨ったことはあれど、必ず目を覚まして五体満足でヒーロー活動に復帰する。そんなことが繰り返されるうちに、誰かが勝己を不死身のヒーローと呼びはじめた。

 時折、死に急いでいる自分を感じていたが、かといって自ら死に向かう愚かさはない。
死が怖くないわけでもなかった。だが心のどこかで死を待っていた。











「お姉さん、おしぼり一つ多いよ」

 とある居酒屋の座席で瀬呂が店員に声をかける。店員は一瞬きょとんとしたが、すぐに失礼しましたと言っておしぼりを一つ回収し、ファーストオーダーを受けると下がっていった。
 飲食店で数を間違えられることは多い。注文した商品に関してはほとんどないが、入店後に用意される箸や水が一つ多いということが度々あった。少なく間違えられるよりはマシだと思い特に気にしていないが、飲食店というのは注意力が低い人間が多いなと思っていた。

「いやー、こうして揃うのいつぶりかね?」

「ヒーローの現場で会うのは一年ぶりくらい? 俺は最近テレビの仕事の方が増えてっからさ〜。今度レギュラーでMCやんだ」

「へー!やったな!テレビ出ると認知度一気に上がるだろ」

「ヒーローがテレビで目立ってどうすんだよ」

「お前はヒーローだけでも話題性あるからだろ!小学生まで知ってるもんな、不死身のヒーロー」

「ケッ」

「ところで爆豪、怪我もういいのかよ。また入院してたんだろ」

「一週間だけだ。大したことねえ」

「体張るねえ」

 雑談を交わしているうちにファーストオーダーのアルコールが提供され、瀬呂、上鳴、切島、勝己の四人は乾杯して再会を祝した。適当につまみを注文し、それぞれが近況を報告しながら、グラスを空けては次のアルコールを頼み、酔いを巡らせる。話す内容は自身のヒーロー活動、同窓生が結成したチームアップ、活動内容の相性などだが、世間に公開されている情報以上は明かさないようにしなければならない。そのうち深い部分に話せることもなくなってきて、話題は惰性に流れていく。

「俺はさぁ、心配してんだぜバクゴ〜。新聞でお前が病院送りにされたの見る度にさあ、死んじまうんじゃねえかって何度思ったことかよお」

「最近は爆豪なら大丈夫だろって気になっちまってるけどなぁ、よくよく考えたらおめーよく生きてるよな」

「死神からも嫌われてんじゃね?」

「殺すぞ雑魚共」

 雄英時代から勝己は存外くだらない話しに巻き込まれる質だ。冗談が全く通じないタイプではないものの、煽られるとすぐにムキになってケンカ腰で応じる。外見も態度も活躍も目立つせいで、話題が尽き始めると話の矛先が勝己に向くことは多々あった。その内容は大抵どうでもいいことだ。


 ふと、隣のテーブルで二人組の中年の客が店員に話しているのが聞こえてきた。注文の品が届いていないということを話しているらしい。自分たちの話の合間でそれを聞いた瀬呂が、あっ、とテーブルに並んだ料理を見て、隣のテーブルに呼びかけた。

「あーすいません!それたぶんこっちに運ばれてきたと思います。誰も頼んでなかったけど注文入ってたっぽいから食っちゃったんですよ」

 店員はオーダーに関しては確認することを告げ、隣のテーブルに対してはこれから急いで調理して提供してもいいか等を訊ねていた。改めて注文を受け付けて店員が下がると、瀬呂は改めて隣のテーブルに話しかけた。

「なんかすいません。誰も頼んでないのに変だなって思ってたんですけど、その時店の人に言っておけばよかったですね」

「いやあ、酒の席じゃよくあることだよ。ありがとね」

 二人組のうちの一人の男性は話し好きらしく、そこから何度か会話の往復があった。切島を見てどこかで見た顔だと言い、ヒーローであることを告げるとハッと勝己を見て、勝己のヒーローネームを言った。彼の息子が勝己のファンらしく、何度も見たことがあると話された。世間一般から見てもすごいヒーローで、危険を恐れず敵に立ち向かう姿に息子は熱狂しているらしい。間違っていたオーダーが運ばれた後も、瀬呂たちは隣のテーブルと話していた。

「不死身の男ってすごいインパクトだよねえ」

「そうなんスよ!マジで危ないことも何度かあったけど、絶対に戻ってくるんスよ!」

「ああ…、そうだろうね」

 それまで会話に加わらずに酒を飲んでいた男が、ぽつりと言った。その口振りが勝己の不死身である所以を知っている風だったので、その場の全員が一斉にその男を見た。一番近くにいた切島が「どういうことッスか?」と訊ねると、口を滑らせたと言うように少し困惑した顔を見せた。
 喋り好きの男が「もしかしてご先祖様に守られてる系の話ですか?」とワクワクした態度で先を急いたが、口を濁らせるだけだった。上鳴や瀬呂がも興味深げに聞きたがると、男性は逃げられないことを悟ったらしく「いや…、信じてくれるかわかんないけどさ」と前置きして言った。

「俺は、まァ……感が強くてさ、人には見えないもんが見えたりすんだよ。あんたの横に、高校生くらいかなぁ…、綺麗な女の子がずーっといるんだよね。その子が守護霊になって、あんたのことずっと守ってる。だからあんた無茶しても死なずに済んでんだよ」

 勝己はその話を聞いた途端、突然酔いがスッと醒めた。
 荒唐無稽な話だ。現実主義の人間ならば鼻で笑うようなオカルトや心霊の類い。普段ならば軽く流していたかもしれないが、その話を軽く一蹴することが勝己には出来なかった。

 ずっと忘れていた何かを突然思い出し、縋りたいと、ほんの小さく思って、それ以外の全てが置き去りになった。家族愛か、自己愛か、居場所か、何かわからないけど、自分の全てを預けても安堵できる何か。そんなものが自分にあったことすら忘れていた。

「……そいつ、今もいんのか」

「いるよ」

「なんか言ってるか」

「いや。でも笑ってるよ。幸せそうにさ」

「……」

 目を伏せ、取り皿に置いた箸やグラスを視界に移す。ぶわ、と、突然距離感が掴めなくなった。ぐっと口を結び、鞄から金を出すと「帰ぇるわ」と短く言った。
 突然席を立った勝己に周りは慌てたが、霊感のある男は付け加えて勝己の背中にこう言った。

「通りすがりがこういうのも、ちょっと忍びない気もするけどさ、あんた自分から死にに行ったりしちゃダメだよ。生きなさいよ」

 勝己は足を止めたが、振り返らなかった。

「…ああ」

 呟くような声の後、勝己は店を出た。堪えきれなかった涙を拭う。歩き始めた足はアパートではなく、自分が生まれ育った家への帰路へついた。





 夜は更けていたが、家に電話を掛けると母親が出た。今日帰る旨を告げると「そういうのはもっと早く言いなさいよ」と小言が出たが、勝己が反論しないと食事は済ませたのかとか風呂は入るかとか色々世話を焼いてきた。それらに適当に答えた後、言った。

「線香上げてぇ、あいつに」

 光己は数秒黙ったが、言っておく、と返した。
 ●家の鍵は持っているが、自由に行き来していたのは◎の生前までだけだ。疎遠になっている今無断で入れば警察を呼ばれても文句は言えない。



 家の前で、●家のリビングの電気がついているのを見た。今日中に訪問することは言っていなかったが、チャイムを鳴らすと◎の父親が出てきた。記憶よりかなり老けたように見えたが、それが当然だろうと思う。◎を見ないようにすると同時に、◎の両親のことも見ないようにしていたから知らなかっただけだ。

 ◎が死んでから、この家に自分から足を運んだことは一度もなかった。

 通された仏間は、当然ながら無機質で、人の気配なんてなくて。位牌と遺影だけがこの家で会える◎だということがひたすらに虚しい。遺影の写真は記憶よりも随分余所行きの顔で、自分が知っている◎とは別の顔のようだった。

 線香を上げ、目を伏せる。閉じた瞼の中で思い出を探った。故人を偲ぶことは、何を思うことが正しいのだろう。安らかに眠り、浄土に行くことか。記憶に留めることか。冥福を祈ることか。そんなことに意味なんてあるのか。

「……てめぇ、いつから俺に憑いてやがった」

 死んだからといって、突然冥福を祈るなんてことはできない。冥福とはなんだ。死んだら消えるだけだ。前世も来世も冥府も天国も地獄も浄土も奈落も、勝己はどれも見たこともなければ行ったこともない。そんな場所に行って幸福になどなれるものか。一人きりで、自分がいない場所で◎が幸せになれるなんて思えない。思いたくもない。

 かつて勝己の幸福は◎と共にあった。だから◎も同じはずなのだ。勝己がいない場所で、勝己の知らない場所で、◎が幸福になれるわけがない。冥福を祈るなんて言葉は、生きている側の自己満足だ。死んだ者に手が届かないから、そう思って自分を納得させたいだけだ。

 死後の幸福なんてあるわけがない。死んだ◎の隣に、生きている勝己は行けないのだから。生きている勝己の隣に、死んだ◎はいられるのかもしれないけれど。

「いんなら、姿くらい見せろや、クソ◎」

 その名を呼んだのはいつ以来だろう。何年も呼ばなかったのに、口に馴染んだ懐かしい響きがひどく心地よくて、悲しかった。

 音もなく膝に涙が落ちる。今この瞬間も勝己の傍に◎がいるのなら、どうしているのだろうか。ただ何も言わずに隣にいるだろうか。涙でも拭ってくれているだろうか。…否、◎はそんな気遣いなどしないか。それほど甲斐甲斐しい女ではなかった。


 奔放にどこかへ消える◎を、勝己が連れ戻すのが常であった。
 連れ戻すために引く柔らかい手はもうない。
 そんなことを今更突きつけられた。


「…生きろってなんだ…クソが。だったらテメェが死んでんじゃねえよ…っ、馬鹿野郎ッ……!!!」

(ずっと俺の隣にいたろうが)

 記憶は鮮明だった。鮮明なはずだった。
 なのに、もう◎の声を思い出すことができない。◎はどんな顔で笑っていた? 自分たちはどんな話をしていた? どんな戯れで笑い合った? 触れた時の温度は? どんな気持ちで一緒にいた? 一つ一つの砂の記憶は風に吹かれ、水に流れて消えていく。確実なことは文字に出来る言葉と、生前に遺された写真だけだ。どうして、我が身のように思ったはずの人を思い出すことができない。ずっと隣にいたのに。一番好きだったのに。



(勝己はすごいのね)



「…ッ、なんでぇぇ……っ!!」

 嗚咽が零れ、声をあげて泣いた。ずっと見ないふりをできていたのに、急に眼前に突きつけられた◎の死が勝己を崩れさせた。
 今はもうこの世に◎がいない事実も、守護霊なんかになって傍にいるらしいくせに姿を見せない◎も、些細な◎の面影も思い出せない自分も許せない。この現実が嘘や夢でだったらいいのにと願い、願い、願い、願い続けても、これは覆りようもない現実だった。
















 見知らぬ霊能力者に守護霊がいるだの、生きろだのと言われたからといって、勝己の生活に著しい変化が生まれたりはしなかった。

 変わらずにコスチュームを纏い、パトロールをし、敵を見つけては捕らえ、要請があれば出動し、時には戦って傷を負う。そのどれもが変わらぬことだ。

 何か変化があるとすれば、以前よりは◎の死を受け止められるようになったことか。

 月命日には実家に帰り、好物だった洋食を作って供えるようになった。◎の好物に関しては実親よりも光己や勝己の方が詳しい。
 ◎の部屋に並んでいる本棚から本を拝借し、生前彼女が愛好していた読書を嗜むようになった。◎が読む本のジャンルは多岐に渡り、彼にとってつまらない話があれば「こんなもんどこが面白ぇんだ」と悪態をつき、一ページ毎に引き込まれる物語には時間を忘れて没頭したりした。

 存外、故人に触れていくほど心は整理されていく。過去の自分がどう思っていたかではなく、現在の自分が彼女の趣向をどう思うかによって、記憶は更新される。そうして、勝己にとって◎の存在はどんどん過去になっていった。
 時間は傷をも風化させ、慣れさせるものだ。時折それが、◎を見ないようにしていた幼い自分よりも薄情に思える。
 されど、記憶は薄れても決して消えない。勝己の人生において、◎の存在は彼の一部となって色濃く残り続けている。







 変わったのはそれだけのこと。
 それ以外は変わらない。勝己が命の危険を恐れないことも、どこか死を待っていることも。










(……、眠ぃ……)

 瓦礫が重い。生暖かい血がコスチュームに染み渡る。否、もう既に感覚はない。足は潰れただろうか。幾重にも積み上げられた瓦礫を退かすことは一人の力では不可能だ。これならば引きちぎった方が早い。しかしもう、爆破どころか、腕を上げる力すらない。ただ足が冷たくなっていく気がするのと、ひたすらに瞼が重いことが克明だった。
 敵はデクが始末をつけて、逃げ遅れた子供はデクが連れて行った。勝己の惨状を見てデクは足を止めていたが、早くそいつを救けろと命令した。

 胸に穴が開いた。心臓は外れているが、止血のために爆破で焼いたのがダメージになっている。怠い。眠い。この有様では一般人が救助されてる間に死ぬだろう。

 死。クソみたいなことだ。◎が死んだときに味わったことを、今度は自分がするのか。だが、死は慣れるものだ。いつか風化するだろう。それがいつになるかはわからないけど。

(……死んだら、会えんのか)

 問いかけるように◎のことを考える。走馬灯は普通、生きていた時のフラッシュバックだというが、勝己の意識は今酩酊の中にいながら、このまま目を閉じたら自分より先に死んだやつに会えるのかという知的好奇心に向いていた。

 呼吸がもう浅くしかできない。色が消えていく。音が遠い。この世に一人きり残された気分になる。死ぬってこういうことかと思う。どことなく寂しい気持ち。

 ―――お前も死ぬ前はこうだったんか。

 ◎の経験を自分がなぞり、重なっていくような気分だった。

 瞼を下ろしたら死ぬ。そう思う。自分はずっと死を待っていると思っていたが、やはり瀬戸際になると抵抗したくなるものなのだろうか。

 小石が瓦礫を転がる音がする。ずっと開けていたと思っていた目はいつのまにか閉じていて、その小さな音に気づいて目を開けると女の足が自分の方を向いていた。ローファーを履いた少女の足。わずかしか残っていない力で頭を上げる。―――ああ、知っている。その姿をいつも隣で見ていた。

「……遅ぇんだよ、クソが」

 勝己の悪態に、◎はふふ、と笑った。この惨状が見えていないような、いつかは見慣れていた顔で。懐かしい。その手を引けばお前はまた俺の隣にいるのかと力を振り絞って腕を上げる。傷ついた勝己の手を◎は触れた。柔らかい感触と温もりに触れた気がした。

『勝己は私が好きね』

 ああ、そうだ。◎はそんなことを言う。いかにも自分が優位であるような態度で、勝己のことを理解しているかのようにそう言うのだ。そしてそれは腹の立つことに◎が思っている通りで、だからこそ腹が立つ。なのに心地よかった。
 勝己が◎を好いていると共に、◎も勝己を同等に好いていたことを知っているからだ。



 ああ、これで死ぬ。そう安堵して勝己は目を閉じた。















 目を開けると、白い天井が見えた。
 頭を動かす余力もなく、目だけで見回す。見慣れた白。点滴。体の重み。病院だった。

 記憶を呼ぼうとしても、頭が働かずに気怠い瞼だけにしか意識が向かない。ここがどこの国で、今が何月何日で、ここが夢なのか現実なのかもわからない。

 ただ、ふと、交わした軽口が淡く蘇る。
 鮮明に見えた顔。懐かしい声。切り取ったかのような確かな情景。
 今は細やかに思い出そうとするほどモヤがかかる。しかしあの時あったことは確かに勝己の記憶に残っていた。それが夢だろうが現だろうが、そんなことはどうでもよかった。

「……まだ俺に生きろってか」

 問いかけに答える声はない。
 だが何故だろう。この場所に自分以外の誰かがいる気配を感じる。目覚めたばかりの朧げな頭が起こす錯覚だろうか。ならばずっとこの錯覚が残り続ければいい。錯覚の度が過ぎて存在が近くなれば、文句の一つでも言ってやれるだろう。

「クソが……バカ◎」



 開いてない窓のカーテンが、ふわりと揺れた。