notが幼馴染じゃなくてお互いに片思いしてたらif
(♀夢/英雄学/爆豪勝己/中学時代/初対面/小ネタより)
一度だけ、期末テストの順位が一番じゃなかったことがある。
二位という結果に、勝己は貼り出しを見てあんぐりと口を開けた。
「…誰だ。この●ってやつ」
●◎の心は舞い上がっていた。期末テストの順位が初めて一番だったのだ。
平素は点数を意識すれど、順位にはこだわりを持っていない。だが毎度同じ名前が記されている一位に、自分の名前を塗り替えることができたのは単純に気分が良かった。
帰ったらお父さんに自慢しよう。今にもスキップしてしまいそうなほど浮かれた気持ちでそう思う。機嫌は最高。今なら絶壁の崖を飛び降りたって生還できる気がする。その時だった。
「おい!」
怒声にぱちと目を見開き、一瞬で現実に戻る。同時に足を止めた。声の元を探って辺りに視線を巡らすと、周囲の何人かは◎を見ている。注目されるほど浮かれていただろうか…。そんな気持ちになりながら、一人、強い視線を向けてくる者が目に入った。
薄い金髪の爆発頭。開けてる襟。腰パン。剥き出しの敵意。見るからに不良だ。学年ごとに教室の階が分かれているから、同じ学年の誰かだろう。
(…誰かしら)
どこかで見た覚えのある顔だが思い出せない。学校で主に関わっているクラスメイトや担任ではないことは明らかなので、浅い交流を思い出そうと◎は記憶を漁った。
自分と無関係な人間を覚えることは至極苦手だが、記憶力はお粗末ではない。どこかで交流があった相手なら多少覚えている。
しかし入学以来の学年ごとの課外活動などを振り返っても、この威圧的な態度の男子と話した覚えはなかった。確実に初対面だ。
(…何か因縁つけられるようなことしたかしら)
せっかく機嫌良くしていたのに、面倒臭い。そう思いつつ、周囲の状況にも目を配る。
いくら不良とはいえ、こんな人目の多いところでは突然殴りかかってくることはないだろう。何か理不尽なことを言われても、刺激しないように言葉を選べばきっと事なきを得る。もしも何かあったとしても、それに関する弁論を許された時、言葉の信用を得やすいのは自分の方だ。◎は外面が良い。日々クラスメイトや先生に社交的に振舞っているし、何かあった時は日頃の行いが物を言うことを理解している。
不快なことにはなるかもしれないが、不利になることはない。腹の中でそう算段をして、◎は平素クラスメイトに対するように朗らかに微笑んだ。
「私?どうかした?」
柔和な◎の様子に、対面の男子、爆豪勝己は苛立った。こめかみが脈打ち、その内側がピキッと鳴る幻聴を聞いた。
普通、怒鳴り声で呼び止められて睨まれたら怯むものだ。男子でも勝己が目をつけたら大抵は怖気付く。それが女子なら尚更。せめて警戒したり焦ったりする。
どれだけ鈍臭い奴なんだ。こんな女に自分は追い抜かれたのか。こんな見たことないモブ女に。そう考えれば考えるほど虚仮にされてる気がした。
ビビらせたい。足元に平伏させてやる。
……と思うものの、生徒が行き交うこの廊下で男子が女子に一方的に喧嘩をふっかけようなら、誰かが先生を呼んでくる可能性が高い。そうなれば内申に響く。仕方ないからこの場は穏便に宣戦布告するだけに留めてやる。覚えてやがれクソが。
冷静な部分でそうみみっちく思考し、勝己は低く唸るような声を出した。
「てめぇ……言っとくが、雑魚が一回俺の成績追い抜いたからって調子こくんじゃねえぞ。次なんて」
ねえからな、と続くはずだった言葉は、ぱっと明るくなった◎の表情に止まった。期待していた反応と違う。なんだそのツラ。ビビれよ。
俺の成績を追い抜いた。勝己のそのセリフで◎は記憶のピースを繋げた。そういえば運動会ですごい人がいると思って見てたのがこの人だった。そう瞬時に思い出し、対峙の相手が爆豪勝己だと理解した。
「そう!一番だったの!すごくびっくりしちゃった。爆豪くんいつも鉄壁なんだもの。ずっと一位で」
学年一位になった高揚と、ふんわりとした記憶がすっきり繋がったことで、◎の声は平素より高い音を出した。言葉を繋げるうちに、改めて頑なに一位を貫き通してきた人を追い抜けた自分の結果に胸を躍らせる。並みの努力では追い抜けない人だと思っていたから高揚は一入だった。矢継ぎ早に言葉を繋げるのは◎には珍しいことだ。
「いつもすごいって思ってたんだけど、今回私念入りに勉強してやっと追いついたから、爆豪くんっていつもすごく勉強してるんだって思っ…」
そこでふと、意識していなかった視線を勝己に向けた。
呆気。
その表情を見て言葉を止めた。
「あ、」
途端冷静になり我に返る。声と共に笑顔を消した◎を見て、勝己も無くした言葉を取り戻した。
「…んなこと聞きてえ訳じゃねえんだよ」
「…ごめんなさい。なんか興奮しちゃって」
なおも凄んだが、◎はやはり萎縮しなかった。ただし余裕綽々の朗らかな態度は消え、饒舌になってしまった自分に照れくさくなって視線を伏せる。
「爆豪くんいつもこんなに勉強してるんだって考えたら、やっぱりすごい人だって思ったから……つい喋りすぎたわ」
勝己は返す言葉に迷った。そうだ。いつも他の追随を許さず常に鉄壁に一番を守り続けていた。だから自分を追い抜いて天狗になっているであろう●◎に宣戦布告して、その鼻をバッキリ折るつもりだったのだ。それなのに、なんで天狗になっているはずの奴から、すごいすごいと連発されているのだ。まるで子供がヒーローを見た時のような、興奮したキラキラした顔で。
宣戦布告できなくなってしまった。
「で、何?」
恥ずかしそうに伏せていた瞼をあげ、気を取り直した様子で勝己に聞き直した。勝己は眉間を寄せ、食いしばった歯を見せるが少し黙った。◎ははじめに見せた朗らかな表情で勝己が話すのを待つ。その周りでは複数の生徒が二人の様子を見守っていた。
「…てめぇ次のテストではぜってえ俺の下にさせっからな」
「じゃあ、肩すかしにならないように次も頑張るわ」
微笑んで◎がそう返すと、勝己は一層深く眉間を寄せた。だがそれ以上は何も言わず、舌打ちすると◎に背中を向けて歩き出した。
何か用件があると思っていた◎は、離れていく背中にぱちくりと瞬きし、しばしその背中を見つめた。
(え、それだけ…?)
彼の友人らしき二人も勝己についていき、◎を振り返る様子はない。これ以上ここにいる必要がないとわかると、◎も図書室に向かうべく歩を再び進めた。周りの生徒も何事も起きなかった二人に関心をなくして、それぞれ動き出した。
一番になった達成感や満足感は吹っ飛んでしまった。だからといって平素の慣れ親しんだ感覚に戻ったのではない。先程のシチュエーションは舞い上がった心を上塗りするほどインパクトがあった。お陰でそのことへ思考が寄ってしまっている。
わざわざ呼び止めてまで、わざわざあんな宣戦布告をするということは言ってくるということは。
(プライド高い人なのね)
それが結果に繋がっているのだから、やはり努力家なのだろう。天賦の才なのかもしれないが。
(やっぱりすごい人)
◎はちらほらと散らばっていた未分類の記憶を思い出しては、あれも爆豪くんだった、これも爆豪くんのことだったと取り上げた。意識していなかったあれこれを先ほど顔を合わせた勝己に紐付けた。その記憶の整理は図書館にたどり着き、借りる本を選ぶまで続いた。
「クソ…!んだあの女!言いてえことばっか言って行きやがって」
イラついた勝己の悪態に、癖毛の黒髪をアップにセットしてる滋牙は、まあまあと宥めた。
「大人しい奴だし、そう突っかかんなって」
勝己に◎を教えたのは滋牙だった。一年の頃は同じクラスで席が隣だったこともあり、それなりに話したらしい。機嫌よく歩いている◎を見つけたので勝己に伝えたが、勝己が◎を怒鳴って呼び止めたので滋牙は後ろでヒヤヒヤしていた。
勝己がヘソを曲げて威圧的な態度になれば男子ですら怖がる者は多い。それを物静かな女子相手に敵意むき出しで向かっていったから、ひょっとして泣かせてしまうのではないかと思った。おそらく滋牙と同じことを周りの生徒たちも思っていただろうが、思いの外◎は意に介さない態度で勝己の勢いを収めたので胸を撫で下ろした。見かけによらず肝が座っていると滋牙は内心意外に思った。
「どんなガリ勉かと思ってたけど、結構可愛かったな」
勝己の幼馴染で、タレ目で髪を肩まで伸ばしている伸藤が言うと、滋牙は「だな」と同調した。勝己の意識を先ほどの件から逸らそうとしてのことだ。友人の機嫌が悪いままでは居心地が悪い。
「ミッツに似てるよな、パリプイの」
「あーっ、確かに!え?じゃあ相当可愛い部類じゃね?アイドルじゃん」
「まあ、性格は全然違うけどな。●はマジ嫌なとこねーし、アホでもねーし、んー…なんだ?人畜無害?」
「うるせぇ」
滋牙の意図は叶わず、勝己はヘソを曲げたままぴしゃりと答えた。だが悪態を吐く空気ではなくなっているのは理解しているようで、それ以上は口を開かなかった。
伸藤は◎がアイドルグループのメンバーに顔が似ていることを知るや否や、突然◎に興味を持って滋牙にあれこれと訊き始めた。滋牙はそんな伸藤にミーハーだと思いながらもわかる範囲で答えてやり、一年の時はクラス内でも男子から人気があったこと、本が好きらしいということなどを教えた。
二人の会話を聞き流しながら、勝己は◎に言われた言葉を思い出していた。
――爆豪くん、いつもすごいのね。
そんなことは幼稚園より前の頃から何度も言われてきた。勝己がすごいのは当然で、みんなが勝己よりすごくないのは当たり前のこと。言われているのは今までと同じ言葉だ。
なのに、何か引っかかる。くすぐったいような、それを当然だと流せない何か。
勝己は、自分を追い抜いた人間に認められたのが初めてだった。
同じ土俵で戦って負けて、その上で相手に認められることなど一度もなかった。
◎は一番になったからこそ、一番のすごさを実感して、純粋にすごいと言った。嫌味なく、超えたからこそ勝己のすごさを理解してその言葉を言った。
結果以外のプロセスも実感し認めた上で発せられたそれは、低レベルの雑魚モブに賞賛されるより重みがあった。
◎は己の努力を踏まえた上で理解したのだ。勝己がすごい人だと。
――爆豪くん、いつもすごいのね。
(……当然だろ)
再度その声を思い出す。そして心の中で答えた。何度も◎のその声を思い出す。
もう一度その台詞を言わせたかった。