かつてはいつも隣にいた二人。重ならない影。






 夕暮れの街は、街灯や店の明かりが灯り始めていて明るかった。酒場からは既に賑やかな笑い声が聞こえる。その中に聞き慣れた声もあったが、勝己はその店を素通りした。

 街の先にある総菜屋を目指していた。豆や野菜を煮詰めたものやサンドイッチがあったはずだ。その程度なら、食べ慣れないものに胃が拒絶することもないだろう。今まで食べて来たものを聞き出して同じものを食わせてやれば考える必要など無いが、まともな食事を取れないままで手元に置き続けるつもりは毛頭ない。

 ◎は勝己の後ろをついて歩いていた。足音でその存在を確かめていたが、街に入ると雑踏に混ざって聞き分けが難しくなってきた。ちゃんとついて来ているのかとちらと振り返ると、はぐれることなく◎がついてきている。家を出た時と同じ距離感を保ったまま勝己の後ろにいた。ただ、その視線は興味深そうに周囲に配られていた。それを見て、あ、と思い出す。

(そういや、すぐいなくなんだったこいつ)

 その性質が今も健在かはわからないが、幼少期の◎は旺盛な好奇心に任せて、関心を奪われたものに寄って行っては頻繁に迷子になった。目新しい場所に行くとそれは顕著で、好き勝手に歩き回って必ず一回は姿を消した。
 ◎がいないことに一番に気付くのが勝己だったので、勝己は両親から◎の目付役を任命されていた。瞬間的にその記憶が蘇り、「面倒くせえ」と真っ先に思う。奴隷の言動が染みついている今ならその性質は影を潜めているだろうが、そう思うより先に口が開いていた。

「おい。勝手にどっか行ったら殺すぞ」

「は…うん」

 はい、と言いかけたのがわかった。もう訂正する気も起きず無視して道を進む。彼女にとってはそれが当然なのだと重々理解していても、◎の腰の低すぎる態度は単純に不快だしうんざりした。

 総菜屋は路面に商品を見せるようにショーケースを構えて、それがカウンターを兼ねている。精肉屋と同じ構えだった。煌々と明るい店先のショーケースに並ぶ品は充実している。広い道の一角には長机や椅子が並び、買ったものはそこで食べられるようになっていた。その飲食スペースはまだ半分以上空いていたが、◎の逐一の言動にイラついて落ち着いて食べられる気が一切しなかったので、テーブルがなくても食べられるものを選んだ。
 チリソースのケバブと串肉、たまごサンドと水を買った。商品のやり取りの後、振り返ると◎は人の行き来の少ない飲食スペースの隅に立って勝己を見ていた。賑やかな往来の中、粗末な一枚服でポツンと立っている姿は、そこだけ切り取ったように馴染んでいない。目が合うと微笑んだので、目を逸らした。手の中がサワサワとして落ち着かない。

 軒先から離れて歩き出すと、勝己が何も言わなくても◎は後に続く。その姿に改めて、無警戒な子供を連想する。卵の殻を破った雛が初めて見た生き物を親と信じるのを刷り込みと云うが、それは種族が違っていても適応される愚かな習性らしい。奴隷に悪意を向けて虐げるような下衆に買われても、そんな態度で主人に服従したのだろうか。記憶を失っているのだからそうなのだろう。

 その時やけに、◎の存在の喪失を感じた。かつての◎は、自分を先導する者を自分で選んでいた。そして◎が選ぶのはいつも勝己だった。その◎はもう、彼女の記憶と共に消えた。
 怒りか痛みか、何かを堪えるように、震えた溜息が音もなく漏れた。



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