その世界ではただの回復アイテム。






(♀夢/英雄学/爆豪勝己/十傑パロ「成り上がり勝己と奴隷娼婦notヒーロー志望。」より/「宴」の後の話/割と普通に恋愛してる)



「勝己。クッキー好き?」

 もうすぐ皿の上の物が無くなろうとしている食事の席。食器が触れる音が響く中、ふと思い出したような◎の声が前置きなく発せられた。
 ◎から何かを問うのは、勝己の意向を確認する時を除くと、娼婦として何故自分を抱かないのかと尋ねた時以来だった。

 だからその話の振られ方の唐突さに、勝己は咀嚼の動きを止めた。しかもクッキー。嗜好品である。勝己の好みを確認してから購入しようとしているのかと思ったが、わざわざ尋ねてまで買おうとしている理由が見えない。怪訝な表情を浮かべ、勝己はフォークをカチンと皿に立て、口の中のものを飲み込むと返答した。

「必要じゃなきゃ食わねえ。なんだよ急に」

「今日買い物してたらお店の方からいただいたの。勝手に食べるのよくないと思ったから、よかったら勝己にと思って」

「あ?菓子屋でも行ったんかお前」

「ううん。パン屋さん。いつも使ってくれてるのでよかったらって」

「パン屋ァ?」

 ますますわからない。街のパン屋は数件あるが、◎にはこれまで勝己が利用していた店を使うようにと伝えている。今まで数年利用していたが、勝己はそんなことをされたことがない。もっとも勝己の分と合わせて二人分買っている◎の方が売り上げはいいだろう。だがそれで贔屓されてるのだろうか。たかだか一人分多く買っているだけで。

「今度焼き菓子を少し並べたいんですって。売る前に馴染みの人から感想聞きたいって言ってたわ」

「はあ?作ったやつがうめぇって思ってるもんならわざわざ感想なんざいらねぇだろ。自信ねぇなら始めっから売ろうとすんなっつっとけ」

「、うん」

「…まァいいけどよ。食うならこれ食った後茶ァ淹れろ。てめぇのもだぞ」

「うん」

 その会話はそこで終わった。
 食事の後、◎が淹れた紅茶は僅かにハーブの香りが漂った。街で八百万と会った時に、疲れが取れる紅茶だと教えてもらったらしい。勝己は「別に疲れてねえよ」とつっけんどんに返しながら、どいつとでも話すなこいつ、と思った。クッキーは少し脆く、指に力を入れると簡単に割れた。

「美味しい」

「バター強え」

 決して勝己より多く食べようとしないが、クッキーを頬張る◎はどことなく嬉しそうだった。普段の食事時より美味しそうな顔で食べる。それを見て、女は甘いものが好き、と過去に軽く流した記憶を思い出した。

 いつそう思ったのかは忘れたが、芦戸や麗日などは喜々として菓子を食べるし、上鳴は「爆豪さあ、あの子とデートとかしねえの?甘いもんとか食いに行ったら喜ぶと思うぜ?」と相談もしていないのに話してきた。
 その時は必要ねえと一蹴したが、◎の様子を見ていたらその考えが僅か傾く。

「あとお前食え」

「…いいの?」

「くどいんだよ味が」

「じゃあ、いただきます」

 体を横に向け、テーブルに肘を掛けながら紅茶を飲む。横目に映る◎は、ゆっくり大事そうにクッキーを食べた。そんなに美味えんなら買いもんのついでに食いてえもん買えよ。内心そう思ったが、言ったところでそうしないだろうなということも同時に思った。

 甘いもん。
 小さくそう思う。

 数枚残ったものは明日食べると、◎は包みの口に封をした。子供が好きな菓子が無くなるのを惜しみながら、宝物を愛でるように大切にするように見えた。紅茶を飲み切って、食後のお茶会はそれでお開きになった。
 紅茶の効能なのか、その夜はぐっすり寝た。







 その翌々日、勝己が帰った時、先日と同じ包みのクッキーがテーブルの上にあった。一昨日封を切ったクッキーは昨日◎が食べ尽くしたはずだった。

「またパン屋かよ。自信ねぇならやめろって言えっつったろ」

「うん。結局売るのは却下されちゃったみたいなんだけど」

 その時点で、ん?と引っかかった。昨日は軽く流したが、改めてあのパン屋のことを思い出してみる。

 あのパン屋は壮年の夫婦が親から引き継いで営んでいる店だ。却下ということは、販売するかを決定できる者が判断したということだ。夫婦のどちらかが菓子を作って、もう一方が却下したのか。それとも先代の店主が許さなかったのか。
 しかしダンジョン攻略パーティと共に来店した時に、創業以来パン一筋という世間話を誇らしげな態度で芦戸か上鳴あたりに話していたのを小耳に挟んだ覚えがある。今更新地開拓して、美味いか不味いか自分で判断つかないものを売ろうとしているのだろうか。
 そんなことを思考する勝己に◎は続けた。

「美味しく食べてくれたのが嬉しかったので、気持ちですって」

「…ほー?」

 意外なセリフだ。あの店は自分の商品の味に惚れ込んでいる。「うちのパンが一番だからね!」と胸を張って笑っている嫁のセリフを何度聞いたことか。そういうところを気に入ってあの店を使い続けているし、実際味も勝己の口に合っていた。

「あのババアんな腰の低いこと言ってたんかよ」

「あ、ううん。ご子息」

「あ?」

「いま修行中みたいで、最近よくお店にいるの」

 息子。そんなものいたのか。予想外の存在に少々驚く。あの夫婦の子供ということは、自分たちと同じくらいの年齢だろうか。

 息子。男。よくいる。

 何か引っかかり、もや、と小さな煙のようなものが胸に浮かぶ。

「見たことねえわ」

「最近手伝いだしたって」

 軽い言葉を交わしながら、不意に瀬呂が言っていたセリフを思い出した。「あの子やっぱ美人だよな。街で見かけたことないけどどこで知り合ったん?」と。

 その時そのセリフは流した。だが初見の印象で◎は美人に分類されるのだとその時知った。それまで顔立ちについて特に意識したことはないが、そのこと自体に否定はしない。控えめに言っても好感を持ちやすい顔だし、話しかけやすい雰囲気もあると思う。
 ◎は誰とでも話す。勝己に制限されている行動範囲の中で会う人々と社交的に接している。時折パーティでダンジョン攻略しているとき、最近◎に会ってないから勝己の家に行きたいと言い出す奴がいるくらいだ。ちなみに全部断っている。

 幼少期はまだ人間らしい感情を持っていたが、今の◎は奴隷時代の教育の賜物なのか、何を前にしても欠片も嫌悪感を出さない。そもそも嫌悪感などないかもしれない。敵意も反抗意識も現在の◎から感じたことはない。恐怖心すら見せず朗らかでいるのは、根本的な感覚の麻痺と、生来の性格が相まった影響だろう。誰に対しても嫌悪も敵意も反抗も恐怖もしないということは、無防備且つ人畜無害ということだ。

 そういう、いわゆる脅威になり得ない性質の人間は、おそらく好かれやすい。知る限りで◎を疎ましく思っている者はいないし、大半は好意的に思っている。それは勝己も同じだ。

 そう思う者が、街にいても不思議ではない。

(………はっ。だからなんだよ)

 己の思考に、内心鼻で笑う。だが、想像の触手は知らないところで知らない男と朗らかに接しているの◎の姿を見せ、勝己の眉間を強張らせた。

 軽率で突飛な想像だと思う。パン屋の息子が最近になって店を手伝いだした理由。それはもしかして、今目の前で安穏としている女なのではないかと勝己はふつふつと邪推した。

(こいつの気ィ引こうってのかよ。こんなもんで)

 初対面の時を思い出す。勝己はガタイのいい奴隷商人の用心棒を一方的な暴力でねじ伏せたにも関わらず、◎は一人平然と勝己が呼ぶままに従い荷車から降り朗らかに笑った。あの時と同じような態度で誰とでも接しているのだろう。

 当の本人は温め直したスープを皿に盛り付けている。その背中をじっと睨む。

 急にイラついた。自分の思考に馬鹿馬鹿しいと思いつつ、苛立ちを丸めて捨てることができなかった。

「おい」

「ん?」

「もう貰ってくんな。金払ったもんだけ持って帰れ」

「うん」

 勝己はそれ以上何も言わず、小さく包まれたクッキーを取り部屋に戻った。

 盛り付けた皿をテーブルに並べる時、置いていたクッキーがなくなっていることに◎は気付いた。勝己が持って行ったのだろうか、とぽつりと思う。

 勝己の指示の理由について◎は全く深く考えなかった。◎にとって最も重要なことは勝己から与えられる指示で、勝己の意図や、それが倫理観として正しいかはどうでもいいことなのだ。

 持ち去られたクッキーに、一人で食べるのかしらとだけ小さく思った。味がくどいと言っていたのに。惜しいとは思わなかったが、純粋に疑問だった。



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