ポンデザールの南京錠。






(♀夢/英雄学/爆豪勝己/「秘密の鍵」セルフパロ/愛の南京錠)



最近読んだ本に、「愛の南京錠」をモチーフにした秘密の共有ストーリーがあった。
秘密を誰にも話さない事を南京錠に誓い、南京錠に鍵を掛けると同時に自分の胸にも鍵を掛ける。その鍵は誰にも知られない場所に捨てる。だけど当然そんなもので本当に鍵がかかるわけがない。それはただの儀式めいた自己暗示だった。だからその話の登場人物は自分の秘密が零れてしまいそうなとき、何度も南京錠をかけた。

その話を読んだ反射的な自己投影の際、自分の中の秘密を探った。鍵をかけなければならない秘密。奇しくもそんなことが、◎の胸にあった密かな予感を確実なものにしてしまった。

それは生来から一緒にいる幼馴染への恋で、それは誰にも言えなかった。




南京錠に鍵をかけると、心にも鍵がかかったようでどこかホッとした。これで大丈夫と思えた。それはたった一瞬のことだけど、どうしたらいいのかわからない不安定な心には、明確で十分な自己暗示だった。勝己への恋情を自覚して胸がいっぱいになるたび、◎はフェンスに南京錠をかけた。
はじめは、自分の感情を秘密にしたかった。できることなら消えてほしいと思った。だが南京錠をかけるたび、自分の恋を認めていくようだった。それでも南京錠は、◎の頼りない唯一の拠り所だった。



おまじないとして愛の南京錠が流行り、学校のフェンスには毎日誰かが南京錠を吊るした。
カップルもいたし、片思いの人もいた。自分と相手のイニシャルを書いて鍵をかければ両思いになれると。

「そんなもので鍵なんてかかるわけないのにね。感情は起伏するもの。不変のものじゃないわ」


「だけどてめぇは鍵かけてんだろうが」


「え」

「南京錠フェンスにかけてたろーが」

「…」

なんて言えばいいのか迷う。なんで知ってるの?これを言ってしまったら肯定になる。
知られたくない。

「…ただのおまじないよ。愛を誓ってるわけじゃないわ」


「見てたの?」

「見える位置にお前が来たんだよ」



「お前好きな奴いんのか」

「…さあ」

「さあってなんだ。そういうまじないだろ」

「男子も知ってるのね、あれ」

「あー」

「…勝己にも好きな人ができたら教えてあげる。私だけ教えるの恥ずかしいもの」


勝己に好きな人なんてできなければいい。
できないで。




◎の南京錠を見る勝己。
何も書いてない。

(なんだこりゃ。まじないの意味ねえだろ)

南京錠に互いのイニシャルを書いて、愛を誓って鍵をかけるまじないだと記憶していた。片思いならばそれで恋が成就するそうだ。
薄ら寒い自己暗示だ。そんなもので他人の感情を操作できるわけがない。それを◎がしていることがひどく意外だった。

(…あいつ、好きな奴いんのか)

ちく、と胸が痛んだ。
喪失の予感がした。





鍵は捨てなかった。
過去になった恋が風化して、鍵を開けたら何もなくて、つまらないことに一喜一憂していた自分を軽く笑い飛ばせるんじゃないかと期待していた。そうしたらこの恋は終わると思った。その鍵を開ける時を私は待っていた。


―――


幼馴染で恋愛感情持ってると近すぎて本当のことが言えなくて、適齢期にちょうどいいところにいたぽっと出の他の異性と結婚しちゃって、何もかもが手遅れになった(現在の自分の生活で何も失うものがないと理解している)後に打ち明けて、相手と結ばれないエンドが浮かぶので、どこか何かの拍子に◎の気持ちが勝己に知られてほしい。

態度が明らかに違う。

街。ゲーセン来てた勝己。もしくはなんかの道中。

「よォ」

声を掛けると、◎は振り返って勝己を認め、「ああ」と答えた。そのすぐ後勝己の後ろに目を配る。その意図を勝己は瞬時に察した。

「聡指いたら声かけねえよ」

「そう、よかった」

「お前聡指のこと嫌いすぎだろ。笑うわ」

「だって何してくるかわからないんだもの。私の嫌がること面白がって」

「そりゃ」

お前に熱入れてっからだろうが。
そう言おうとして口を閉ざした。理由はよくわからなかったが。

そのまま歩調を緩めずに側に寄る。勝己が隣に来た辺りで◎は止めていた足を勝己と同じ方向へ進めた。自然な流れだった。



言葉を続けなかった理由は、強いて言えば、恋愛話は勝己にとって守備範囲外の話題だからだ。◎にはいま好きな人がいる。
恋愛絡みの話題を振って、◎が意中の人を思い浮かべて勝己の知らない一面を見せでもしたら、途端に接し方がわからなくなる。ついこの間までは、恋愛なんてくだらないと一緒に話していたはずなのに。
薄ら寒いまじないに縋らなければならないほどの恋。

勝己には経験のないことだ。きっと恋とは、捨てようとしても捨てられないものなのだろう。聡指を見ていたらそんなことを思う。

彼は平素勝己の後ろをついていく質なのに、◎のことになると己のアンテナを張る。誰と並んで歩いていたとか、誰と話していたとか、誰と仲が良いとか、いつも昼休みに図書室に行くとか、聞いてる方が辟易するほど◎のことを意識している。勝己が興味を持たない◎のことすら聡指は知っている。
彼自身、自分の恋を照れ臭く思ってあえて口にしてはいないのだと思う。毎日聞くわけではないのだから。それでも聡指の口から出る◎の名前はどこか色が違っていて、聞くたびに「またか」と思ってしまう。砂糖の多すぎるケーキのような億劫な甘さがあった。

勝己は恋心を抱かれることはあったが、それら全てをいいものとは思えなかった。押し付けがましくて、過剰に踏み込んで来て、デリカシーの欠片もない。現に、聡指は恋をしているから◎に変なちょっかいをかけて不本意に嫌われている。恋などしなければ嫌われはしなかったに違いない。誰からも馬鹿にされる出久にすら◎は平等なのだから。

面倒くさい。複雑。不可解。不快。粘着質。恋愛というものは勝己にとってそういうものだ。話すらしたくない。だから聡指が◎を好いているというわかりきったことも言いたくなかった。

意図的にそれに関わりそうな話題を避けて、勝己は再び口を開いた。

「お前さっき駅前いたろ」

「あ、うん。勝己いたの?」

「おー」

「前から気になってたお店あって、寄って帰って来た」

「ダチいねぇやつかよ。一人だったろ」

「今日急に行きたくなったんだもの」

「はっ。まァ本屋なんてダチと行く場所でもねーけどよ」

「え?」

◎は一瞬逡巡し、あっと何かを思い出した直後、ああー…と落胆の声を漏らした。

「本屋さんも行けばよかった…気になってる本あったのに」

「…ああ?」

怪訝

「お前どこ行ったんだよ」


見て見て、と

「髪留め買っちゃった」

雫型の薄紫の石が花の形を成して、レジンで固められたバレッタだった。石は中央に大きく配置され、その周りを埋めるように白や透明の珠が大小並んでいる。

見た瞬間、ざわ、と毛が逆立つ感じがした。生え際や背中が急に熱い。

(…なんだ、これ)

バレッタから目が離せなくなる。
◎がそれを持っているのを変とは思わない。男勝りなわけじゃないし、女らしい格好もする。自分が知らないだけで他にも持っているのかもしれない。

だが、どうしようもなく異物に見えた。

(…今までそんなん、興味持ってなかったろうが)

本よりも、女が好きそうなもんなんて。

自分の知っている◎が崩れていく。
自分の知らない◎がいる。

それも恋をしているからなのだろうか。

「ンな派手なもん学校にゃ付けれねえだろ」

「そう?派手かな。でも別に学校に付けてくつもりじゃ」


携帯見ながら走ってる自転車の荷物がぶつかりそうな◎を見て、頭を引き寄せる。


バレッタが手から落ちて、カツンと硬い音を立てた。



(…!)

カッと顔の温度が上がる。個性の制御が利かずに上がる温度とは違った。あれは胴体や頭に籠るように蓄積する熱だ。これはただ、火が点くように熱い。


「っぶねぇだろ!!ちゃんと前見て運転しろやクソチャリ!!」


赤い顔を見る。いつもと様子が違くて注視する勝己。その目から逃げたい。

「…離して」

勝己の顔が見れない。心の準備ができてない。触れた場所に意識が向く。

(ビックリして温度上がったんか?)

その割には目がぼんやりしてない。

「この程度で上げてんじゃねえよ雑魚」

反射的に額に触れようとする。前髪を掻き上げて顔を見ようとしてといい。その手を払う。

「…だ、いじょうぶ。ありがとう」

「びっくりして、上がっただけだから。大丈夫、寄り道して冷まして帰るから」


「一人で帰れるわ」

「、」

顔が赤い。逃げる。


(…触られた)勝己に

熱い。
心臓がうるさい。
涙が滲む。

(やだ、こんなの)


↓勝己が名前呼ぶなら入れる
(…名前呼ばれた。◎って…)

久しぶりに呼ばれたかもしれない。
最近ずっと「おい」とかで、呼ばれなかった。

(◎)
↑ここまで

思考と記憶を重ねる。

(好き)

心臓がうるさくて、嵐みたいだった。










「………」勝己

払われた手を見る。初めて◎から拒絶を受けた。

初めて見たツラ。
だが見たことのある顔だった。

勝己に好意を抱いている女子は、ああいう顔をした。

(あいつの、好きなやつって)

じわと滲んだ手汗が、掌で小さく爆ぜる。
線香花火のようだった。


【別案】
もしくは
咄嗟に抱き寄せられて、対格差や力の強さや臭いにカッと顔が熱くなる。首まで真っ赤。
もしくは
自白の個性で好きな人を問われて「勝己」と答えてしまって首まで真っ赤。←勝己以外にも知られるからボツ




髪留め。


その日の夜から、◎の髪にはバレッタがあった。

後頭部に何か触れた後、ぱちっ、と音がして髪の感覚が緩んだ。驚いて振り返ると、勝己がバレッタを手に◎を見下ろしていた。目が合うと、勝己は◎の胸元にバレッタを投げて、◎は慌ててそれを自分の体に押さえつけて落ちるのを阻止した。

「ちょっ、何?」

「それ付けんな」

「なんで?」

「目障りなんだよ」

「そんなに派手?」


「今まで付けてなかったろうが」

いつもと同じだ。そう言い聞かせた。
だけど同じじゃない。


目を離した隙に付けてる

「たまにはこういう可愛いのを付けたくなる時もあるの」

微笑む顔はいつもと同じように見えた。

なら、やはり好きな人というのは他にいるのか。

集中できない。
それを付けている◎を見ると気が散った。

誰か。

(俺じゃねぇ、とか)

今は自分以外の誰かが、◎の一番なのだろうか。

イライラする。




・告白必要

勝己が嫌がっているのに再度バレッタを付けたのは、やはり勝己に意識してもらいたいからなのだろうか。

かなり夜更かしして、昼まで寝ていた。

(南京錠、買って来なきゃ)

恋愛に甘んじているわけじゃない。今までの自分たちの関係を◎は愛している。しかしそれでも恋の欲は沸くのだ。不毛な感情だと自覚していても。

爆豪家で洗濯物干しっぱなし。雨が降りそう。取り込む。


「勝己ー、洗濯物畳むの」

手伝って、と言おうとして口が止まった。ベッドに横たわっている人影。

「勝己寝てる?」

小声で問うが、返事はなかった。そろりと近づくと薄く開いた口から息が漏れ、呼吸で胸が上下している。
珍しい、と思った。

穏やかだった。
日常的に共にいるが、寝顔を見る機会は存外多くない。

寝てる勝己の手に触れる。
手の皮が厚い。

その手の皮すら愛しかった。

ごく小さな声が漏れる。
「…好き」

ガッと手を握られる

「えっ」

「…今なんつった」


(ここで話区切りたい)



閉じた瞼の中で、名前を呼ぶ声を聞いた。
夢なのか現実なのか曖昧で、心地の良い眠りに揺蕩いながら「呼ばれたな」とだけ理解していた。
軽い足音が近づいてくるのと、手に触れられる感触に、自分の五感が反応しているのがわかって夢ではないことに気付いた。◎か、と思考が動くまで意識は浮上したが、睡眠に沈む穏やかさを終わらせるのが惜しくてそのまま目を閉じていた。


「好き」


瞬間、手に触れていた手を強く掴んだ。えっ、と溢れた声を聞いた後、瞼を開ける。眠りから覚めたばかりの視界は鈍く眼に映るものを捉えていたが、◎がかなり動揺しているのは目立って見えた。

「…今なんつった」

夢ではないことはわかっていたが、瞼を開ける前と後で現実への認識は分かれていた。それが◎の様子を見て、手に触れられたことも、好きと言われたことも、今に継続された現実だと理解する。

視線が絡んだ先の◎は明らかに狼狽している。

「お、起きてたの…?」

「お前に起こされたんだよ」


やばい。
頭が真っ白になる。言葉が出ない。私はさっきなんて言った。勝己はいまなんて。

―――『…今なんつった』

なんで。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。


「なんつったって訊いてんだよ」

「だっ…」

裏返る声。
顔が赤い
手が震える。

「何も。別に」

小さい声。

「…」


「ンな目ぇ泳がせて言っても信じねぇに決まってんだろ。嘘吐かれんのはムカつくけどよ、吐くにしてもせめてもっとマシなツラして言えや」

逃げたいけど手を掴まれてる
心の準備

「………あ、の…」

顔が真っ赤。
泣きそう。


わ。
と、声が掠れる。みっともなく零れた声を反射的に掬うように手で口を押さえた。
長い睫毛に陰る瞳は、それでも潤んでいるのがよくわかった。口出ししたくなるほどの赤面も。泣き出すような、耐えるような表情も。

それらは勝己の知らない◎だった。


「私…、勝己が好き」

見れない静寂がうるさい。
鼓動のたびに心臓が破裂しそうだった。


「…やっぱな」

静かな声。寂しさ
それを聞いて答えを求められない◎

「…わーった」

手を離す。返事をしない。

「てめェが何考えてるか、確かめたかっただけだ」

はぁ。
寝起きの頭を起こしてからベッドから立つ。


「勝己」

呼び止めたけど、何を言って欲しいのかわからない。


「なんで、確かめたかったの」




「……気持ち悪ぃだろが。ずっと横にいた奴に急に女くせぇ態度見せられたら。そんだけだ」


「…。お前が勝手に持った感情だろ。何も言う気ねぇぞ、俺ぁ」

それだけ言うと、勝己は部屋を出て行った。


 

(気持ち悪い)


(そんな、ひどいこと……言わなくたっていいじゃない)



勝己からそんな言葉を引き出して、自分に向けなければならないほど、恋とは醜悪な感情なのだろうか。





勝己
ずっとそのことを考えていたとわかった。

だが勝己は◎に応えるつもりは毛頭なかった。




勝己は◎の好きな男が自分以外の男ではなかったことになんとなく安心しつつ、だけど◎に恋心を抱かれていることに戸惑って返事をしないでいる。


「…」

勝己は変わらない。避けないし、話しかければ応えてもくれる。
だけど受け入れてくれてるわけじゃない。



知られた後、◎は一人で抱えてる時よりしんどくて、「振って。期待したくない」って学生時のどこかで一度だけ勝己に縋る。勝己は◎が辛く思ってるのわかったからはっきり返事したいんだけど、胸をざわざわさせながら、めちゃくちゃ苦しそうな顔で「…知るか。わかんねんだよ」って言ってほしい。そういう感情は持ってないはずだけど、振ってしまったら◎を手放してしまう気がしてはっきり言えない。だけど曖昧な中途半端な気持ちでイエスとも言いたくない。


「私、勝己のこと好きって言ったじゃない」
「…おぉ」
「、あれ、勝己は嫌だった…?」
「嫌っつーかよ、…考えたことねーわ。んなめんどくせーもんじゃなかったろ、お前」

「じゃあ、振って」

声は、それだけ切り取ったようにはっきりしていた。

「私、勝己と一番仲良い自覚あるから…可能性があるかもなんて考えるの。嫌なの、未練たらしくて、心が腐っていくみたいで。だから、ちゃんと振ってほしい」


(そういう意味で好きじゃねぇって、言ったらお前はどうすんだよ)

「なんでンなこと、俺がしなきゃなんねんだよ」

この鎖を、離したくなかった。

「別に変わんねえだろが」
「………そう」


それ聞いて◎は諦めてしまって、はっきり言わないから振られたものだと思い込んで、勝己の言う「変わらない」自分たちを取り戻そうとまた気持ちを押し込める。
望みがないとわかったから、どんな距離感でも何をしても決して期待しないと自制して、今まで以上に勝己に踏み込まないようにして、また鍵をかけていく。でもどんなに鍵をかけてももう知られてしまった恋と、決して成就しない自分の恋に押しつぶされそうになって、もう無意味な南京錠を投げ捨てて勝己のことを想って一人でボロボロ泣いてしまう。それから南京錠はかけなくなった。

(勝己が好き)
(でも恋をしたかったわけじゃない)
(こんなのいらない)

(失恋って、痛いなぁ……)

胸元を強く握りしめる。だけど本当に痛いところまで手は届かない。心は触れないから。そんな当たり前のことわかりきってるのに、そうしないと壊れて、破片がぽろぽろと落ちてしまいそうだった。

「……っ、うぅーーっ…!」

(苦しいなぁ…全部)
自分だけが、全部から見放されたみたいだった。
頭がビリビリ痺れて涙が止まらなかった。

(勝己以外の人を、適当に好きになれた方が楽だった)

(捨てられたら、楽なのに。こんなの……)

それでもまだ大切に、胸の奥に押し込んでしまう。

…―――『私、勝己が好きよ』

口に馴染んだその言葉はもう、どこにも零せない言葉になった。そのことがただ、ひたすら悲しかった。




帰り道。

伸藤。
「お、」
「……」
「何泣いてんの、お前」
「……話しかけないで」

目が腫れてる◎。

(よりにもよってこんな時に)

伸藤は勝己と友達で、羨ましくて嫉妬する。

(伸藤くんは、学校でも勝己といられて、こんな悩みなんてなくて、なにも考えずに一緒にいられる。前は私だってそうだったし、勝己の一番近くにいられたのに)

(伸藤くんが羨ましいなんて、一回だって考えたことないのに)

◎の腕を取る伸藤

「いや、お前」
「っなに、離して」
「お前どうしたんだよ。いつもとちげーっつーか…」
「関係なっ…!」

「っ…話し、かけなっ…いでよ」

喋ると涙が出てくる。

「っひ、…ぐっ…ううっ、うっ…!」
「お、おい……」

公園

コーラ

「やるよ、ほら」

「……、…ありがとう」
「いや、うん…おう」

缶で目と額を冷やす。

(勝己だったら、紅茶とか買ってくれそう。勝己は炭酸で…)

そんな余計なことを考える。

(泣きすぎて頭痛い)

沈黙

何を言うか迷った伸藤が、あー、と声を漏らした後、意を決したような様子で◎を見る。

「…あのよ、誰かにいじめられてたりしてんなら、助けてやるぜ? ほら、勝己だっているしよ。お前はもう仲良くねえかもしんねえけど、俺から言ってやっし! 勝己つえーからさ! お前もそれは知ってんだろ! だからよ」
「違う」
「あ、そう…」

ぐす

「…ダチと喧嘩でもしたのかよ」
「違う」

「じゃあ、なんか無くしたのか?」
「違う」

「じゃあ」
「黙っててよ」

「いま、喋れない。泣くから」

「…あっそ」


「……失恋、とかじゃねえよな」

「……」

「…………、え、何? 失恋したの? お前」

(…うるさい)

口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうで、それさえも言えなかった。我慢してるのに、また涙がボロボロと零れていく。


「え! ちょ! 泣くなって!! ってか、え? マジ?」

「…うるさい」
歯を食いしばって、ようやくそれだけ絞り出した。

「そういうとこ、本当に嫌」

「え…あ、そ…いや、俺だって悪気があってやってるわけじゃねえし」

「嘘。いっつも私の嫌がることして」

「いやっ、お前それは……」


「…悪かったな」


「だってお前が失恋とか言うから」

「言ってないわ」

「でもそうなんだろ?」

「……なんで黙ってくれないの」

「だってさ、……お前…。…ほら…お前のこと嫌いなやつなんていねえだろ」

「……」

「だから、信じらんねーっつーか」

「……嫌われてない」

「お…?」

「でも、同じ気持ちじゃないって……わかってたけど……、色々、言われたことが、ずっと残ってて、私、ダメに……」

泣く。

「色々って……何言われたんだよ」

首を振る。

「誰だよ、そいつ」

「…聞いてどうするの」

「ぶっ叩くんだよ!おめーは殴ったことねえからできねーだけだろ!」

「無理」

「できるっつの!」

「無理だし、そんなことしないで。殴ってほしくない」

「、…」


「あと、伸藤くん、口軽そうだし」

「……はー。んだよ、信用ねーな」



「……お前、そいつのこと結構好きだったのかよ」

「……うん」

「……」



「望みがないのに、恋愛感情捨てられないの……馬鹿だって思うわ」


「いや、んなことねえだろ」


「望みなくても捨てらんねえから、好きっつーんだろ」


驚いた表情

「だから、相手の方がバカヤローっつーか、おめーが自分のこと馬鹿っつーのはなんかちげーっつーかよ……俺も馬鹿だからうまく言えねえけど、」


「……うん、うまく言えねえわ」

「……そう」


数十分なにも言わないままそうしていた。

小さい溜息を吐いた後、◎はブランコから腰を上げた。

「帰る」

「おう…。あ、送ってくか?」

「いらない」

「あー、そ」


「あ」◎

振り返る伸藤

「……コーラ、ありがとう」

「んっ、お、おう。気ぃ付けて帰れよ」

「…うん」


一人になった後の伸藤

「…なんだよ」

(俺にしろ、くらい、言えってんだよなあ…)

失恋





勝己と伸藤


「おい、伸藤?」滋牙

「あ?」

「何ぼけっとしてんだ?」

「あー…」

言いかけてやめる

「別に、なんでもね」

「珍しく●以外の悩みか?」

「うるっせーな。別にあいつのことでなんか悩んでねーよ」



二人
「なあ、カツキ」

「ああ?」

「お前さあ、◎の好きなやつとか、知ってる?」

「、んだ、そりゃ」

「や、日曜会ってさ。結構すげーぼろ泣きしてて……失恋したらしいんだよな」

怪訝な顔。◎とその話をしてから何日も経ってる。

「だからなんだよ」

「いや、俺もよくわかんねーんだけどさ、その……幼馴染のよしみでさぁ、あいつのこと励ましてやったりした方がいいかなーってよ」

「…はっ、幼馴染のよしみだァ? ちげぇだろ」嘲笑。


「おめーは単純に、あいつに惚れてっから、つけ入ろうとしてるだけだろが」


「、」

「あいつが何で泣いてようが俺には関係ねえわ。クソくだらねー話してんじゃ」

「カツキはなんとも思わねえの?」

「ああ?」

「俺より全然、お前らの方が仲良かったじゃん。なんで今は話してねーのかよくわかんねーけどさ、あいつだって俺よりも、カツキからなんかやってやった方が、◎もたぶん喜ぶんじゃ」

「うるっせえな!! 関係ねえっつってんだろ!!!」

「な、なんだよ…」

「なんかやってやりたきゃテメェが勝手にやりゃいいだろが!! 俺の前であいつの話すんじゃねえ! 胸糞悪りぃ!!」


(クソが!どいつもこいつも…!)

ゴミ箱を蹴る。


(今のままでいいだろが! なんで変える必要があんだよ!)

爆豪家

◎の分の食事がない。

「今日、里穹と?」

「ってわけじゃないけど、しばらく自分で料理したいんだってさ」

「自立してるなぁ」

「……」

「気になんの?」

「ンなこと言ってねえだろ」





しばらく勝己を避けていた。
家でご飯を作って食べる。

(……この家って、静か。お父さんいるのに)

まるで借り物のようだった。だから冷静になれたのかもしれない。

電車で一人旅とかした。海を眺めたり。
恋愛が一切出て来ないようなシリアルキラーの小説を読んだり、知らない作家の本を読んだりした。なんでもいいから知ってるものから頭を切り離したかった。
心の整理をつける。

「もう大丈夫」

見慣れた笑顔。
恋に苛まれていた◎を見ていたので、その後に見るそれに複雑な気持ちを持ちながらも、元どおりの自分たちに戻れることの方が勝己には大事だった。



一人で考えていてわかったことがある。
恋愛とは感覚の麻痺だ。衝動的に上昇する熱。それはやがて冷める。体温だろうが心だろうが、常に平熱であるべきなのだ。それは、時間によって生じる。接点を消せば、自分とは無関係になる。


所詮勝己は他人の家の子で、血の繋がりなんてない。親同士が仲が良いからある縁で、そこに恋愛が飛び込んできたのは学校であんなまじないが流行ったからだ。関心はなくても、見聞きする機会が多ければ受ける影響も大きくなる。それだけの話だったのだ。
勝己は赤の他人だ。切り離そうと思えばこんなに簡単に切り離せる。追っても来ない。だからこそ自分たちは近い関係でいられた。
そんな分析をしていると、自然と冷静になれた。
周りに絆されず、冷静さを失わなければ恋に変換などされない。

恋愛のことを考えると、苦々しい勝己への恋が条件反射に沸いた。だから恋愛のこと自体を考えないようにした。

自分はもう勝己にフラれたのだから。
感情を殻に閉じ込めて腐らせることなんて終わらせなければ。





成人後も二人の仲は良好。◎はキレイになった。モテるから勝己以外の男と友達以上恋人未満のいい感じになったりするけど、いざ手を繋ぐとかキスとかの段になると逃げてしまって、「勝己がいい」って考えてしまう。期待しないようにしていたのに、勝己の存在を期待している自分に気付いて自嘲。誰か勝己以外の男の人を受け入れられるようにならなきゃ、と考えて、その相手を探すようになる。

勝己は人伝に◎のガードがめちゃくちゃ固いって話を聞いて、付き合ってる男いると思ったのに誰とも関係を持ってないってことを知る。その理由を考えた時に、不意に南京錠のことを思い出す。勝己はそのとき、学生時より精神的な余裕がある。
◎の家でご飯を食べているある時、ある程度アルコールが回って不意に何気なく。

「お前今好きな男でもいんのか」

楽しく飲んでたけど、勝己のその台詞で途端に沈黙が降る。その一瞬の後。

「別に。どうして?」

「デキてると思ってたんだよ」



「その気ねぇなら夜に野郎と会ってんじゃねえよ。お前みてぇな女簡単に食われんぞ」

「やめてよ」

少し怒ってるみたいな表情の◎。動揺や焦燥。
勝己の前ではうまく息を潜めて、その存在すら消し去れていたと思っていた。

今まで必死に掛けていた自己暗示が、勝己の言葉で簡単に覆る。勝己の言う通りにしたくなる。

「なんでそんなこと言うの…」

(勝己はそれをしないくせに)

声に出すと震えた。◎はそれ以上答えず箸を進めたから、勝己も追及しなかった。しばらく無言の後、◎がぽつりと言う。

「勝己には関係ない」

それは◎が自分だけで処理しなければいけない感情だった。
勝己はその台詞の意味をしばらく考えたあと。

「関係あんだろ」
「…」
「お前まだ俺のこと好きなんか」

「大丈夫っつってたの、嘘かよ」

答えない。隣に座る◎の手を掴み反応を試す。拒否。顔を赤くして、女の顔をする◎。ムラっときてそのままキスして襲う。◎は「やめて」と拒否したが勝己は止めなかった。本当に、触れてほしくなんてなかった。

(…こんなのずるい。ひどい)


改めて勝己が好きだと思い知る◎。
勝己が◎を抱いたのは完全に酔った勢いだったが、相手が他の女でも同じことしたかと考える。答えは否だった。そこから自分の感情を探る勝己。




      *

勝己に触れられる幸福感は、まるで溺れていくようだった。思うように動けなくて、窒息してしまいそうで、ただひたすらに苦しかった。

私は遂に抵抗の一つもできなくなってしまって、行為中、何度も勝己の名前を呼んだ。理性のない動物のように、体が反応するままに声を漏らした。体温の高い筋肉質な体にしがみついて、「離れないで」とも懇願した。

だけど決して、「好き」とは言わなかった。

それを言ってしまえば、理性が全部砕けると思った。二度と幼馴染になれないし、兄妹だと思ってるなんて、子供の嘘より見え透いた譫言になる。

それを言わなければ、きっとまた普通にご飯を食べて、普通に話して、普通に笑える、兄妹みたいな自分たちでいられると思った。少なくとも傍目にはそう見える。勝己が隣にいてくれたら、私の感情なんて殺してしまって構わない。

だけど、いっそそれを言って受け入れてもらえたらどんなに楽かと考え続けていた。抱かれている今なら素直に言っても許されはしないかと何度も喉に出かかった。

もう知られてしまっているのに、今更。
そんなこともわかっていたけど、それでもどうしても、私の口から言いたくなかった。それを言ってしまったら、今までの自分たちを全部捨ててしまう気がした。

…勝己をなくしてしまう気がした。




最中




「キスして」

求められるままに唇を合わせると、◎は勝己の首に腕を回し、自分から舌を絡めてきた。互いの舌を追いかけ、それだけで感じているのか◎は腰を反らせた。唇の隙間から漏れる声には艶っぽい声が混じり、唾液は◎の顎を伝う。
唇を離さないまま、勝己は◎の身体を撫でる。身体が触れ合っているから◎の身体がビクと跳ねる度にダイレクトに伝わってきた。くすぐられると弱い場所は性感帯という雑学を思い出しながら、勝己は数年前に置き捨てた◎との戯れの記憶をなぞった。

「……っ、あっ…!」

かなり敏感な場所に触れたとき、◎の身体が一際跳ねると同時にガチッと歯が当たった。一瞬唇が離れるが、今度は◎から勝己に口付ける。前歯がぶつかった唇を舐め、離れた僅かな時間を取り戻さんとばかりに夢中にキスに溺れる。痛みなど瞬く間に気にならなくなる。
キスに集中すると音が遠くなる。まるで水中にでもいるようだった。
反応する度に、◎が腕に力を込めて身体が密着する。服越しでも女の身体の柔らかさが伝わってくる。もどかしくなって服の中に手を入れると、柔肌は温かく勝己の手に吸い付いた。

(柔けえ…)


(…こいつ、こんな…)



可愛かったか。




事後の朝。
勝己は仕事で出ていく。◎は寝てて、起こさなかった。鍵をかけてドアポストに入れる。

◎は本当は起きていたけど、勝己と話すのが怖くて狸寝入りしてた。何故抱いたのかを問いつめそうだった。
嬉しいのと虚無感が混ざる。


ベッドの中。下腹部に触れる。

(…中、出された)

外で射精せず、お互い避妊具を持ってないから当然だ。

勝己がそれを望まないから、恋愛関係になる想像を具体的にしたことはない。あるけど、違う。
だが妊娠したら、勝己を自分に縛り付けることができないだろうか。そうしたら、…。

(そうしたら、勝己のヒーロー活動に支障が出るわ)

そう考えて冷静さを保った。

三日後やってきた生理には安堵した。それと同時に寂しさもあった。繋ぎ止めておけなかったと、終わった後に身勝手な思考が素直に出る。軽蔑した。思春期の恋を捨てきれていない自分に。



◎は大学生。
バイトは本屋かカフェかデスクワーク。
バイクに乗ってても良い。





◎への感情を自覚した勝己。
先にセッして順番が違ったこともあり、きっちりさせたいが、意識すると勇気がいって連絡ができなくなった。
直接家に行く。マンション





携帯を出して、連絡ツールを開いて、メッセージを打つ。それを何度も繰り返した。一連の流れを結局最後まで終わらせることができず、うんざりして携帯を閉じるのが最近の癖になった。

これまでずっと打ち慣れていた「今日行く」が、どうしても送れなかった。

これまでの自分たちと違うことを勝己は◎にした。◎の気持ちを知ったからという理由だけで、酒の勢いに任せて◎の気持ちを軽んじた。おそらく◎がずっと望んでいて、殺し続けていたことを。

この上更に、何事もなかったような顔をして会ったら、◎は内に秘め続けていた気持ちをどう処理するのか。処理できるのか。他人と一線を置いてばかりの女が。

できない気がした。また本当のことをひた隠しにして、なんでもない振りをするのではないかと思う。これまでそうして勝己に気持ちを隠し続けたように。

「…」

◎の一番は自分だ。その認識は正しい。
だけど今、本音を隠され続けられていた事実が、◎が、勝己とその他の連中を同じ距離に置いているのだと思い知った。
それは勝己に対する拒否だった。

「…クソが」

どうしろってんだ。

落ち着きない気持ちでポケットに押し込んだ携帯を握る。数分もしない後、無意識にまた連絡ツールを開き文字を打とうとして、自分が再三同じことをしていることに気付いて指を止める。白紙の入力欄をしばらく睨みつけた後、勝己は舌打ちをして携帯をまたポケットに押し込んだ。





※勝己の男らしさを出したい



学生とアルバイトの両立は思いの外時間が無くなる。プライベートの中で家事も勉強もしなくてはならない。読書は専ら移動中にして、落ち着いた趣味は料理に偏っていた。その日何を作ろうかと考えて、勝己が来てくれたらいいなと期待せず考えるのが楽しかった。
数日前までは。

(今日はレトルトでいいや。ご飯だけ炊いて、湯煎と一緒に人参茹でて…あ、でもお肉は焼こうかな)

不思議なもので、自分以外に食べる人がいないと料理への意欲は下がって、食事は物臭になった。

いつも勝己は訪問の時は連絡を入れてくる。「今日行く」と、ただそれだけ。あの日から今日まで連絡はないし、そのことに安堵もしていた。連絡が来ても、何か理由をつけて断るつもりだった。

会って、どんな顔で何を話せばいいのかわからない。セックスをした後の男女はどういう話をするのだろうか。事後の男女が描かれた小説も読んだことがあるはずだが、思い出せるものはなかった。そんな生々しい話を友人たちから聞いたこともない。


アパートまでの道中、時々後ろを振り返る。後ろから誰かがついてきていないかという防犯意識だ。玄関を開けた瞬間に中に押し込まれて暴行、というのを映画のワンシーンで見たことがある。実際、家に入る瞬間は狙われやすいらしい。
アパートの前でも辺りを見て、誰もいないことを確認してから階段を上がった。上がりながら鞄から家の鍵を取り出す。耳では自分以外の足音がないかを聞いていた。

二階の通路が見えてくると同時に、自分の部屋の前に人影が見えた。セールスか何かだろうか。一度足が止めそのまま引き返そうかなと思いながら、誰がいるのかと目をあげる。視線が顔まで辿り着く前、その人がズボンのポケットに携帯端末らしきものを入れるのが見えた。

(、)

勝己だった。
足音で既に気付かれていたようで、◎が目をあげた瞬間に目が合った。

(……なんで。なんでいるの)

思わず逃げ出したくなったが、目が合ったのに逃げてしまえば明らかな態度で避けることになる。いつも通りでいなければと、何食わぬ顔でそのまま階段を上りきった。だが、半ば不合意に進められた性交を理由にすれば、逃げ出してもおかしくはなかったかもしれないと遅く気付く。使えなくなった選択肢のことは考えないようにして、そのまま部屋の前に足を進めた。

「来てたの?」

「ああ」

「連絡くれればよかったのに。何も用意してないわ」

「そうかよ」

連絡が来たら、会わなくていいように断れたのに。
内心そう毒づく。心から好きな人でも、嫌になることも会いたくない時もある。人はシンプルな感情だけで生きられないのだ。

勝己は今日どうして来たのだろうか。いつものようにご飯を食べて、寝床にするためなのだろうか。それとも一度セックスをしたから、性欲処理もできると思ったのだろうか。あの日のことを謝りにでも来たのだろうか。
そのどれでも、軽く流せる気がしなかった。

いつも通りにと思っていたのに、顔を合わせると、ざわつく心を誤魔化すことができなくなっていった。微笑んでいた表情が沈んでいく。




「…もう、あんまり来ないで」




静かな声に勝己は答えなかった。
◎がそう言った理由を理解している故の罪悪感なのだろうか。それともこの拒否を不服に思っているのだろうか。ただ、自分の感情は勝己の刃を研ぐだろうことはわかっていた。

勝己が何かを言う前に◎は続けた。自分が勝己の思い通りになる質なのも、自分がそうでありたいと思っていることも重々承知している。だから勝己が要求を言う前に、◎は自分の意思を伝えなくてはいけなかった。

「私、やっぱり勝己が好きだもの。何も変わらないようにしてたけど……」


みっともなくなる。
つらい。
くるしい。

感情に振り回されることが、未熟さを思い知らせる。勝己といるとそれが顕著になる。
勝己の隣にいたいからこそ、情けないままの自分に雪崩れていくのが嫌だった。自分の足で立てるようになるまで放っておいてほしい。

そして自分が勝己の隣にいられない間も、願わくばその隣を空けていてほしいと都合のいいことを考えた。

「なんで俺がお前の言うこと聞かなきゃなんねえ」

「前は放っといてくれたじゃない」

思いの外攻撃的な声になって、自分でも驚いて口を結んだ。自分は勝己にそれほどの拒絶を持っているのだろうか。信じられないけれど、押さえ込んだ感情を隠さなければ、その拒絶の意識は正しいのかもしれない。

◎の恋を勝己は受け入れない。一緒にいるために◎はその恋を殺さなければならない。自分を誤魔化さなければならないから、勝己のことを拒絶した方が心情的には楽なのかもしれない。いっそ勝己もろとも、自分を苦しめる恋なんて捨ててしまった方が懸命なのだろう。
それでも◎は勝己を選んでしまうから、数年越しでもどうにも処理されない恋情に苦しんでいるのだけど。

冷静さを失っているの自覚する。◎は意識して深く呼吸した。いつも話している調子を思い出しつつ、続けて声を出す。

「大丈夫よ。今は少し感情的になってるだけだから、ちょっと時間置かせて。刺激が強かったから、あれ」

あれ、と指したのは当然、勝己に押されるまま肌を重ねたことだ。それを言えば勝己は引き下がると思ったのだ。
しかし、予想に反して勝己は噛み付いてきた。


「大丈夫じゃねえだろ。だからちょっと突いただけで崩れたんだろうが。だから俺にバレてんだろ」

「勝己」


受け入れてもらえない己の感情を知られることは、どうしてこんなに恥ずかしいのだろうか。
誤魔化すように大袈裟に吐いた溜息は、追い込まれている心情を載せてわずかに震えた。

勝己の言いたいこともわかる。自分は勝己の人生で一番長い付き合いがある。
崩したのは◎だ。

勝己は◎の恋に「お前が勝手に持った感情」と言った。勝己の言うことの方が真っ当なのだ。隣にい続けたいなら、恋心なんて抱くべきではなかった。何年も、何度もずっと繰り返し思った事だ。わかっている。


しかし◎とて、恋をしたくて、自ら望んで勝己にこんな思いをしているわけではないのに。


ずっと捨てたくても捨てられなかった。勝己に受け入れてもらえないことが悲しかった。なのに、まだ勝己への恋に心を焼かれていると知りながら、整理する時間もくれないのか。勝己に声にならない怒りまで湧いて、ぐちゃぐちゃで自暴自棄になる。涙腺まで混乱して視界が潤むのに、それを素直に流して泣いているのを勝己に見られるのも嫌だった。なのに涙は瞼から落ちた。


勝己が何か言おうと口を開いたが、階段を上がってくる足音に気付き、反射的にその方に視線が動く。足音が姿を見せる前に、◎の手にあった鍵を奪うと素早く解錠して中に入り◎を引きずり込んだ。同時に鍵を閉める。

壁際に◎を押し付け自分の方へ向かせると、逃げられないように壁に手をついた。殴るような勢いだったせいか、思いの外大きく響いたドンという音に◎は小さくビクと跳ねた。

勝己は今日、◎のそんな言葉を聞きにきたのではない。自分の用事を済ませにきた。何も言わないまま帰るつもりは毛頭ないし、自分の意思を伝えないまま、◎の要求に「はいそうですか」と従う気もなかった。

「いいか。よく聞きやがれクソ◎」

声は静かな怒気を持っていた。

「俺ァなァ、なんでもねえってツラのテメェに嘘吐かれ続けて、死ぬほどムカついてんだよ。テメェが騙してたのが、よりにもよってこの俺だ」

「だから……」

整理をつけたいから放っておいて欲しい。そう続けようとした◎に勝己は怒鳴った。

「うるせえ黙ってろ!! てめェが」

感情的になった声は、呼吸で冷静さを取り戻し、続けた。

「大して広くもねぇ心で気ぃ許してんのは、俺だけだったろ。なァ」

わずかに憂うような響きは、最近も聞いたばかりだった。匂いと記憶が連動する時ように、◎はその時の情景を勝己に重ねた。



『大丈夫って言ってたの、嘘かよ』



ーーああ、裏切っていたのか、私は。
勝己の隣にいたいがために、自分を誤魔化して、勝己を騙していたことに気付かなかった。

◎が勝己を家族として好いていたように、勝己も◎を同じように好いていたことを知っていたのに。◎にとって勝己が唯一であるように、勝己にとっても◎は唯一だった。だから、想像すればすぐにわかる。その唯一の相手に、何年も嘘を吐かれ続けることはどういうことなのか。

なのに今初めてそのことに気付いたのは、勝己のことを一切考えなかったからだ。ただ隣にいたいという欲だけで、勝己の心を顧みなかった。
だからといって、消せない感情に苛まれていた自分を軽蔑はしない。◎はそうする他になかった。
ただ、勝己を傷付けていた可能性を全く考えていなかった自分に、失望した。

(……どうしたらいいのよ)

―――崩れていくようだった。今までの自分たちが。当たり前に勝己の隣にいた自分は、もう存在しないのだと思えた。
今の自分は、在りし日の名残でしかないのだ。

「……お前が、まだ未練たらしく俺に惚れてて、俺のことでウザったくベソかいてんなら」

その後が止まった。言うか迷っているのか、言葉が出て来ないのか。それでも、何かしらの考えを答えとして用意しているのは何となくわかった。

「今までと変わりゃあ、文句ねえだろ」

「…」何言ってるのかわからない

「飯食って、寝て、乳繰り合ってりゃいんだろ」

それを言われて、男女では恋の感じ方に違いがあるということを思い出した。恋をすると女は心臓を熱くし、男は下半身に熱を持つらしい。

ならばこの心は、男の人にはわからないものなのだろうか。男にとって愛とはなんなのだ。抱ける女だと思われたところで◎はそんなことを求めてない。肌が触れ合っても、欲だけで重なる熱なんて表面だけで、消耗品と変わらない。
そんな関係になるくらいなら今のままがいい。叶うならば、恋を知る前の自分達に戻りたかった。血の通った家族のように、ただ束の間を繰り返しながら隣にいたい。自分たちは家族じゃないし、所詮ただの幼馴染で、他人でしかないけれど。

私は…

「…そうじゃないの。違うの。私、別に勝己と寝たいわけじゃないの」

話すたびに理解し合えないことを思い知って、不可抗力に声が震える。勝己の存在が◎のなけなしの理性を保たせていて、彼がいなくなった途端わっと子供のように泣き出してしまいそうだった。

「わーってんだよ。ンなもんはずっと」
めんどくせぇな。

「じゃあ、何。変わるって何」

やめて。言わないで。なんでそんなこと訊いたの私。
変わりたくない。ずっと勝己の隣がいい。そうじゃなきゃ嫌。喪失の予感が膨れていく。


「お前が俺の女になりゃいいだろ」

「…」

「そうなりてんだろうが、お前は」

望んでいたけれど、望みがないと思っていたから意図して期待を殺したことだ。だから、何を言われたのか理解するのに時間がかかった。自意識を必死に取り除いて字面の通りにその言葉を受け取っても、まだ都合の良いように勝己の言葉を解釈しているのではないかと疑った。仮に◎が受け取った通りの意図だとしても、夢なのではないかと。何も信じられない気持ちでそうとしか思えなかった。だが、そんな現実を放棄した言葉は声にしたくなった。信じたかったけれど、信じたくなかった。怖いから。

「…それ、勝己の気持ちはあるの?私に」

「言わなきゃわかんねえかよ」

「だって」

「同情だとでも思ってんのか」

「違うけど」
勝己は同情でそんなこと言わない


「だったら、ちゃんと言って」

「…」チッ


「俺の女になれや、◎。……てめぇだから言ってんだ」


言葉が波紋を広げる。頭の中で何度もエコーがかかり、顔が燃えるように熱くなった。


「………、本当?」

「しつけぇ」

「勝己は私が好き?」

「だから、そう言ってんだろが」

しばらく沈黙する。
目を伏せて瞬きをした後、◎は頭を前に傾けた。狭い玄関では一歩歩けるほどのスペースもない。◎の髪が勝己の肩に触れた。

「…勝己」

「…ンだよ」

「…、好き」

まだそれを言うのには声が怯えた。言っていい言葉なのかまだ不安で、遠くの冷蔵庫の運動音に紛れてしまいそうな小さな声だった。しかし勝己の耳には届いた。
大きな手が◎の頭に回って、顔を肩に押し付けられる。
それは拒否ではなかった。

胸の底にある感情の源泉。そこから吹き出すように水が溢れていく。単純化された思考の中、ただ信じられない気持ちでこの現実を受け入れようとした。

勝己の背中に腕を回す。大きな背中だった。この背中に触れてみたかった。無くすことを恐れない気持ちで、我が物面で触れて安心したかった。

「好き」

感情のまま言葉が落ちていく。好き。好き。好き。それ以外の言葉を知らないかのように、いくつも吐き出していく。
それはずっと拘束されていた言葉だ。声になれず、自由を得られなかった感情。いまやっと重い鎖が灰になる。
繰り返される言葉と共に、感情が溶けた涙が溢れた。

好きと、◎は何度も言った。

「おい◎」

「なに」

「何べんも同じことうるせェんだよ。わかってるっつってんだろが」

うんざりしたような声は投げやりで、◎の口を止めようとしている理由がなんとなくわかった。それが自分へ向く意識故のものと思うと尚も愛しい。ああ、もっと言って困らせたい。これ以上言えば、どんな照れ隠しを見せてくれるのだろうか。

これまで不幸だったわけではない。それでも、勝己に臆さなくなったそれだけで、たったそれだけのことで世界が驚くほど明るく満ちる。これまで読んだ幾冊の本よりも、この現実の全部が綺麗だった。

「本当だもの。本当に、勝己が好きなのよ、私」

「だから、うるせぇってんだよ」

くしゃ、と髪を握られる感触がする。はー、と吐く溜息に混じる声。今更腰に回る固い腕。合わさる胸から伝わる鼓動も、筋肉質で高い体温の体も、何もかもが愛しい。全てを取りこぼすことなく大切にしたい。この温かさの中でずっと生きたい。

明日からまたご飯を作ろう。いつでも美味しいものを食べてもらえるように。また一緒に食事ができるように。