轟家での雨宿り。3






 盆に湯飲みを載せ運んでいる◎を連れて居間へ移動する時。焦凍はふと思い出した。

「そういや、服」

「服?」

「風呂場干してるっつったか。乾燥機かけた方早えだろ。かけてくるよ」

「んっ…いい、大丈夫」

「は?いや、乾かねえだろ」

「……自分が脱いだ服見られるの、恥ずかしいじゃない。よかったら今借りてる服で帰ってもいい?後日洗濯して返すわ」

「…おう」

 女子ってそんなこと恥ずかしがんのか、と思った。男の感覚ではよくわからない言い分だったが、そんなもんなのかと思いそのまま流した。

「あ、お風呂入る?なら退かすわ」

「いや、もう乾いたから」

 本当は、雨がそのまま乾いたため些か不快感が残っている。出来れば風呂に入りたいとは思った。だが、客人を差し置いて自分だけ雨を流すのは気が引けた。かといって同じ年の女子に風呂に入れというのも、変な意味があるように思えて言えなかった。無論そんなつもりは毛頭ないのだが。



 居間で腰掛けると、◎は焦凍の前に煎茶の入った湯飲みを置く。その時になって、俺が持て成されてるみたいになってねえか、と思った。だが◎は気にしていない様子だったので何も言わなかった。
 湯飲みを持つ。波打つ水面は色濃い。いつも飲んでいる茶葉と同じはずなのに、いつもよりいい香りがした。平素はただ意識していないだけかもしれないが。

 急須に注いだ時にお湯の温度が低くならないようにと、茶葉を入れる前にわざわざ急須を温めていた。紅茶ってそうやって淹れるのか、ティーバッグにお湯注ぐだけじゃねえのか、など考えつつ、感心しながら◎がお茶を淹れる姿を見ていた。

 息を吹きかけた後に口に含んだお茶は濃く、美味しかった。

 互いに猫舌のようだ。居間にはお茶を冷まそうとふーと吹きかける息と、熱さに警戒しながらずず、と啜る音がする。それぞれ同じことをしながら熱いお茶を飲んだ。





 しばらく後、焦凍は肌寒さを覚えた。湯呑みで温まった手を腕に置く。動いている間は気にならなかったが、じっと座っていると気温の低さを感じる。我慢できないほどではないが、やはり今日は少し寒いと思った。
 確か女って体冷やしちゃダメみたいななかったか、と思い出し、焦凍は◎を見る。

「寒くねえか」

「うん、私は大丈夫。個性で温度変化できるから」

「ああ…そういやそうか。自分で体温調節できんの便利だな」

「ふふ、そうね。だから夏と冬はよく保冷剤とかカイロ代わりにされるわ」

「そうか」

 茶を飲みながら反射的に思考する。◎の個性があればサポートアイテムに頼らなくていいのか、と。
 焦凍の個性は半冷半燃。氷と炎を繰り出すことができる。その規模は群を抜いて甚大だが、己の個性により体は気温の変化に耐えられず身体能力を下げる。焦凍はその弱点をサポートアイテムで補っていた。








―――半冷半燃と温度変化が合わされば。








(、)

 瞬くように湧いた思考を自覚した瞬間、ドッ!と動悸し、焦凍は激しく自己嫌悪した。それと同時に「違う」と全力の否定。

 意思とは裏腹に、思考は勝手に連鎖して自分の生い立ちの回想へ及んだ。
 No. 1ヒーローを超えさせるために、個性のみを目的に母親と結婚し子を成した万年No.2の父親。最高傑作と祀り上げ、幼い息子に苛酷な鍛錬を強いる父親。己の意に反した妻を殴った父親。この私利私欲に塗れた教育のために子から母親を引き剥がした父親。嫌な思い出と共に不快な思考が次から次へと溢れる。
 そしてそれに重なる、たった今自分自身の中に湧いた思考。



 …こんなんクソ親父と同じじゃねぇか。



「………轟くん?」

 はっとする。煎茶の水面から瞠目した目線を上げる。様子を伺うように躊躇いがちな声。それを発した◎は、不安げな表情で焦凍を見ていた。
 自分の思考から◎に意識が向く。不快感は残ったままだったが、それは意識的に隠した。

「どうした」

「…怖い顔してたから。何か気に障った…?」

「あ…いや、違ぇ。急に嫌なこと思い出しただけだ。悪ぃ、なんでもねえ」

 そう、と◎は短く返し、湯飲みを持つと静かに茶を口に含んだ。それまで朗らかに笑っていたのに、突然借りてきた猫のように大人しくなった。

 顔に出てたか、と眉間や口元を押さえる。先程から◎の関係ないところで考え耽ってしまって申し訳なく思った。変な汗をかいてしまったせいでもう肌寒さはない。

 なんか話…と考える。
 ぽくぽくと、食事時にお茶子たちと交わされる会話の中から◎が関心を持ってることを引っ張り出そうとする。しかし大半を聞き流しているせいで全く思い出せなかった。だがどうにかして居間に漂う気まずい雰囲気を打開しなければ。嫌な思いをさせるくらいなら家に上げない方が良かっただろうか。いやしかし。

 ふと、なんでこんな近所で会ったんだと思った。◎は出久と幼馴染で、この辺りに住んでるわけではない。この辺りは大きな街という訳でもない。わざわざ足を運ぶような場所ではないのでは。なのに何故。

「…●」

 躊躇いがちに声をかけると、ん?と短い応え。焦凍を見る表情は微笑んでおり、いつもと同じに見えてほっとした。意識的にそういう対応をしてくれたのかもしれないが。

「よくこの辺来んのか」

「よくではないけど、近場の本屋に欲しいものがなかった時はたまに」

「そんなでかい本屋あったか?」

「大きい店じゃないけど、病院の近くにある本屋さんわかる?そこに行くと読んでみたいなって思う本が見つかるの。だから何も思いつかない時はこっちまで足伸ばすわ」

「そうか」

 病院の近くにある本屋、と言われ記憶を振り返る。思い当たる店があった。

 その本屋の近くにある公園や飲食店などを上げて情報を照らし合わせ、お互いの認識を合わせると「そう、そこ!」と◎は笑った。たぶん仕入れてる人と好みが似ているとか、今日はどんな本を買ったとか、そんな話をしているうちに◎の調子は戻っていった。

 本か。そう焦凍は思考し自分の行動を振り返ったが、あまり本を読む習慣がないことを自覚する。
 読むかは別として、次見舞い行った帰りにでも覗いてみようか。
 語らう◎の様子を見て、密かにそう思った。



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