轟家での雨宿り。2






 幸か不幸か、轟家に入った瞬間にまたザンッと雨が降った。唐突に強くなった雨音に、二人は同時に振り返った。

「わあ…すごいタイミング…」

「しばらく上がっていいぞ。こんな状態で帰ったらまた濡れるだろ」

「うん…じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します」

「ちょっと待ってろ。タオルとか持ってくっから」

 玄関でぐっしょり濡れた靴下まで脱ぐと焦凍は家の中に入った。手伝ってもらおうと思い姉を呼んだが返事がない。雨音で聞こえねぇのか、と思いつつ、洗面所で取り急ぎ服を脱ぐ。ぴったり張り付いた服を脱いでも濡れた肌の心地はあまり変わらない。バスタオルを引っ張り出して体を拭いた後、頭から被った。体から水滴が落ちない状態になった後、焦凍は玄関を通らないように自室に着替えを取りに行った。タオルを巻いていても裸の状態で異性の前に出るのは気が引ける。

 服を着て玄関に戻った時、◎はスカートを絞っていた。引き上げられた裾の中に濡れた太ももが覗いている。◎の足元を見ないようにしながら焦凍は◎に近付いた。

「●、待たせた。ほらタオル。あとこれ着ろ」

「どうも。ありがとう、何から何まで」

「いや。なんか飲むか」

「じゃあ、温かいもの」

「わかった」

 体を拭いたら上がって着替えるようにと、口頭で洗面所の場所を伝えた。
 玄関を離れ、お茶を淹れに台所に行くとテーブルの上に菓子箱があるのを見つけた。その上にメモが置いてあるのに気付き何となしに手に取る。姉、冬美の字だった。

『少し出掛けてきます。お饅頭いただいたから食べてね』

「…は?」

 この家は広いが常駐の使用人はいない。住んでいるのは家族だけだ。父親は仕事、冬美は置き手紙の通り出掛けている。他の家族は、既にこの家で暮らしていない。

 要は、今この家の中には焦凍と◎と二人きりなのだと知った。















(…いや、別にそれで何がどうこうってことはねぇけど)

 あらかじめ家の中に誰もいないと知ってても、同じ選択をしただろう。この豪雨の中でずぶ濡れ状態の女子を一人帰すのは忍びない。
 俺が変に意識し過ぎなだけか?別にそういう仲でもねぇだろ。
 そんな自問自答をしつつ、焦凍は玄関から濡れた床を拭いていた。

 床掃除を済ませて手を洗って居間に戻ったが、誰もいない。◎はまだ台所にいるようだった。台所まで進み廊下から中を覗くと、薬缶でお湯を沸かしている姿が見えた。
 ●、饅頭食えるか。そう訊こうと口を開きかけたが、誰かと話している声が聞こえた。

「いま友達の家。うん、そう、少し雨宿りさせてもらってから帰るわ。…そんなに遅くならないと思うけど…」

 内容から、自宅に電話しているのだと察した。

 その姿が一瞬母親と重なった。



―――『もう育てられない。あの子の左側が醜い』



 ぴたりと動きが止まり、それ以上台所の中に入るのを躊躇う。
 どうかしている。話している内容なんて自分と直接関係ないことだし、◎だって轟家とは無関係の他人なのに。


 薬缶の甲高い音が鳴る。◎はそれに気付いて「帰るときにまた連絡する」と告げると電話を切って携帯端末をポケットに入れた。薬缶を持ち、急須にお湯を注ぐとコンロに戻す。
 その一連の動作を見納めた後、焦凍はようやく動けるようになった。

「…●」

「ん?」

 振り返る◎はいつもと同じように微笑んでいて、あの時の母とは似ても似つかない。なのに、どうかそのガス台の前から離れてくれと思った。そんなことは決して口にしなかったが。
そもそもなんで話しかけたんだ。そうだ。饅頭食えるかって話をしようとしたんだ。


 黙りこくっている焦凍を見て、◎は焦凍の意図を推察した。何か気になることがあったのだろうか。濡れた服を風呂場に干したことは伝えたし、濡れた床は焦凍が拭いてくれたはず。


 あ、と手元にある急須に目をやる。


「…もしかしてお茶淹れるとき拘りとかあった?紅茶と同じ要領でやってたんだけど、日本茶ってお茶っ葉開きすぎると良くない?渋くなるかしら?でももう急須温めちゃった」

 ごめんね?


 立派な日本家屋に住む人はちゃんとした作法で淹れたお茶が飲みたいのかな、という推測の元、◎はそう詫びた。心から申し訳ないと思っているわけではなく、どうぞ愛嬌として受け止めてください、という気持ちで笑い、そう言った。

 ◎の返答は焦凍の思考とは掛け離れた呑気なもので、自分が考えていたことが霞む。内心の毒気を抜かれ、密かに安堵した。

「いや…別に。飲めりゃいいだろ」

 そう言ってテーブルの上の菓子箱を取る。

「お前、饅頭食えるか」

「うん」

 そう会話した。普通に。

 居間の場所がわからないと言うので、焦凍は◎がお茶を淹れるのを待ち、その間に軽い世間話をした。
 家が広くて台所に着くまで少し迷ったとか、なんでもない話だ。とりとめのない話題に気持ちは緩んだ。



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