幸せご飯。
(♀夢/英雄学/爆豪勝己/notヒーロー志望)
(※主が雄英編入後)
土曜日の朝。
昨日の夜冷蔵庫にあったタッパーが、今朝はきれいに洗われて水切り籠の中に置かれていた。タッパーには爆発的な文字ででかでかと「爆豪」と書いた付箋がわかりやすく貼ってあった。昨晩密かに付箋を捲って容器の外側から中を盗み見ると、生肉が何かに浸かっているようだった。
かっちゃんは週末、仮免の講習で出掛ける。
朝から肉料理作って食べたんだ。でもかっちゃんが朝ごはん食べてるところ見てないな。ものすごく早起きしたのかな。
出久はそんな程度に思っていた。
とある話題は、どういうわけか同じタイミングで方々から部分的にやってくることがある。その話題を寄越してくる人らは各々で関係がないのに、である。
食堂では「●さん、お昼はちゃんと食べててよかった。寮じゃ茹でた人参しか食べないもんね」と、◎と同じクラスであろう女子が話していたのが耳に入った。
教室では「◎ちゃん、お昼あんなに少なくて持つのかな。食べたらすぐどっか行っちゃうし。大丈夫って言ってたけど、ダイエットなんやろか」と、◎と昼食を共にしている麗日達が話しているのが耳に入った。
詳細に何を食べているのかは知らないが、とりあえず最近の◎は極端に偏食且つ小食であるという情報が勝己の元に届いた。
わざわざ記憶を振り返るまでもなく、◎は普通に食べる。爆豪家で勝己と同じ量の食事を出されてぺろっと平らげる程度の胃袋を持っていることを勝己は知っている。
今となっては、ヒーロー科の勝己と普通科の◎では運動量が違う故に、一緒に食事していた時とは事情が違うのかもしれない。しかし、人参しか食べないだの、ダイエットの疑問を抱かれるだのを聞くと、一般的に摂取しなければならない食事量をかなり下回っていることは容易に想像できた。
昼休みの昼食後、図書室で◎と会った時に何となしに訊いてみた。図書室での会合は日課になっていたので、体型の変化はよくわからなかった。改めて見ても、痩せたか?別に普通だろ、と勝己は思った。
しかし、「お前最近何食った」の問いに対する回答は、ひどくバリエーションが乏しかった。
「お前最近何食った」
「さっきサンドイッチ食べたわ。たまごの」
「寮では」
「最近ずっと人参食べてるかしら…巣茹でしたの食べたら意外と止まらなくて」
「他にも食ってんだろ。つーか料理の名前言えや」
「え、人参…」
「は?」
「………」
「………。お前昨日の昼何食った」
「………たまごサンド」
図書館に勝己の怒号が響いた。ちょうど奥まった場所にいて二人の立ち位置は本棚の影だったので、その瞬間を誰かに見られなかったのは幸いである。◎は借りる本を選んでないままだったが、慌てて図書室を出た。
図書室の外に出て、校舎も出て、人気のない場所に行くと、勝己は改めて怒鳴った。
「バカかてめェ!飯くらいまともに食えや!」
「んん、その……最近本当色々思いついて、忘れないうちに書き出してたら時間足りなかったのよ。それで食事の時間削って…」
「おいコラ。まさか寝てねぇんじゃねぇだろうな」
「………昨日寝たのは四時…」
「〜〜〜ッのクソカス!!食え!寝ろ!!」
◎の耳を思い切り引っ張り怒鳴りつけると、◎は「痛い痛い」と眉尻を下げ弱った声を出した。
(ダメだこいつ。変なところジジイから遺伝してやがる…!)
◎の父親は作家である。基本的に紙とペンさえあれば生きていける質で、食事を摂らないまま机にかじりついてひたすら文字を書き続けるということなどザラにある。というか、そうであるのがほとんどだ。
流石に集中力が切れた時は空腹を自覚し何か食べるが、それでも食べるものは豆腐のみだ。何も調理せずパックにそのまま醤油などを掛けて冷奴で食べるズボラっぷりで、机に座らず醤油をかけたら立ったままそのまま食べる。食事時間は正味三十秒程度。
そんな男だが、ちゃんと◎の父親である。娘が作った料理ならばちゃんと机で食べるのだ。◎も父親の体を気遣って、ちゃんと栄養があるものを考えて料理している。できた娘だ。
それを知っている故に、食事くらい普通に摂っているであろうと思い込んでいた。やはり蛙の子は蛙なのか。
口頭で食え寝ろと言っても、勝己の目から離れた途端に惰性な食事を摂る様子が浮かぶ。何せ父親があの有様だ。
クソが。
「お前土曜の五時に俺の寮に来い」
「…その時間、共有スペースに結構人いるんじゃないかしら」
「ああ!?朝の五時にいるわけねーだろ!!」
「え、朝?早」
「どうせてめぇ徹夜してる口だろうが!いいから絶対ぇ来やがれクソが!!」
(徹夜してるの見透かされてる…勝己すごいわ)
そんな話をしたのが、平日の半ば。
コンコン。
入り口をノックする。数秒そのまま待つと、機嫌の悪そうな勝己がドアを開け出迎えた。顔を合わせると、◎はおはようと微笑む。昨晩も徹夜したせいで、眠そうでくたびれている様子だった。
「おっせえ」
「ちゃんと五時に来たわよ」
「三分過ぎてんだよクソが。さっさと入れ」
指摘された遅刻に軽く一言詫びると、勝己は舌打ちし、無言で中に戻っていった。後をついて行くと香ばしい匂いが鼻をつく。共有スペースのダイニングテーブルには食事が二人分用意されている。当然、勝己が作ったものに違いなかった。
わあ、と◎がテーブルに手をつく。テーブルには生姜焼き、白米、味噌汁、おひたしが並んでいる。生姜焼きの隣にはちゃんと千切りのキャベツが添えられている。定食屋の献立のようだった。
「勝己何時に起きたの?」
「さっきだよ。こんなん秒でできるわ」
「へえ、すごい。見習うわ」
実際、勝己が起きたのは三十分ほど前だ。昨日のうちにできる下準備はしておいたので、今朝したのは肉を焼くことと盛り付けくらいだった。
いいからとっとと座れや、と促す勝己に、◎は嬉々として食事の前に座った。勝己も正面に座る。朝食にしてはボリュームがあったが、食べきれる自信はあった。
いただきます、と手を合わせ、二人で箸をつけた。◎と勝己が同じ席で食事をするのは、ひどく久しぶりだった。
湯気が立つ味噌汁を飲み、味が染みている肉をかじり、ほかほかの白米を口に運ぶ。勝己の手料理と、数日ぶりのまともな食事に◎はほっこりと笑った。
「美味しい」
「当然だろ」
幸せ。そう噛み締めて、◎は顔を緩めたまま箸を進めていく。
三十分後には皿の中は空っぽになった。
食器を洗い、他の者が起きる前に◎は寮を出ようと入り口に向かう。勝己もこれから準備をして仮免講習に出かけなければならない。
入口の手前まで見送る際、勝己は「おい」と◎に声をかけた。
「俺が作ったんだからお前もなんか作れや」
「わかった。何か食べたいものある?」
「麻婆豆腐。素使うなよ。で辛くしろ」
「ふふ。わかった」
来週も同じ時間に、今度は◎がおかずを持って行くことを約束した。
じゃ。
おう。
その短い別れの挨拶で、◎は自分の寮に向かって歩き出し、勝己は寮のドアを閉めた。
ああ、美味しかった楽しかったと、◎は晴れやかな気持ちで長い溜息を吐く。日が昇ってから数時間は経つが、未だ白んでいる空の遠くには朝焼けが見える。長閑な早朝の空気は気持ちよかった。
まっすぐ帰ってしまうのはもったいなく思えて、◎は少しだけ寄り道した。お腹が満たされて眠かったので、いつも素通りする別棟の寮の周りを歩く程度のものだったが。
満腹。
帰ったらよく眠れそうだ。
そう思って笑った。寮に帰るまでの足取りは軽く、遠足前の小学生のような気分だった。