それでも時間はいつだって平等に流れる(下)










○に揺られて目を覚ました。傾いていた日は沈んだようで、部屋は明かりを灯しても薄暗かった。


「起きた?小平太」

「ぅんー………」

「もう夕食の時間過ぎちゃったよ。ごめんね、俺もさっきまで寝てたんだ」


まだ眠気が取れなくてごろごろと愚図っていたが、一人の布団にいつまでも転がっていても仕方がない。布団を捲ってむくりと全裸の体を起き上がらせると、ぽりぽりと頭を掻いた。しぱしぱと瞬きをし、凝らした目をふと○に向けると、もう服を着ていた。制服だ。頭が冷える感覚がして、一瞬で目が冴える。

「○、どこか行くのか」

「うん、立花くんとこ。赤点取ったって話したら今晩勉強見てくれるって言ってくれたから」

「…そうか」


私に向けたことの無いような顔で言う。幼い頃見た笑顔に似ているが、違う。それは私に向けられていないからそう思うのか?
言葉が出なかった口を閉じて、気を取り直した。

「暗いから気を付けろよ」

自分の心に渦巻く醜いものを自覚しながらも、私は笑って言った。
笑えただろうか。
今が夜でよかった。これだけ離れていれば顔はよく見えないはずだ。
○が嬉しそうに笑い、私に目をやりながらも戸に歩んだ。

「ありがと。小平太もちゃんと部屋に戻りなね。中在家くん心配するよ」

ああ、今宵はこれで別れなのか。
行ってきますと手を振る○に私も手を振り返す。ぴたんと戸が隙間無く閉まり、足音が遠ざかる。私は笑顔で持ち上がっていた頬が下がるのを感じた。振っていた手を下げる。俯いて見えるのは白い布団と自分の裸体。



○が仙蔵に好意を寄せても、私たちの性関係は続いていた。理由は単純だ。○にとって私との性行為は特別なものではないのだ。日常的な戯れに近い。幼い頃に一緒にした木登りや川遊びと違うことは大してない。だって私たち幼なじみなのだから。

私は再び布団に横になった。目は冴えたのに、頭がぼんやりする。
何故か、『どうして○は私を選んでくれなかったのだ』とは思わなかった。私は○に恋をしているわけではない。ただ誰よりも一番大事で、誰よりも大好きで、誰よりも一緒にいたくて、誰よりも失いたくないだけなんだ。
断言できる。私は○がいないと生きていけない。○以外のすべてが消え去っても、○さえいれば私は立ち直れる。
だが○がいなくなったら?
この世の幸福がすべて私に降り注いでも、○がいなかったらそんなものきっと意味が無い。私は○がいてこそ心が生かされるのだ。

初めて体を重ねたときの周囲への優越感も、今ではただ虚しいだけだ。
かつて伊作や留三郎に向けていた苛立ちも仙蔵には感じなかった。ただとてつもない寂しさと絶望が私を覆ったけれど。

だって、仙蔵のことを話す○が、とても幸せそうなんだ。仙蔵と一緒にいる○が、この上なく幸せそうなんだ。
それを壊れてしまえなんて、思えるわけないだろう?
私の勝手な独占欲なんかで大事な○を苦しめたら、私はきっと自分を恨んで自分を殺す。


○が幸せで、笑ってくれればいいんだ。










『すごーい!小平太かっこいい!』






○。



あの時、○には確かに私だけだったのに。



鼻先がツンとして、予感がしたら既に涙が零れた。息がうまくできなくなって、両手で目を覆った。大きく息を吸って、微弱な嗚咽を止めようと息を止めた。止まったと思って浅く吐いたら、声が震えて出てきた。


「っ、ぅーーぅううう〜………っ」


止まれ、止まれ、ダメだ。
聞かれたらダメなんだ誰にも。


だけど涙は止まらなくて、とめどなく溢れるのは幼い日の○との思い出。日陰から無理やり引っ張りだしたあの日。自分にだけ懐いてくれて、ずっと離れないでいてくれた○。
すごいって、かっこいいって言ってくれた○。





いやだ。

いやだ。

いやだ。



○、行かないで。









もうどうやっても嗚咽を止められなかった。私は布団を被って少しでも声が漏れないように努めた。
時間があの日から動かずにずっと止まってくれればいい。あの時私たちは求め合って、お互いが一番好きで、それがずっと続くと思っていた。だけどそんなことありえない。時間は誰にだって平等に流れている。
○と仙蔵が一緒になるのだって、時間が経てばごく自然なことなんだ。仙蔵が○を好いていることなんてわかりきってる。現に仙蔵は○を誘って今は二人一緒にいるんだ。


嗚咽が止まらない。

誰か止めてくれ。
いっそ息の根ごと。



○が幸せになれるのに、どうして私は泣いているんだろう。

○、ごめん。私はいやな奴だ。
○のことが大好きなのに、誰よりも大好きなのに、お前の幸せを心から喜べないんだ。



























心の中にたった一人を求めていたのは、私の方だ。