羨望の蓋の下に。:想い独白。
実質追い出された僕は裏庭に戻るまでの間、遅い足取りの中で手持ち無沙汰に◎ちゃんとかっちゃんのことを考えていた。
出久くん。
爆豪くん。
小学校の途中から◎ちゃんとかっちゃんはあんまり話さなくなって、いつのまにか◎ちゃんはかっちゃんを「爆豪くん」と呼んでいた。呼び方だけ見れば、僕に対しての方が親しげだ。
だけど、声に含まれる気安さはかっちゃんに対する方が親密に聞こえた。口に馴染んだ人を呼ぶ自然さがあった。すごく感覚的だけど。
きっと、あの二人には絶対的な信頼関係があって、二人にとってはそれが当然なんだろうな。
それはずっと前から知っていたことだ。かっちゃんは◎ちゃんが誰よりも近くにいることを許しているし、◎ちゃんはかっちゃんの隣にいるのがすごく自然だ。そこに違和感はない。今でこそ別々にいる姿が見慣れたけど、二人は隣にいるのがニュートラルだった。
彼らが一人でいる時、当然この後何時間後にはどこかでもう一人と会うんだろうなと、そう無意識に想像する僕がいる。彼らの姿を見たこれまでの記憶を振り返って、そのことを再確認するように自分の認識を自覚した。
それが完璧な状態だと思う。その場所を誰かと取り替えたら、きっとちぐはぐだ。昔から見続けて、今更他の誰かといるのを想像できないってのももちろんあるかもしれない。
もしかしたらそれは僕の先入観かもしれない。中学から二人を知った人は、二人に親密さなんて感じないかもしれない。だけど僕は、それでも二人は並んでるのが似合っているし、そうあるべきだとも思った。
そう思う傍らで、僕は◎ちゃんのどんなところが好きなんだろうと、ふと考えた。
◎ちゃんは、僕に個性が無いってわかっても「無個性」って言って嘲笑ったことがない。たぶん、僕が◎ちゃんを特別視してる大きな理由はそこだ。だけど、それだけじゃない。
◎ちゃんの隣にいたい訳じゃない。そこはかっちゃんがいるべき場所だから。じゃあ、なんで。僕は◎ちゃんに何を望んでいるんだ?僕は◎ちゃんのどこに惹かれてるんだ?
優しいところ。
笑ってるところ。
お淑やかなところ。
外見。
読書家なところ。
頭がいいところ。
個性。
好きなところはたくさん出てくる。嫌いなところなんて思いつかない。◎ちゃんはいい子で、可愛くて、優しくて…◎ちゃんのパーツを分解すると、僕が◎ちゃんを好きになったのはそれらが大きい理由だ。だけど、そのどれもが決定打に欠けている。
本当に、僕はそれだけで◎ちゃんを好きになったんだろうか。
―――頭の中ではっきり浮かぶ。「違う」と。
(こんなことは考えるまでもなく、その答えを僕はきっと知ってる。ただ、感じるだけだったから意識しなかっただけで。言葉にして考えたことがなかっただけで)
僕は、◎ちゃんに向けてる自分の感情のことも考えた。
羨望。
妬み。
憧れ、尊敬―――…。
◎ちゃんに関わると、それらは僕の胸を膨らませた。それはただ、考えるだけでも。
僕が◎ちゃんを好きなところ。
優しいところ。笑ってるところ。お淑やかなところ。外見。読書家なところ。頭がいいところ。個性。そのパーツを反芻する。他に◎ちゃんを構成しているものを頭の中で流した。読んでいるもの、着ているもの、教科書に書かれた名前や、通学鞄、爪、柔らかい手。
そんなものは絶対にきっかけじゃないっていうところまで分解して考える。でもその全部のどれに焦点を当てても、◎ちゃんが眩しい人であることには変わりなかった。だって。
だって。
かっちゃんにとって、◎ちゃんは特別だから。
僕は足を止めた。
自分が感じていたことを一寸の違いない言葉にして、驚いて呆然とした。え。ああ、そうか。そうだ…。
「そうか…」
拍子抜けするくらい呆気なく、わかりやすい答えだった。僕は、かっちゃんの大事な女の子を特別視してただけだ。
連想するように巡る。
きっと◎ちゃんが無個性でも、かっちゃんは◎ちゃんを特別に思ってた。だって、僕の記憶の限りでは◎ちゃんに個性の発動を指示したことはない。きっと◎ちゃんが無個性で僕に個性があれば、僕たちはもっと違っていた。かっちゃんは僕を認めてくれた。少なくとも今よりは。そして僕はきっと、あの二人に近づけた。それは他愛のない空想だけど、意識の深い底で蔓延と根を張った願望だった。
僕は自分の空想に嫉妬してたんだ。それを◎ちゃんのせいだって思ってたんだ。
なんてことに気付いちゃったんだろう。だけど、気付いたところでどうしようもないことだ。
かっちゃんに特別扱いされてる◎ちゃんが羨ましくて、◎ちゃんがどうして特別扱いされているのか意識してはそれを好意だって勘違いして、そして勘違いは僕の中で本当に好意になっていった。元々はかっちゃんに向いていた強い憧れが空回って空回って空回って、少しずつ◎ちゃんにズレていったんだ。だから、二人は一緒にいるべきだって思ってるんだ。
実際、本当にあの二人は疎遠になったのかもしれない。だけど二人の間で屈折した僕の感情が、二人が今でも親しいことを望んでいるんだ。
◎ちゃんが、本当にかっちゃんの妹だったらよかった。そしたらきっと僕は、◎ちゃんをこんなに意識しなかった。だって、家族だったら特別でいることは当たり前だ。
そうか、そうなんだ、と意味のない言葉ばかりが頭を巡る。それには思考が巻き戻ってほしいという願望があった。
僕が◎ちゃんに抱く感情と、僕を緊張させる◎ちゃんの魅力と、強くてかっこよかったのにどんどん嫌な奴になっていったかっちゃんが全部混ざっていく。ぐるぐると混ざりあって、やがて一つ一つを認識できなくなるくらいに混ざりあって、全体が識別できないくらいおかしなものに変化する。
混沌と複合されていく感情は完全に僕だけのもので、これに名前なんてない。だって、あの二人に惹かれて、自分の感情をまともに処理できなくて、明後日の方向で生まれた感情を育てた無個性の奴なんて、僕しかいないから。
これを言葉にしたら、何になるんだろう。
きっと憧れとか恋とか、そんな綺麗で甘いものじゃない。
先に生きてる誰かがこの感情に名前をつけて、どんな処理をするのがセオリーなのかをもっと世の中に知らせてくれていれば、僕はもっと早くこの気持ちを自覚して、こんなことにならないように整理ができていたかもしれないのに…―――。そんな矛先のない八つ当たりが沸く。僕一人のキャパシティじゃ、いろんなものが複雑に絡んだこの感情をどう認識して、どう落とし込めばいいのかわからない。
自覚した途端に物凄く苦しくなった。
この感情の所以に気付いたのに、やっぱりそれでも僕の中で◎ちゃんは特別な人のままで。ごめんなさいと心の中で何度も呟く。戻したかったのに、◎ちゃんが好きな人から幼馴染に戻ることはなかった。今まで何年もかけて育ててきた淡い感情は、何故か自覚した後は目まぐるしく更に色濃く育った。もう後の祭り。自分の感情に手が届かないくらい、果てまで枝葉を伸ばしていく。
あの二人が遠い。
密接な距離が脳裏に浮かぶ。
僕はなんで。
…なんて人を好きになっちゃったんだろう。
(本当は、あんな風になりたかった)
(あの二人に、僕も対等に並びたかった)
《遠くにある賑やかな生徒の声が僕とはあまりに無関係で別の世界みたいだった。誰もいない廊下の静けさがこの思考を助長させて、他のことを考えられない頭で二人のことを考えて、自分の行き場のない感情に押し出されるように、僕は泣いた。》
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