羨望の蓋の下に。:目指すものは。






 他に何かやりたい仕事があるのかとか、ヒーローになりたくない理由があるのかとか、細かいことはわからないけど、「私はヒーロー志望じゃないから」と言ったいつしかの言葉を思い出す。

 小学生の時に聞いたことだけど、その言葉は衝撃的で僕の胸にぴったりと粘着した。ヒーローは誰しもなりたい職業だと思ってたのに、◎ちゃんは違ったんだ。

 それを認識しているはずなのに、僕は時折そのことを失念する。ちゃんと覚えてるんだけど、あっちとこっちがうまく紐付いてない感じ。そして忘れていることを思い出すたびに思う。勿体ないって。◎ちゃんなら、誰からも支持されるヒーローになれると思うのにって。


(―――理由…)


 なんなんだろう。
 人を救うことってあんなにかっこよくて、胸が熱くなることなのに。

 自分の価値観が万物共有と思うほど傲慢じゃない。でも大多数の人は僕と同じ考えを持ってると思う。だってクラスの子は全員と言っていいほどヒーロー志望だ。憧れる理由は人それぞれだろうけど、ヒーローを目指さない理由なんて、何も思いつかない。



「…あの、聞いてもいいかな」

「何?」

「◎ちゃんって、ヒーロー目指してないんだよね」

「うん」

「なんで?」

「………んー…」

 ◎ちゃんは僕に向けている手の平に視線を落としながら、言葉を探しているのか少し困ったような感じで声を漏らした。まだ知恵のついてない子供から純粋な質問されて答えあぐねている大人みたいだった。
 しばらく口を閉ざしていたけど、やがて「質問を質問で返しちゃうんだけど」と置いてから口を開いた。

「出久くんは、小説家になりたいと思う?」

「えっ!小説家…?い、いや、別に…」

「どうして?」

「え…?えーと…」

「…ふふ、ごめんね。意地悪だったかしら。でも、出久くんも同じこと聞いたのよ?」


 混乱した。僕の顔には「は?」って書いていたと思う。その間抜けな表情で◎ちゃんが言葉を続けるのを待った。同じこと?ヒーローと小説家なんて全然違うよ。
 返答の真意を咄嗟に理解できてない僕を察したのか、◎ちゃんは続けた。


「自分がなりたいもの以外なんて、「なりたいと思わないからならない」でしかないと思うわ」




「そ…うだね」

 その回答は鉄壁だった。でもとか、そんなの屁理屈だよとか、言う隙がない。続くような問いかけはやんわりと、完全に拒否されてる気がした。
 僕がしたのは納得してない歯切れの悪い相槌だけど、回答に対しては肯定の意を提じるするしかなかった。

………そっか。◎ちゃんの中でヒーローは、選択肢ですらないのか。
…。

(ズルいな)

 少しだけ黒いものが渦巻く。ズルいな。いいな。◎ちゃんには個性があるのに。人に好かれる人なのに。きっとヒーローとしての素質があるのに。
 もちろん、そんな傲慢なこと表に出さないし、出すわけにはいかないけど。



 言葉に出さないからって、知られないからって、僕はこんな身勝手な事を考えてる。
 ほんの少しの罪悪感と、自分の考えを正当化する卑怯さに、僕は汚いと密かに思った。



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