疑似喪失。:変わりない日常と。






 午後のヒーロー基礎学の直前。出久は教室に入る時、同時に出てきた誰かと衝突した。わぶっ、と声が出た直後に「ごめんっ」と顔を上げると、相手が幼馴染の勝己であることに気付く。
 ピタと身体が硬直し、最悪な事態に怒鳴られることを覚悟した。が、


 勝己はちらと不快そうに出久を見ただけで、そのまま横を通り過ぎていった。


 出久はその場でしばし固まった。肩すかしを食らったことすら碌に理解できなかった。
数秒遅れで今の現実を一つずつ拾い上げてボケた頭に嵌め込む。瞬間、信じられない気持ちで勢いよく勝己を振り返った。

「っえ…!!!?」

 その声すら無視された。
 いつもなら絶対に怒鳴りつけられるところだ。少なくとも舌打ちをするとかガン付けて凄んでくるとか、あからさまな敵意を向けてくるシーンには間違いない。これまでの勝己のパターンと異なる態度に、出久はひどく動揺しているのを自覚する。動機が激しくなってじわりと熱くなった体が変な汗をかいた。

 勝己の背中から目を離せない出久に、勝己の席の側からその様子を見ていた切島が歩み寄った。直前までは勝己といたようだった。

「緑谷」

「あ!切島くん」

「爆豪のやつ、今日なんか変じゃねえか」

「うん…僕もそう思う」

「だよな?話しかけても静かだしよ。今もロクに返事しねぇまま出ていってさあ。あいつなら怒鳴り散らして俺の方を追っ払いそうだと思うんだけど…なんか知ってっか?」

「いや…」

「あー…そっか。んーっ、なんなんだろうなあ。先週は普通だったよな」

「そうだね」

 切島の言うとおり、先週はいつも通りだった。出久が終わった授業についてブツブツ独り言を展開していたら、前から「ッるせぇ!黙れカス!!」とガチ切れで怒鳴られたのは記憶に新しい。先週の金曜日の事だ。何かあったとしたら、週末。



「…あ」



 一昨日見たヒーロー速報の記事が閃光した。

(土曜日、田等院商店街で敵が出たんだ。確か軽傷数名と、焼身の重傷者一名だったはず)

 出久が知り得る限りの近しい事件と言えばこれだ。タイミングも合ってる。しかし、そんな都合よく事件に鉢合わせするだろうかと思考に歯止めがかかる。

 もしかしたら事件とは何の関与もない場所で何かあったのかもしれない。しかしその場合は知りようがない。勝己の個人的なコミュニティに関しては、表立ったものしか出久は知らないのだ。
 妥当なところで推測すれば血縁で不幸があった等が予想されるが、その場合は学校を休むはずである。そもそもそれであんなにも様変わりするのも考えにくいと思えた。彼ならばもっと気丈に振る舞うだろうと。

 諸々考えて一周した結果、知る事柄に関連づけるとしたら、土曜日の事件が色濃い気がした。

(どうしたんだろう…)

 廊下を進む勝己の背中は、いつもと同じはずなのに、力無い印象を受けた。








 その日の授業は、チームでの救助訓練だった。勝己は同じチームの八百万の提案に極めて珍しく賛同、というか従い、授業を受けていた。救助方法や手順を全て立案した八百万が勝己の通常と異なる様子に動揺し、恐る恐る「爆豪さん、よろしいですか…?」と確認したにも関わらず反抗はなかった。


「文句ねえ」


 単純に救助活動が不向きだから意見を出さない、というのではなかった。通常ならば授業の好みや積極性に関わらず「俺を無視して勝手に決めてんじゃねぇ!」と言う姿は想像できるのに、それがない。
 八百万はチームメイトの瀬呂と顔を見合わせた。瀬呂も怪訝な表情をしており、勝己に向かって揶揄するような口調で問いかけた。


「爆豪、腹の具合でも悪ぃのか?なんかいつもと違ぇぞ?」

「別に普通だわ。今の案で文句ねえっつってんだ。とっととやれ」


 問いかけを遮断するようにそう言った。開始時間も迫っていたのでそれ以上追求する事はなく、授業に取りかかった。



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