疑似喪失。:不穏な空気。






 顔見知りであることを伝え救急車に乗り込み、◎が院内に運び込まれるのを見送ると、勝己は家に電話をかけた。電話に出た光己に状況を伝える。光己は◎の両親に連絡を取ると言って電話を切り、勝己は手術室の前で呆然と座っていた。

 何分か経った頃、◎の父親と光己がやって来て、更に何分後かに◎の母親が来た。四人が揃ったのは三分後だった気もするし、一時間後だったかもしれない。時間の感覚がわからなかった。分かりやすい場所にあった時計に気付かなくて時間を見ていなかった。
 ◎の母親の取り乱しぶりは異常で、神妙な顔を揃えている三人を見るとそれだけで声を上げて泣き出した。

 敵が暴れ回った現場に◎が居合わせて火傷を負ったらしい、ということを勝己は断片的に光己に話していた。恐らく光己から二人にも伝わっただろう。
 ◎を失うかもしれない、という思考が四人の中にあった。


 勝己の頭の中で、痛みに苦しむ◎の姿がリフレインする。あんな一切の余裕がない◎を見たのは初めてだった。


 救急車に乗る時、大丈夫だとバッグドラフトは言っていた。災害救助のスペシャリストのヒーローが言うのだから、きっと大丈夫なんだろう。だけど、もしかしたら、と不安が湧く。死ななくても、手が動かなかったり、痕が残ったり、何かしらの障害が残ったりしたら…。身近にない大怪我。◎は、何の訓練もしてない女なのに。


 勝己は奥歯を噛んで震える手で強く拳を作った。じっと床を見つめている目は瞬きをしなかった。







「命に別状はありませんよ」

 安堵すべき宣告であるはずだが、◎の母はそれを聞いた瞬間またぼとぼと涙を落として嗚咽をもらした。手術の終わりを待っているときより激しい泣き声だ。安心しているのか、まだ不安に苛まれているのか、現状に対する認識がしっちゃかめっちゃかになっている印象を受ける。
 ◎を寝かせているベッドの脇で、◎の父親が妻の背中を撫でながら医師の次の言葉を待つ。

「火傷の範囲が広いのでしばらく入院する必要があります。通常ですと火傷痕が残る怪我ですが、うちは幸い治癒の個性を持つ医師がおりますので、治療が完了すればおおよそ元に戻るかと」

「そうですか…」

 父親は母親に比べると幾分か冷静で、ホッと息を吐いてそう言った。



 今回の事件で、重傷を負ったのは◎一人だけだった。事の発端の敵は、可燃性液を分泌できる個性を持っていた。それだけであれば大きな害はなかった。証言によると、危害を加えられそうになった時、◎の身体から発火したとのこと。そこから推測するに発火の原因は、液が身体に付着した状態で、温度変化の個性を持つ◎が、触れられないように表皮を高温にしたことだ。

 その時◎のすぐ近くには人がいなかったため、被害が他に及ぶ事はなかった。敵も突然の発火に怯んだのでその隙を突いてヒーローが捕獲出来た。
 個性の相性が悪かった◎だけが重傷を負った。


 ―――そういうこともある。理解は簡単だ。いくら普段落ち着いてると言っても、日常を過ごす中でのそれと、パニック状態且つ非常事態での判断が同じように出来る人間は極めて稀だ。◎は自己防衛として、敵からの接触を防ぐ為に個性を使用した。付着した液が可燃性かもしれないとは、とっさに思いつかなかった可能性が高い。

 相手が素手ならば高温になれば触れられない。春先に変質者が出没した注意喚起に対して、いつかそう言っていた気がする。◎にとって普段対応できる防衛策が今回裏目に出たのだ。

「…」

 ベッドに横たわる◎を見る。火傷は顔にまで及んでおり、ほとんどが包帯で覆われている。今朝までの姿は見る影もなかった。


 やりきれない気持ちに、なんで、と巡った。
 何度も。



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