一番最初は。
(♀夢/英雄学/爆豪勝己/notヒーロー志望/「マフィン。」にいたモブオリキャラが名前だけ出る)
おい、と呼び止められ、勝己が何をするのか待っていたら肩に手を置かれ、何も言わずに顔が近付いて来た。このままでは唇に触れるかもしれない、と思ったあたりで◎は瞠目し、咄嗟に手のひらで勝己の口を塞いだ。
「勝己、ちょっと待って」
「…なんだよ」
行動を阻止された事に勝己は不服そうな目で◎の手を外したが、強い反論はしなかった。自分でも止められるような事をしている自覚があるようだった。
勝己が少し体を離したのを確認すると、◎は言葉を整理しているように視線を伏せた。混乱は払拭できないままだったが、とりあえず簡潔な言葉が出てきたので顔を上げた。
「…なんで?」
「嫌なのかよ」
「そういうわけじゃないけど…でも何でもないのにすることじゃないでしょ」
今までこんなことをされたことはなかった。
キスとは、恋愛感情が伴った際の愛情表現の一環だ。と、◎は認識している。勝己に恋愛感情が芽生えていることは考えにくかった。平素、そういうことに対して鬱陶しく感じている様子は何度か見ている。
この鼻先が当たってしまいそうなくらい近い距離でも拒否の念は出なかったが、何も知らないままキスされるほど無神経な訳でもない。
勝己はしばらく唇を尖らせて言いたくなさそうにした。その間に何かを思い出しているように、◎を見ながらも脳裏で何かを巡らせた。そして、極めて不本意そうな声で言う。
「お前…どこのどいつかわかんねぇヤローと近付いてんじゃねえよ」
勝己から言われた事を単語ごとに区切りながら認識していき、◎は記憶を巡らせた。勝己がこんな行動を起こすほどに近付いた男子、と考える。全く意識していなかったせいで思い出すのに数秒かかったが、一つ思い当たった。
目にゴミが入って、クラスメイトの綿貫という男子に目薬を借りてさしてもらった。クラス内でも比較的よく話す男子だったのでそのままお願いしたが、確かに少し距離が近かったかもしれない。人に目薬をさしてもらったのが初めてだったのでこんなもんなのだろうかと思っていたのだが。
まさかそんなことで、と思った。事に対する捉え方の大差に驚嘆したまま、◎は言葉を置いていった。
「…綿貫くん?」
「名前は知らねえけど、座ってるお前の正面に立ってたろ」
「…目薬、借りただけだけど…」
「わかってんだよ、ンなことは」
こんなことをする行動の理由にはならない。◎がそう思っている事を勝己は察した。
だけど、想像してしまった。綿貫が◎に好意を寄せている事は、調理実習の時から知っている。状況的にはありえないことだとも理解している。教室で、他のクラスメイトがいる中でキスなんてするわけがない。それでも頭に浮かんだのだ。
嫌だった。
(こいつは俺のもんだ)
机にあるシャープペンや、使っているベッドなど、日常的に触れている所有物に対する意識と同じように◎に対してそう思う。自分の物は人に貸したくないし、触れられたくもない。
勝己の中にある己の所有物に対する潔癖さは他より少し過剰だった。
「勝己は、私とキスしたいの?」
「あ?」
◎も頭の整理がついてきたようで、幾分か冷静な声で言った。
キスがしたいわけではない。そんなものしたところで別に何も生まれはしないし、意味などない。
「お前が他の野郎とすんなら、俺が一番先にやる。そんだけだ」
いつかもしかしたら、その時が来るかもしれない。その前に先手を打っておくのだ。流石に◎の感情までは掌握できないし、内面の自由を奪うほど野暮ではない。万が一◎がモブを好きになってしまった時に、自分を差し置いて他の誰かと繋がる◎を考えたらひどく嫌だった。
ふふ、と笑った。
「勝己も私が好きなのね」
それは肯定だった。
言葉のままの意味でも。勝己の行動に対する返答としても。
勝己は◎と唇を合わせた。
◎が手に触れて来たので、お互いに軽く握った。
それはほんの少しだけ、恥ずかしかった。きっともう二度としない。する必要もない。
手を繋ぐのとなんら変わりない。
感情の伴わないファーストキスの感想は、そんなものだった。