橋渡し。:それから。






 それからの日常に大した変化はなかった。
 水無はちらちらと勝己を見るが接触は避けているようで、◎が手紙を渡しにくることもあれ以降はない。水無に対しては十中八九◎が何かをしたのだと思ったが、何をしたのかと確かめに行くことはなかった。伸藤だけ事実確認を試みようとしたが、声を掛ける前に伸藤の接近を察知した◎が女子グループの元へ素早く加わりに行くので成功していない。

「水無、あの様子だと結構しつこく絡みに来るだろうなーって思ってたけどよ、全然だな」
「◎がなんかしたのは確実なんだけどなー。あのタイミングは絶対そうだろ」
「●ってそんな圧かけられるキャラなのか?」
「いやーそういうタイプじゃねえけど、でもさぁ」

 ◎の話をするとき、勝己は決まって会話に加わらない。伸藤が率先的に答えていくので、推測の雑談から先に進むことはない。◎の話を進展させることができるのはこの中では勝己だろうなと滋牙は思っていた。自分たち二人の粗末な頭では現実的な着地点まではたどり着かないだろうと。回答が出ることを期待はしていないが、滋牙は勝己に話の矛先を向けた。

「勝己、なんか聞いてねえの」
「知るか。俺にゃ関係ねぇ」

 これだよ、と滋牙は肩を落とした。◎の話になると勝己は一切答えない。関係ねえ、知らねえ、放っとけ、やめろ。こればっかりだ。仲が険悪というわけでもないのに、こう頑に話したがらないのはどんな理由なんだか。滋牙はまた一つ疑問を置いて口を閉ざした。


 勝己はそっぽを向きながら数日前のことを思い出していた。◎が水無を引き止めた日。
 ◎はいつも一度自宅へ帰宅し、着替えてから爆豪家へ来る。いつもなら十六時を過ぎた頃には既に家にいるのに、その日はいつまで経っても来なかった。夕飯の準備が出来ても来なかったので、光己に「呼んで来て」と言われて渋々迎えに行った。あまり使用しない●家の合鍵を使って家の中に入ると人の気配はなく、部屋まで見に行き電気をつけると◎は制服のままベッドに横になっていた。掛け布団の上に倒れ込んでいたので、帰ってそのまま寝たのかもしれない。◎の体の下にある掛け布団を思い切り持ち上げて無理やり体を転がした。乱暴だが手っ取り早い。体が壁にぶつかり◎は目を覚ましたが、身体を起こしてもしばらくぼーっとしていた。「勝己…?ああ…寝ちゃった…」と掠れた声で言った。寝起きが良くなかったので、過去の◎の行動から二度寝の可能性を鑑みた勝己は部屋の外で待ち、着替えた◎と一緒に自宅へ戻った。家を出る時にはもう完全に目を覚ましていつもの調子に戻っていた。爆豪家へ戻る短い道中「個性使ったから少し疲れちゃった」と◎は惰眠の訳を世間話のように話したが、勝己はそれに答えずに訊く。

『あのアマと何してた』
『女の子同士の話』
『クラスも名前も知らねえやつとか』
『うん』

 何を話したのかを訊くと、◎はうーんと少し考えるような声を漏らした。とりわけ雑談にするほどでもない話題をせがまれて取り上げる時のような様子だった。◎にとっては意識していないことだったらしく、思い出すのに数秒かかった後、興味のなさそうな声で「別に大したことじゃないけど」と前置きした。

『鬱陶しいことしてるなって思ったから、平和的に釘刺しただけ』
『クソが。わざわざお前にお節介焼かれるまでもねんだよ』
『ん?…ふふ、だって勝己のためだけじゃないもの』

 勝己は世話を焼かれたことによって、◎に借りを作ったと思って苦い顔をしていたが、◎の思惑は勝己のフォローとは別にあるようだった。◎の方を向いてその先に続く言葉を待つと、◎は今度は思い出すという工程を挟まず、明瞭な声で勝己に発した。

『私が橋渡ししたのがきっかけで勝己が嫌な思いしたら、私たちフェアじゃないでしょ?万が一私が勝己に同じことされたら文句言えなくなるもの』

 さも当然、というように述べられる理由は完全に自分本位のものだった。勝己のためではなく、あの行動理由は◎が今後、勝己によって不快なことに巻き込まれないための予防線ということらしい。なるほどこいつらしいと思い反射的に小さく鼻で笑ったが、言われるまで◎の考えに推測が伸びなかったことが気に入らなくて勝己は舌打ちで返した。

『…チッ」

 詳細に何を話したのかは不明だが、一回の話し合いで思惑通りに事が運べているという事は、おそらく◎は自分が有利になるセッティングをした上で話をしたのだろう。◎が個性を使わなければならない場所。今の時期ならば気温が低いところか。そんな場所まで移動して、ストレスを感じる気温環境で相手の思考力を奪い、頭の足りない女に行動を制限させる釘を刺したのか。わざわざご苦労なこったと、◎との会話を回想した勝己はフンと鼻を鳴らす。そして水無に腕を取られた時のことを思い出す。

(世話焼かれるまでもなく拒否るわ)

 恋愛には興味ない。浮かれて視野を狭めるはた迷惑な感情だ。今まで勝己にそういう感情を向けた女子の全ては、申し込んだ交際が断られるとあからさまに落ち込むか泣く。その全てに対して勝己は否定的な感情を持った。わざわざ嫌われる為に好きになる、というのがこの目で見て来た恋愛だ。愚かでしかない。そんなものを受け入れるわけがないのだ。
 ◎がそんな面倒なものを持ってきたからといって、仕返しに同じことをするなんて陰湿なことをするつもりはない。勝己が繋ぎになって◎に男が絡んできたら、毎日共に過ごしている勝己の視界にもその恋愛が絡んでくることになる。それは極めて不快で、至極鬱陶しいことだ。
 余計な道草を食わないで、爆豪家で夕飯を食べて家に戻って電気点けて、いつも通り過ごせばいい。どうせふらりと何処かに行った後、◎を連れ戻すのは勝己なのだ。

(ガキの頃からそうだったろ)

 そう勝己は思った。そして古い記憶に瞑想する。
 ◎がいつの間にか離れてしまわないように手を繋ぎ止める。一番古く、やけに象徴的に残る記憶は断片的だが克明だ。あの時から、◎がどこかに行かないように見ていた。そして◎はどこにも行かなくなったはずだった。まさかこんなことで、また勝己の視野から離れるとは予想外だ。
 しょうがねぇやつ、と思考の中で◎にそう投げながら、勝己は滋牙と伸藤の会話を聞き流していた。



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