橋渡し。:近付く因子。






 翌日の放課後のことだ。
 友人二人と帰ろうと下駄箱で靴を履き替えていたとき、後ろからぱたぱたと可愛らしい足音が聞こえてきた。やって来たのは水無で、自分のクラスの下駄箱に行かずに勝己の側に近寄ってきた。

「爆豪くんいたぁ!待って待って!」

 ぶつかるような勢いで勝己の腕を掴み、鈴が転がるような声で制止の言葉を吐くと乱れた息を整えている。勝己は怪訝そうな顔でいくらか身長の低い水無を見下ろした。昇降口に近い場所にいる滋牙と伸藤が興味深そうに二人を見ている。

「一緒に帰ろ?」
「はあ?」

 にっこり微笑む水無は当然のように言った。勝己が機嫌悪そうに低く返すと、水無はあれ?と小首を傾げる。

「…もしかしてまだ●さんからもらってない…?」
「何言ってんだてめぇ。離せよウゼェな」

 勝己は水無の手を払い、二人とともに昇降口を抜けた。まだ内履きだった水無はそれ以上追いかけることができず、慌てて自分のクラスの下駄箱に走った。当然それを勝己が待つはずもなく、二人と合流すると吐き捨てるように言った。

「なんだあいついきなり。キメェ」
「勝己ー、昨日の昼休みに渡したやつ」
「あ?ああ…」

 滋牙に言われて、勝己は昨日爆破した手紙を思い出した。差出人の名前は見たがもう既に忘れているし、勝己は水無の顔を知らない。勝己の中で水無はいきなり現れた見も知らぬ女でしかなかった。手紙を送ってきた女子と思い出しても、初対面には変わりない。いずれにせよ、恋愛関係の申し出はすべて足蹴にしているので、思い出したところで関係はないのだが。

「よかった!受け取ってくれたんだ!」

 後方からまた足音が聞こえてきて、勝己はイラ、と顔を歪めた。滋牙の言葉が聞こえていたらしく、嬉しそうな声を響かせるとまた勝己の腕にしがみついた。学年中の男子から憧れを向けられている自覚があるために、告白と同時に交際がスタートしていると思っている態度だった。
 まとわりつかれている状況に勝己は苛立ち、突き放そうと腕に力を入れる。

「てめぇいい加減に!」

 勝己が水無を振り返るのと、水無の腕が引かれるのはほぼ同時だった。



「いま帰り?」



 にこりと微笑んだ◎が、水無の腕に手を掛けていた。
 ◎の姿を目に入れた勝己は、予想外の事態に瞠目して◎を凝視した。◎が人目につく場所で勝己の傍に近付くことは滅多にないことだ。もっとも、いま◎が用があるのは勝己ではなく水無だ。勝己との接触のカウントに入れてないのかもしれない。
 ◎は水無に顔を寄せて、勝己たちにも聞こえる声量だったが、水無にだけ小さく言葉を向けた。

「ちょっと来て」
「え?何?」
「ここじゃちょっと」

 ◎はちらと勝己を見て、触れている水無の腕を促すようにくいと引いた。水無は名残惜しそうに勝己を見ていたが、内緒話をするような◎の態度に親身さを感じて、何かアドバイスをくれるのだろうかと思った。◎の方へそろりと一歩足を向けると、◎はそのまま腕を引いて校舎の方へ戻っていく。歩み出す手前、◎はもう一度勝己たちの様子を見たが、すぐに何も言わないまま踵を返して水無を連れてその場を離れた。
 三人はしばらくその様子を見ていたが、◎と水無が数歩離れたところで勝己が歩き出した。帰路に向かって。

「あ、おい勝己っ?あれ放っといていいのか?」
「なんで俺が構う必要あんだよ」

 滋牙と伸藤が勝己の後に続き問いかけるが、勝己はあの二人に対して我関せずの態度で返した。いや、だってさ、と滋牙は尻窄みに言葉を続けたが、それから先を言うのは憚った。女二人に男一人のこの現場に「修羅場じゃん」と思いつつ、その単語は絶対に勝己が怒ると確信したからだった。

 だが、修羅場というのは正しいのか、と滋牙は考える。◎が勝己に好意を抱いているならそれも成立するだろうが、先程◎から感じたのは女子独特の親密さだった。あの二人の雰囲気から、勝己を怒らせている水無に◎は接し方について助言を授けるのだろうか、と反射的に滋牙は推測した。側から見て明らかにそう見えた。しかし、助言など与えて水無の行動が助長したら、勝己は不快に違いないはずだ。助言を阻止するために「なにコソコソ話してんだクソアマ!」と怒鳴ってもいいように思える。なのに放置。もしかして勝己は◎が苦手で、だから話したがらないし、関わりたくないのか?そう流れる思考は、これまで二人に抱いていた印象と照らし合わせると納得しやすい理由である気がして、滋牙はこれまでの数少ない二人に関する記憶を振り返った。頭でそう推測の素材を並べながら、足は先を進む勝己のペースに合わせて前に進める。

 二人を追い掛けて戻るというのはもう三人の中から選択肢として消えた。伸藤は昇降口が見えなくなるまで何度か二人を振り返っていたが、校門を抜けて道を曲がると前を行く二人の歩調に合わせ始める。はーと息を吐くと誰に言うともなく、しかし呟きにしては大きな声で言った。

「俺◎ってカツキにビビってるんだと思ってたわ」
「そうか?」
「だってさーほら、カツキがいる時は近付いて来ねえじゃん」
「ああ…まあ、近くにいんの初めて見たな」

 会話に勝己は参加せず、伸藤と滋牙が応答する。伸藤の言う通り、少なくとも滋牙は視界の中に勝己と◎を同時に映したのは初めてだった。
 滋牙と伸藤は校内でほぼ勝己と一緒にいる。昨日の昼休みに滋牙と伸藤には接触したのに、勝己が現れる前に早々に姿を消した。そもそも家に帰ればすぐに会える距離なのに滋牙に託したということは、極力関わりたくないという意思表示に思える。ということから伸藤は、◎は勝己を避けている、という推測に至った。先ほど勝己の様子を伺うような視線を向けたのも、◎が勝己を畏怖していることの表れかと思った。が、意外に表情に余裕があってあれ?と首を傾げる。それまでの認識が改まったわけではないが、少なくともビビっているわけではない可能性が頭の中に浮かんでいる。
 ◎が勝己に対してどう思っているのかはよくわからないが、別に明確な答えを追究するつもりはなかった。そもそも女子の考えていることは◎に限らずよくわからないのだ。◎と勝己が帰宅後気兼ねなく話していることなど知らない伸藤は、この二人に訊いてもわからないだろうなと思い会話を掘り下げることはしなかった。だが、昨日の◎の言葉を思い出し、一つだけぽつりと呟いた。

「でもさ、◎のやつクラスも名前もわからないって言ってなかったっけ?」

 そうまでして勝己との接触を避けたいのに、わざわざ見知らぬ女子と勝己に近付いた理由。水無の態度に気を悪くした勝己が、橋渡しをした◎に怒りの矛先を向けると思って止めたのだろうか。だったらやっぱりビビってるのか?推測を巡らせたが結局元の場所に戻ってきて、伸藤は正解を導き出す想像を億劫に思って諦めた。



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