橋渡し。:彼らの距離感。






 図書室は教室がある校舎とは別にある。渡り廊下を進んでいると、◎の目の前をポーンとゴムボールが横切りながら跳ねた。視界に入るように投げたであろうそれを誰が投げたのか、◎は予想がついていた。ついていたので無視を決め込んでそのまま進もうとしたが、あ、と足を止めてボールが飛んで来た方向を見る。◎の視線の先にはこちらを見ている者が二人。いつも勝己と行動している男子だ。幼馴染の一人でもある外ハネのボブでタレ目の伸藤。元からわかってはいたが、ニヤニヤ笑っているところを見るとゴムボールを投げたのは伸藤で間違いない。髪をアップにセットしている滋牙は中学からの勝己の友人で、今は呆れ顔でポケットに手を突っ込んでいる。
 その中に勝己がいないことを確認すると、片方に◎は笑って「滋牙くん」と手招きをする。まさか呼ばれると思っていなかった滋牙は心底意外そうな顔で近づいて来た。◎にとっては非常に残念ながら伸藤も伴って来た。

「どした、●」
「なんだよ◎」
「ちょうどよかった滋牙くん。これ爆豪くんに、私の友達からって言って渡してくれる?」
「っかー!またかよ勝己!」
「俺に頼めばよくね?」

 ◎は本の間から手紙を取り出して滋牙に渡した。その間も話しかけてくる伸藤に対しては、◎はまるで存在が見えていないかのように無視した。滋牙が二人の様子を見て少し居心地悪そうな声を出して、取り持とうと考えたが、面倒になってそのまま◎と話す。

「あー…、返事は●に?」
「ううん。私もクラスと名前わからないから、返事するなら本人に直接お願い」
「なんだそりゃ。友達なんだろ?」
「本人の希望なの。そういうことにしておいて。曰く、私の友達からだって言うと受け取ってくれるんですって」
「あー、幼馴染だっけか。一緒にいるとこ見たことねぇけどな?」
「おい◎、俺を無視すん」
「じゃあよろしく」

 伸藤が◎の肩に触れようとすると躱すように◎は二人から離れて渡り廊下を進んでいった。歩調がいつもより速いのは確実に伸藤の存在が影響している。滋牙は◎が伸藤をあからさまに避けていて、伸藤は◎にちょっかいかけようとしているのを承知している。苦笑いを浮かべると「お前●に嫌われてるよなぁ」と気の毒そうに言った。伸藤は至極面白くなさそうに地団駄を踏む。

「くっそー、あいつガキの時スカート捲ったことまだ怒ってんのかよ!可愛い子供のイタズラだろー!」
「自分で言うなっつーの。女子に嫌われる主な原因なんてそれだろ。お前その他にも虫投げたりしたんじゃねえだろうな」
「しっ…てねえよ!」
(してたなこりゃ)

 おおよそ悪ガキが好きな女子にしそうなイタズラを言ってみると案の定伸藤は目を泳がせながら否定した。期待を裏切らないやつだ。それ以上伸藤の過ちを口にするのが無駄な気がして、滋牙は◎に渡された手紙の差出人を見た。が、無記名だ。「愛しの爆豪君へ」なんて宛名もない。滋牙はなんの後ろめたさもなく、手紙の封を切って手紙を出した。中にはパステルカラーのペンで書かれた丸文字が並んでおり、女子にしか書けない手紙だなという印象を受ける。側から見ても恋愛フィルターがかかってることが丸わかりな勝己への印象やら、好きになったきっかけやら、ラブレターのテンプレのような「ずっと好きでした」「付き合ってください」などの内容が並んでいる。へえ〜とニヤニヤと手紙を読んでいると、便箋の一番最後に書いてある名前を見て、滋牙は「は!?」と声を上げた。

「なんだよ」
「これ水無からだ!」
「え、マジで!?カツキすっげぇ!」

 水無、というのは無論◎にラブレターを渡したあの少女である。クラスは勝己たちとも◎とも異なるが、二人はその少女を知っていた。何故二人があの少女からの手紙に興奮しているかというと、彼女は男受けがいい事に定評があり、この学年の男子なら一度は彼女にしたいと意識した事があると言っても過言ではない女子なのだ。背が低くて無邪気な笑顔が愛らしく守ってあげたくなる、女の子を極めたような女の子だ。振ったことはあっても振られたことはない。誰が告白して付き合ったとか玉砕したとか、六股したとか誰とヤッたとか、色恋の噂は数知れず。そんな話の渦中にもなりやすい子だった。根も葉もない噂なのか真実なのかは本人のみぞ知るところだ。
 滋牙はあからさまに溜息を吐いて便箋を畳んだ。

「マジかー水無勝己のこと好きなのかよー」
「え、なにお前狙ってたの?無理無理絶ッ対無理。諦めろ。水無は面食いだぞ」
「わーってるっつの!別に狙ってねえよ!つーか●に全然相手にされてねえお前に言われたくねーわ」
「はっ…はあ!?関係ねーだろ!?つーかあんな可愛くねー女、別に相手にされても嬉しくねーし!」

 売り言葉に買い言葉の如く、貶し合いの言い争いの最中、小用で外していた勝己が戻ってきた。二人の様子を見ると、あ?と声を漏らす。掛け合いの内容を聞いていると勝己にとっては極めて下らない内容で、呆れ顔で眉間に皺を寄せると面倒臭そうに二人に近づいた。
「るっせぇな…てめぇら何騒いでやがんだよ」
「お、勝己ー。これ●から」
「あァ?わけねぇだろ」

 差し出された手紙と共に出た幼馴染の名前に、勝己はほぼ即答した。◎が学校で接触を図るわけがないのと、とても◎が用意したとは思えない色合いの手紙であることと、◎からであるならば滋牙よりも伸藤の方が積極的に手紙を開くだろうという推理を瞬時に弾き出して、勝己はそれが◎からのものではないと理解した。実際滋牙に渡したのは◎かもしれないが、発信者ではないのは明らかだ。
 勝己は滋牙の手からぴっと受け取ると、無記名の封筒を見、それから便箋に目を移した。便箋に書いてある愛の告白を上からざっと流し見て、視界に映る内容に眉間を寄せながら最後に目を向ける。名前を目に入れた瞬間だけ目の動きを止めたが、すぐにくしゃっと握り潰すと音を立てて爆破した。

「は!?おいバカ勝己!うっわもったいねー!」
「ああ!?誰が馬鹿だコラ!」
「カツキ女に興味ないの?水無だぜ?学年で一番人気の女子だぜ?」
「知るかこんな女。ツラツラときめぇ。おい、次なんか来ても受けとんな。めんどくせぇ」
「あー…なんでこんな奴がモテんだよ…」
「カツキは普通にしてりゃ面は悪くねえからなァ」
「んだてめぇら!文句あんのか!?ああ!?」
「ねえ!ねぇって!」

 ボボボ!と勝己の掌で小規模だが連続的な爆破が起きる。流石にマズイと思った滋牙が宥めの体制に移った。苦笑いで勝己の苛立ちが収まるのを待っていると、不意にあ、と思いついたことを勝己に向けて放つ。

「そういやよ、今まで別に訊かなかったけど、勝己って●と仲良いのか?実際」
「あー?」

 気を逸らそうという意識も含まれており、少し早口になる。滋牙の問いに対して勝己は怪訝な顔をして拳を握る。爆破を収める代わりに、手を開くのと握るのを交互に繰り返した。
 滋牙は続ける。

「だって何回か●が橋渡し頼まれてんだろ?俺はお前らが話してるの見た事ねえけど、接点なきゃ頼まねえだろ」
「知るか。家が近ぇからだろ」
「近ぇっつーか隣じゃん」
「るせぇな。あいつの話やめろ」

 それ以上は話したくなさそうに手で払う仕草をした。とりあえず爆破を起こさない程度に勝己の苛立ちが収まった様子は察したので、言う通りにその話題を継続することは控えた。間も無く予鈴が鳴り、教室に戻るべく昇降口に向かう。
 勝己と◎の間柄について、滋牙は実は密かに気にはなっていた。熱心に知りたい訳ではないが、この二人は表面上の関係以外に、密接な部分があるように感じているのだ。風の噂で小学校の時はとても仲が良かったとか、果ては付き合っているとか、でも本人たちは否定してるとか、そんな話を度々耳にしたことがある。普通幼馴染であれば、◎と伸藤の距離感程度には話したり(あれは会話ではないが)、顔を合わせるものではないだろうか。 勝己と◎は一切話さない。先程も、勝己が不在でなければ◎が滋牙を呼ぶことはなかっただろう。これはほぼ確信である。この二人はお互いを意識的に避けている。だけどそれぞれへの嫌悪感はない。嫌いであるならば、それぞれが相手の話題を口にする時、もっと嫌そうな顔をするのが当然ではないか。少なくとも勝己の性格なら嫌いな感情を隠そうとしない。

(●の話を出した途端、大人しくなったしな…)

 瞬間湯沸かし器ならぬ瞬間湯冷まし器となっている◎の影響力について、滋牙は偉大さを感じていた。勝己が学年のアイドル水無の好意を無下にしたのも、二人が懇意にしているなら合点がいく。少なくとも勝己は◎を憎からず思っているのは察している。これといった根拠はないのに、滋牙はこの二人の間に信頼関係があるような気がしていた。それが隣家という密接な距離間で育ったからなのか、未だに一部で囁かれている恋愛関係にあるからなのかは不明だが。

(後者だったら伸藤が不憫すぎるな)

 少しは伸藤に優しくしてやった方がいいかな、と一瞬過ったが、これは滋牙の推測の域を出ない話だ。本当のところは知らないので、今までと何も変えることはない。そう結論づけた。



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