橋渡し。:信頼のラブレター受け渡し係。
◎は差し出された手紙を異物を見る気持ちで見つめた。こんなものは今まで見たことがない。だけど興味は一切湧かない。そんな気持ちだ。
実際には何度か見たことがあるし、この状況もこの空き教室に入った時点から確信していた。そして見事に予想通りだ。
この空間で自分と相手しかいない秘密めいた呼び出し。手紙の向こうには紅潮した頬の恋に恋したような顔の女子。耳まで真っ赤にしていじらしいことこの上ない。廊下の外で昼休みを満喫する騒めきたちは、ここに二人がいることなんか気付きもしないだろう。
「●さん、爆豪くんと仲良いんでしょ?これ、爆豪くんに渡してくれないかな…」
要は橋渡しだ。小学校の途中から、学校で勝己との接触は控えているというのに。
だが、この中学にいる三分の一程度は同じ小学校だ。◎と勝己が幼馴染で、且つ、他より近い場所で育ったことを知っている者がいてもおかしくないし、その者から話を聞いている可能性は多分にある。というよりそれ以外に考えられない。◎と勝己は互いに用があっても決して学校では話さないのだから。
理由は単純明快、周囲の色気づいた思い込みと冷やかしが鬱陶しい以外の何者でもないからだ。ただ単に家族同然であるが故の親しさを、男女だというだけで「付き合ってる」と言い出す思春期真っ盛りの恋愛に興味津々な同級生たち。そんな全身に鳥肌が立つような頓珍漢な推測の渦中に二度と引き込まれたくないのだ。他人行儀に「爆豪くん」なんて呼び方すら変えているのに、人に植えついてしまった認識とはなんと根強いことか。
「私と爆豪くん、仲良いように見える?」
「でも、仲良いんだよね?」
…会話が成立しない。◎は平素と同様に微笑みを携えていたが、内心では重い溜息を吐いた。
目の前の少女は先に誰かから仕入れた、●◎と爆豪勝己は親しい間柄であるという情報を心から信じて疑わないらしい。当事者が目の前にいるというのに。
まぁ、と思考に一拍置く。勝己の周りの男子に頼むとラブレターを回し読みされる、本人に渡そうとすれば受け取ってもらえない、下駄箱や机に入れれば読む前に捨てられる…という噂があるのは承知している。そんな状況下では、頼みの綱は◎しかいないのだろう。きっと女子の気持ちをわかってくれると一方的に希望を託しているのだ。自分の持つ情報を相手に押し付ける程度には切羽詰まってるのかもしれない。
しかし知ったことではない。
ちなみに余談であるが、勝己は多くの女子から好意を向けられている訳ではない。粗暴な不良など近付くことすら怖いと思う女子が大半だ。それでも一部の女子は「成績が学年トップなのにちょっと悪いところがかっこいい」と勝己に憧れている。その好意を素直に受け入れれば爆豪勝己宛のラブレターの末路なんて噂にも上らないのに、わざわざ無下にしている行為が反感を買って噂を広めてしまっている。故に、逆恨みか妬みか知らないが、噂の一部は事実と異なる内容で広まっている。感情とゴシップで占められた伝言ゲームなどそんなものなのだろう。数自体は目立って多くないが勝己自身の存在が目立つこともあって、噂の成長は早かった。
前頼まれた時、素直に本人へ渡さなければ良かったと後悔する。その結果がこの面倒くさい現状だ。
◎は意識的に、誰が見てもわかりやすいように少し困った顔をした。こんな大切なものを託されてもちゃんと渡せるかわからないわ、というニュアンスを含めて。目の前にいる盲目的な少女に伝わっているかは不明だが。おそらく伝わってない。
「家のポストに入れれば大丈夫?」
「いやダメ!友達からって言って爆豪くんに渡して!」
「でも、私いまは爆豪くんと全然話さないし…それに私たち初対面よね。少なくとも話したのは初めてよ」
「●さんからだったら受け取るって聞いたもん!」
どこの誰から聞いたのだろうか。自分自身で渡すことすらできない手紙など、どこを経由しても結局は行き先が同じなのに。
遠慮のない彼女にこれ以上拒否を伝えても時間の無駄だ。こういう自分本位の女は自分の思うようにことが運ばないと根拠のない思い込みを真実のように語り出す。
『なんで受けてくれないの!?渡すだけでしょ!●さんも爆豪くんのことが好きなんだ!』
(…あ、すごいリアルに浮かぶ)
昼休みのうちに借りている本を図書室に返しに行きたい、と思考が頭を占め始めた。放課後は早急に帰りたいので雑用は昼休みのうちに済ませてしまいたい。もはや目の前の少女と会話する気は毛頭なかった。会話が成立しないし、こちらの言葉に耳を傾けないのだ。
状況としては話しかければ反応して声を出すおもちゃと変わりないのである。あれはおもちゃなのに声を出すから楽しい。楽しいから好きになれるのだ。残念ながら現状はまったく楽しくない。むしろ相手には意思がある分質が悪い。一刻も早くこの場から解放されるのが◎にとっての最優先事項だ。
それでも、「爆豪勝己とは現在は接点がない」という演出のために、◎は躊躇う手つきで手紙を受け取った。
「爆豪くんに渡せばいいのね」
「うん!お願いね!」
ホッと安心した少女は、至極幸せそうな満面の笑みで言った。高揚した声は、何故だかもう自分の恋が成就したことを信じているようだ。◎が学校のあらゆるゴミ箱を思い浮かべながら、どこのゴミ箱ならこの子に見つからないかしら、と考えているなんて微塵も思いつかない能天気さだった。
少女は自分の用が済んだら潔く◎から離れ、「絶対よ!」と笑顔で言い捨てて颯爽と空き教室を出て行った。
一人ぽつねんと残された◎は、さて、と手元の手紙に目を落とす。ファンシーなデザインのピンク色の封筒にハートのラメ付きシールが貼り付けてある。いかにも女の子が好きそうな、とでも言えばいいだろうか。年相応だと思ったが、◎とは違うタイプの女子の趣味だった。
昼休みはあと二十分。手には返却する本を持っている。そのまま直で図書室に行こうと◎も教室を出た。手紙はもはや紙切れとしか思えなかったが、落とさないように本の表紙の裏に挟み込んだ時、はっと閃いた。このまま本の栞にしてしまって次に借りた人が謎のラブレターを見つける、というのは面白いかもしれない。貸し出し頻度の低い本を選んで数年後の後輩に名前を知られるなんて、なかなかロマンチックではないか。爆豪勝己の名前も知られることになるが、彼はこの学校史上初で唯一の雄英進学者になると豪語しているし、それを達成するだろう。ゆくゆくは高額納税者ランキングに名前を刻むとも言っている。そうなれば抗いようもなく有名人間違いなしだ。そんな人への手紙だ。学生時代から異性に好意を持たれていた証拠があれば後輩たちに対して箔がつくだろう。何せ思春期は恋愛が大好きな生き物だ。爆豪勝己という男は自分たちの歳の頃からもう勝ち組だったのか、などと思うのは想像に難くない。いや、逆に誰も借りないまま見つけられない、という可能性もある。やがて破棄される本の中で、恋心を誰にも知られることがないままひっそりと焼却され灰になるのも、諸行無常の趣があってなかなか感慨深い最期だ。こんな手紙には勿体無いくらいの終わりかもしれない。
しかし、◎にとっては無用でしかない先の出来事のせいで、自分が読む本を選ぶ時間すら多くはない。つまり貸し出し頻度の低い本を選んでる時間などない。そんな暇つぶしのためにこんな紙切れを長く持っていたくもない。やはりこの手紙はゴミ箱行きにしよう、と◎は一切の未練なく己の思い付きを瞬時に無下にした。
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