マフィン。:舞い上がる人々






 小用を済ませてトイレを出る手前、待ち構えたような女子二人組が目につく。



 何故男子トイレの前に女子が待機しているのか。
 男子トイレの中には勝己しかいない。



 この女子がこの場にいる理由を推測した勝己は眉間に皺を寄せた。なんで俺だよ、とあからさまに嫌な気持ちになる。話しかけられる前に通り過ぎようと足早にトイレを出た。
 しかし女子は慌てて声をかけてきた。



「か、勝己!お腹空いてない?調理実習でマフィン作ったんだけど、よかったら食べないっ?」

「いらねぇ」



 上ずった声にぴしゃりと言い放つ。だが女子は小走りに追い掛けて来た。
 非常に面倒臭さを感じたが、このまま教室までついて来られても鬱陶しい。勝己は足を止め、思考がそのまま顔に出てることを隠さずに渋々振り返る。平たく言うとめちゃくちゃ機嫌の悪い顔をしていたのだが、勝己が立ち止まると声をかけて来た女子はホッとした顔を見せた。


 見るからに、一人じゃ渡すの無理だから友達に付き添ってもらいました、という感じの二人組だ。

 先ほどから勝己に頑張って話しかけており、顔を真っ赤にさせてマフィンを抱えている方は一年の時に同じクラスだった気がする。が、名前は覚えていない。連れの女子に至っては初めて見る。女子にしては背が高い。愛想のない顔だ。

「いらねーよ。飯食ったばっかだぞ」

「あっ、そっか…。いや、別に今じゃなくてもいいんだけど…帰りとかさ、お腹空いちゃうじゃん?」

「いらねーっつってんだろ。頼んでねぇわ」

 気弱そうなくせにやけに食いついてくる。どうせろくなもんを作ってねえだろとイラつく。この空気に感化されて渡そうとしてきているのが明らかだった。何が何でも渡そうとして食い下がってくる態度を突き返そうと思い答えると、無意識に声に怒気が含まれていく。

 勝己の態度に腹を立てたのは連れの背の高い女子の方で、不服そうに顔を歪めると強気に口を開いた。

「ちょっと爆豪何なのその言い方!人がせっかく」

「ああ!?しつけぇぞ!」

 自分たちの行為を受け入れて当然、とでも思っている反論が勝己の神経をかなり逆撫でした。押し付けがましさに語気が荒れ眉間が寄る。ひどくイラついた顔で睨む勝己に二人はビクッと肩を上げ、口を結んでそれ以上は何も言わなかった。
 数秒威嚇するように睨んだが、それ以上は絡んで来なさそうだったので、踵を返して教室へ向かった。

 好意的に思っているならせめて癪に触る言動すんじゃねぇよと内心吐き捨てる。背後で神妙な空気と慰めるような小声が聞こえたが無視した。
 くそ、と舌打ちが出た。

(めんっどくせぇ。どいつもこいつも浮かれやがって)



 イライラが収まらないまま隣のクラスの脇を通りかかる。聞く気は無かったが、「●さん」という声に耳がそちらに傾いた。幼馴染の名字である。

 反射的にその方を見ると、廊下で待機してた男子が教室に向かって歩いていくのが見えた。中には入らず、相手とはドアのレールを間に挟んで中と外で向かい合っているようだ。男子は少し声を抑えて他に聞かれないように配慮している様子だった。

 緊張している様子ははたから見ても、この空気に感化されて舞い上がってるのがわかる。
 目を向けた時はまだ教室の中が見えなかったが、おそらくこの柔和そうな男子の前には◎がいるんだろう。

「調理実習のマフィンって誰かにあげた?」

「ううん。私は自分で食べるつもり」

「二個あるよね?よかったら一つくれない、かな。いや、別に他意はないんだけどさ、その、ほら、
給食じゃ足りなくって」

「ごめんね。失敗したかもしれないの。綿貫くんさっき布佐さんにもらってなかったっけ?」

「あー…あれは義理っていうか、数に入らないっていうか、布佐の料理ってあんまり…」

「あら。布佐さん頑張って作ってたのに、食べる前から貶すなんてひどいわ」

「あ!いや、別に貶してるわけじゃなくて、布佐はーあの、なんていうか…」

 腐れ縁だし、とごにょごにょ歯切れ悪く話す綿貫とやら。その様子すら勝己の癪に障った。腐れ縁だからなんだよ。味の話と腐れ縁は全然関係ねえだろ。貰ってることには変わりねぇんだから大人しくあるもん食えや、と。

 普段ならどこの誰が誰に話しかけても自分に関係なければ問題ない。が、勝己はいまこの学年に蔓延している空気に腹の底からイラついている。学年ごとに階が分かれているので、この階にいる全員がウザい。誇張ではなく本当にそう思っていた。

 何故ならこの雰囲気に毒されてない者が勝己の親しい中にはいないからだ。友人は来もしない差し入れを心待ちにしているし、隣家の幼馴染は誰かもわからない男子から例のマフィンをせびられている。自分だけが蚊帳の外にいると思っていたらそれも全く見当違いで、名前も知らないモブの女子に絡まれる始末。緩み切った雰囲気。甘ったるい匂い。たかだか調理実習の菓子くらいで浮かれる連中。その渦中に巻き込まれる自分。今日は地獄の日だ。


(つーか、綿貫…誰だよ)


 極めて最近名前を聞いた気がするが全く思い出せなかった。

 苦い物でも噛んだような不快な顔でその綿貫を睨みながら歩くと、勝己に気付いた◎と一瞬目が合った。
 ◎はその瞬間に勝己から目を逸らし、「ごめんね、私図書室行くから」と綿貫に朗らかに笑って廊下に出る。

 勝己のすぐ横を通り過ぎたが互いに声をかけることはなく、◎は勝己の進行方向とは反対に颯爽と歩いていった。学校の中ではそれがいつものことなので勝己も気にせず歩調を緩めないまま教室へ向かう。

 綿貫は「あっ」と声を漏らす。捕まえようとした蝶に逃げられたような声だった。◎を追い掛けようとしたが、体の向きを変えた瞬間に勝己とモロにぶつかった。

「ってェな!どこに目ェつけてんだ!」

「わっ、ごめん爆豪くん!」

 勝己の存在には全く気付かなかったらしい。綿貫は笑って誤魔化そうというような困り笑顔で手を合わせて勝己に謝った。
 勝己は聞こえるように舌打ちをした上で「クソが」と言って綿貫にメンチを切りながら遅足にその前を通る。隣のクラスのドアを通り過ぎた辺りで目を逸らし、自分の教室に戻った。




















 午後の移動教室から戻り席に着くと、違和感に気付いた。勝己の机や鞄の中に何個かのマフィンが入っている。
 顔の筋肉がピクリと痙攣した。無論、苛立ちでだ。それだけがぽんと入れられており、誰からとわかるものは一切入っていない。
 勝己の様子に気付いた友人は後ろから覗き込み、マフィンを見つけるや否や肩を組んで絡みついてきた。

「おいおい、なんでカツキだけ!?」

「世の中間違ってる!俺たちはこんなに欲してるのにー!」

「だあああーうるッせぇ!やるよウッゼェな!」

「おお、勝己様!なんというご慈悲!」

「死ね!」

 耳元で叫ばれて五月蝿い。机と鞄からマフィンを引っ張り出すと八つ当たりの如く友人に投げつけた。


 こんな誰が作ったかもわからないもののために騒がれて鬱陶しい。しかも勝己宛のマフィンを横流しされても喜んでいるあたり、もう既に女子からもらうことではなく、お菓子を得ること自体に目的がすり替わっている。どうせ友人らが受け取らなかったらゴミ箱行きだ。喜ぶならやる。
 友人に撒き餌をして追い払った後、机上に足を投げ出し、椅子を傾けて座った。
 苦笑いの女子がヒソヒソと勝己を見ていた。

 ああくそ、と頭の中で何度目かわからない繰り言が回る。イライラが蠢く。何もかも鬱陶しい。思い切り暴れたいという衝動が体中を巡って収まる気配がなかった。

 さっさと終われ今日、と延々と強く願った。



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