幸せの権利.2
ある日、手紙で屋上に呼び出されてまた知らない女の子から告白された。俺は「好きな人がいるから」と断った。そういえば今までより簡単に引き下がってくれることに気付いたのだ。その女の子は泣きながら「わかりました」と言って屋上から立ち去っていった。重い音がして屋上の錆びたドアが閉まると、俺は溜息を吐いた。
何故相手に認識されていない状態で告白する気になるのだろうか。知らない子に好きだと言われて、泣かれる俺の身にもなってほしい。何度もそういうことがあったが、やはり女の子に泣かれるのはいつまでも慣れない。
両腕を上げて伸びをすると、こき、と肩が鳴った。そのまま首を上に向けると、広がる景色に魅了された。雲が鮮やかな橙色に染まっている。もう夕暮れかと思い、久々にのんびり夕陽でも眺めようと移動した。西側の手摺りまで移動すると、それまで入り口で死角になっていた景色が広がり、俺は絶句した。予想外に、そこに人がいたのだ。金髪で、膝丈のスカートを風になびかせている細身の女子生徒。その後ろ姿は毎週体育の時間見ている姿と同じで、それが彼女だということはすぐにわかった。
声をかけようか迷っているところで、彼女が俺の気配に気付いたらしく振り向いた。金髪が夕陽を浴びて、美しく輝いた。神々しくも見えるその姿に、一瞬胸が高く鳴った。逆光で見えなかったが、恐らく彼女は驚いていた。だが、すぐにそう思えさせないような自然な仕草で、恭しく会釈した。俺もそれに応えて軽く頭を下げると、彼女は再び夕陽に視線を戻した。その近くに行って良いのか迷ったが、まったく知らない間柄でもないのだしと思い、躊躇いながらもその隣に立った。久々に見る夕陽は鮮やかで、綺麗だった。
「先輩はいつも告白されていらっしゃいますね」
突然隣からそう言われて、咄嗟に彼女を見た。でも彼女はじっと夕陽を見ていて、こちらを見ていなかった。まさか話し掛けられるとは思わなかったため、俺はなんて答えていいのかわからず、夕陽へ目を逸らして曖昧に答えた。
先程のを聞かれていたのだろうか。もし聞かれたとしても、彼女からはすでに図書室での告白現場を見られたのだから、先程のを見られても別に大したことはないのだ。それでも何故か告白されたのを見られたというのは気まずいもので、俺は彼女を見ることができなかった。
沈んでいく夕陽をずっと眺めていたが、隣から聞こえたバイブ音に反応してそちらを見た。それは彼女の携帯電話から鳴っていて、彼女はポケットから携帯電話を取り出すと通話ボタンを押して、誰かと少し話した。十秒もしないうちに通話を終了すると、彼女は俺を見上げた。
「迎えが来ましたので、失礼します」
俺はそう言う彼女に「ああ…うん」と変な返事をし、手摺りから離れた彼女を見た。彼女は鞄を手に持つと、俺に振り返って「ごきげんよう」と一礼して立ち去った。見えなくなるまでその姿を見送り、俺は再び夕陽を見た。相変わらず夕陽は空と雲を染めて鮮やかな景色を誇っているのに、どこか寂しかった。それは隣にあった気配がなくなったからだと、すぐにわかった。
*
知人が入院した。胃腸炎を起こしたらしい。入院生活は暇で仕方ないらしく、見舞いを催促された。消化器官の炎症だから食物のお見舞いは持ってこなかった。
自動ドアを通過して院内に入ると、清潔な印象の白い壁とフロアが広がる。病室を尋ねようと受け付けを目指すと、俺が歩いてきた反対方向から彼女が歩いてきた。だが一人ではなく、スーツを着た男性と一緒にいた。彼女と顔立ちが似ているため家族の誰かだろう。父親にしては若く見えるため、恐らくお兄さんなのだと思った。彼女は暗い表情で、俯き加減で人形のように静かに歩いていた。ふと視線を上げて俺に気付くと、口を薄く開きかけ、すぐに閉じて再び視線を落とした。すれ違いざまに軽く会釈をして、何も言わないまま俺の隣を過ぎ去っていった。いつも礼儀正しく挨拶をしていくのに、無言で立ち去った彼女に俺は不安を抱いた。
もしかして病気なのだろうか、体育のたびに病弱そうだと思っているのに、いざ本当に病気なのかと予感すると動揺した。
振り向いて彼女の姿を見たが、細い身体は既に自動ドアの向こう側を歩いていた。
*
「これあげる」
週末、久々に俺の家に遊びに来たキラが、そう言って突然差し出したのは、横長の長方形の封筒。机に着いていた俺は隣に立つキラを見上げ、訳が解らないままそれを受け取った。封筒を開いて中身を出すと、チケットが二枚。しかし俺には縁遠いものだった。
「クラシックコンサート…?」
正直、俺は音楽に疎い。歌なんて上手く歌えないし、静かな曲なんて聴こうものならすぐに寝入ってしまう。友人が演奏するピアノでさえも眠ってしまったのだ。だから俺はクラシックなんて興味ないし、むしろ無条件に睡魔を与えるそれが少し苦手でもあるのだ。それはキラも同じはずなのに、何故こんなものを持っているのだろう。
「それね、レイが行きたがってるんだけど、僕行けなくなっちゃったから、アスランがレイと行ってあげて」
ああ、そういうことか。
俺は彼女が図書室で楽譜を見ているのを思い出し、納得した。
しかし、キラは彼女のことが好きなはずなのに、何故他の予定を断ってまでこのコンサートに行かないのだろう。しかも俺に渡す理由が解らない。俺と彼女は顔見知り程度で、仲が良いわけじゃない。それだったら、彼女にまとめてあげて、家族とか友達とかと一緒に行った方が有意義だろう。
そう問うと、キラから一刀両断された。
「レイって友達作らないからいないし、家族もみんな仕事とかだったから、僕が一緒に行く予定だったの。一人だったら、レイたぶん行かないし」
俺の提案は次々にキラにダメ出しされてしまった。そう言われてしまったら、俺が行くしかないような気がしてきた。ただし、俺が一緒でも彼女が行きたがるかどうかが問題だと思うが。それでも、体育の時間に無表情でクラスメイトの授業風景を見ている彼女や、先日病院で見た彼女の暗い表情を思い出すと、せっかく彼女が楽しめる機会があるなら存分に楽しんでほしいと思う。
ダメ元で誘ってみるかと思い、溜息を吐いて苦笑しながらキラに了承した。キラは俺の返答を聞いてホッと息を吐き、安心した表情を見せた。そして「ありがとう」と言うと、しばらく俺を見つめて、ぽつりと俺の名前を呼んだ。俺は日時の確認のためチケットに向けていた視線をキラに上げた。
「早くレイにコクってね」
数秒、その言葉が理解できなかった。俺の動きは完全に止まり、瞠目したままキラの笑顔を見つめた。
それは、俺が自分で気付かないうちに、彼女に好意を抱いているということか。まさか。何を言ってるんだ、キラ。
そう言おうとしたのに、キラの発言を否定する言葉はちっとも出なかった。
それは…つまり。
*