marbling/2






(お粗末/あつトド)

 まさぐられているような感覚に違和感を覚えて、自分の瞼がぴくりと動いたのがわかった。熱っぽい息遣いと、体に触れられている感触に、あれ、と思う。僕、どうしたんだっけ…。
 酒臭い冷たく濡れた感触が唇に触れた数秒後、はっと目が開いた。正面にある体を叩きつけるように力一杯押すと、相手は僕が押した力のままに体を離し、短く息を呑んだ。寝起きと酔いで力は入ってなかったから、強い力で抵抗されたから驚いたというより、僕が動いたということに反応をしたようだった。頭がまだぼんやりしているけど、今自分の身が危機に触れているという事は本能的にわかった。
 判断力のなかった頭が冷静になってくると、視界に映る人物に今度は頭が真っ白になった。
 ―――あ
「あつし、くん」
「…」
 僕は明らかにキスをされていた。
 これが酔った勢いで夢うつつにやっちゃったとかだったら、男同士だし別に水に流したんだけど、そうじゃないなっていうのはあつしくんの顔を見て察してしまった。顔に書いてる、って表現があるけど、本当にそれだった。あつしくんは確実に「ヤバい」っていう表情をしていた。僕以上に驚いているらしく、見開いた目を僕に向けたままあつしくんは硬直し続けている。だから僕も、笑って誤魔化すことができなくて、ああ、いま「あつしくんってば何やってるの〜」とか茶化したら、この状況をどうにかできたのに、とか一瞬の間に思っていた。頭は真っ白なのに、頭は台風みたいに激流していた。
 え。
「な、にやってんの」
 声がかすれてる。酒で喉が潰れてまともに発声できない。いや、酒だけじゃなくて、動揺してか細い声しかでなかった。
 しばらく沈黙していたけど、しばらくしてあつしくんが口を開いた。
「ごめん」
 と。ただ一言をぽつりとそれだけ言った。
 いや、僕が聞きたいのはそういうことじゃなくて…と思ったけど、じゃあ何が聞きたいのかと自問したら何もでてこなかった。別にあつしくんから何を言ってほしいとかじゃなくて、ただこの状況を否定してくれる何かがほしかった。時間が巻き戻ればいいのに、とか、僕が起きなければよかった、とか、いろいろ。起きなかったらキス自体はされてるけど、僕は別にそれを知ることがなかったんだ。知りたくない。知りたくなかった。だって、こんなの。
 あつしくんは弁明せず、逃げることもせず、僕の正面で目をそらしてじっとしていた。苦々しく思っていることがわかりたくなくてもわかってしまって、もしかして僕のこと本気で好きなんじゃないかとか過ってしまって。
「なんで…僕のこと好きなの」
 滑るようにそれは僕の口から出て、言った直後というか、言っている最中にも「ああ、言わなきゃよかった」と思った。僕は聞く前からあつしくんの答えがなんとなくわかってしまったし、きっとそれは間違いないと確信してしまっていた。
「…うん。そう」
 …ああ、やっぱり。
 あつしくんは僕のことを友達だとは思っていなくて、それを知ってしまったから、きっともう僕も前みたいにあつしくんを友達と思えなくなる。認めたくない。あつしくんがゲイなんて。僕と全然関係ない人が好きならまだ応援してあげられたのかもしれない。だって僕には関係ないから。でもあつしくんが好きなのは僕で、酔わせて持ち帰って寝込みを襲うなんて最低なことをしている。
 最低。気持ち悪い。そう思うのに、僕は自分の胸の奥が僅かにズク、と熱を持つのを感じた。その感覚に似たものを僕は経験したことがあった。
 オカズを前に、興奮しているときの予兆に、それは似ていた。
(…いやいや)
 あつしくんを否定する思考の中で、自分に対する嘲笑。自分の口が歪むのがわかった。
 そうか、あつしくんは僕が好きなのか。
 その事実は僕に優越感を抱かせて、一軍のあつしくんが倫理的に問題ある行動を僕に対して実行していることは快感だった。
 気持ち悪い。だけど、その気持ち悪さが僕に対する好意故と思うと、あつしくんを容易く泥沼に引きずりおろしているようで気持ちがよかった。エロ本やAVを見るよりも刺激的で、頭の天辺へ突き抜けるようなゾクゾクとした快感が下半身から上ってきた。
(ダメだ。そんなことを思っちゃ。僕はあつしくんと友達なんだ。友達でいたいんだ)
 そんなきれいな思考と、あれ僕ってこんなにド変態クソ野郎だったっけ、と思う理性的な自分は、ド変態クソ野郎の自分に飲み込まれた。
「………あつしくん、最低だね」
 あつしくんの顔が一瞬痙攣して、いたたまれなく思っていることがわかる。しばらくその顔を最低な感情で眺めて優越感を満たした。
「だけど、許してあげる」
 瞼が大きく開いて、あつしくんは目だけで僕を見た。おそるおそるとした彼は、怯えた動物のようだった。それを見て、僕はいったいどんな顔をしていただろうか。
「だって、あつしくんは大切な友達だもん」
 あつしくんはお金持ちで話しやすくて女の子にモテて車も持ってて優しくて、僕の目には完璧に見える一軍の男だもん。引きずりおろそうなんて思ってなかったのに、今は僕がいる場所よりも低い泥沼に引きずり落としたい。屈辱を与えたくてしかたない。その涼しい顔を歪めて、もっと僕を好きになればいい。
 こんな勝手な性癖に目覚めて、友達にぶちまけるなんて本当クソだ。だけどいいよね。だってあつしくんも僕に同じことをしたんだから。
(友達がよかった。)
 ありとあらゆるものが、まだ僕の中で嵐となっていた。