雨の日。五
(お粗末/あつトド)
トド松くんは話しやすいし無防備さを感じることはあるけれど、核心となる部分には触れさせない節があった。
例えば兄弟のことだ。彼はおそらく20歳過ぎの男が未だに家族と生活を共にして、それを楽しいと感じていることをカッコ悪いと思っている。極力兄たちのことを話題に出そうとしないけど、話し始めたらひどく饒舌で、捲し立てられる卑下の中に愛情を感じる事があった。こんなにボロクソに言っておきながら未だに実家暮らしで兄弟と一緒にい続けるのは、単に働きたくないからという理由だけではないと確信していた。ああ、本当に家族が好きなんだろうなと思って、彼の兄たちが心底羨ましくて、男同士でどうせ実らない恋なら僕も彼の兄弟として生まれたかったななんてどうしようもないことを思ったりした。だけど、他人だからトド松くんが好きになったのだろうということはわかっている。羨ましさが留まらずに、自分を捨ててでも彼に愛される存在になりたい。ただそれだけの思考だ。実現されない願いで、本気でそうなることを望んでいないということは自覚している。自分じゃない誰かになれると本気で信じられるほど幼くもない。
こうして気の置けない友達であるだけでも喜ぶべきことなのに、僕はその先を望んでしまっている。彼の心を占領しているものの中に、僕を入れて欲しかった。
「…うーん。まあ、いいか、あつしくんなら」
溜息まじりに彼は言う。言葉が胸に刺さる。チクリとした一瞬の痛み。他の人とは違うという言い方は、余計にやりきれなかった。嬉しいけど悲しくもある。
トド松くんは斜め上を見てうーんと考えながら口を開いた。
「本当に好きな人って感じじゃなくて、一緒にいられるだけでいいっていうか、別にキスしたいとかセックスしたいとかはないんだよね。そりゃ求められたら喜んでやるだろうけど、それよりもたくさん話したり、ご飯食べたりしたいって感じ。あ、でも僕のこといっぱい考えて欲しいなっては思うかな」
そこまで聞き終わって、そう、とだけ答えた気がする。たぶん笑えていたと思うけど、その後トド松くんが言葉を続けていたのか、映画の音声が耳に入っていたのかよくわからなかった。…これは、無理だ。彼は欲求に従って好意を抱いているわけではなくて、人柄に惹かれてその人を好きなんだと察した。
付け入る隙がない。何か幻滅するようなことでもない限りは。
そこまで考えて、あれ、と思う。
もっと自分が傷つかない範囲で、傷ついたとしてもやり過ごせる痛みを感じる程度の、特別な感情だと思っていた。ほんの少しの独占欲や、コントロールできる性欲。思春期の子供みたいな、自分の心を剥き出しにして傷つくような恋なんかではないはずだった。
…僕は自分で思っている以上にトド松くんが好きだったのか?
口が渇いたのでコーヒーを飲む。上手く淹れられたはずなのに、冷めたせいか苦味だけで、美味しくなかった。
「僕が話したんだからあつしくんも話してよ。不公平だから」
「え?好きな人ってこと?」
「そうだよ!この流れでそれ以外に何にがあるの?」
「うーん…」
「えー、そこ悩むんだ。枯れてるねぇ。ちょっとでもいいなって思う人いないの?」
いま隣にいる人、と言葉が出浮かぶが、そんなことを言えるわけがない。動揺している頭を抱えながらよく咄嗟に会話できたなと自分に感心した。問われたことにしばらく考えて、口を開いた。
「いるけど、遠い人なんだよね」
トド松くんはきょとんとして、しばらく考えてから「遠距離ってこと?」と聞いた。距離は近いけど、手が伸ばせないと答えた。
「ふーん。一軍でも恋愛に苦労するんだね」
「そりゃね」
画面の中ではエンディングのスタッフロールが流れていた。映画は全てが丸く収まって誰も不幸にならないハッピーエンドだった。