孤独、剣、同じ影。









(♂夢/ダイ冒険/ヒュンケル/『大地の底の睦み。』『狸寝入り。』同一主)



ずっと他人が怖かった。
笑顔の後の無表情が怖くて、ああ、自分は本当は嫌われているんだと潜在的に思うようになってから、誰かと関わるのが怖くなった。
警戒心で他人を見るようになると、きれいに見えるものがだんだん汚く見えるようになってきた。

どうして一緒にいるときは笑っているのに、離れた途端に舌打ちするんだろうと。
どうして楽しげに一緒にいる人を影で悪く言うのだろうと。
みんな表面上は優しいけど、きっとその影では誰のことも嫌いなんだと、確信的にそう思うようになった。

ならば楽しげに関わることを止めて、必要なときだけ関わればいいと他人から逃げた。心の底から思っていることは違うのに、わざわざ仮面をかぶって他人と合わせるならばはじめから関わらなければいいのだと。だから必要以上の慣れ合いが無意味に思えたのだ。


この世で一番大好きな母親が俺を持て余していることを知った時、ああ、他人とは好意だけでは理解できないのだと知った。それまでせめて僅かな足場に立っていた俺は、その足場すら失った心地になった。自分が立っていた場所は、思っていた場所とは全く違ったのだ。何を信じていいのかをその時に見失い、俺は他人を拠り所にすることは自分の喪失なのだと知った。気付かぬうちに変わりゆく風景に見慣れていき、それが当たり前だと思った頃に、その風景は嘘だよと事実を知らされるような裏切りに似たもの。まるで崖の上から突き落とすように。絶対に自分を嫌わないと思っていた母親と、自分の母に対する好意のあまりの落差に、俺は絶望した。
親も他人もまとめて人間が嫌いになってから、俺は好んで独りになった。剣術を習い、そのことばかりに集中して取り囲む他人の群れから意識を離そうとした。
何年も何年もそうして過ごし、俺は剣を振るっている時ほど孤独の中で呼吸ができるようになった。

人といるよりも、剣技を磨く方が俺にとっては生きやすかった。
誰からも理解されず、世界中の孤独に押しつぶされるような寂しさがあったけれど、他人と関わることよりも難しいことはなかった。

自分と向き合ってる時が、一番世界がきれいに見えた。
他人と関わらないで、ずっと修行ができていればよかった。










人々の悲鳴。
血と断末魔が横行し、そこらじゅうに躯が転がっている。
魔王軍だ、と誰かが叫んだ。女子供の泣き声。戦う力のない人たちは、戦う力のある俺を盾にして俺の背後の彼方へ走り去っていく。仕方ないけれど、きっとみんなの中ではもう俺は、ある意味人間とされていないのだ。緊張感が蔓延する街の中で場違いにもそう思う。

▽は戦えるから大丈夫。
▽は戦えるから一緒に逃げなくてもいい。
▽は戦えるから、ここで死んでも仕方がない。
▽は自分たちの盾になるのだから、犠牲になっても仕方ない…。
きっとそう思う人もいるのだろう。

「…」

いっそ本当に死んでしまおうか、と思考が過る。
たとえここで勝ち抜いて生き残ったとしても、最早自分のことを防護壁と認識している人たちとまた同じ空気を吸えるのかと考えると、こみ上げてくるものがあった。そんなこと、できない。きっと頭が狂ってしまう。
数の減らない死霊の騎士を砕いていく中で、俺は自分を殺してくれる誰かを待っていた。死ぬのが怖くないのではない。だけど自分より強い者と戦うなら、辿り着く先はひとつだ。死ぬことも生きることも怖いのだから、俺の中で生と死の欲の天秤はきれいに釣り合っていた。
戦いに参じている者の数は減っている。血溜まりの中で転がっている戦士が羨ましかった。
こんな恐ろしい世界、早くなくなってしまえばいい。すべての生き物が滅びてしまえばいい。そう思いながら戦っていた。





「ほう。まだ生きている人間がいるとはな」


耳に馴染みのない声。振り向くと見たことのない銀髪の男が立っていた。この戦場に似合わず、口元に笑みが浮かんでいた。言われて見渡してみたら、もう戦っている人間は俺だけだった。俺は一面白く散らばるガイコツの残骸の上に立っている。ようやく冷静に周囲を見れる状態になると、今ここには俺とこの銀髪の男しかいないとわかる。

「…あんたは」
「魔王軍不死騎団長、ヒュンケル」
「魔王軍…?」

息の上がった体で問うと、男は名乗った。その答えは予想に反していて、俺は唖然と目を剥いた。せめて通りがかりの戦士くらいに思っていたのだ。
この男が魔王軍というのならば、モンスターたちを差し向けていたのはこのヒュンケルという男ということなのか。瞬間思考が止まり、混乱する。俺は動揺を隠さない表情をしていたと思う。何故なら、ヒュンケルはモンスターではなかったのだから。俺の唇は震えていた。

「あんた、人間…?」
「人間が魔王軍にいるなんて信じられないとでも言いたげな顔だな」

嘲笑するような顔でヒュンケルは言う。奴の言うとおり、魔王軍に人間がいるなんて考えてもみなかった。この戦いは、モンスター対人間の戦いだとばかり思っていたのだから。
何故、と同時に、奴が歩いてきた方向が気になった。向こうは街の人達が逃げた方向だ。まさか、ここで俺が戦っていた理由は、魔王軍に見つかってしまったのだろうか。心が凍るような心地になる。俺が考えているとおりならば、もう俺がここで戦う理由はないのではないかと葛藤が俺に問い掛ける。これ以上戦う理由がどこにある。
世界が終わればいいと思っていた。街の人達と共に生きることはきっともうできないと思っていた。街の人の盾になっていた俺は、もう守るものがない。守る対象のない盾は、存在する意味があるのか?
こんな絶望的な世界で、果たして生きる理由があるのか…?

「どうした。かかって来ないのか。それとも人間は切れないとでも言うつもりか?」





ヒュンケルを切る理由が、俺にはあるのか?





「……………」



俺はしばらく考えて、剣を収めた。それまで皮肉に笑っていたヒュンケルは浮かべていた笑みを消して怪訝な顔を浮かべる。俺の行動の意図が理解ができないという険しい顔だった。敵を目の前にして戦いを放棄する剣士を侮辱するような目にも見える。そう思われるのも仕方がない。剣は敵を討つための武器だ。本来ならば敵がいてこそその本領を発揮するものを、俺は収めたのだ。

「何故剣を収める」

ヒュンケルは俺を睨んだまま、批判的な低い声色で問う。しかし俺には、明確に答えられる理由がなかった。しばし黙っていくつか言葉を頭のなかで並べたが、それらを全部捨てて俺は言った。

「あんたと戦う意味、ない気がしたから」
「ふん。俺が人間だからか。愚かな正義心を振る舞うならば、それが貴様の死期だぞ」
「そうじゃないよ」


そうじゃないよ。




きっとヒュンケルが人間でなくたって俺は同じことをした。戦意の喪失は、ヒュンケルでも俺自身の意思でもない。街の人達がいないと考えたことだ。

人が怖いと、嫌いだと思っていたくせに、結局俺はその人達のために戦っていたんだ。他人を利用する人たちに計り知れない嫌悪感を抱いて、孤独の道を選んだのに、人と関わることを最大の脅威と信じていたのに、自分から喜んで都合のいい盾になっていたんだ。俺は自分に失望したんだ。なんて馬鹿みたいなんだろう。笑えた。自嘲だった。

「もともと俺には、戦う理由なんてないって思っただけだ」

もしかしたら、あの人達は生きているのかもしれないけど、もうどうでもいい。



…もう、どうでもいい。

(…もっと早く、戦う理由を見つければよかった)



自分を見失っていることに、今まで気付かなかったなんて。
胸の中で止めどない洪水が、音もなく広がる。静かな感情が俺の体を襲って、俺は涙を流していた。自分は孤独でいると信じていたのに、そうじゃなかったんだ。他人にも見限られ、自分の孤独も孤独じゃなかった。瞬きをする間に、見ている景色がまたまるっきり変わってしまったんだ。もう何度、こんなことを味わえばいいんだろう。何を信じればいいんだろう。
戦意を喪失した俺に、ヒュンケルは剣を振るう気は無いようだった。無抵抗の人間を切らない主義なのだろうか。それとも、戦う意志のない剣士など殺しても殺さなくても変わらないということなのだろうか。間違いない、と内心呟く。

「………」
「滅ぼせよ。こんな街」
「俺が手を下すまでもなく、この街は既に滅んでいる。貴様が剣を収めた時に既にな」
「そうか…」

生まれた時から知っている街が死んで、何もかも失った。戦う理由も、生きる理由も。
残された俺には、何があるのだろうか。またひたすらに剣技を磨けば、また孤独の中で生きることができるだろうか。でも、たとえ孤独が俺を受け入れてくれなくても、俺はそうすることでしか生きられない。ずっと独りで。でも、ずっと独りでいる暗闇は、色とりどりの温かい他人の輪よりも誠実だ。俺が見誤らなければ、決して裏切らないのだから。

「戦う理由がないと言ったな」
「ああ」
「ならば俺と共に来い。理由を与えてやる。そのまま腐らせていくには惜しい腕だ」
「あんたと…?」

ヒュンケルを見つめ、どうする、と反射的に自問した。直後に、そう考えている自分に驚いた。他人と関わることが嫌だと散々考えているのに、俺はこの男についていくことを選択肢に入れている。常ならば考える暇なく人から逃げているというのに。
ヒュンケルが魔王軍だからか。それとも俺の剣の腕を承知の上で認めているからか。
理由はわからないけれど、この男は今まで関わってきた他人と同じとは思えなかった。腹の底から芽生える他人への不信感が、このヒュンケルには大して芽生えなかった。
俺はかなり意外に思いながらも、ヒュンケルに傾いている己を自覚した。
しばらくして、俺は張り付いた唇を開けた。

「…わかったよ、団長」

何かが変わるだろうか、と心の底が期待めいて呟いていた。自分の本意とは異なる無意識が、この男を受け入れようとしているのを感じていた。