彼らの出会い。








(♂夢/冷徹鬼/鬼灯/出合った日の話)



 ○が閻魔大王の法廷に異動して初日。仕事上がりに歓迎会を開いてもらった。人見知りにとっては仕事より辛いイベントだ。しかもこれから多く一緒に仕事をするからというので、閻魔大王に○の席は鬼灯の隣に決められてしまった。ほとんど今日初めて会った相手と気楽に飲めるほど○は天性の社交性を持ち合わせてなかったし、鬼灯に関しては残忍で無慈悲な噂が山ほど耳に入ってきていた。言動に気をつけなければと思えば、緊張して挨拶以上の話なんて出来ず、○の口数は平素より減っていた。幸いにも鬼灯の他に獄卒も数名参加していたため、その場から浮くということはなかったし、鬼灯を慕っている獄卒が積極的に彼に話しかけていたため、○と鬼灯の会話が多くなくともその場は楽しい酒の席になっていた。
 料理がすべて出終わった頃には皆各々好きな場所に移動しており、鬼灯が閻魔大王に連れて行かれたり、○も同じように他の獄卒に誘われて席を移った。歓迎会とは名ばかりで、大半はそれを口実に酒を飲みたい者が多かったようだ。ただし、「今日はお前が主役だ!」と言って○に口を休める暇を与えなかった状況には追い詰められたが。酒に強い自覚はあったがいつまでも水のように飲めるわけではなく、料理の皿が減る頃には酒も水も口に入れるのが億劫になっていた。何度目かになる厠から席に戻った時にはそこいらで潰れている獄卒達が目に入る。出来上がっている獄卒同士で雑談をする声と、べろべろの口調で孫自慢をする閻魔大王の笑い声が耳に入るくらいで、それぞれの食事の手は殆ど止まっていた。それにしても、閻魔大王の話に聞き耳を立てる度、孫の話しかしていない。その話に捕まっている鬼灯はもはや一切話を聞く気はないらしく、相槌すら打たず、煙草を吸っていた。○は頼りない足取りで席を立つ前にいた場所に戻り、自分も一服しようとキセルに葉を詰めた。

 暇だなと、落ち着いてしまう。

 溜息混じりに煙を吐くと、近場の獄卒の鼾やら寝息が耳に届く。ああ、自分も寝たいなと、漠然とそんな思考が蔓延としてくる。しばしゆったりと煙を吸っていたが、やがて葉を落とした。手持ち無沙汰に開いてる皿や余っているグラスをまとめ始めた。かつて飲食勤務をしていた性である。卓上が食器で散らかっていると気になるのだ。

「すいません、お茶ください」

 起きている人数分のお茶を店員に頼み、卓上も粗方片付いた。いよいよすることが無く、かといって今から誰かと話す元気も無く、○は壁に寄りかかり、お茶が来るのを待った。ふう、と小さく溜息をつく。

(…疲れたな)

 そう胸の中で呟いて、少し休憩するつもりで瞼を閉じた。そしてそのまま、そのつもりはなかったのだが眠ってしまった。あまりに気持ちよく眠りに入ったので、周りで誰かが動いても気付かず熟睡していた。

「○さん」

 そう声が掛かったが、○は起きることなく、やがて頬をぺちぺちと叩かれる。ぴくりと眉間に皺が寄り低く声が漏れる。誰かに起こされているのだとうっすら気付いたが、目蓋は重く開かなかった。

「○さん。部屋に帰りますよ」

「ぅん…、後で…」

「起きなさい」

「…ん…」

 繰り返し掛けられる声に、起きなきゃ、と思う。相変わらず目は開いてくれなかったが、とりあえず体を動かせばそのうち開けざるを得ないだろうと思い己を奮い起こした。床に手をついて四つんばいになり、壁を伝って無理矢理立ち上がるが、まだ瞼が開かず、いつでも寝れると思った。

「○さん、明日は朝からまた新たに仕事を覚えてもらいますよ」

 仕事、という単語に、○は完全に現実に引き戻された。億劫ながらも今まで開かなかった目蓋はうっすらと開いていく。

「さ、行きますよ」

「はい…」

 ああ、一度睡眠をとってしまうと自分が思っていたよりも酔っ払っていたんだなと自覚する。寝起きと酔いで歩みが覚束なかった。歩きながら寝そう、と思うと手を取られて、強制的に歩行速度を上げられる。驚いてそれが目覚めのスイッチになる。それまで頭を伏せて歩いていた○はハッと頭を上げて、前を見ると黒い着物が見えた。背中に鬼灯の印があるのを見つけ、瞬間頭が真っ白になり、心の中で悲鳴が上がった。

「…ほ」

(鬼灯様―――!!??)

もはや酔ってる場合ではなかった。

ドッと尋常じゃない冷や汗が噴き出た。何で俺のこと起こしたんだこの補佐官、こんなに面倒見よかったのこの鬼、と混乱する内心で突っ込みながら、心底手を離してくれないだろうかと思った。

「お、おはようございます…鬼灯様」

「ああ、やっと起きましたか」

「起きました。…あのー、ええと」

「だいぶ飲んでましたが、たとえ二日酔いでも明日もビシバシ働いてもらいますからね」

「ああ、はい…」

 鬼灯が○の手を放す気配はなく、そのまま廊下を進んでいく。進んでいる方向は住込み先の部屋で、このまま部屋まで手を繋いだまま送ってくれるのだろうか、と戸惑う。ただでさえ人見知りなのに、恐ろしい先入観のある鬼灯に対しては緊張がいつもの非ではない。
 それを察したのか、鬼灯は○を振り返り、やや呆れた声色で言った。

「そんなに怯えなくても、別に釜で茹でて干して摩り下ろしたりしませんよ」

(その発言が怖いんだけど…)

「何もしなければ私は無害ですよ」

「はぁ…」

 そこまで言わせるほどわかりやすくビビってるのだろうか。
 ○は曖昧に返事をした。目は覚めたが頭が動かなくて言葉が出てこない。もっと気の利いたことでも言えれば良かったが、閉口する時間が長くなっていくに従い、口を開くことを諦めた。
 そこからは鬼灯が話すこともなく、○も手を繋いでいるのに慣れて気にならなくなってきた。○の部屋の前に来たところでようやく鬼灯の足が止まる。同時に手も離れた。

「それでは、おやすみなさい」

「どうも。鬼灯様も」

「ええ」

 到着するまで、歩くのが遅いと罵られることもなく、寝起きが悪いと指摘を受けることもなく、これからお世話になるのに無口で無愛想だと言われることもなかった。理不尽な暴力を振るわれることもなかった。鬼灯が残忍な鬼というのは、亡者に対してだけなのか…後は閻魔大王にだけか。
 思ってるほど怖い人じゃないのか、となんとなく考えつつ、○は部屋の扉に手を掛けた。

「○さん」

「えっ、はい」

 ○が部屋に入るのを見届けようとしているのか、まだそこに居る鬼灯に呼び止められて、○は振り返った。

「お茶、ありがとうございました」

「え」

 一瞬何のことかわからなかったが、そういえば自分は眠りにつく前店員にお茶を頼んでいた。結局自分は呑まずに帰ってきてしまったが。まさか鬼灯がそれに対して礼を言うとは思わず、○は呆気に取られた。

「あぁ…いえ、そんな」

「それでは、明日は寝坊しないように」

「はい」

 それを言うと、鬼灯は歩を進めた。○はそれをぼんやりと見送り、彼が立入禁止の立て札の奥へ曲がったのを見届けた。ああ、あの部屋はやはり鬼灯様の部屋だったのかと妙に納得して、自分も部屋に入った。
 寝床に横になってから、部屋まで送ってもらったことにお礼を言うのを忘れてしまったと気付く。だが、意識は布団に吸い込まれるように薄れていく。


 明日出勤してから話すきっかけにしようと思い、○は再び眠りについた。