正反対な彼。六








(♂夢/忍卵/学級委員長委員会)


彦四郎が委員会室を開けると、手鏡を見つめる○がいた。
否、正確には○に変装している鉢屋三郎がいた。

一瞬固まり、その中で他人事のような思考がぐるんと頭を巡った。
なんで鉢屋先輩が●を知っているんですか、とか、五年生になったら●はこんな感じなのか、とか、そもそも●は五年生まで残れるだろうか、とか、彦四郎に思うところは色々あったものの、とりあえず第一声は「なんで●に変装してるんですか、鉢屋先輩」であった。


「よう彦四郎、早かったな」

変装はしていても三郎に欺くつもりは毛頭ないようで、彦四郎の入室に平素の明るい調子で応えた。表情は前髪に隠れているが至極笑顔ということは判り、見たことない○に別人を感じ、「似せる気ないなこの人」と彦四郎は思った。
「●って○のことだよな?」と問う三郎に、彦四郎は曖昧な肯定を返す。下の名前が○だとは咄嗟に思い出せなかった。委員会室の中へ入ると、既に茶菓子が用意されている。今日もお茶会らしい。
腰を下ろすと三郎がまた彦四郎に食い付いてきた。

「彦四郎、○ってい組だろう?どんな感じだ?」

「どんな感じだ、って…」

「似てるか?」

「似てませんけど」

きっぱりとした彦四郎の返答に三郎は乗り出した身を戻してうーんと唸りながら前髪を掻き上げて鏡を見る。
彦四郎はそのまま三郎を注視し、●ってこんな顔だったっけと記憶を思い返してみる。俯いた暗い印象が強くて、顔は思い出せない。というか、知っているのだろうか、●の顔を。いま鉢屋先輩が変装したままの顔をしているなら、●はずいぶん小綺麗な顔立ちだなと彦四郎は思った。

(でも、少し美化されてないかな…)

それにしたってやはり似てないというのが彦四郎の感想であった。

なんか違うなぁとぼやきながら鏡を見る三郎をじっと見つめながら、女の子みたいな顔、と小さく思った。再び三郎の目が彦四郎へ移り、目が合ってほんの少し驚いた彦四郎の目蓋が平素より大きく開く。

「何が違うと思う?」

「何がって…急に言われても」

「観察眼を養うのは忍者の大事なスキルだ!思い出せ彦四郎!」

今は単に先輩の私利私欲じゃないですか、とは思ったものの、三郎の言うことは確かだと思い彦四郎は頭を捻り始めた。はて、●の特徴はなんだったであろうか。
頭に浮かぶのはやはり俯いて教室に居づらそうにしている○だけで、前髪が長いとか色が白いとか、そういった既に三郎が反映させている外見的特徴以外は多くは思い出せなかった。

「●は…」

「うんうん」

「もっと、自信なさそうです」

「ほう」

「猫背ですし」

「こうか」

「俯いてるし」

「ふむ」

「ろ組みたいだし」

「なるほど」

「あとは…」

「あとは?」

「………よく知りません」

暗い、というのも浮かんだが、それは直接の罵倒に感じて流石に言うのを止した。彦四郎の言葉を聞き反映させていくと、三郎は先程よりは○に似ている気がしてきた。だがやはりまだ何か違うのは間違いなくて、やっぱり顔が違うのかなと彦四郎は思った。違和感があるのはわかるのにそれ以上は具体的な相違点がわからず、なんだか気持ち悪い感じがする。さっきまでの、まったく似ていない○のほうがよっぽど良かった。いっそ本人も三郎くらい明るかったらいいのにと内心ぼやく。

「………鉢屋先輩?」

スッと開いた戸の外から、意外そうな声が降り掛かった。室内の二人がそちらを見ると、そこに庄左ヱ門がいた。
きょとんとした庄左ヱ門と三郎の視線が交錯した。背中を丸めて顔を青くしている○に変装した三郎を見て、冷静な口が当たり前のように言葉を紡ぐべく口を開いた。


「○はそんなに陰気じゃないですよ」



(は…?)

彦四郎はその発言を理解するのに時間を要した。理解した後も疑問が生まれて、自分でもそれに驚くほど呆気に取られた。庄左ヱ門はなんと言った?○?陰気じゃない?
意表を衝かれたのは三郎も同じだったようで、素に戻って庄左ヱ門と目を合わせたまま口を開いた。

「庄左ヱ門、○と仲いいのか?」

「はい、一緒に遊ぶ程度には」

「…なんで」

庄左ヱ門の答えに反応したのは彦四郎だった。不満そうな声色の中には、同じい組で隣の席の自分より○を理解している庄左ヱ門に対する悔しさが滲んでいた。三郎の変装の何が違うのか自分は考えてもわからなかったのに、○とは組が違う庄左ヱ門が一目で的確な指摘をしたのが納得できなかった。
い組なのに、○はは組との方が親交が深いのか、と、なんだかもやもやした。

「同室の伊助と○が火薬委員会で一緒なんだ」

「…●が陰気じゃないっていうのは何」

「え、陰気じゃないだろう?人見知り激しいけど」


なんだか、面白くない。
テストで満点を取って、ようやくい組らしくなり始めてきた●なのに、と。
そんなことは後付けにすぎないが、とにかく彦四郎は、自分の方が有利であったはずの情報提供に負かされたのが悔しいのだ。
忍者として目が養われていないのだと、この状況から叩きつけられたような気がした。















「●、姿勢よくしたりしないのか?」

「………え?」



朝、教室に来て授業の準備をしていたら、唐突に彦四郎にそう話しかけられて○はかなり驚いた。驚きすぎて、もしかしてまだ自分は寝てて今は夢を見ている最中なのかな、と思った。伝七を除き、○が同級生に話しかけられるなんて、今まで一度もない。その理由も、ただなんとなく話しかけられていないのではなく、明らかに避けられているからだということは重々承知している。
しかもなんて言われた?姿勢?どうして唐突にそんな話を?クラスの嫌われ者相手にも話さなければならない絶対に必要で重要な話題なのだろうか…?
そんな思考を数秒のうちに巡らせ、二人の間には不自然な沈黙が流れた。


「…●?聞こえてる?」

「え、あ……うん。し、姿勢………?」

「直さないのか?」

「な、直さなきゃ、ね」


混乱のまま、しどろもどろに答えた。彦四郎とはずっと席が隣だが、会話らしい会話はこれが初めてだ。こんなものなのだろうかと思いつつも、○は彦四郎の真意を汲み取れていない。せっかく話しかけてもらえたのだから会話を続けたいと思うが、それ以上何を答えていいのかがわからずにそわそわとしながらも口を閉ざす。

彦四郎の真意は、もちろん昨日の委員会の際に庄左ヱ門に敗北感を抱かされたことに他ならない。今回、庄左ヱ門に負かされたのは、○に対してどれだけ関心を持っているかの違いかだと彦四郎は考えた。ならば、彼に抵抗がなくなれば自然と話しかけやすくなるし、そうすることで知れることも増えるのではないかと思い至ったのだ。○に話しかけにくい三大点は、臆病な態度と、表情を見えなくしている前髪と、自信のなさそうな猫背だ。この中で彦四郎が一番気になっていることが猫背だった。授業中、見ようとしなくても視界に入るのだ。
彦四郎の中では存外、○と話すことを厭う気持ちはなかった。話しかけにくいとは思っていた。クラスで煙たがられている○に対して親切にしたら、同級生から自分への態度が多少は変わってしまうだろうという推測から防衛のために極力関わらないでいた、ということもある。また、○に対して積極的に接触するほど関心なかったから今までそうしなかった。話しかける理由もない。ーーーだが嫌悪感ではない。もっと成績を上げてくれたらな、とは思ってはいたけれど。
庄左ヱ門に勝つ要素を得られるならば、というのが今の彦四郎の行動の理由だった。


「そうだよ。僕たち忍者のたまごなんだから変装とかもできなきゃいけないし、そんな丸まってる背中じゃ町とか歩いてる時に目立つって。あと、気になってたんだよね。」

「う、うん」


彦四郎の発言に、正座して大人しく返事をする○に、あれ、と彦四郎は思う。

意外と普通じゃないか。