色溺。―遣り場―









(♂夢/忍卵/潮江文次郎/ほとんどオリジナル/主人公視点イッヒロマン)










「お前また誰かと寝たのか」

友人の目には軽蔑に似た要素が含まれていた。その視線はもう飽きるくらいに見慣れていたが、罰の悪さが胸中に芽生えるのは毎度居心地が悪い。
僕が何も言わずに笑うと、友人はそれを肯定と受け取って溜息をついた。実際肯定だし、その都度同じように忠告してくれる友人の言葉を無視している僕に返す言葉なんてあるわけがない。以前は「この臭いは自慰だ」と言い訳していたが、いつからか通じなくなった。誰かを部屋に入れて寝ている事を隠していないし、当然といえば当然だ。

「お前何度言っても聞かねぇな」

刺々しい口調に、彼がイラついているのがわかった。心配してくれる彼を無碍にしているのだから、耳は痛いが僕はおとなしく聞く。悪いとは思っているけれど、反省は出来ない。彼もそれをわかっているはずだ。それでもこうして一緒にいてくれるのだから、本当に申し訳ない。

「いい加減やめろって。身体で誰かを慰めるの」

自尊心の強い彼のその言葉は、この時ばかりはどうしようもなく切ない。応えなければ、と思うのに、僕はいつも彼に応えられなかった。きっとこれからも。だから僕は返事をしない。笑って誤魔化して、心の中で彼に謝罪した。














「○先輩、帳簿整理終わりました」

「ん、ご苦労さん」

一学年下の後輩である彼はよく働いてくれる。計算は速いし帳簿は見やすいし、予算の絞り方がうまい。いっそ僕は引退してしまって彼に会計委員長の席を任せたいくらいだ。帳簿を確認しながら、彼から視線が注がれているのを皮膚が察知する。忠犬のように待っているように見えてなんとも愛らしいが、その中に色めいた微かなものを感じて、ああこの後あるかなと思った。
分厚い帳簿をパラパラと捲り、とりあえず抜けがないことだけ確認すると、ぱたりと帳簿を閉じた。

「提出まではまだ期間があるし、確認して不備があったらまた委員会を開く。開会するときは伝達するから今日は解散して良いよ。みんなお疲れ様」

言うと、みんな一斉に疲れを吐き出すような重い溜息をついた。「終わったー」と下級生は死にそうな声で言い、机に伏せたりその場に寝転がったり、みんな張り詰めていた緊張感を取り払って脱力した。
唯一姿勢を正したままの五年生は鋭い声で厳しく言い放った。

「お前達、ここは委員会室だ。だらけるならさっさと片付けて部屋に帰れ」

凛とした声に面々は態度を改めて慌てて算盤や筆を片付け始めた。真面目で表情が硬いこの五年生は、下級生たちからは怖い先輩と思われているらしい。確かに、今の彼しか見ていないなら近寄りがたいかもしれない。委員会中は彼も気を張り詰めているから無理はないのだろうけど。
バタバタと騒がしく足音を立て、「失礼します!」と部屋を出た後輩たち。そんなに怖がらなくても、彼は別に怒っていないのになぁ。
苦笑を漏らしていると、彼は僕の机上にあった帳簿を一つとった。

「確認作業、お手伝いします」

「うん、頼むな」

本当に頼りになる子だ。










夜も更けた。
残りの確認作業は明日に回して、今日はもう解散することにした。放課後を費やせば十分終わる量だ。計算ミスがあったから、今後また委員会を開くことにはなるようだったけど。
それまで一緒にいた後輩は「お送りします」と自分の部屋を通り過ぎた。僕たちに会話はない。彼も元々口数が多いほうではないし、僕もお喋りではない。虫の音を聞きながら、僕たちはただ黙って廊下を歩いた。
部屋の前まで来ると、彼に笑顔を向けて「今日はよく頑張ったね。お疲れ様」と別れの言葉を言った。しかし僕の言葉を引き金に、平素沈着な彼の瞳はぐらりと揺れ、固い扉を開けたように彼の感情が見えた。
それを見てしまっては、僕は彼から目を逸らすことが出来ない。優しく名前を呼んでやると、彼は僕に手を伸ばして僕の腕に触れた。どうやら予想は当たってしまったようだ。

「○先輩」

か細い声は先ほどの面影を微塵も残していない頼りなさで、まるで壊れてしまいそうだった。正面からそっと肩を抱いて優しく撫でると、彼はもう遠慮も余裕もなく僕に抱きついた。

「○先輩…、俺怖いんです」

小さく、まるで罪の言葉でも言うかのように彼は囁いた。彼がこうして僕に弱音を吐くのはもうずっと前からだ。いつからだったかは忘れたけれど。
………忍者になるということの本当の意味を、理解を超えて実感した者の意識の変化。それはあるいは喪失や、恐怖とも取れるかもしれない。押しつぶされそうな不安は、僕にもあった。
少しだけ屈んで視線を合わせると、僕は優しく言う。出来れば彼が安心できるように。

「大丈夫、何も怖いことなんてないよ。お前は強いじゃないか」

「○先輩…」

これが良いことなのか、彼を更に弱くしてしまうのかはわからない。だけど、これで僕が彼に手を伸ばさなければ、彼が本当に壊れてしまうような気がした。それも一つの運命だと思うことは僕には出来なかった。
そっと額を撫でて、その手で出来る限り頭を優しく撫でた。先輩、と言って彼は僕に抱きつく力を強め、顔を僕の方に押し付けた。背に回った手は僕以外に頼るものを知らないように強く装束を握った。
そして彼が何を求めているのかを察して、僕は心の中で友人に謝罪をしながら、彼を部屋に招きいれた。

「○先輩…」

恋愛感情なんて伴わなくても、体を繋げる事情が僕たちにはあった。















○、と、誰かが僕の名を呼ぶ。
心が削り取られるような影の道に怯えて、決して拒否しない僕に安堵を求めている。
僕の名を呼ぶ誰かも、それに応えてしまう僕も、愚かしいと思う。
怖いのならば、忍なんて止してしまえばいいのに。

僕が怖くなくなったのは、彼らのせいなのに。

「○、お前はいいな強くて。お前は生きていけるよ」

「死ぬみたいな言い方止せよ、先に気持ちが死んでてどうするんだ」

「○…、お前俺といてよ、俺お前いないと生きていけない。俺のことちゃんと見てくれんのお前だけなんだ」

―――ああ、また。
口吸いをされて、柔らかな唇の感触と冷たい唾液に気持ちが冷える感覚がした。
そうして存在を認めてくれる誰かを求めておきながら、誰一人として僕を見ない。

僕は彼らと同じなんだ。自分の感情や存在を記憶に残して欲しくて、誰かに縋りたくなる。否、縋りたいと思っていた。だけど誰一人、僕を見る人はいないのだと知ってしまった。あの後輩も、目の前の彼も。ただ、自分へ手を差し伸べてくれる人を求めている。上辺だけのその偽善的な膜の中にいる僕のことなんて誰も見ていない。
だからいつからか諦めてしまった、生きることなんて。
それでも弱弱しい彼らを見捨てることは出来なかった。たとえ仮初でも、心の支えになれればと。
いつか彼らが僕の事を忘れたって。いつか用済みになるとしてもそれまではと。

「○…」

僕の耳に響くその名前が、もう僕のものと思えなくなってしまっていても。















誰かが見ている、と思い死角を覗いたら、委員会の後輩だった。ばっちりと目が合い、僕は咄嗟に笑顔を向けた。今の今まで同級生とまぐわっていたので、笑って誤魔化す気もあったのだろう。
文次郎は僕を見上げて、何か言いたそうな難しい顔をした。あまり子供らしくない表情だ。真面目すぎて融通の利かない彼らしいといえば彼らしいが。

「見てたのか」
「…はい」

別に隠すつもりはあまりないのだけれど、十の子供に接吻やら愛撫やらを見せるのはやはり後ろめたいところがある。しかも男同士のものを。かといって、あれが不純なものではないと白々しい嘘をつく気にもならない。

「見るなとは言わないけど、せめて気配を消すくらいのことはしろよ?」

何事もなかったようにそう言ったが、それもそれで白々しいものだった。文次郎は相変わらずの子供らしくない仏頂面で、少し躊躇ったように目を泳がせた後、口を開いた。

「何故、好きではない不特定多数と、恋人のように共にいるのですか…?」

その言葉は僕の核心を突いて、僕は一瞬心臓が止まった錯覚をした。
忍たまとはいえ、こんな小さな子供に見破られるとは、情けないことだ。いや、子供だからこそなのだろうか。
誰も触れなかった、もしかしたら気付きすらしなかったかもしれない僕の心に気付いた彼に、しかし僕は、まともに返答する気はなかった。こんな誰も救われない茶番を真面目に話したって意味はない。所詮これは全部自己満足の相関関係なのだ。僕は文次郎を子ども扱いすることにした。

「口吸いや性交が気持ちよくて好きなんだ、程々にね」

それらは僕の意思によって始めたことは一度だってないけれど、これ以上深く探られないための返答としてこれは適切だ。好きという感覚に根拠はないのだから。
文次郎は僕の答えに納得しないような表情を見せて、目に見えて不機嫌になった。礼儀正しい彼なりに隠そうとしているのかもしれないけれど、眉間に皺が寄っている。
きっと僕が卒業するまでずっと、彼は僕に心を開いてくれないのだろうな。僕の不純行為を快く思っていないだろうから。平素、僕に対して文次郎が軽蔑的な態度を滲ませているのを思い出しながら、僕は思った。
睨んでいるように見える目つきのまま、文次郎はまた口を開いた。

「三禁を冒したら、ろくな事がありませんよ」

また肯くしかない正論を言われて、僕は笑うしかなかった。その通りだ。こんな事をしても何の意味もない。
真っ直ぐな子だなぁと思った。
果たして彼もこれからどうなるかはわからないけれど、どうかこれからも文次郎には僕を軽蔑していて欲しいと思った。
無益で、報われなくて、虚しくて、やり過ごすだけの慰め。本当に、ろくな事じゃない。

「そうだな」

そう言うより他に、僕に言うべき言葉なんてなかった。