逆トリップして来た槍のスパダリ力が極まってて困ってます | ナノ


  もう眠り方を忘れてしまったよ



「明日こそは仕事帰りに布団を買って帰るからね」
「どうしても?」
「どうしても!」
「ふぅん…」
 家族と一緒に食卓を囲むこの光景にもすっかり御手杵が溶け込んでいる。夕食のコロッケを心底美味しそうに口へ運ぶ御手杵の食べっぷりの良さに愛しさを感じながら明日こそはと軽く握り拳を作る。
「そこまで布団別にしたいならすればいんじゃないか?」
 今日こそは絶対に折れるものかと意気込みながら宣誓すれば案外あっさり受け入れられる。てっきり嫌だのなんだのごねられることを覚悟していたからなんだか拍子抜けだが平和的解決に行き着けるなら万々歳だ。
「言われずともそうしますけど?」
「ただし」
「…はい?」
 これで身体をガチガチに固めながら緊張感を持って入眠せずに済む…!!!そう一安心しようと思ったのも束の間、水を差すように待ったの声がかかった。
「布団別々で寝るなら乾かしあいっこの他にもうひとつ約束を増やす」
「一応聞くけどその約束とは」
「別々で寝る代わりに毎日一緒に風呂入ること」
「はい却下です!!」
「却下するのを却下だ!」
「子供か!」
 思わず声を張り上げてつっこめばそのやり取りをお気に召したのか、我関せずといった面持ちでスルーをかましていたお母さんとばあちゃんがふふ、と小さく笑みを零す。いや笑っていないでなんとか言ってやってくれ。助け舟を少し期待しながら視線を横に逃がすもその視線が拾い上げられることは無い。そして、子供じみた言い合いを聞かれて気恥しい気持ちになっているこちらをお構い無しに恥ずかしい言葉を次々と重ねてくるのが御手杵という槍なもので。


「あんたと一緒に居る時間が減らされるんだからそれくらい譲歩してくれよ」
 何を付き合いたてのカップルみたいなことをと机を叩きたくなる。
「布団別になったとしてもどうせ同じ部屋で寝るんだから一緒にはいるでしょうが!」







 結局のところ根比べの勝負に負けたのは私だった。
 だって目が本気だったし、食器を片付けたあと風呂に入ろうと思ったら、御手杵はさっき入ったくせに「明日布団買いに行くんだろ?じゃあ俺ももう一回入る」とか全く意味がわからない言い分でお風呂場まで着いてこようとするんだもの!
 こっちが締め出そうとドアを閉めようとしているにも関わらず長い足を隙間にねじ込んで脱衣所に体を滑り込ませてきたときは流石に身の危険を感じた。
 それに裸見られるくらいだったら添い寝の方が断然健全だし。
 せめてもの反抗で、狭こい布団の端の端に寄り御手杵の身体に背を向けぶっきらぼうな言い方で「おやすみ!」と告げ、あくまで私は不本意ですと言った態度をとった。なのに御手杵はそれをものともせず、開けた距離を難なく詰めてくるから心臓を嫌に早らせる羽目になる。長い腕を重しのようにこちらのお腹辺りに乗せて、後ろから抱き込むようにぴたりと身体を合わせてきたあと少し控えめの「よし、」という声が頭上から聞こえて来た。何一つ良しではない。

「おやすみ、」
「っ!」
 静かな一言。身体と身体が隙間なくくっついているお陰で小さなはずのその低音はよく耳に届き、私の身体を震わす。身動ぎも、この腕の中から逃げ出すのも困難で顔から火が出そうなほど暑くてたまらない。今すぐ抜け出して距離を取りたいのに数秒後には非情にも穏やかな寝息が聞こえてくる。
 だから!別々で寝たかったのに!


 ◇


 御手杵が我が家に来て早四日。
 今日も今日とて仕事だなと憂鬱になりながら目を開ければ眠っているというのに絵に描いたように綺麗な御手杵の寝顔が間近にあり息を呑む。この前茶の間で昼寝してた時はよだれ垂らして寝てたけど。
(睫毛、長いなぁ…)
 御手杵がこちらに来てからというもの、御手杵の方が早く起きて寝顔を見られる側だったものだからなんだかこうしてじっくり観察してるとちょっと得した気分だ。まあ心臓に悪いことには変わりはないけれど。

 意識が段々と覚醒すると下腹部に針を何ヶ所もつかれるようなつきんとした痛みを感じる。あ、まずい。
 この感覚は、間違いない。今月もやってきてしまったか。出来れば御手杵が本丸に帰ってから来て欲しかったと思うけれど身体はそんなに都合よく機能してくれない。自分の体だと言うのになんとも不便なものだ。とりあえず布団を大惨事にする前にトイレに行かなければ。身体を閉じ込める重たい腕をなんとか退かし、起こさないようにそろーっと布団を出る。動かした御手杵の腕を寒くないように布団の中に仕舞ってあげ、これでよしと軽く息を吐いていると不意に手首を掴まれ悲鳴を上げそうになる

「っ!びっっくりした…」
 先程のドキドキとはまた違った意味で心臓に悪すぎる。
「ん゛……どこいくんだよ、」
「何処って、そろそろ支度するんだよ…今日も仕事ですし…」
 寝起きの掠れた低い声が妙に男の人みたいでほんの少し脈が早くなる。それに気付かないふりをして「ほら、早く手離して」とやんわり促せばほとんど開いていない御手杵の瞳がこちらを見上げる。
「…あるじ、どっか怪我してるか?」
「っ!し、してない!」

 すんと軽く鼻をならされたせいでえも言われぬ羞恥心が襲われる。人より五感が鋭いであろう刀剣男士なら血の匂いなんてすぐ気付かれるだろうとは薄々思っていたが、指摘するのは駄目だと思う。デリカシー的に。いや、御手杵は純粋に心配しているだけなんだろうけどさぁ…!
 これ以上深追いされたくなくて掛け布団を頭まで被せてやる。
「んぶっ!?」
「御手杵はもうちょっとゆっくり寝てていいから!」




「お母さーん、ばあちゃーん…私今日朝ごはん食べないでこのまま職場行くわ
「なに具合悪いの?」
「生理」
「ああ…薬持った?」
「持った」
 起きた時はそこまででもなかったのに、自分の目で確かめて生理が来たと自覚した途端なんだかどっと重苦しい気分になる。ちょっと家出るには早いけどコンビニでウィダーでも買って痛み止め飲むか…固形物を咀嚼する気分になれなそうにないし。

「主、」
 少しでも立っているのがつらくて玄関に腰掛けながら靴を履いていると後ろから声を掛けられる。
「ああ御手杵起きたんだ、ちょっと早いけど私もう行くから」
 靴を履いて振り向けばほんの少し機嫌がよろしくない顔をした御手杵が目に入る。これはめんどくさい事になりそうだと察した私は、長丁場になる前にあまり視界に彼を入れないようにしてそそくさとその場を後にしようとする。が、御手杵がそれを素直にさせてくれるような男な訳はなく。
「離して」
 案の定肩にかけていたショルダーバックの紐を掴まれる。
「そんな顔色でどこ行くんだ」
「何処って言ったよね?仕事って。悪いけどこんな顔色でも行かなくちゃいけないの」
「なんで」
「なんでって、仕事だから。子供じゃないんだから仕事すっぽかしてずる休みなんて出来ないんだよ」
「俺が行くなって言ってもか」
 いつも優しい御手杵の柔らかい声が、今はなんだか刺々しくて。私の知らない男の人みたいで嫌だ。私はなにも悪いことしてないのに、なんだか叱られているみたいな気持ちになってくる。
「っ、」
 今の御手杵を視界に入れるのは心底怖かったけど鞄が離される気配は全くなかったものだから仕方なしに後ろを振り向き、彼と対面する。すると当たって欲しくない予想通り、少しではあるが眉間に力が入っている御手杵が此方を見下ろしていて喉奥に空気が張り付く。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。
 休めるものなら休みたいよ。出来ることなら御手杵が居た暖かい布団で今すぐ寝たい。頭の中ではそんな甘えた言葉が浮かんでいたのに。
「行くしかないでしょ。それともなに、御手杵が代わりに仕事行ってくれるの?」
 口に出せたのは嫌味ったらしい半笑いの刺々しい言葉で。
「怪我なんてしてないし、私は大丈夫だから。御手杵は此処でちゃんと待ってて」
 そうしていってきますも言わず玄関を後にする。
 幾らイライラしているからといって御手杵に八つ当たりしていい理由にはならないのに。あんな言い方をするつもりもなかったし、あんな事を言いたかった訳では無い。でも、言ってしまった。完全に私に非がある。私が今涙を零す権利はない。じわじわと込み上げてくる目と喉の奥の熱を必死に抑え込む。
 言葉は唯一、人だけが持つ暴力だ。だからこそ大事に取り扱わなければいけない。吐いた言葉は取り消せないのだから、
(私、ほんとに最低だ。)
 仕事に行く前から気分は最悪。このずたぼろなメンタルのままこれから何時間もの間業務をこなさなければならないと思うと憂鬱で仕方がなかった。



 ◇
 最悪な日はとことん最悪なことが重なることが多いようで。
 早番だから日が暮れる前には帰れると思っていたのに、家に着いて車を降りる頃には外はすっかり暗く、空には星が散りばめられていた。

 薬飲んでも痛いもんは痛いし、残業のせいで長時間労働をした身体はもう限界を迎えていた。今のこの業務量で手一杯だと見ればわかるはずなのに「──ちゃんなら大丈夫出来るから!」なんて全く根拠の無い言い草で自分の担当じゃない仕事押し付けられるし。というかそもそも私の力量をお前が決めるなって感じなんだけど…あああのクソ上司のへらへらした顔思い出したら余計イライラしてきた。仕事を何でもかんでも自分に回してくる理不尽な上司に苛立ちを覚え、メンタルもこれでもかというほど擦り切らせてきたのに、朝からやらかしてしまった御手杵ともこれから顔を合わせなきゃ行けないと思うと胃が痛い。

「ただいまー…」
「おかえり」
 ナーバスな気持ちを拭いきれないまま、がらがらと音を立てる引き戸に手をかけ我が家に帰宅の挨拶をして前に目をやれば、玄関に腰掛けていた御手杵が此方を見上げる。
 いつか見たかのような光景にさっと血の気が引いていった。これは、まさかとは思うが、
「もしかして、朝からずっとここにいたの…!?」
「あんたに待てと言われたから」
 後ろからがつんと頭を殴られるかのような感覚に陥る。
(私の、せいだ)
 立春を迎え、世間では春と呼ばれる季節にはなっているにせよ三月の日暮れはまだまだ冷え込む。そんなジャージ姿のまま玄関先に居たんじゃ、寒くてしかたがないだろうに。
 ましてやすっかり日が沈み外は真っ暗だ。風邪でも引いたらどうするの、と言ってやろうとも思ったがそんな言葉で叱り付ける権限すら自分は持ち合わせていない。喉の奥がかっと熱くなる。私のせいで、また、こんなことをさせてしまった。
「ごめん」
 罪悪感と後悔で胸がはち切れそうだった。これ以上、御手杵を見ていたら涙を零してしまいそうで。また彼のことを傷付けてしまう言葉を吐いてしまいそうで、恐ろしくなった。その場から逃げるように駆け出す。悪いのは完全に私なのに、ここで泣くのは違うと思ったから。泣くなと思っているのに言うこと聞いてくれない涙腺にまた腹を立てながらこれ以上御手杵に迷惑を掛けないように顔を隠す事だけを考える。
 駆け足で階段を駆け上がり自室に戻り布団の中に潜り込めばいつもの落ち着く匂いにほんの少し違う香りが混じっていて今度こそ涙を堰き止めていたダムが決壊してしまった。自分の身を守るように、自分だけに優しい殻を身に纏うようにすっぽりと布団を被る。自分の体を抱え込むように縮こまって掛け布団を頭まで隠れるように被れば大好きな御手杵の香りが全身を包んでくれているようで涙がはらはらと止めどなく溢れてくる。

「……主、入るぞ」
 浅い呼吸と鼻を啜る音だけが聞こえていた部屋に男の人の声が混じる。
 一言入室の断りは入れるけど、有無を言わせぬ物言いに文句を言いたくなる。「入ってもいいか?」「駄目、入らないで」のやり取りすらさせてくれないずるさが今は心底憎らしくて仕方がなかった。

 この槍は気まずいという感情を知らないのだろうか。あからさまに避けられているのだから放って置いて欲しい。そんな文句も喉がひくついているせいで、口にすることは出来ない。隠れるにしてももう場所はバレているから意味は無いけど、代わりに布団の中できゅうと更に抱え込み、いっそこのままなくなってしまえと思いながら小さく小さく自分の身を縮こめる。
「顔、見せてくれないか」
 足音がすぐ側でピタリと止む。声が近くで聞こえるということは布団の真横にでもしゃがみこんでいるのだろうか。
「や、だ…っ」
「…頼む、顔を見て謝りたいんだ」
「って、ぎねが…あやまるこ、とじゃない…でしょ…」
 何を謝ると言うんだ。悪いのは全部私で、いわば御手杵はとばっちりをくらった被害者だと言うのに。これ以上泣くまいと呼吸を整えようとすればするほど布団の中の温度は上がっていく。あつい、くるしい、
 そう思っていると布団を力尽くで剥がされ、呼吸がしやすくなる。視界が急に明るくなりさも「眩しいです」といった仕草をしながら両手の甲で目元を隠して見せた。
「なんで、放って置いてくれないの…」
「ごめん」
「だから、!おてぎねが謝らなくていいんだってば…」
「うん。…なぁ顔、見せて」
「いやだ…!」
 最後の防衛戦。この手が剥がされたらいよいよ泣き顔という醜態を見られ、見られたくないみっともない部分をもっと暴かれてしまう。
 しかし御手杵の力に私が叶うはずもなくあっさりと顔を隠していた手をひっぺがされてしまった。
「いやだ、って…言ってるのにぃ…!」
「うん、ごめんなぁ。放っておいてやれなくて、」
 ぐずぐずに泣いた顔はもう絶対不細工だ。鏡なんて見なくてもわかる。涙をぼろぼろ零しながら嫌々とごねる姿はきっと幼い子供のようにすら見えるだろう。涙で滲む視界の中で、御手杵が困った顔で眉を下げている気がする。
「自分勝手だけどさ、泣いてるアンタのこと一人にしてやりたくなかったんだよ」
「っふ、ぅ…っ」
「だってそうだろ?前までは抱き締めて「泣かなくていい」って言いたくても出来なかったのに、今はこうしてアンタに触れて、涙を拭って、抱き締めることも、声を掛けてやることも出来る。
 出来るのに、しないなんて絶対後悔するしそんなの寂しすぎる。」

「もっとも、なんでも事を円滑に、当たり障りなく済ませたいアンタはさ、人に迷惑かけたくないとか自分の弱いとことか情けないとこを見せたくないとかって思ってるんだろうがな」
 御手杵がぽつりぽつりと静かに吐き出した言葉がこの上なくすとんと胸に落ちる。
「だから、無理矢理暴いてごめん。」
 なんで、どうして、そんなにも私のことを理解出来るのかと呆気に取られてしまった。下手すれば自分より私のことを客観的に理解してくれてるのではないかと内心驚いていると、考えていることが顔に出ていたのか薄く微笑まれた。
「わかるさ。何年アンタのこと見続けてきたと思ってるんだ」
 跪いて目線を合わせる御手杵の瞳が慈愛の色で甘く溶ける。私が好きで、好きすぎて直視していられない、甘い、甘いミルクチョコレートの淡い色。その色素の薄い赤茶色の瞳に見入っていると目尻に溜まった水分を指先が拭い、次に顔にかかる髪を避け、耳にかけてくれる。流れるようなその手つきで終いには頭の後ろに優しく手を回され、そっと御手杵の胸へ抱き寄せられる。
「心配だったんだ。」
 とくん、とくんと御手杵が今此処で生きている音がする。
「大丈夫だって言うけど、いつもより明らかに元気ねぇし、つらいって言いそうな顔してんのになんも言ってくれないし当たり前のように仕事に行く格好してるしさぁ。アンタ、変に責任感強いからそのまま行かせたらぶっ倒れるまで働くんじゃないかと思って行かせたくなかった。」
 規則正しい鼓動の音に、ほんの少し声が揺らぐ低音が被さる。もし本当に私が倒れたとして御手杵はどんな顔をするのだろうか。そんなもしもの想像をしてしまうけれど今でさえ不安げに揺れる彼を見れば本当に御手杵は心配してくれていたんだと、自惚れではなく事実として突き付けられる。
「…心配、かけてごめんなさい」
「心配くらいさせてくれよ。」
 涙もようやく止まり、頭が冷静さを徐々に取り戻していくと彼の腕の中にいるということが途端に気恥ずかしくなり一旦距離をとって布団の上に正座をする。
 頭を下げ、心からの申し訳なさを伝えるため謝罪をすれば頭の上に優しく手を置かれる。
 本当に、御手杵は何処までも優しい。優しすぎて、どんな自分を見せても否定しないでいてくれるのではないかなんて勝手に期待して、ずっと私を見捨てないでそばに居て欲しいと依存したくなってしまいそうで怖い。あまり深入りしないように気を付けなければと内心苦笑していると「あー、あと」となんとも言い出しづらそうな物言いで言葉を繋げられる。

「ばあちゃんから、聞いたよ」
「?」
「その、月のものってやつ?…まあ詳しい事まではちっとわかんないけどさ」
 しんどいことだってのはなんとなくわかったと言いながら目線を横にずらして首に手を当てる。
「あー…」
 なるほど。私が言いづらくて出来なかった保健体育の授業を簡易的ではあるがばあちゃんがしてくれたということか。ありがたい。
「…あの、御手杵、」
「ん?」
「……酷いこと、いっぱい言ってごめん」
「…うん、」
「生理来てる時、私どうしてもイライラしちゃって、でも、だからって御手杵に八つ当たりしていい訳にはならないんだけど…その、あんまり触れられたくない話題だったから冷たくあしらっちゃった、本当にごめんなさい」
「…うん、いいよ許す」
 はいこれで仲直り。な?
 なんて言いながら大きな手で私の片方の手を攫い、ぶんぶんと縦に軽く揺すられる。
「っふふ、うん。仲直り。これが喧嘩だったかどうかもわかんないけど」
「喧嘩ってことにしておこうぜ。たしか『喧嘩するほど仲がいい』って言うんだろ?これで俺たちもっと仲良くなれたな」
 うんうんと何故か誇らしげに頷く御手杵に思わず吹き出せば「なんで笑うんだよ」と不服そうに言われた。今朝の怖い顔をしていた男とは別人のようだ。ころころと変わる御手杵の表情はどれも魅力的で愛らしい。
「その理論で行くともっと喧嘩すれば仲良くなれることになるけどどうする?もっと喧嘩しとく?」
「うぇ?それはちょっとやだな。アンタに避けられんのとか俺はもう二度と御免だね」
「そ、そうですか…」
 おどけながら悪戯を仕掛けたつもりが御手杵の真っ直ぐすぎる素直さのお陰で返り討ちにされ狼狽える。なんだか此方が気恥ずかしくなってしまった。解せない。
「ただでさえあんま目線合わないのに余計合わなくなっちまうし」
「うっ、……まぁそれは致し方ないと言いますかなんというか…」
「仕方なくないだろ?」
「ぎゃっ!?ちょっとやめてって髪ぐしゃぐしゃになる!」
「おー、なっちまえなっちまえ」
 さっきまでの気難しい雰囲気は何処へやら。途端にぎゃいぎゃいと騒がしくなる私たちの狭苦しい寝床。やっぱり、この雰囲気の方が居心地がいい。

「ぷっ、ははは!アンタ髪の毛凄いことになってるぞ」
「御手杵がやったんでしょうが」
「っふふ、そうだなぁ」
「そうだなぁって…まあいいけどね、どうせすぐお風呂入るし」
「どれ、俺も一緒に入ろうかな」
「入らせませんけどね?御手杵好きだねそのネタ」
「ちぇ、今度は行けると思ったんだけどな。だめかぁ」
「だめです。どっから来るのよその自信…」
「そういや昨日貰った酒一緒に飲むか?」
「お、いいね。でも今日は遠慮しとこうかな。明日も早いし」
「毎日大変だなぁ」
「社会人だからねぇ。明日の夜ならいいかな、次の日遅番だし」
「ん。じゃあ明日な」
「うん、御手杵とお酒を飲む日が来るとはねぇ…なんか感慨深いな。楽しみ」
「…なぁ主」
 無意識か、それとも意識的にか。僅かに声のトーンが密かに下がる。話の延長線上に現れた小石。なんてことはないのだけれど、気を付けないとうっかり躓いてしまいそうだ。
「んー?」
「俺、アンタに何してあげられるかなぁ」
 御手杵の口から直接発せられた訳では無いけど、私には「自分が本丸に帰るまで、何をしてやれるのか」惑っているように聞こえた。
「…別に居てくれるだけでじゅーぶんだよ」
「えぇ?そんなんでいいのか?」
 まるで欲のない私の発言に文句のひとつでも言いたげな様子だ。でもね、違うよ御手杵。私が言いたいのはね、
「遠慮せずになんでも言ってくれよ。あ、いや、なんでも器用に出来るわけではないけど」
 ああ危ない、こくりと本音を腹の奥に飲み込み御手杵の言葉に耳を傾ける。
「まぁ、出来る範囲でならなんでも」
「なんでもねぇ…なんも思い付かないなぁ」
「ほんとに何も無いのか?」
「んー…」



「甘やかして欲しい」

 1秒前までの表情をそのままにしたまま此方をきょとんと見る御手杵。あれ、私今なんて、口に?
 1,2,3……4秒くらいだろうか。丸々としたチョコレートミルクの瞳と見つめあって瞬きを数回。
 結構な間を開けて自分がなんと言ったかを把握し、脳がその意味を高速回転で処理してようやく自分が口を滑らせたことを把握する。
「ごめん今のなし私お風呂入ってくるねあとお願いだから何も言わないで聞かないで」
「まてまてまて悪かった!違う!今のはただ嬉しくてだな!」
 捲し立てるような早口でその場をやり過ごそうと立ち上がったのに、行くなと手首を掴まれる。
「何も言わないでって言ったじゃん!!いいよ気持ち悪いって罵ってくれて今の絶対きもかったし、柄じゃないし!」
「いやアンタはいつでもかわいいだろ」
「ぅえ゛、!?」
 思わぬカウンターをくらって変な声が出てしまった。
「わかった。甘やかす、任せとけ」
「わからなくていい!無理しなくていいって!ほんとにもう口が滑っただけだから本気にしなくていいからというか触れられれば触れられるほど恥ずかしくて死にたくなるからもう手離してくれません!?声震えてるし、さっきっから笑ってんの気付いてんだからね言っとくけど!」
「だから違うんだってぇ…!アンタからそんなこと言ってくるとか正直想像してなかったっつーか、いつも突っぱねられることが多かったから急に素直になられるとここら辺がむず痒くて、なんて返したらいいかわかんなくなっちまって」
「あー!あー!お願いだからもう喋んないでくれる!?」

「──?うるさいんだけど次あんたお風呂入んのー?…ってどうしたの二人して顔真っ赤にして」
「まじでありがとうお母さん愛してる今入ります!」
 ノックをしてから部屋に入ってきたお母さんが今は女神に見える。心からのありがとうを叫び御手杵の手を振り払って部屋を飛び出し、自分史上最高速の足取りで階段をかけおりる。


「………もしかして邪魔しちゃった?」
 ドタバタと音を立てて階段を駆け下りていく彼女の背を見届けたあと、へなへなとしゃがみ込んだ御手杵の旋毛を見下ろしながら声を掛ける。
「いや、問題ないさ」
 そういう御手杵の赤茶色の髪の隙間から見え隠れする耳は平静を装う声色とは裏腹に赤く染まっている。
「そ?……御手杵くん冷たいお茶でも飲む?」
「…有難く頂戴するよ」




 ◇
 何故こんなにも恥ずかしいのかと言えば、「御手杵に甘えたい、甘やかされたい」という確かな欲をずっと前から抱えていたからだろう。御手杵が我が家に来るより前。御手杵という槍に惚れ、好きだと強く思うようになった頃からの、俗に言うオタクの夢というやつだ。

 お風呂に入ってさっぱりしたあとも瞬時に襲ってくる先の醜態の記憶のせいでじんわりと汗ばんでしまいそうになる。いつもなら下着姿で部屋に行ってもなんら問題はないのだが今は御手杵が居るから服もきちんと来てから脱衣所を出なくては行けないのが難点だなと思いながらスウェットに袖を通す。暑くて仕方がないから早く此処を出よう。
「うわ、びっくりした」
 立て付けがいまいちよろしくない引き戸をガタガタと音を立てて開ければ、出てすぐの廊下に御手杵が座り込んでいた。
「どうしたの御手杵こんなところで」
「待ってたぜ」
「待ってた、って、うわ!?!」
 此方を視界に捉えると立ち上がり一歩二歩と此方へ近付いてくる。ほんと、首が痛くなるほど高身長だよなぁなんて感心していた隙に急に浮遊感に襲われ思わず大きな声が出てしまう。
「なななななに!?!」
 なんで突然姫抱き?突然襲われた浮遊感と地に足が付かないことへの不安、そしてこの密着度のせいで心臓を痛め付けられる。
「身体つらいんだろ?」
「へ?あ、ああ、まあお腹は確かに痛いけど…別に普通に歩けるし」
「無理させない方がいいってばあちゃんたち言ってた」
 与えられたことをすぐ吸収して実行出来るのは大変素晴らしいし優秀だと思うが、哀れにも御手杵に恋心を抱いてしまっている私にとっては全くありがたくなかった。まさかこの自分がお姫様抱っこなんてものをされる日が来るとは
「いや、気持ちは嬉しいんだけど、あのほんと無理してないから降ろして欲し、」
「『甘やかして欲しい』、だったか?」
「ぐっ、」
 人を抱き上げたまま顔をのぞき込むのは勘弁して下さい。そして揚げ足を取って得意げな顔でふふんと笑うのもやめて欲しい、心臓またきゅってなったから…!
「っはは!まあそうは言ってもただ俺がなんでもしてやりたいだけだから。アンタは甘んじて受け入れてくれればいいよ」
「せめてこの前みたいに俵担ぎにしませんか…」
 顔の距離が近すぎて居た堪れない気持ちでいっぱいになり、妥協案を提案してみるも即座に却下される。
「それだと腹痛いだろ」
「ごもっともで…」
「よしじゃあ部屋行くぞー」
 両手で顔を覆って感情を出来るだけ無にして自分は荷物自分は荷物、運搬されてるだけ…と何度も心の中で己に言い聞かせた。


 部屋まで連れて行かれ、そーっと降ろされた次は髪を丁寧に乾かされる。これはまあ、約束のうちだからいいとして。手や足にボディクリームを塗る所まで手伝うと言い出したものだからひっくり返りそうになった。勿論遠慮したのだけれど御手杵に押し切られてしまって結局こしょばゆい感覚に耐え凌ぎながらお風呂上がりの日課であるこれの存在を御手杵に教えた過去の自分を強く恨んだ。
「こんなもんか?」
「あ、はい、もう充分です大丈夫ですありがとうございました……」
 がちがちに力を入れて耐えていたせいで開放された瞬間ぐったりとしてしまう。刺激が強すぎる…!
 床に横たわり打ちひしがれていると眠くなったと勘違いした御手杵が「もう寝るか?」と凪いだ海の漣のように穏やかな声色でそう尋ねてきた。
「あー、うん、今日はもう寝ちゃおうかな」
「わかった」
 軽々と抱き上げたかと思えば布団の上にぽすんと降ろされる。
 突然のことすぎて声すら出せなかったけど、たった数歩で辿り着く距離なんだから一々抱き上げてもらわなくても…
「御手杵もしかして私が動いたら死ぬと思ってる…?」
「んぁ?なんか言ったか」
 顔を寄せ後ろから抱き着くように横になられたせいでまたぴしりと身体が固まる。もう一度聞き返す気にもなれない、
「な、なんでもないです…」
 それにしても、抱き抱えるようにして眠りにつくのがもうすっかり癖になってしまったのだろうか。なんの迷いもなく同じ布団に入り寝る準備をし始める御手杵に私は未だ戸惑いを隠しきれないというのに。
 すっかりおなじみになってしまったこの体勢。明らかに一人用で狭い布団の中に身を寄せあっているせいで離れることすら叶わないのが悩ましい。少しでも逃げ腰になろうものなら「寒いだろ?」とか「身体冷えるぞ」なんて言いながら引き寄せられることが既に証明されているから余計に。すぐ逃げ出したくなる私の習性を学習した御手杵は最初から腕を重しのように乗せることを覚えたようだけれど。今日も同じように後ろから前へだらりと腕を回される。しかし今日はそれだけにとどまらず、何かを探るように私の身体の前でごそごそと手が動き回る。
「ちょ、ちょ、ちょ、今度はなに…!?」
 布団を被っていてよく見えないせいか手探りで下腹部あたりを探る手の動きにあからさまに動揺してしまう。
「あったかいと良いって聞いたから」
 しかしその脳裏を一瞬過ぎった『とある心配』は呆気なく杞憂におわった。まだ痛いか?と気遣いながら服の上からお腹をさすられ邪な考えしか浮かばなかった自分の愚かさを酷く悔いた。
「ごめん、ほんとにごめん…」
 下心しかない私をどうか叱ってくれ。優しさから来る善意の行動を疑ってしまった罪悪感がすごい。御手杵のこと、やっぱり一人で寝かせてあげた方がいいよ絶対。こんな女と一緒に寝かせたら御手杵の貞操が危ない。本当にごめんと申し訳なさでいっぱいになりながら声を震わせ懺悔する。
「ど、どうした?そんな痛いのか…?」
 背後から狼狽えながらもこちらを気遣う優しい声がして余計に自分自身の思考回路が恥ずかしく思える。
「ううん…御手杵のおかげでだいぶ楽になった気がする。あったかいよ。ありがとね、」
「ならいいんだが…」

「寝るまででいいからこのまま手当てといてくれる?御手杵の手暖かくて安心する、」
「ああいいぜ」
「ありがとう」


「おやすみ主」
「おやすみ御手杵」
 眠りに落ちる前、すぅすぅと静かな御手杵の寝息を聞きながら私の中に新たな不安の種が胸の内に植え付けられた。






(御手杵のぬくもりがなくなったこの布団で、果たして私は眠ることが出来るのだろうか)




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