逆トリップして来た槍のスパダリ力が極まってて困ってます | ナノ


  途絶える事ない約束を



「布団、買ってくるの忘れた……!!」

「別にいいぞ俺はあのままでも」
「よ、よくない……!」
「なんだよ、そんなに俺と一緒に寝るの嫌かぁ?」
 俺、あんたのこと抱いて寝るの癖になりそうなんだけどと言うとんでもない発言をかます御手杵に動揺しすぎて買い物袋をひとつ取り損ねそうになる。
 爆弾発言の真意はきっと「霊力が安定するからそばに居ると安心する」とかそういうことなんだろうが逐一心臓に悪い言い回しをするから困ってしまう。御手杵の言葉に他意はない、下心はない。うん!
 なんとか己に言い聞かせて正気を保つ。
 昨日一晩だけでも相当な精神力を使い果たしたというのに、もう一晩延長となると私の身が持たない。

「今からでも戻って買いに行くしかないか…」
 丸一日ゆっくりと買い物を楽しんだものだからもう日が傾き始めてる時間帯だ。行くなら早く行ってこないと。
 また車で往復するのは疲れるが背に腹は変えられない。ほんの少し溜息をつくととわざわざ買わなくてもよくねえか?と眉をひそめた御手杵が言う。
「かさばるし、いつ使わなくなるかわかんないでかい買い物だろ?無理してする必要ないと思うけどな」
 なんてことない御手杵の一言。そう、なんてことない。むしろ気遣いから来る優しさの表れだ。
 でも、それでも、彼の口から出た言葉に心臓が嫌な跳ね方をする。
 そっか、そうだ、
 御手杵は帰る。それが今日なのか明日なのか、いつかはわからないけど。いつかは絶対に本丸に帰る時が来るんだ。

 あれ、息はどうやって吸って、吐けばいいんだっけ。いつも無意識下で出来ているはずの普通がままならない。呼吸が苦しい。

 御手杵が手伝ってくれたおかげで沢山ある荷物もすぐに下ろし終わった。ぼーっと魂が抜けたまま自分のバックをとりあえず一旦取り出そうとすればすぐ後ろに御手杵が立っており思わずびくりと体が跳ねる。来て一日経つが、やはりこのサイズ感と上から覗き込まれるこの感覚には慣れそうにない。

「これで荷物最後か?」
 移動する度にぴたりとくっつくように同じ動きで移動する御手杵をまるで雛鳥のようだと内心笑いながら車に鍵をかける。
「もう全部終わったからあとはないよ。手伝ってくれてありがとね。あ、バックは大丈夫、これくらい自分で持ってくか、っら!?!」
 即座に感じたのは浮遊感。そしてほんの少しのお腹への圧迫感。
「よし、行くぞ」
「いやなにが良しなの!?!」
 手にしたバックがするりと奪われたまではよかったのだがそれを肩に掛けた反対側に何故か私を米俵のように担ぎ上げる。意味がわからない。お前の存在がお荷物だよとかそう言う遠回しな悪口?というか絶対重いし何より恥ずかしいから下ろして欲しいんだけど!?!足をじたばたさせてもびくりともしないのが恨めしい。暴れたら落ちてしまいそうでそこまで全力で抗えなかったのもあるかもしれないけれど。
「御手杵くんおかえり、あら名前ちゃんどうしたの?」
「ばあちゃんただいま。ちょっと言うこと聞かないからこのまま連れてきた」
「そうだったの?ごめんなさいねぇ」
「いや言うこと聞いてくれてないの御手杵の方だから!?ねえ私置いてけぼりでのほほんとした会話続けないでくれる?ばあちゃんも孫のこの現状見て助けてあげようとか思わないわけ、あ、ちょっと御手杵さん!?靴!!うち土足厳禁だからそのまま連れていこうとしないで降ろして!!」
「ああそっか」
 悪い悪いと軽く笑いながら玄関先にそっと降ろされる。
 地に足に着く感覚と御手杵の体温という名の凶器から解放され内心「よかった」と息をつこうとしたのにわざわざ目の前にしゃがみこんで靴まで丁寧に脱がせるものだから思わず「ひぃ」と情けない悲鳴が漏れる。視界に収まっているのは、跪き、シンデレラに靴を履かせてやる王子様のような美青年で頭がクラクラするが、相手が私なせいで介護感、いや幼児に靴を履かせてやる保母さんのようにしか見えないのが惜しい。推しに担がれるだけで留まらず足に触れられるというとんでもない状況が処理しきれず口をパクパクと開け閉めする事しか出来ずにいる間にも、非情な男はてきぱきと次の行動に出る。

「よし」
「ぐぇ、!?!ちょ、なんでもう1回担ぐの!!」
 だから全然良しじゃないんだってば!先程味わった浮遊感に短時間のうちに再会する羽目になるとは。戸惑いの色を隠しきれない此方の様子にお構い無しといったように御手杵は長い脚ですたすたと歩いていく。
「ねぇ、ちょっと何処まで行こうとしてんの!?布団買いに行くから降ろして欲しいんだけど。田舎は店閉まるの早いし明日は普通に仕事だからさっさと用事済まして休みたいところなんですがそこのところどうお考えでしょうか!?」
「…」
「無視ですか!?なに!?主のこと嫌い!?」
「嫌いなわけないだろ。ちゃんと大好きに決まってる」
「だっ、!う…それは、…ありがとうございます…っじゃなくてぇ!!!」
 そこはしっかりと答えるのか…!けしかけておきながら返ってきた真っ直ぐな好意にあからさまに挙動不審になっていると人を俵担ぎにしながらけたけたと笑みをこぼす余裕の御手杵。もうだめだ、声を荒らげるのも疲れた。
 一人で疲労困憊になってると洗面所と併用の脱衣所で降ろされる。うーんなるほど、わざわざ手洗うところまで運んでくれたってことか。普通に歩けるんだけどなぁ。もしかして朝から動き通しで疲れてると思われていたのだろうか。その疲労感を少しでも和らげようと運んでくれたと。うちの槍は主思いの良い槍だなぁ。ではお言葉に甘えて贅沢な手洗いでもと洗面所の水道を目指そうと一歩踏み出しても目の前の御手杵が退けてくれる気配はなく。不思議に思い視線を上に向けて彼の様子を伺えばニコッと綺麗すぎる笑顔を向けられる。あ、なんか嫌な予感
「脱いで」
「なんでそうなるの!?」
「脱がす所まで俺がやってあげなきゃ駄目か?」
「いやいやいやいやいい!!いらないです!!え、何がどうしてそうなった!?」
 今日一番の大きな声を出しながら身を守るように両の腕を胸の前で交差させ己を抱き込む。背後には浴室に繋がるドア、目の前には意思のある高い壁。この状況から抜け出せる猛者がいるのならここを無傷で通る攻略法を教えて欲しい。

「自分で脱ぐのと俺に無理矢理脱がされるのじゃ、自分でやる方が恥ずかしくないだろ?」
「おかしいな御手杵くんの中には脱がないという選択肢がないのでしょうか。主はまず今は脱ぐべき状況ではない気がするんだけどなぁ!それにまだ出かけるって言ってるよね私」
「我儘言うなよぉ」
「え、これ私が悪い?」
 駄々をこねる子供にやれやれと息を吐く大人のような態度を取られ頭が困惑する。正論しか言っていない気がするのだが私がおかしいのだろうか。
 価値観がバグりそうになりながら頭を捻ってるといつの間にかじりじりと御手杵が距離を詰めて来ていてまた声色がひっくり返った悲鳴をあげる。
「ち、近い近い!!今度は何!?」
 御手杵の逞しい腹筋胸筋があるであろう部分と自分の身体の間にせめてもの空間を作るため腕を滑り込ませるも、そのバリケードを難なく破り、ピッタリと身体をくっ付けてくる。両手でぐいぐいと押し返しているつもりなのに御手杵の身体はビクともしない。このままでは後ろに倒れ込んでしまいそうだ。ぷるぷるとひ弱な背筋でなんとか身体を仰け反らせていると後ろからキィとドアが鳴く音が聞こえる。
「よっと」
「!?」
 またこれか!今日は何度この持ち上げられる感覚を味わえばいいんだ!今度の浮遊感は先程とは違い直ぐに終わった。その代わりに足の裏には冷たい浴室のタイルの感触。

「ぶっ!?!」
 君の主は筋トレの道具じゃないんだぞと文句をつけようと口を開こうとしたとき、きゅとシャワーを捻る音が聞こえたと同時に冷たい水が顔面にかけられる。
「あ、悪い。顔にかけるつもりはなかったんだが」
 と言いながらもシャワーを止めてくれないのは何故なんだ。水だったものが段々と暖かなお湯に変わりながら洋服へかけ続けられる。本来水気を吸うべきものでは無い生地がお湯を纏い、じっとりと素肌に張り付いてくる。

「やっぱり御手杵、私の事嫌いでしょ…」
「だからぁ、好きだって言ってるだろ?」
 信じてないのか?とかわいらしく小首を傾げられても…
 ちょっと家に帰ってきてからの己の行動を振り返って見てほしい。

「どうだ?買い物に行く気失せたか?」
「いや、これじゃもう買い物所じゃないでしょ…時間も時間だしこのままシャワーしちゃおうかな」
 なんというか何もかものやる気を削がれた。ため息をついて全てを諦めた此方の様子とは対照的に御手杵は「そうか」と満足気なご様子。主がびしょ濡れになっているというのににこにこと笑顔を浮かべる奴がいるか。

「着替え持ってきてやろうか?」
「自分で持ってくるからいい…」
「部屋まで運んでやる」
「結構です!」
 御手杵と顔を合わせてまだ日は短いが気付いたことがある。うちの御手杵は世話焼きだ。他の刀をあげて例えるならそう、それこそへし切長谷部のように主からの主命に喜んで拝命するような。御手杵の場合主命というよりお願い、と呼ぶ方がしっくり来る気がするが。気の所為でなければほんの些細なことでも彼に頼ると口元が緩むように見える。その顔はそれはもうとてつもなくかわいらしい。飼い主に褒めて褒めてとかけよるわんこさながらの愛らしさで、我慢こそするがうっかり抱き締めたくなる衝動に駆られる。でもだからと言って着替え(主に下着)を持ってこさせるのは絵面的にも精神的にもなしだ。絶対駄目、そんなことさせられない。
「でもあんたそのまま歩いたら廊下びしょびしょになるぞ」
「……わかった。じゃあ私の代わりにばあちゃんとこ行って、私の着替え持ってきてって頼んで来てもらえる?」
「ああいいぞ」
 任されたと言わんばかりに頼もしく頷き脱衣所を後にする御手杵の背中がようやっと視界から居なくなったと同時にふぅと深いため息が漏れた。ああどうしよう、このままだと結局今日も御手杵と同じ布団で寝る羽目になってしまうじゃないか。その事実を自覚した途端、心労がのしかかるように水気を帯びた衣服の重みが訪れる。一旦考えることをやめよう、うん、そうしよう。迫り来る現実から逃れるため重たい思考を取り払うように服を脱ぎ捨て暖かいシャワーを浴びた。

「着替え置いとくぞー」
「あ、ありがとう…」
 シャワーがタイルの上を跳ねる音に邪魔されて少し遠くに聞こえる御手杵の声が曇りガラス越しに聴こえて思わず肩が跳ねる。推しがこのガラス一枚挟んだすぐそこにいると思うとなんだか生々しくて変に生唾を飲み込んでしまう。
「なぁ、」
「うぁ!?な、なに…!?!」
 びっくりした。まだ居たのか…!てっきり服を置いてすぐ脱衣所を出たとばかり思っていたせいで声が上擦る。
「髪、洗ってやろうか?」
「け、結構です!!!」
 昨日自分が受けた施しを返そうとしてくれているのだろうか。思いもよらない提案に声量も自ずと大きくなってしまった。あからさまな動揺が笑いを誘ったのか「っはは!だよな」と隠し切れない僅かな笑い声が耳に届き恥ずかしさで死にたくなった。
「入って来たら嫌いになるから!!」
「そいつは困る。ちゃんといい子で待ってるからゆっくり温まって来なよ」
 くつくつと喉を鳴らしながら余裕の返しをされる。
 なに、その余裕な受け答え…!というか今絶対にからかわれた気がする。いつもは授業がだるくて仕方がない男子高校生みたいな感じなのにたまに見せる大人の余裕がずるい、いや、事実だいぶ大人でだいぶ歳上なのだけれど!嫌いになるから、なんて子供じみた必死の抵抗にそれは困るってどういうことなの…!?勘違い女だからそんなこと言われたら私には嫌われたくないって思ってるって意味で都合良く受け取ってしまいますけど!?いや、大丈夫、わかってる。大事な大事な主には嫌われたくないよね、いつまでも大事に扱って貰って戦に出たいよね、一番の槍になりたいんだもんね、わかってるよそんなこと!
(でもだって、好きなんだからしょうがないじゃないか!)
 好きな人の言葉が逐一心に引っかかって何が悪い!
 どうしたって御手杵に翻弄されてしまう悔しさを噛み締めながら憂さ晴らしのようにシャンプーを泡立てる。さっきまで寒いと思っていたのに気付いたらいつもより低めの温度のシャワーを浴びていた。





「あれ、ドライヤーがない」
 シャワーを浴び、髪を乾かそうとしたのだがドライヤーが見当たらない。誰かが使っていつもと違う場所にでも置いたのだろうか。でもまぁ、探すのも面倒臭いし今日はタオルドライでもいいか。ここで面倒くさがってすぐ諦めてしまう辺り、女子力の低さにも直結してしまっているのかもしれないが面倒臭いものは面倒臭いのだから仕方がない。
 柔軟剤がふんわりと香るタオルで適当に髪をかき撫でながら部屋に戻ると御手杵が手狭な部屋に一人腰を下ろしていた。そしてあぐらをかいている彼の手にはさっきまで探していたはずのドライヤーが。
「お、戻って来たか」
「うん。ドライヤー御手杵が持ってきてたんだね」
「おう」
 使うだろうと思ってあらかじめ部屋に持ってきてくれていたんだろうか。ありがとうと一声添え、受け取ろうと手を伸ばすもその手のひらにドライヤーを乗せられることはなく、きょとんとした御手杵の顔と見合わせることになる。
 なんで渡してくれないの?という私となんで手を出してるんだ?とでも言いたげな御手杵が互いに少しずつ首を傾げる。
「御手杵?」
「?どした」
「いや、どうしたじゃなくてドライヤー」
 貸してよと言えば「え、なんでだ?」と返されてしまい言葉に行き詰まる。
「なんでって、…逆に聞きたいんだけどなんで?」
 小さな子供がするような質問の応酬。
「俺があんたにやってあげたいから」
「え、えぇ…?」
「だからはい、大人しく座ってくれよー」
「わっ!?ちょっと危な、!」
 催促する手にドライヤーが乗せられることはなく、代わりに手首をぐいと引き寄せられる。身構えていなかったせいで御手杵の逞しい胸板に顔面を突っ込む形になってしまい地味に痛い。
「すまん、力加減間違えた」
「いや、それはいいんだけどさ」
 この近さどうにかしない?と訴える前にドライヤーの音と温かな風が反論の余地を与えることなく滑り込んでくる。
 反論するのももはや面倒くさくなってしまい大人しく体育座りをして身を小さくする。なるべく身を小さくして御手杵の身体との距離を取った。

「熱くないか?」
 距離を取った、つもりになっていただけらしい。
「っだ!?だいじょぶ、です……」
 ドライヤーの音がうるさくて聞こえづらいと思ったのか不意に柔らかな低音が耳のそばで聞こえて来て心臓が飛び出るところだった。ドライヤーのせいで、耳元に顔を近付けられたのを全く気付けなかったものだから余計に心臓が忙しなく動く。熱風のせいでと言うにはあまりに不自然なほど、左耳だけが異常に熱を帯びていた。
 悪気は全くとして無いのだろうけど髪を梳く拍子に少しかさついた御手杵の指先が悪戯に耳のふちを掠めていく。時たまやってくる妙な刺激に肩が僅かに揺れてしまう。雑念を必死に振り払って、どうかこの変に力が入ってしまっている自分の挙動不審さがバレませんようにと切に願うばかりだ。

 それにしても、自分の妙に意識してしまう下心を切り離して考えると御手杵の手付きはとてつもなく心地が良い。
 もっと乱雑にがしがしとやるのかと思いきや案外優しい手付きで眠たくなってしまいそうだ。一旦瞼を閉じると本当に寝てしまいそうなくらい。
「…あるじ?」
 温風で空気が忙しなく揺らいでる奥で、微かに自分を呼ぶ柔らかな声が聞こえた気がした。


 ◇
 半ば無理やり主の髪を乾かす権利をもぎ取った。最初こそ警戒心剥き出しで距離を取られてはいたが、心地の良い温かさで肌を撫ぜていく人工的な風のお陰で随分と眠そうに見える。
その証拠に、さっきまで俺からほんの僅かでも距離を取るよう心掛けて座っていたのが今となってはすっかり背中を俺に預けるようにして身体の力を抜いている。普段から見て取れる照れ屋な彼女の様子と比べて考えたら想像もつかないことだ。
「…あるじ?」
 絡めとっても指に間をするりとすり抜けていく髪を梳き、頭を軽く撫でて見ても辞めてよと照れた声色で反抗する様子もない。
「終わったぞ」
「んー…」
 ドライヤーを止めて静かにそう告げればかろうじて反応は返ってくる。が、相当眠そうだ。
 主の小さな背中が俺に全て預けられている。
 誰も否定など出来ない程に彼女の全てを、俺に委ねている。

(俺の、腕の中に、主がいる)
 俺が力を入れたら簡単に折っちまえそうな身体。自分と比べたら薄い腹に腕を回して首筋辺りに額を埋める。
 すぅと静かに息を吸い込めば鼻腔を擽るここ二日で覚えた彼女の香り。
 前なら考えられなかったことだ。主が本丸の様子を見に来てくれている間だけ、此方も画面越しに彼女の姿を見ることが出来ていた。姿や声も認識することさえあったが、自分の意志を全て主に伝えることなど出来なかったし、こうして自分から触れることも主が生きていることを肌で実感出来る機会などなかった。ずっと会いたいと、話してみたいと思っていた人が、自分の目の前に居て、惰眠を貪っている。他の誰でもない俺の前でだけ気を抜いて、人で言うもっとも無防備である寝姿を見せてくれているという優越感とずっとこの手で俺が守ってやりたいという庇護欲が駆り立てられる。
 叶うことなら、この腕の中に閉じ込めておけるうちに攫ってしまいたい。
 だが、その方法はわからない。
 せっかく人の身も心も得たのに、惚れた女のひとり攫うことも出来ない。やるせない歯痒さのあまり目の奥がじわりと熱を帯びていく。そして、静かに寝息を立てる主に縋るように、それで居て壊さないように柔く優しく、抱き締める。

 擦り寄るように肩口に縋ったのが擽ったかったのかほんの少し眉間に皺を寄せ「んー」と唸る彼女の寝顔が愛おしいのにおかしくて、口角が自然とだらしなくなってしまうのがわかる。前の俺は主に一目会ってみたいと、それだけで良いとそう願っていたというのに。今こんなに幸せで良いんだろうか。これはもしかしたら今までの戦で取った誉が貯まった褒美なのかもしれない。
 それにしたって、こんなに幸せじゃ、いつか来る別れが悲しくなってしまうでは無いか。そう思うのに適当な距離でいようとも思えないのは、自分の欲深さ故だろう。

「こんなことになるならもっと、…もっと沢山誉を取っておけばよかったかもなぁ」
 そうすれば、良い事をした分だけ良い事がもっと続くと思うから。
 後悔の言葉に対する言葉は返って来ず、規則正しい生きてる音が静かな部屋で繰り返されるだけだった。
 もっと彼女の熱を、呼吸を感じて居たかったが布団で寝かせてやらなきゃ身体を痛めてしまうだろう。そう思い抱き抱えて布団まで運んでやると流石に目が覚めてしまったのか眩しそうに細められた瞳が此方を捉えた。

「悪い、起こしたか?」
「ごめん、寝ちゃってた…」
「いいって。疲れたもんな。明日は仕事なんだろ?」
 今日はもう寝ちまえよ。
 布団を掛けて軽く頭を撫でてやっても甘んじて受け入れている辺り、完全に目が覚めた訳では無いらしい。覚醒している時に言ったら顔を真っ赤にしてそんな訳が無いと全力で否定されてしまいそうだが睡魔と戦いながら必死に起きようと抗う姿はこの上なくかわいらしい。喋り方がふわふわしてるし、幼い子供に戻ったみたいだ。
「でもおてぎねおふろまだ、でしょ」
「は、」
「まだ髪の毛かわかしてあげてない、」
 小さな口がいつもより一層小さく開いた空間から聞き逃してしまいそうなほどの微かな音を零す。
 だから眠いはずなのにこんなに眠気に抗って起きようとしてるってのか…?いや、ほぼ負けては居るが、
 昨日俺が言ったことを律儀に覚えて、今日ちゃんと俺の髪を乾かしてあげようと思っていたことが嬉しくて、愛しくて堪らない。絶対に眠たいはずなのに頑張って起きようとしているところとか、もう、
「もうアンタなんなんだよぉ……」
 へにゃへにゃになった情けない声が掛け布団に吸い込まれていく。
「んー…?おてぎね?」
 やめてくれ、今そんなに甘ったるくてこっちが参りそうなほど優しい声で俺の名前を呼ぶのは止してくれ。項垂れるように布団へ顔を埋めた俺を不思議に思ったのか手探りで頭の位置を突き止め軽くかき撫でる。
 もう、完全に犬かなんかだと思われてる手付きだよなぁこれ。
 俺の髪の毛をくしゃりと撫でるその手を掴み、掛け布団の中にしまってやる。
「じゃあ明日乾かしてくれ、な?」
「でも…あしたぜったいって、言ったし、」
「大丈夫だって、俺、ちゃんと待てるから。アンタはなにも気にせず寝ていいんだよ」
 ここで力一杯抱き締めず、頬を撫でるだけで踏みとどまった俺を誰か褒めたたえて欲しい。気持ちよく寝れそうな主をぎゅうぎゅうに抱き締めて、起こしたら行けないからな、
「わかった、じゃああしたこそはぜったい、」
 やくそくね、
 ふにゃと無防備な笑顔を浮かべた審神者の姿を目に入れた時、一瞬俺は死んじまったのかと思った。そのくらい衝撃的で、信じられないくらい心臓と呼ばれる部分が痛くて熱くて、戦場を全力で駆けたときの比じゃないくらい息をするのが苦しかった。これでも自分が無傷でいる事が不思議に思うくらい苦しくて仕方がない。
「ああ、約束だ」
 裏返りそうになる声をどうにか宥めてかろうじて返事をすれば彼女は再び眠りの世界に戻って行った。
 愛おしすぎて、どうにかなりそうになるなんて、人の身はつくづく変だと思う。
「顕現して何年か経つのに、アンタといると初めてなことばかりだなぁ…」
 人の心を散々掻き乱しといてそんな幸せそうな顔して寝るやつが居るかと恨み事を言ってやりたくなる。ああでもそんなこと考えてないでさっさと風呂に入って誰よりも近くで主のその幸せそうな寝顔を眺めていた方が有意義か。



『やくそくね、』
「……いつまで続けられるんだろうなぁ」
 願わくば、ずっと「約束」で俺を縛り付けて手元に置いて欲しい所だけど。そう上手くも行きそうにないよなぁ……

 浴室のドアを開ければふわりと彼女の残り香が香り、くらりと脳が揺れる。主の元を離れてたかが数十秒、遠く離れた場所にいる訳でもないのに今すぐ彼女のそばに帰りたくなる。
 もうどこに居ても、何をしていても彼女の影を感じる度主のことばかり考えてしまいそうで恐ろしい。たった数日で入れ込みすぎではないのかと己を叱咤してるうちにも頭の中は彼女のことでいっぱいだ。
 きゅ、と蛇口を捻り頭を冷やすように少し冷たく感じる位の温度でシャワーを浴びる。
 きっと明日の朝も、起きたら飛び上がりそうな勢いで驚くんだろうなぁ。新しい布団を買わなきゃと躍起になっているようだったが俺としちゃ彼女に触れる口実が減るからずっと狭こい布団で引っ付いてた方が助かるのだけれど。
(なぁ、主。俺はもうとっくにアンタが居ないと駄目になっちまったよ。)

 だから早く、アンタも俺が居ないと駄目な女になっちまえよ。

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