逆トリップして来た槍のスパダリ力が極まってて困ってます | ナノ


  君待ちの雪



 もうずっと、虚ろの夢を見ているような日々が続いている。
 御手杵が本丸へ帰ったあの日、何があったとしても、それは現実ではまず説明の仕様がないこと(事実現実で起こったことなのだけれど)であるから、身が入らない言い訳を誰に出来るわけでもなく。意識があるのかないのか分からないまま仕事をこなしいつの間にか退勤時間が訪れていた。
 タイムカードを切って職場を出る時、お疲れ様でしたの一言もちゃんと言ったのかすら覚えていない。家に帰れば「御手杵くんどこかに出掛けたのか帰って来ないのよ」とばあちゃんが言う辺り、彼が居た記憶を消されることはなかったのだろう。御手杵と過ごした日々がなかったものにされていないと確信出来ただけ心底ホッとした。
「御手杵はもう帰って来ないよ。」
 元気にやってると思うから、大丈夫。
 大丈夫。自分に言い聞かせるようなその一言はあまりにも頼りのないものだったのか涙をこぼす子供をあやすように背中をさすられてしまった。ばあちゃんも心配性だな、大丈夫、いい大人がもう泣いたりなんかしないよ。泣いた所で、御手杵が帰って来るわけでもないのだから。



 そして今日もまた、本丸に帰ることが出来ずに居た。
 本丸に帰るというのはアプリをただ立ち上げればいいだけのことなのだが、それがどうにも難しい。
 所詮自分に意気地というものがないせいだ。

 本丸を開いて御手杵が居なかったら?もし仮に何も変わらず見慣れたゲームの立ち絵で出迎えられたとしても、それをいつも通りの事だと、普通のことだと、受け入れることが出来そうにもなかった。いつも通りと言うのはいい事だ。でも、それがもう二度と御手杵と「会う」ことはないという決定打になってしまいそうで怖かった。

 結局のところ、私は会いたいのだろう。
 勝手に好意を押し付けて、こっちの気持ちも知らないで雪のように跡形もなく消えていったあの男に。心を奪われ、癒えない傷を、生涯忘れることの出来ないあの声を、温もりを、憎くも私に覚えさせたあの男に。私はどうしようもなく惚れているのだろう。私が最後まで鍵を掛けておきたかった感情を解き放つだけ解き放って、自分を夢中にさせ、おいてけぼりにした酷い男に。

 今日もまた、「会いたい」と声に出すわけでもなく、頭の中でまじないのように祈り唱え、眠りにつく。それを七つ繰り返した頃には、世間はすっかり暖かい春の空気に変わり、外の木々は桜の花を満開に咲かせている。
 仕事へ向かう道の途中は、通学路になっていて、新たな季節に心躍らせ、浮き足立っているかのように賑やかな笑い声や話し声があちらこちらから聞こえる。
 私だけが、暖かな世界の中でただ一人、未だ春を迎えられぬ呪いにかかっているかのようだった。



 ◇

 初期刀は安堵した。一週間も姿を消した、我が本丸の刀剣男士がようやく帰ってきたことに。
 初期刀は嘆いていた。この目でしかと己の主を見る機会を失った事に。
 加州清光は憤りを覚えていた。彼女を愛し、愛されているのに主を連れ帰らなかった目の前の男に。
 初期刀は目の前の男になんと声を掛けるべきか悩んでいた。正しい選択をした御手杵に。愛した女を引き摺ってでも連れて来てしまいたかったであろう一振の男に。

 御手杵が帰って来てから、…御手杵からしたら現代の主の元を離れてから、審神者がこの本丸に姿を現すことは無かった。物理的にでは無い。
 審神者からは恐らく認識されては居なかったのだろうが、以前は主が本丸を開くと此方からも主の様子を伺うことが出来たのだ。近侍に任される出陣や遠征の指示が下る端末には俺たちに任せる任を選択しているであろう主の姿が映し出されており、俺たちはお互い一方通行に存在を認識していた。
 細かな意思の疎通は出来ぬものの、片手では足りぬ年数を重ねもすれば絆という繋がりは確かにそこにあたったし、審神者が本丸に顔を見せるたび、本丸の皆は形は違えど各々喜びの色を見せていた。
 いつも映し出される、覗き込むような画角の主を見るに、あちら側から見られている時だけこちらも姿を見ることが出来るといった仕組みになっているのだろう。
 本丸に滞在する時間こそばらつきはあったがうちの主はほぼ毎日のように顔を見せる人であった。確かに現代の生活が忙しい時は顔を見せないこともあったがそれが何日も続くことは滅多に無かった。
 御手杵不在の近侍は俺が勤めていたから今も変わらずその任を任されている。
 俺からしたら主の顔を見れなくなって一週間。御手杵からしたら目の前に居て、触れることが出来た人との関わりを絶たれて一週間。自分が彼の立場であるなら相当堪えているころだろう。
 夜の肌寒さなど感じてすらいないのだろうか。防寒着のひとつも羽織らないまま縁側に腰かけ、夜空をぼんやりと眺める御手杵の様子は明らかにいつもより覇気がなかった。

「……大丈夫?」
「ああ、なんてことはない」
 彼の傍らには盃がふたつ。ひとつは御手杵が既に飲み干したのか空であったが、もう片方の盃は未だ手付かずのままらしい。誰かに為に用意されたかのような片手で収まる小さな水面。夜鏡の上で、月が、涼し風が生み出す波間に乱されぐにゃりと形を歪めた。
 何がと聞かぬうちに返事をするあたり、平気なわけがないのだろうとすぐに察しがつく。今一番苦しい思いをしているのは間違いなく自分自身だろうに。周りに気を使い、至って普通を取り繕う御手杵は、皆が口を揃えて言う通り性根の優しい男だ。
 人の身とはなんとも不便なものだろうか。刀のままであれば一抹の気まずさを感じることもなかったというのに。
 面倒事には首を突っ込まない方が気が楽であることをこの身を得て学んだ。生き抜くための立ち回りも、歴史を守る上で自分が楽に生きる感情の切り捨て方も。
 そして仲間に、間違いなく身内と呼べる本丸の皆に、芽生えた情も、存外世話焼きである自分の性質も、この数年で良く学んだものだ。
「風邪引くから早く寝ちゃいなよ」とひと声掛けて自室へ戻るつもりだったのに、広い背中を猫背気味に丸める御手杵の隣へ腰を下ろしてしまう自らの行動に、自分で自分に苦笑いを浮かべてしまう。


「……一応、この本丸の初めの刀として言うけど、主の意志ねじ曲げて無理やり連れてきたりしたら承知しないから」
「んなこと分かってるよ。」
「…そ。」
 ならいいけど、
 結った髪の毛先を意味もなくつまみ空を見上げた。

「わかってるからこんなに何日も焦れてるんじゃないか」
 喉を焼いたように掠れた、そして感情の燻りを表すような低い声。

「俺たちは刀剣男士だ。歴史を守るため、幾度となく時代を遡り、任務によっちゃ何十年何百年平気でかかる。今まで当たり前にそれをこなして来た。それが俺たちに与えられた使命で、俺らがこうして身を得ている理由だからな」

「……待つなんてことは苦じゃないと思ってたよ。それなのに惚れた女一人待つだけでこんなに焦がれるんだから仕方ねえよな」

「何十年何百年の話じゃない。たかが一週間だぜ?一緒に過ごしたのも、あの人と別れたのも、ちょうど同じ一週間ずつだ。それなのに、今の方がずっと長くて耐え難い。」
 その上何しても、何見ても主のことを思い出すんだからほんと参るよなと髪をくしゃりと握り締め、ふうと息を長く吐く御手杵の表情はとても鋼で出来ているとは思えないほど繊細なものをしていて。

「……なんかさ、いいよね。」
「なにをにやにやしてんだよ…」
 こっちはこのままじゃ悪夢でも見ちまいそうなくらい毎日変にむずむずしてるんだぞぉと呻くように言われ今度こそ耐えきれずあははと声を上げて笑ってしまう。
「なんか俺たちさぁ、あの人のおかげで随分成長してんのかなぁと思ってさ」
「なんだそりゃ」
「んー?ふふ、俺もあんたも最初の頃に比べたらだいぶ変わったよねって話。」
「ふーん?」
 ほんと、自分で自由に身動き出来なかった頃は自分がここまで心に寄り添えるようになるとは思わなかったよ。


「ねぇ御手杵、」
「なんだよ」
「早く主に会えるといいな」
 それは間違いなく、加州清光という一振りの男が発した言葉であった。
「…そうだな」
 緩く微笑みながら御手杵が手酌で杯に酒を注ぐと、庭に淡い桃色の絨毯を敷き詰めていた花びらが舞い上がるほどの風がびゅうと音を立てて駆けてきた。
 悪戯な旋風のおかげで花弁が頬にあたる。いや、これは桜ではない。
 桃色の花弁は確かに舞い上がった。だがそれとは別に冷たい何かが確かに頬に触れた。これは、


「雪…?」






 ◇


 ほろほろと涙が流れる。

 小春日和だった日中の温かさが嘘のようにうんと冷え込む夜であった。そういえば、朝のニュースで「数年に一度の大寒波の影響で四月の雪が見られるところもあるかもしれません」とお天気お姉さんが春にしては厚手のコートとマフラー姿で肩を竦ませながら喋ってたっけ。

 冬に逆戻りしてしまったのかと疑ってしまうほど冷たい空気に冷やされた涙は、氷のように冷たく。やはり私だけ春を迎えることは出来ないのではないかと、馬鹿馬鹿しいいとは思いながらも半ば本気でそう恐れを抱いた。

 もう限界であった。やはり意気地無しのまま一歩が踏み出せない私は、未だ心の拠り所であった本丸に帰ることも出来ず。されど日々の仕事は変わらず苦痛で。今まで救いだった居場所を失ったことで日々滅入っていくのをひしひしと感じていた。きっかけは些細なことの積み重ねだった。
 面倒くさいとしか言い様がない人間関係のいざこざに板挟みされ、苦笑いを浮かべながら波風立てずやり過ごさなければならない苦痛。それに加えて業務内容のトラブルから何から対応しているうちに精神は摩耗していく。
 自分の我慢の許容量を一定ライン越えるきっかけになった出来事はよく良く考えれば小さなものだった。
 私がした失敗ではないのに勘違いで怒られた、あとから謝罪の言葉もあったがそれは少しも心に響かず、次々と舞い込んでくる種類の仕事を、思うように捌ききれず苛立ちだけが募っていった。余裕が無いときの仕事ほど身にならないものはない。もっと頑張らなくては、もっとしっかりしなくては、私だけがいつまでも成長出来ず足を引っ張っているように思えて情けなくなった。帰りの車の中でこれでもかと言うほど泣いてきたのに、帰宅し、ご飯を食べ、お風呂に入り、ようやく一息ついた今でも余裕で涙が溢れてくるとは。
 これしきのことで涙を流してしまうのも、また甘えのようで、情けないと胸の奥が、胃の奥が、焦げるような痛みをじくじくと訴えていた。




 たとえ、もう会えずとも出来る近くに御手杵を感じたかった。
 寒いなんてことをものともせず、からりと戸を開け、縁側に腰掛ける。家の庭は本丸ほど立派な庭ではなかったが、空を見上げれば大きく、綺麗な月が浮かんでいた。

 いつか二人で酌み交わした酒を小さなお猪口に注ぐ。桜の木なんてうちにはないのに、どこかから舞い込んできたのか小さな春の花弁が手元の水面にそっと落ちる。風流とはまさにこのことを言うのだろうか。それがまた、初めて本丸に彼を迎えた時の桜と揃いのようで目元がじんと熱くなる。

「会いたい、」
 涙と共に、ずっと我慢していた思いが口からこぼれ落ちる。
 御手杵に、会いたい。
 やっていることはあまりにも痛いオタクのそれとわかってはいるが中身が減ることのない片割れのお猪口にかちりと乾杯するように突き合わせくいと酒を煽る。

 季節外れの雪。ああまるで彼の逸話のようだと、より胸を苦しめながらようやっと端末の中の本丸を開く。
「御手杵、」
 助けに来てよ。慰めてよ、側にいてよ。
 私、もう御手杵が居なきゃ真っ直ぐに背筋を伸ばすことすら出来なくなっちゃったんだから。だから責任取って会いに来てよね。もう泣くまいと飲み込んだ涙とアルコールが腹に溜まりじわりと身体の芯が熱を持つ。
「刀剣乱舞、始まります。」
 手酌でもう一杯おちょこに酒を注ぎながら画面をタップすればダウンロードが終わり、ログインボイスが流れる。
「じゃ、始めよっか」
 今日のお出迎えは加州かぁ。
 ログインボイスを聞き届け画面をタップすれば見慣れた景趣の前に涼し気な表情の加州清光が表示される。
 そういえば御手杵が此方に来ていた時加州に近侍を任せたままだったなぁ。
 久方ぶりに開いた本丸は私の杞憂だったのかなんの変わりもなく。いや、まぁそれが当たり前なのだけれど。

 もう二度と会えなくても、せめてゲーム内に居る御手杵に会いたいと指を滑らせていく。

「な、んで」
 全身の血の気が引いていくとはまさにこの事を言うのだろうか。
 御手杵の名前が、ない。
 アルコールに煽られて熱を持っていた身体が、指先が、一気に体温を失っていく
「やだ、なんで、御手杵」
 まさか、本当に刀壊扱いにされてしまったのだろうか。私が長くこちら側へ留めていたせいで。
 私のせいで御手杵が、
 会いたいなんてよくも浅ましい。私は御手杵を守ることすら出来なかったんじゃないか。

「御手杵ごめん…っ!ごめんね、」

 頬を伝った雫が手元の小さな満月の上に波紋を作った。頬を濡らしているのは涙なのか、それとも体温で溶けた雪なのか区別はつかず。ただひたすらに身体の熱がすぅと抜けていく感覚だけが鮮明にあった。


「ようやく呼んでくれたな」
「え、」
 夜の帳はとうに降ろされ、暗闇に人影など見られるはずがない中、幻聴としか思えない声が聞こえた気がして弾かれたように顔を上げる。
 旋風。
 思わず目を瞑ってしまうほどの激しい風に煽られたかと思えば暗がりの中でも目指出来るほどの桜吹雪の群れが手狭な庭先に現れる。

「お、てぎね…」
「ああそうだ。正真正銘あんたの御手杵だよ。」
 いつか聞いたような台詞だ。ただあの日とは違い、御手杵はジャージではなく戦装束を身に纏っていたし、片方の手には自らの鋼の身体を手にしていた。雪の降る月夜の淡い光に照らされる槍身のなんと美しきことか。
 まるで幽霊でも見せられているかのようだ。
 自分が素足であるとか、もうそんなことはどうでも良かった。目の前に現れた男が、己の願望がみせた都合の良い幻覚ではないことを早く確かめたくて一目散にその男の元へ駆け出していく。


「っ、」
「はは、まさかあんたの方からから抱きついて貰える日が来るとはな」
 もう、消えてくれるなと訴える代わりにぎゅうぎゅうと抱き締める。離れていかぬように、目の前で御手杵が存在していることを確かめるように。
 胸元に耳を押し付ければとくり、とくりと御手杵が存在している音がして目頭が熱くなる。
 一度身体を離し、それでも体温で溶けてしまう雪のようにまた一瞬で何処かへ消えてしまいそうなことには変わりなかったから服の裾をほんの少し掴んだまま御手杵の顔を見上げる。

「んぐ、」
「おっと、まだ何も言ってくれるなよ」
 なんでここにと問うため口を開く前に御手杵の手のひらが口元を覆われてしまい、言葉を発する権利を奪われる。



「俺からの問いに答えられるのは一度きりだ。よく考えてから言葉にしてくれ」
 といってもそう長くは猶予をくれてやれないんだが、
 困ったように眉を下げ、苦笑いを浮かべたかと思えば、柔らかなその薄茶色の瞳に力が込められ、力強い眼差しが凛とした顔出ちをより一層精悍なものに変わる。

「名前」
 支えるかのように片方の腕に添えられていた手にくっと力が込められ、此方の背筋も自然と伸びる。

「俺と、」

「俺と、共に在って欲しい。」
「うん、御手杵の側に居させて。私も、貴方と一緒がいい、」
 御手杵と一緒じゃなきゃもう、駄目なの。お願い、もう離れていかないって約束して。小指を差し出せば、力強く頷かれ、自分のよりずっと長い御手杵の指に絡め取られる。

「ああ、心得た」
 石突が地面をとんと突けば桜吹雪が視界を包んだ。



 暗転。



 幕は降ろされた。








 ◇



「主が呼んでる」
 降ってくる雪を受け止めるよう、片手を軽く掲げ桜隠しの雪とは風流だなんてうちの文系名刀が喜びそうだとぼんやり眺めていると隣に居た御手杵はすくと立ち、迷いもなく歩みを進めた。
「は?っておい!」
 なにしてんの?と咎める視線の先には庭の池にちゃぽんちゃぽんと二つの盃を投げ入れ、一升瓶の酒をひっくり返しとくとく注ぐ御手杵の姿があった。

「じゃあちょっと行ってくる。」
「行ってくるって、」
「大丈夫だ。あんたに誓って、あの人の嫌がる事はしないから」


「暫く帰ってこなかったりもしもの事があれば、まぁ、何とかしてくれ」というなんとも投げやりな、天下に名高いとは思えぬ槍のにこやかで快活な笑みを久しく見せながら言う無責任な一言に反論する間も与えず、御手杵は自らの本体を突き穿つ様に池に映る月に飛び込み、浮かび上がることなく消えていった。
 あの口振りからして、あの人に会いに行ったのだろう。


「遅い!」
 あまりに寒さにがちがちと歯を鳴らす。
 御手杵が姿を消してからしんしんと雪は降り続け、屋根には目で見えるほど厚い雪の層が出来、庭の桜は雪化粧を施され、真白の絹を纏っていた。
 あいつの言う暫く、とはどの程度の事なのだろう。とりあえず言われた通りに待ってはいるものの、もう少し着込まなければ凍え死にそうだ。防寒着のひとつやふたついい加減取りに行こうかと腰を上げたそのとき、木枯らしのような強く冷たい風が振り積もった雪を巻き上げる。これ以上寒さに輪をかけるのは勘弁してくれと文句を言いそうになったが、雪の中でぶわりと桜吹雪が舞うと先程難題を突きつけ勝手に消えていった大身槍に抱き寄せられているずっと画面越しで一方的に見ていた主の姿が現れた。喉の奥がぐっと熱くなるのを感じつつも、それをやっとの思いで飲み込む。此処で誰よりも涙を流したいのは俺じゃないと思うから。


「おーてーぎーねー!雪降らしすぎ!本丸まるごと凍死させる気か!」
「いやぁ、すまんすまん」
「きよみつ…?」
「あー、はじめましてって言うのもなんか変な感じだけど…うん、はじめまして。主にずっと会いたいと思ってたから凄く嬉しいよ」

「えっと、もしかしなくても私の加州…?」
 私の、なんて言葉にくすぐったくて思わず頬が綻ぶ。
「話したいことは山ほどあるんだけど…ま、今は譲ってやるよ」
 自分の元をそそくさと離れ俺の元に駆け寄って来てしまった主の背をこれでもかと言うほど凝視する一人の男に目線をやりながら薄く笑って言えば、無意識だったのか罰が悪そうに首に手を当て視線を逸らされる。
「俺、本丸の皆に声掛けてくるから、それまで積もる話でもしてていーよ。その様子だとまともに話も出来て無さそうだし」
「えっ、あっ!まって、もう夜だしそんな声掛けなくても」
「夜と言ってもそんな深い時間じゃないし、大丈夫。それに、この本丸には云年越しに会える主に大喜びする連中しかいないから。じゃあまた後でね」



 *

「行っちゃった…」
「本丸の連中、きっと喜ぶと思うぜ。あんたの話をしたときも会いたがってる奴らばっかりだったからなぁ」
「…そうだといいな、」
 御手杵は?と聞きたくなって一度言葉を飲み込むとほんの少しの静寂が訪れる。
 はく、と声が出ないまま口を開けては閉じ、生唾を飲み込んでから、からからになった喉奥でつっかえて止まっている音を引き摺り出す。
「…御手杵は、私が来て嬉しい、…ですか」
「それをあんたを連れて来た張本人に言うのは些かずるいんじゃないか?」

「御手杵の言葉で聞きたいの」
 我ながら少し気持ち悪いと思いつつもこんな時くらい素直な気持ちを口にしてもいいだろうなんて浮かれた気分に煽られ、そう言葉にすればぎょっとし面持ちの御手杵が目に入り秒で後悔する羽目になる。やはり、柄にないことをするものではない。
「…あんた、会わないうちに随分と大胆になったな」
「大胆になってるつもりはないけど…でも、うん、そう感じるならそれは絶対御手杵のせいだよ。」
 御手杵が勝手に行っちゃうから、年甲斐もなく貴方に甘えてしまいたくなる。
「……嬉しいなんてもんじゃないさ、幸せ過ぎてどうにかなっちまいそうだ。なぁ主、あんたのこと抱いてもいいか」
「い、言い方ぁ!」
 久しく会えていなかった時間を少しでも埋めさせて欲しいと頬を指の背で撫でられ肩が跳ねる。御手杵が時たま見せる影があるような、憂いを帯びるかのような雰囲気にはいつまで経っても慣れそうにない。ぽかぽかと暖かな陽だまりの中で眩しさを感じながら日向ぼっこをしていたら雲が影を落とし、先程まで寄り添っていたぬくもりが急に消えていくようなこの感覚。

「駄目か?」
 雲隠れする太陽と決定的に違うのは影を落としても尚私の体温を奪うことはせず、むしろ頬を熱くするのが得意な所で。
「いや駄目じゃないけどさぁ……」
 数秒、色々な感情と葛藤しながら口をもごつかせたあと意を決して招き入れるように軽く両腕を広げる。
「……いいよ。ほら、おいで」
 気恥しさを押し殺しながらやっとの思いでこの体勢をキープしているのに、抱かせて欲しいと強請った当の本人がきょとりとした顔のまま固まって動いてくれないものだから羞恥心がじわじわと効いて来てしまい変な汗が出てきそうだ。
「うんうん、そうだよなぁ。俺の主だもんなぁ…」
 はぁー、と尋常じゃない肺活量をこんな所で披露しながら深い溜息を着いたかと思えば、大きな体躯で真上から覆い被さるようにぎゅうぎゅうと抱き締められる。
「ど、どういう意味!!」
「いーや、なんでもない」
 少し苦しいくらいのその抱擁の中、どうあがいても褒められてはいない物言いに思わず食ってかかりそうになると、頭を支えるようにしていた手が優しく髪を梳きはじめ、途端に小さくなってしまう。
「今すぐ目の前から居なくなるわけでもなし。そう焦らずともいいんだよな、これからは」
 きついくらい抱きしめられ、顔を見ることは叶わなかったが、真上から独り言のような呟きがぽそりと落とされる。

「ああ、うん…やっぱり落ち着くな。あんたの匂いがする、」
「か、嗅がないでよ…!」
「俺さぁ…一度でもあんたの元を離れたこと、すげえ後悔したよ。」
 猫が甘えるように、額を肩口に擦り寄せられ、擽ったさに身を捩りたくなったのだが、戦場を目の前にし爛々と高揚する御手杵の影がないほど、すとんと声のトーンが落ちた弱々しいその覇気のなさに思わず息をすることを忘れた。後悔、後悔かぁ。その感情を、私はよく知っている。ここ数日で何度も何度も身をもって味わった息苦しい病の名だ。

「わ、たしも…、ずっと後悔してたよ、この一週間ずっと。もっと素直になってたらって…御手杵を困らせることになってもちゃんと「いかないで」って、言っておけばよかったって、」
「うん、」
「でも、御手杵のことが大事で、困らせたくなくて、迷惑掛けたくなくて、でも、ほんとは…ほんとは、っ!そばにいて欲しくて、でも言えなくて…!貴方の重荷になりたくなかったのに私、私…」
「大丈夫だ。ちゃんと伝わってるよ、」
「う、ごめんなさ、っ…」
「大丈夫、大丈夫だから。もう何処にも行かない。」
 ぎこちない手つきで背をとんとんとあやす手のリズムに乗って唱えられる大丈夫というまじない。この上なく心を暖めてくれてはいるのだが、溢れる涙は留まることを知らず、呼吸はその窮屈さゆえに、浅く忙しく酸素を求める。
「ひっ、ぅ…」
「主、俺の目を見てくれ。…うん、そうだ。ゆっくりでいい、息はちゃんと吸わないと、あんた死んじまうぞ」
「…ってぎね…っ、おてぎね…御手杵…!」
「っ、参ったな、息をするより俺の名を呼ぶ方を優先しちまうのかよあんたは…」
「だって、」
「あーもう、勘弁してくれ…久方ぶりにあんたに会えて俺も今いっぱいいっぱいなんだ。それに、前も言ったかもしれないがあんたに泣かれるとどうしたらいいかわからなくなる。」
 だから泣くなよ。
 時雨る様子を見てられないと言わんばかりに目尻から零れ落ちる涙を掬い取る指先は、寒空の下に居るせいで随分冷え切ってしまっていたのに、御手杵の指先が肌の上を滑る度、触れられた箇所からじわじわと熱が広がっていくような心地になる。
「ああいや、泣くなと言ってもなぁ…あんたにそんな顔をさせてるのは俺か」
「御手杵、っ」
「ん、」
「会いたかった」
「…俺もだよ。ずっと、会いたくて仕方がなかった。」
 自分から会えないようにした癖に、頭ん中ずっとあんたの事でいっぱいだった。
 涙の膜でぼやけた視界の奥で、御手杵が自嘲気味な笑みを浮かべている。

「会えないようにって…?」
「俺の意思で会えないようにしてたんだ」
「なんでそんなこと、」
 俺の意思でと口にする御手杵に、がつんと脳を揺さぶられたかのような一気に地の底に落ちていくような心地になる。
 やはり、ここ数日で晒した本当の自分を見たせいで嫌になってしまったのだろうか。さっと血の気が引いていく私を察してか、
 そうじゃないと語り掛けるように頭にぽんと手を置かれた。
「自分の欲にうち勝てる自信がなかった。」
 その言葉を指す意味がよくわからず、御手杵の方を見つめ返すと柔らかな目元がこれでもかと言うほど甘やかにとろけていく。甘すぎて舌の根をじゅんと痺れさせるハイミルクチョコレートのような瞳の中に泣きすぎて酷い顔をしている私が窮屈そうに写っている。


「俺は、あんたが思ってる以上にあんたに惚れてるってこと」
「惚れっ、」
「なんだよ、好きだと伝えたこと、あんたの中ではもうなかったことにされちまってんのか?」
 そりゃないぜと拗ねたような顔を見せる御手杵にうっかりときめいてしまう。
「いや、違っ!そうじゃないけどさぁ…!」

「こっちにいた時から、このままじゃまずいと薄々勘づいてはいたんだ。…あんたの声も、体温も、この身で直接感じるほど離れ難くて手放したくないという思いだけが日に日に募っていってて心底怖かった。自分の立場も置かれてる状況も毎日忘れたことは無かった。それでも息をする度、あんたへの想いが溢れて堪らなかった。初めて人の身も心も、いっその事味わうことなどなければよかったとさえ思ったさ。」
 懺悔にも似た独白を、静かに受け止める。今も尚しんしんと振り続ける雪が、彼の思いの丈を可視化させているようで胸が苦しくなった。
「自分が、主の意思も人生も、たとえあんたがどう思おうと、俺が主と共にいたいという身勝手な感情に引きずられるまま何もかも関係なく連れ去ってしまいそうだったから。だから自分で言霊の枷をかけた。」
「枷?」
「全て説明するとなると長くなっちまうんだが…主の口から名を呼ばれること。本丸とこちら側の架け橋になっている俺とあんたが同じ気持ちであること。それが俺とあんたを引き合せる大まかな条件だ。」

「勿論、二度と会わない方がいいなんてことはとっくに理解してる。俺もそこまで馬鹿じゃない、わかってる。本丸での生活を選ばせるってことは戦が常について回る。これは自惚れかもしれないがあんたのこと、この本丸の誰より大事にしたいと思ってるさ。誰にも負けてない、俺が一番あんたを想ってる自信がある。だからこそあんたのぬくもりも優しさも一時でいい、忘れなきゃならないと決めた、…はずだったんだがなぁ……出来やしなかったよそんなこと。」
 くっと眉間に力を入れて凛とした表情を保っていた御手杵がふと息を抜き、力なく困った笑みを浮かべて見せた。
「何百年の俺の刃生のうちのたった数日だろうが、どうしてもあんたと過ごしたあの日々を無かったことにはしたくなくてなぁ…
 もう一度あんたに名を呼んで欲しいという未練と、俺と同じく主も俺のことを求めて欲しいという期待が捨てきれなかった。」


「なんて、こう言えばあんたの事を一番に考える、良い男のように思えるだろ?こんなの、俺のただの言い訳でしかないのにな」
「そんなことない、嬉しいよ。そこまで私のことで色々葛藤してくれて、それでも、私を諦めないでくれて、凄い、嬉しいよ……それに、御手杵は前から良い男だったよ?」
「うーん…俺としちゃ、あんたの中の良い男って認識を壊してやりたいんだが…難しいもんだな」
「?御手杵はずっとかっこよくて優しくて良い男のままだと思うけど」
「なにを真剣な顔で言ってるんだあんたは…そうじゃなくてぇ、なんて言ったらいいかなぁ…所詮俺はあんたが選ぶ選択肢を狭めて、自分のそばに置いておけるきっかけをそこらに仕掛けて、最終的に俺を選んでくれるよう仕向けたようなもんなんだよ。」
「それで、駄目押しに最後のアレって訳?」
「あれは正直すまんと思っている。」
「去り際にあれは流石にずるいと思う」
「……返す言葉もない」
「…ふふ、いいよ。御手杵にああ言われなくてもきっと同じ選択をしたと思うから」

 雪は止む。されど彼の人への思いはこれからも止むことはなく、降り積もるばかりだろう。

「あ゛!ちょっと二人とも!まだそんな所に突っ立ってた訳!?」
 早く中入んな?風邪引いたらどうすんの!とぎょっとしながら迎えに来た初期刀殿の顔を見て同じタイミングでお互いの顔を見合わせてしまい、どちらからともなく吹き出してしまう。
「仲睦まじくてよろしいこと。皆もう集まってるよ」
「今行くよ。主、行こうぜ」
「うん!」
 差し出された大きな手に手を重ねる。ああそうだ、大事なことを言い忘れるところだった。繋いだ手をくいと引き、前を行く御手杵が不思議そうな顔でこちらを振り返る。

 祝福の月光は二人を淡く照らす。短いようで長く、長いようで短い、そんな待つ宵は間もなく明けていく。


「好きだよ、」
 貴方が一番、いっとう好き。私、御手杵を愛してみたいの。
 桜は舞う。雪解けを迎えた忘れ草は芽吹きの季節をようやく迎えた。御手杵が降らす花の雨で視界が桃色に埋まって行き、これからの四季は彼と共に迎えられるのかと口元が緩む。
 ああでも、季節に限らず咲き荒ぶ、この美しく愛おしい芳春の桜を愛でることが出来ると思うと幸せ者すぎてしまうなぁなんて。
「俺も、あんたのことが好きだ。」
 陽春の日暮れに見れる夕紅のような彼の眼差しが眩しくて、目を細めてしまいたくなる。けれど今この瞬間、私にだけ向けてくれる色素の薄い思ひ色から目を背けるのはなんだか無性に惜しい気がして。


「俺も、あんたを一番に愛してみたいと思うよ」





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