椿の君よ、飽くまで踊れ

新たに出来た「父親」と二人きりで同じ食卓を囲んだあの日から、少しずつなにかが狂い始めているように感じていました。

「はじめのうちは抵抗があるだろうがこれから何年と同じ時を過ごすんだ、早いに越したことはない。私のことは鶴見さんではなくお父さんと呼びなさい。」
血は繋がらないとはいえ私たちは家族になるのだからという最もな理由でこじつけられた約束と、父親「らしい」偉ぶった口ぶり、先日の普通ではない行動。鶴見さんという人間の人格にどこか矛盾を覚え思わず顔をしかめる。私とは正反対に鶴見さんにすっかり誑し込まれてしまった母は「それがいいわ」とにこにこ顔で肯定していました。

この約束だけならよかったのですが父の言う決め事はもう一つありました。それを告げられたのは一つ目の約束をした日の夜。ソファに座りテレビの中で繰り広げられる群像劇に夢中になっていると不意に隣で革の材質がぎしりと歪む音が。
「名前、」
甘ったるいと感じ程にどこか熱を帯びた声で名前を呼ばれ、両手で耳を塞いでしまいたくなるような衝動に駆られる。足の上に適当にだらりと垂らしていた右手を軽く掬い上げられ親指の腹で愛猫を愛でるようにするりと撫でつける。この感覚を、長く感じすぎてはいけない。本能がそう叫びます。仮にも娘と呼べる立場の者に情事にも通じかねないような誘惑とも捉えられる行動をとるのは咎められるべきことでしょう。でもそれを唯一咎められる立場である母親は先ほど洗い物を終え、お風呂場へ向かっていました。湯船につかってゆっくりするのが日々の楽しみだと語っていた母のことです、早々に上がってくることはまずありません。

「怯えているのか?ふふ、かわいらしいな。なにも手出しはしない。君は愛しい私の娘なのだから。」
「そんなかわいい愛娘にお願いがあるんだが聞いてくれるね?」
ここで拒否をしようものならなにをされるかわからない。一刻も早くこの状態から抜け出すためには大人しく従う事が最善だと私は判断し、こくりと唾を飲み込むと同時に首を縦に降りました。

「昼に約束した決め事は覚えているだろう?」
言葉を発さないかわりに肯定の頷きをもう一つ。その様子に満足げに目を細めると「その決め事に少し付け足しがある、」そう言ってゾッとするほど美しく口角を吊り上げて見せました

「私と二人きりのときは名前で呼びなさい」
やはり、この人は異様だ。

「私の名前がなんというかは…知っているね?」


「篤、四郎…さん、」



今思えばこれが、これから起こる悪夢を知らせるカウントダウンの始まりだったのかもしれません。その約束を皮切りに父は翌日から私にプレゼントを買って帰るようになりました。


一日目は髪飾り。
「こんな高そうなもの頂けません」と遠慮しましたが「返却するのも面倒だから」と言われてしまっては無下にするわけにもいかず、渋々受け取りました。

二日目は口紅。
「この色は大人っぽすぎて私には似合いません。母の方がよっぽどお似合いでしょう」
「どれ、貸してみなさい。私が紅を引いてあげよう。…ふむ、やはりお前によく似合う。目で見ただけのものと実際つけたものとでは、感じ方が少し違うものだよ。」

三日目はネックレス。
「留め具の部分が小さすぎて付けるのに一苦労です。不器用な私には不向きかと」
「つけて出かけるときは私に一声かければいい。なに、こう見えても手先は器用な方でね」

四日目はワンピース。
「派手すぎます。こんな真っ赤な色私には着こなせません。」
「派手すぎるくらいが丁度いい。ほんの少しの大胆さが女性を美しくするものだ」

五日目はブレスレット。
「先日も言ったでしょう、私とんでもなく不器用なんですって。一々取り外すのが面倒です」
「なら、外さなければいい。普段つけていても邪魔にならないようなシンプルなデザインを選んできたからな」

六日目は爪紅
「私、あんまり伸びると邪魔くさくなってしまって、すぐ切ってしまうんです。だから、爪が小さくてあまり見た目がいいものではないかと」
「この赤は短い爪の方がよく映える。」

そして七日目は「赤い靴」
「かかとが高すぎます。こんな靴で歩き回ったらすぐに疲れてしまいますよ」
「そこまで遠出しなければいい。どうしてもそれを履いて遠くへ行きたいと言うのなら私が車を出そう」

どの日もどうにか理由をこじつけて受け取るのを拒もうとしました。けれど彼の押しの強さと口車に上手く乗せられてしまい結局受け取る羽目になってしまいました。
毎日の様に娘を大事にかわいがる鶴見さんに母は気を良くしますが「よかったわね」と同意を求められても私は乾いた笑いしか出せず、私は気を良くするどころか自分が段々鶴見さん好みの女性に染め上げられていくようで気味が悪いと不快感を覚えていました。

贈り物による精神攻撃はちょうど一週間でぴたりと止みました。
それから数日後のある日、母の「せっかくのプレゼントなんだから着て見せて頂戴」といういらない一言で一度だけ全身身綺麗に整えました。サイズも何も伝えた記憶は一切ないのに怖いくらいに自分の身の丈に合っていて、背筋に氷の粒を一つ這わせたように寒気がしました。
「よく似合っているよ」と満足気に微笑む顔が余りにも耽美なものでこの時私は「自分はただの嗜好品としてしか見られてないのでは」という恐れを抱き始めます。

このままこの家で大人しくしていては行けない。そう思い立って一人暮らしを決意します。
短期間で出来た父親と昔から変わらない母親からは意外にもすんなりと認められ、新たな春を迎え、学生の殻を脱ぎ捨て大人という看板を背負うと同時に息苦しい生活から抜け出しました。





数ヶ月間耐え忍んできたあの息苦しい空間からもおさらばだ。新たな生活の始まりに胸を踊らせながら新居のドアを開こうと手を掛けると、不思議なことに既に鍵が空いていました。
おかしいな?と思いながらも大家さんが気を利かせてくれたのかなと首を傾げるだけでなんの疑いもなく中へ進みます。

足を進めると何処からかすきま風のような外気が吹き込んでくる気配がしました。狭い廊下を抜けリビングを隔てるドアを開けるとびゅう、という風が空を切る音と視界に広がる赤い花びら。一瞬薔薇かとも思いましたが床に転がっている「堕ちた花」は椿でした。
春一番が呼び起こす風は容赦なく部屋中に赤い花びらを舞い散らせます。一体誰がこんなことを。

大量に舞い上がる赤、まだ使い古されていない真白なカーテンが風に揺られる光景は現実味に欠けていて、自分がフィクションの中の世界に閉じ込められたのではないかと錯覚してしまうほどでした。
このとき私は、外からの眩しい程の光に目を細めていたせいでは室内に立っている人物をすぐには判断することが出来ませんでした。

「やぁ、待っていたよ」
声をする方に目を向けると春の日射しを背に背負った鶴見さんが恭しく主に使える執事の如く綺麗な立ち姿で待ち構えていました。服装は安い一人暮らしのアパートでは溶け込むことの出来ないまるで結婚式のようなタキシード姿。

「中々に良い部屋じゃないか」
「私たち二人が住むにはちと狭過ぎる気はするが」
「なに、住めば都という言葉があるだろう。私もそこまで選り好みするタイプではない」
この人は一体、なにを言っているんだろうか。生きてきた人生の中で味わったことの無い恐怖感に足が耐えられず、支えを失った身体は重力に従って崩れ落ちていく。へたり込んで身を震わせている隙に距離が詰められてしまい思わず小さくひっ、と悲鳴を漏らす。誰か助けてと叫びたくてもはくはくと口が上下に動くだけで何の音もない空気だけが吐き出された。自分の思い通りに動かせない身体はさらに恐怖感に蝕まれていき、顔を俯かせると目の端から自然と雫が。彼はそんな様子を気にも止めず、足元に恭しく跪き目線を合わせます。

「椿の最後を知っているかい?」
「椿の花は上を向いたまま花ごと落ちる。ただ一点、太陽を見つめながら一途にだ。」

「顔を上げなさい、椿は上を向いて「堕ちて」こそ美しいのだから」
下顎に指を添えられ、俯いた顔を強制的に上へ上げられてしまう。私の太陽はいつから、こんなに冷たいものにすり替えられていたのだろう。

「それにしても、これを忘れて「出掛ける」なんて酷いじゃあないか」
跪きながら赤い靴を丁寧に足に履かせる姿はまるでお伽噺の王子とシンデレラのよう。プレゼントされても気味が悪くて試しに履いたあの日から一度たりとも使用した試しはありませんでしたが、数か月たった今でも怖いくらいに私の足のサイズとぴったりはまりました。

「これからは誰にも邪魔されない、二人だけの生活の始まりだ」
「間違っても元の家に戻ろうだなんて考えてはいけないよ」
もっとも、帰った所であの家には誰も居ないがね。
その言葉の意味を、知りたくなかった。知りたくはありませんでしたが理解してしまう自分がいて、もう私は以前の自分にはもう戻れないのだと頭のどこかで気付き始めていました。
「本来であれば全身着替えて貰いたい所だが無理に脱がせるのは紳士的じゃない」
今日の所は靴だけで我慢しよう。また今度身を綺麗に整えて私に見せてくれ。そう言いながら強引にうでを引き上げ、強制的に立ち上がらせたと思えば次は腰に手を回し、空いた方の手で手を軽く掴みエスコートする。動かしたい訳でもないのに見えない糸で操られているかの如く社交ダンスの真似事が始められてしまい、心と体が追い付きません。

嗚呼、私はこの先一生、この人の掌で狂うまで踊らされるのか。
そう自覚した瞬間、引きかけていた涙が再び止めどなく流れれ始めました。悔しいのか怖いのか悲しいのか、感情がわからなくなってしまったのです。


「なに、泣くほど喜ぶ程のことではないだろう。君は本当にかわいらしい、」

「私の自慢の妻だよ」
零れ落ちる涙をべろりと舐め上げ満足気に笑う彼は、私の父親「だった」人。






夜も昼も、少女は踊り続けなくてはいけませんでした。
しかし少女は呪いも、両足を断ち切る事さえも、許されませんでした。めでたし、めでたし。

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