好み色に染め上げてA

※「好み色に染め上げて」の続きのお話





思ったより早く用事が終わってしまった。せっかくの休日、このまま帰ってしまうのも勿体ないなと思いながら人通りの多い昼間の駅前の道端で立ち止まる。
「さて、どうしようか」と悩みながらとりあえずスマホを取り出してみる。通行人の邪魔にならないよう端に寄り建物に寄り添うように身体を静止させる。せわしなく時が流れていくような街の喧騒の中で自分だけがスローモーションの世界で生きているみたいだ。

「(そういえばこの前美容室に行ってからだいぶ経つなぁ。)」
ふと、この前のお兄さんの言葉が脳裏をよぎる。彼から告げられた猶予の3ヶ月はゆうに過ぎていたが大丈夫かな。もし怒られでもしたらどうしよう。あの人ならお客さんであろうがダメ出しや嫌味の一つくらいしてきそうだなと苦笑いを浮かべつつ、足は前向きに歩を進める。
時間余ってるし少し、寄ってみようか。
別に下心があっていくわけではない。この後特に予定がないし、かといってこのまま帰ってしまうのもなんだかせっかくの休日にしてはもったいないと思ったからだ。若干湧いて出てきた邪な気持ちを粗雑に押し隠し、自分自身を正当化するために言い訳を並べる。

「(あのお兄さん、まだいるかな)」



数か月前となんら変わらない階段をゆっくりと踏みしめ重ためなドアを押し開けるとからころと軽快な鈴の音が鳴り、入店の合図を知らせる。
「あれ、苗字さん」
お店の中に足を踏み入れると顔に傷のある爽やかな店長さんが出迎えてくれた。驚いた。一度しか来てないのにもう顔を覚えられているとは。顔と名前を覚えるのが苦手な私からしたら一度会っただけで覚えてしまう店長さんの記憶力が羨ましい。接客業の人って皆そんなもんなんだろうか。にこやかに笑う彼の視線から逃れるように軽く頭を下げながら内心尊敬の念を送る。

「どうも、」
「いらっしゃい、今日はカラーかな?」
「そうしようかなと思ってたんですけど…その、予約とかなにもしてないんですけど大丈夫ですか?」
「全然大丈夫ですよ。今日は予約のお客さん少なくて。今ならすぐご案内出来ますけど…スタイリストの指名とかあったりしますか?」
「あー、」
「指名」という言葉にあの掴みどころのない尾形さんの姿と自分が口を滑らせた「次来ることがあったらお兄さんのこと指名しますよ」という特に効力のないはずの口約束が脳裏を過り、次の言葉を紡ぐ邪魔をしてくる。
店内見渡す限りこの前のお兄さんいないし別にいいかなーと思い、「特にないです、かね…」と少したどたどしくそう伝えると「じゃあ今日は俺が担当しますね」とこれまたにこやかな笑みを浮かべてスマートにシャンプー台へ案内される。


美容室に来るたび思うんけどシャンプーして貰うのすごい気持ちいいけど自分の最高に不細工な面見られてるんだなって思うとなんだかめちゃくちゃ申し訳ない気持ちでいっぱいになるよね。寝顔この世のものとは思えないほど不細工だからあんまり目閉じたくないんだけど目開けたままでシャンプーして貰うの気まずいし…
濡れた髪が服につかないよう首元のタオルの位置を調節をし、流れるような手付きでケープを掛けてくれる店長さんの様子をじっと見つめていると鏡ごしでばちりと目線がかち合い、にこりと微笑まれる。うーん、こんな顔が良いイケメンに不細工な面見られてしまったのか…
勝手に凹んでいるとからんからんと入店の合図が軽やかに鳴る。
「すいません、ちょっと待っててもらってもいいですか?」
「あ、はい。」
お客さん少ない、とは言ってたけど他のスタッフの人はいないんだろうか。店長さん直々に動いて回すの大変そうだなと思いながらも特に興味のないファッション誌を手に取る。オシャレに興味がある女性が熱心になってみるような雑誌は別段興味はないのだが、手持ち無沙汰な空白の時間を埋めるため、ただパラパラとページをめくって流し読みする。

「浮気者」
「ひっ!?」
どのページを捲っても美しく眩しい魅力的な女の人しか映っていなくて気後れしていると不意に片方の耳が男の人特有の低音とぼそりと吐かれた静かな吐息を感知し思わず悲鳴を上げる。
驚きのあまり勢い良く振り返ると予想より近い位置に顔がありけたたましく心音を打ち鳴らしている心臓がより大きく飛び跳ねた。
「くぉおら!尾形てめぇ!お客さんになにしてんだ!」
「うるせぇ、こいつは俺の客だ」
「はぁ!?」
いつのまにか新規のお客さんの対応を終え、戻ってきた店長さん。先ほどまでのにこやかな笑顔は何処へ消えてしまったのかと思うくらいの悪人面を浮かべ突然現れた尾形さんに食ってかかる。このままでは100%面倒くさいことになる。そう予想を立て、今にも一触即発、といった展開になりかねないような様子に怯えながらも勇気をもって仲裁に入る。
「あ、店長さん大丈夫です、えっと、ほら、この前お兄さんにお願いしましたしその続きって考えると引継ぎ?とかも簡単でしょうし私も話しやすいですし」
暗にお前と話すと気まずいんだよといった意味になりかねない言葉のチョイスをしてしまったかなと内心焦るも
「まぁ、苗字さんがそう言うなら…」渋々と言った様子で背後に立つポジションを譲りその場を離れてく店長さんにホッと胸をなでおろす。去り際に「そいつになんかされそうになったら大声で呼んでね!」と言われたが私は小学生か何かに見えているのだろうか。いや、ただ単に店長さんが尾形さんのことが気に食わないだけか。

「尾形、」
「はい?」

「俺がこんなに良くしてやったのにお前は名前すら覚えてくれないんだな」
少し毛先が伸びた程度の髪の毛をひと房手に取りわざとらしく憂い気な表情を浮かべられてしまって内心戸惑う。このお兄さん、改め尾形さんは冗談なのか本気で言っているのか本当にわからない。覚えていなかったわけではない。ただ、私だけが一方的に「尾形さん」を覚えていて、尾形さんの姿を思い出して此処へ足を運んでしまった事実がなんだか後ろめたくて、自分だけが変に意識してしまっているのではないかということがバレたくなかっただけだ。口に出すときはわざと「お兄さん」と呼んでいたが心の中ではちゃっかり「尾形さん」と呼んでいた。しかし、「本当はちゃんと覚えてましたよ」と言える空気感でもなく。誤魔化すように愛想笑いだけを浮かべた。

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