こんばんは、また会いましたね。貴方のおうちは何処ですか

下手したら日付を跨ぐ寸前の夜更けに、早足で自宅へと歩みを進める。本来ならとっくに帰宅して今頃風呂上がりのアイスを食べながらごろごろテレビを見ているような時間だ。
襲われるほどのお綺麗な美貌や抜群のスタイルを持ち合わせている訳では無いがこの時間の一人歩きは些か不安が煽られる。もし万が一があったらどうしてくれるのだろう。退勤間際に業務を押し付け、一人だけ早々に帰って行ったクソ上司の顔を思い浮かべながら舌打ちを鳴らす。
鬼の形相を浮かべながらかつかつとパンプスの音を高らかと鳴らし、競歩する姿は下手したらこちらの方が不審者とみなされてしまうかもしれない。

「(あれ、)」
あと数百mもすれば家に着く、と言う所で人影が見えた。誰かがいる。こんな夜更けに近所を歩く人が居ることに驚きつつ、もし不審者だったらどうしようという不安から歩みをぴたりと止める。光が疎らになりつつある通りの中、目を凝らして様子を盗み見ると何処か普通ではない出で立ちと雰囲気を本能的に感じとれた。
「(なんか、王子様みたいな服着てんだけど、なにあれ…?本当に不審者?)」
ほの暗い外灯の下で一人佇む男性は現代の日本では到底見慣れないような洋服を身に纏っていて、夜の暗がりとブロック塀の鈍い色に囲まれ、その白一色で統一された格好がより際立って存在を異質なものに思わせる。
この人と、関わっては行けない。本能がそう知らせる。遠回りになるかもしれないけど、別の道を通って帰ろう。自分の直感を信じ踵を返そうとすると少し離れた所から声が届く。

「こんばんは、少しよろしいかな?」
声のする方へ視線を向けるとにこりと人当たりのいい笑顔を浮かべる美しい男と目が合った。
「(なんなんだその、おでこの白いやつは、)」
声を掛けられたのはもしかしたら自分ではなかったのかもしれないと視線を上げてから後悔する。
呼び止められ、反射的に歩みを止めてしまったとはいえ、その判断は間違っていたかもしれない。覆い隠すように付けられた額当てと、それを持ってしても隠しきれない大きな傷を見るに丁寧に整えられた髭を口元にこさえた目の前の男性は完全に「危ない人」と判断出来た。

「急いでいるので、すみません」
「一つ、お聞かせ願いたい」
やんわりと断りの意を表したというのにそれを気にも止めず話し出す男に話聞けよと声を荒げなかった自分を褒めたたえてやりたかった。
はなから拒否権なんてないのなら、少しよろしいかな?なんてまどろっこしい言い方はやめて欲しい。まず不審者と真っ当に話そうと思う私が馬鹿だったのかもしれない。まともに相手せずとっとと家に帰ろう。奥歯をぎり、と噛み締め苛立ちを押し殺すこちらの様子を知ってか知らずか、遠慮も気遣いもなく続けられる。

「今の西暦は」
「……は、?」
突拍子のない質問に思わず気の抜けた声が零れる。颯爽と歩いてその場を立ち去ろうという気概も一気に削がれてしまった。呆気に取られるとはこの事か。ことの整理が追い付かず混乱しているうちにも次の質問が舞い込んでくる

「ああ、それともう一つ」

「何故君は、名前と同じ顔をしている?」
「え、…っ!?」
顎を掬い上げられたかと思えばのっぺりと塗り潰されたような黒の瞳がすぐ近くまで来ていた。品定めをされているようで居心地が悪い。見つめ合っていたのは一瞬か、数秒か。正しい時間は計りしえなかったが短な時間の中で一気に彼の中へ取り込まれてしまうような、謎の畏れを抱いた。

「(きれいだ、)」
それでいて恐ろしい。目の前の男の瞳をじっと見つめているうちに段々と自分は弱者で、彼は力のある尊い強者なのだと刷り込みされていくような脅迫概念に襲われる。その不気味な危うさに魅入られていると不意に唇を奪われた。顎に手をかけてから口を寄せるその一連の流れが嫌に自然で、自分が今何をされたのか理解するのに数秒かかってしまう。

「やっ!」
忍び込んで来ようとする生々しい舌の感触が惚けていた意識を引き戻し戻す。はっとして反射的にガリッと歯を突き立てると噛まれた舌をべろりと出し痛そうな表情を浮かべられるが、こちらとしては微塵も謝る気は無い。むしろ謝って欲しいくらいだと言うのに大きな傷を顔に持つ男は反省などこれっぽっちもしていないようで。
「唇の感触も同じとは、驚いたな」
淡々と告げるものだからいい加減目眩がしていた。これは本当に、気が狂っているのかもしれない。
「お転婆具合はこちらの名前の方がやや増しているか?」なんて少し愉快そうに話す男の言っていることが到底理解出来ず、年甲斐もなく泣き出してしまいそうだった。

「話しを聞いてくれるかい?」
「な、んですか…?」
この時点で自身の中から「断る」という選択肢は綺麗さっぱりなくなった。否定的な言動や行動を取った結果目の前の不審者が次なにをしてくるかわからないという怯えから、私はただただ話を聞き入れることに専念しようとこの短時間のうちに決意した。
「此処は全てが違和感で満ち溢れている。月がはっきりと見える程の夜更けにも関わらず街の灯りが絶えない。道端にぽつぽつと見えるこれはガス灯ではないね?光が明るすぎる。私の知っている街灯はもっとぼんやりと淡い光を灯していたはずだがここの明かりは少々目がやられそうだ。それに時々通りかかる大きな戦車のようなものはもしかすると車なのか?あんな速さで移動出来て尚且つ煌々とした光を示しながら動くものは生まれてこの方見たことがない。…この街は私にとって眩しすぎる。」
「そこで私は一つ仮説を立てた。私のことを既に気狂いか何かだと思っているのならそれは仕方の無いことだろう。私自身もこんなことありえないと思っているからね。」
「あらゆる観点から冷静に物事を見ても最終的にはどうしてもこの答えに行き着く、」
「ここは私の知っている明治の街ではない、」
「未来の大日本帝国なのではないか、とね。」
こくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえ、心の臓を打ち付ける音が警告音のようにけたたましく鳴り響く。

「もう一度訪ねよう。」

「今の西暦は?」
すぅ、と薄目でこちらを見据えられると自然と背筋がぴんと伸びた。身体が自然と彼に付き従うように仕向けてくる。この人の瞳は征服者の眼差しだ。

「二〇一九年、」
明治から数えて四つ後の時代です。
情けなく震えた声がそう言い終わるや否や、にやりと口元に三日月を浮かべた。

「決まりだな、」
どうやら、私の預かり知らないところで恐ろしい何かが決まったらしい。



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