圧迫逢い引き

パタン、と逃げ道が塞がれた無慈悲な音が閑散とした資料室の空気を揺らす。
先に入るよう促した彼と向き合うため恐る恐る振り返ると、少し俯き気味ではっきりとした表情は確認出来なかったが、代わりにいつもよりワントーン低めでどこか拗ねたような口ぶりから不機嫌であることは見て取れた。

「苗字さん、俺がなんで怒ってるかわかってる?」
「わ、わかるような、わかりたくないような…」
目を泳がせながら前で自分の指と指を絡ませて弄ぶことでドクドクと早く血を送り出す感覚を紛らわす。指を指と指の間に差し込むように合わせ、親指の腹でするりと手の平の部分を撫でつけると薄っすらと湿り気を帯びている。この空間から抜け出したいという焦りを感じ取らせないため冷静になろうとすればするほど、手汗は収まるどころかどんどん悪化していく。

「わ、わっ!?ちょ、なに!?」
曖昧に濁すような返答が更に機嫌を損ねてしまったのか、指を組んでいた手も杉元くんのごつごつとした指先によって丁寧に一本一本丁寧にほどかれ、あろうことか今度は自分の指と彼の指がと絡むような形にされてしまった。かと思えば力任せに手を引かれ強制的に移動させられる.。思わぬ重心の移動に身体がついて行けず、自分の脚に絡まって転びそうになる所をなけなしの運動神経を振り絞りなんとか体勢を保つ。

「っ、」
よろけた先は資料で埋め尽くされている棚で溢れ返っている部屋の中でも貴重な隙間のスペース。後ろには壁。両脇には逞しい腕と、自分と比べたら圧倒的に大きいであろう掌。目の前には射貫くようにこちらを見つめる杉元くん。四面楚歌、完全に退路を断たれてしまった。
怒っている物々しいオーラとは真逆でそっと両サイドに手を添えられた程度のソフトなものでドン、という大きな音はしなかったが、この状況はいわゆる「壁ドン」と呼ばれる状況ではなかろうか。まさか自分がされる側になるとは。少女漫画だったら可憐な花やキラキラしたトーンが散らされているような展開に目を丸くする。

「あいつが知ってて俺の知らない苗字さんがいるっていうのが気に食わない。」
重々しく開かれた口から出た言葉は紛れもない嫉妬と独占欲の現れで。端正な顔立ちを凄みのあるものに見させている深々と刻まれている眉間の皺の川下の方で、薪をくべられた焚火のように煌々とした瞳が揺れている。

嗚呼、誰か早く私をここから出してくれ。

この部屋だけ酸素の濃度が低いのではないかと錯覚するほどに息苦しさを感じる。今自分を鏡で確認することは出来ないが、恐らくなにかに怯えた表情を浮かべているのだろうなと予想がつく。怯えている、なにに?男性と密室で二人きり、なにをされてもおかしくないという恐怖心から?そうではない。それは自分がよくわかっていた。
好意を寄せられる側がこんなにも苦しいものだとは思わなかった。自分が今まで夢に描いていた「恋愛」とは全く違う。追われる側より追う側の方が必死になって相手を恋い慕う。だから追われる側は何の苦労もしないし、なんの心労もかからないと思っていた。追う側は相手に振り向いてもらえるまであきらめない根気強さと相手への深い愛情が必要だ。そんなこと私には一生出来やしない、そう思える相手も現実で出会えるとも思っていなかった。だから私には一生縁がない話だと思ったし、これから先もそれは変わらないことだと思っていた。そう信じて疑わなかったというのにこんなの全然違うじゃないか。見ていられなかった。こんなにも真っすぐに自分の感情を恥ずかしげもなく打ち明け、逃げも隠れもせずに私に向かって一直線に走ってこれる杉元くんが、怖くて、眩しくて。逃げてばかりいる自分が酷く情けなくて。そして私はまた、眩しい光が目に入るのを拒むようにキュッと瞑って顔を俯かせる。この怯えの答えは力業では勝つことが出来ない男の人と二人っきりでいるからだと、自分に言い聞かせながら。




「…?」
数秒経ってもなんのアクションも起こされないため、思わず様子が気になり薄っすらと目を開けてしまう。
怒りに震え、悪鬼の如く厳しい表情をしているのではないかと恐れおののきながら体勢はそのままに視線だけをちらりと彼に向ける。
その表情に思わずドクリと大きく一つ揺れ動く音が胸の奥の方から聞こえる。視界に入ったのは悪鬼でも大魔王でもなく弱々しい、あまりにも人間臭い表情を浮かべた男だった。
眉間に皺を寄せているものの先ほどまでのような威圧感は感じさせず、それどころか悪いことをしてしまったという自覚のある子どものように、どこか怯えた表情をしていて驚いてしまう。どうして、なんで、貴方が泣きそうな顔をしているんだ。
人気の少ない部屋に連れ込まれて恐怖で震えあがっているのは私の方なのに、どうして私よりなにかに「怯えた」顔を見せるのだろう。なにか声をかけなければ、と口を開こうとするとそれを遮るように明るい「いつもの」爽やかな杉元くんの声で言葉が紡がれる。

「…ごめん、こんなの完全に八つ当たりだ。怖い思いさせてごめんね。」
はい、これさっき言ってた資料。これ以上ここに居座ってたら流石に皆心配して探しに来ちゃうかもしれないしそろそろ戻ろっか。
にこりと笑ってこちらを一瞥すると先に資料室を後にしてしまう。笑みを浮かべてからすぐに離れ、この場を去ってしまったため短い間しか見ることは出来なかったがいつも通りの絵に描いたような綺麗な顔に、いつも通りの綺麗な笑顔だった。いつも通り、なのだが。今の私にはなんだか弓なりにしなる口元が無理やり吊り上げられているように見えて仕方がなかった。
何事もなく解放されて万々歳だ。これでいつも通り業務に集中出来る。

そう、思っていたのに。今日もまた、いつも通りに仕事を進められる気がしない。
あの、今にも泣きだすのを堪えながら笑っているような彼の表情がフラッシュバックするたび息が詰まって、苦しいと感じてしまうのはなぜなのか。




────────

結局今日も仕事に集中出来ないまま終業時間を迎えてしまった。

終業を知らせるチャイムが鳴る中、今日の夜ははなにを食べようかなと思案しながら帰りの身支度を始めていると「苗字さん、」と声が掛かる。声の聞こえる方へ目を向けると仕事終わりで疲労困憊している草臥れた表情の私とは真逆で、もうひと仕事余裕で行けそうなくらいフレッシュな杉元くんの姿が。あの資料室でのしおらしい姿を見せた彼は生き別れた双子の兄弟だったんだろうか。そう思えてしまうくらい、今目の前にいる彼は私がここ数日よく目にしている「いつもの杉元くん」だった。


「今週の土曜日苗字さんなにか予定あったりする?」
「土曜日、ですか」
このパターンは嫌な予感がする

「よかったら一緒にご飯でもどうかな?」
予感的中。嫌な予感程よく当たるものだ。社内で話すことでさえ緊張するのに休日にわざわざ、ということは数時間。下手したら半日以上杉元くんと一緒の時間を過ごさなければならないということ。あんなキラキライケメンオーラを長時間接種し続けたら砂になって消える自信がある。出来れば丁重にお断りしたい。
「あー、っそ、その日は予定があったようななかったような…」
「そっか、そうだよね」
目線をうろちょろと彷徨わせ、言葉を濁しながら遠回しに断りを入れようとするとあきらかにしょぼん、と捨てられた子犬にのような顔をされてしまう。そんな顔をされては流石の私も良心が痛むというもの。


「名前は今週の土曜日暇してるぞ」
うぐぐ、と唸りながら「絶対に行きたくない私」と「残念がる杉元くんに揺れる私」を戦わせていると、隣のデスクで同じように帰り支度を進める明日子ちゃんから思わぬ援護射撃が。
「ちょ、明日子ちゃん…?」
昨日久々になにも予定がない休日だとはしゃいでいたじゃないか。あれは嘘だったのか?と私側に大変不利な言葉を悪びれもなく言うものだから困ってしまう。
「あー、確かにそんなこと、言ったような、言ってないような…」
言った。確かに言いました。久々になんもないから一日中だらだらして撮り溜めてたアニメとかキャラを演じた声優さんたちのライブの円盤とか見て過ごそうと思っていました!
「あ、じゃあ…」と言いながらみるみるうちに表情を明るくされてしまってはもうお手上げだ。
Noと言えない日本人の典型である私は「杉元くんがお暇なのであれば、」とその場の空気に流され、自分からお誘いまでしてしまう。

場所とか時間とか決めたいんだけどいいかな?と言われるがままに連絡先まで交換してしまい、着々と段取りが進んで行く。

「土曜日、楽しみにしてるね」
そう言って嬉しさを噛み締めるようにはにかむ杉元くんがなんだか青春真っ只中の学生のようで、いつもと違う少し幼さが垣間見得る表情にほんの少しだけキュンとしてしまった。
じゃあお疲れ様、と一足先にオフィスを後にした杉元くんを目で追うようにぼーっと見つめる。姿が見えなくなってからふと我に返ったが私は、かなりとんでもない約束をしてしまったのではなかろうか。

「あ、明日子ちゃん!ど、どうしよう!!杉元くんと二人でご飯とか、どんな服着ていけばいいの…!?おしゃれな服なんて1枚も持ってないよ私!」
助けて明日子ちゃん、と半泣き状態で泣き付くと私にそういった相談事をするのは間違ってるんじゃないか。と切り捨てられてしまった。仕方ない、オタク友達の中でも比較的女子力の高い子にアドバイス貰うしか…

「名前は杉元と一緒に出掛ける時おしゃれしようと思うんだな」
ぽつりと呟かれた声が余りにも優しく、慈愛に満ちていて、思わず顔を上げる。そんなに、おかしな事を言っただろうか。少し疑問に思いながら明日子ちゃんの方を見ると聖母のような暖かさを感じる笑みを向けられ少し戸惑う。
「だって普段の薄汚い格好じゃ流石にまずいでしょ…万が一杉元くんの友達とかに遭遇してこんな小汚い奴とつるんでんのかって思われたら申し訳ないし、杉元くんの交友関係に傷を付ける訳には、」
「…本当にそれだけか?」
「?どういう意味、」
「いや、なんでもない」
楽しんでくるんだぞ、と微笑む明日子ちゃんはすれ違う人が皆振り返るような絶世の美女で。自分が彼女のように身綺麗で聖人のように清い性格の人間だったらよかったのに。私なんかより明日子さんみたいな人が杉元くんの隣に立つべきだ。比べるまでもなく自分は杉元くんの隣に並ぶには相応しくない人間だと再確認してしまい、気持ちが勝手に憂鬱な方向に舵を切る


土曜日、行きたくないなぁ


Modoru Main Susumu
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