それは画面越しだけでいい

結局昨日は残業。
くたびれた身体に鞭打ってお風呂に浸かり身の回りを綺麗に清めた。そこまではよかったのだが疲れきってしまって逆に休めないという異常事態、それから頭の隅っこに巣食う強敵杉元くんのことで思考を埋め尽くされてしまって結局まともにとれた睡眠が三時間とちょっと。
深夜アニメの追っ掛けで普段の不摂生、及び不規則な睡眠時間には慣れているつもりだったが今回は質が違う。それは己の身体が一番よくわかっていたようで。平均より濃い隈が今朝は更に素晴らしい事になっていた。

欠伸を噛み締めながらエレベーターに乗り込み自分の部署のある階のボタンを押そうとすると、既に誰かが押していたのか目的の階の数字がオレンジ色の光を宿している。

「五階であってる?」
おはよう、と朝からまぶしいくらいの爽やかな笑顔を煌めかせて言う渦中の人。俯いたままエレベーターに乗り込んだせいで全く気付くことが出来なかった。この隈の大元の原因である人物になるべくであったら出会いたくないと願っていたのだがまさか朝一番にお目にかかることになろうとは。

おはようございます、と愛想笑いすら浮かべずに会釈する。
僅かでも抵抗したくてボタンが縦に並ぶ入り口付近に立つ杉元くんからなるべく一番遠い位置に陣取り、乗って早々早く着かないだろうかと階数を示すランプをじっと見つめる。わざわざ一番奥まで身を寄せたというのに、私と彼が対角線上に位置していた時間はほんの数秒で。扉が閉まるや否や、磁石でも仕込まれているのかと疑うほど迷いもなく私の隣へ。広々、とは言い難い広さではあるものの他にはいくらでもスペースがあるというのに二人してこんな隅っこの方に縮こまる必要性はあるのだろうか。両手で事足りてしまうような僅かな時間でしか接触したことがないが、ここ数日の行動だけでもなんというか、彼の執着力というか、押しの強さには一周回ってよくやるなと酷く感心してしまう。なんだって私みたいなやつにこうもこだわることが出来るんだろうか。自分で言うのも虚しい話だが私とどうこうなったとしても、なんのメリットもないというのに。居心地の悪さと若干の息苦しさを感じながら肩にかけた通勤用のバックの取っ手をぎゅっと握りしめる。

「顔色いつもより悪そうに見えるけど大丈夫?」
「あはは、、お気遣いなく…」
ほぼほぼあんたのせいだけどな!と心の中で罵倒することによってギリギリで精神を保つ。杉元くんのせいでここ数日の生活がめちゃくちゃだ。今ドハマリしているアプリのログインを忘れるわ、発売当日にお迎えしようと前々から考えていた単行本とCDの発売日をすっかり忘れてそのまま直帰しちゃうわ…今まで生きる糧にして来た大事なルーティンをものの見事に崩されているというかなんというか。
推しを追うものとして壮大な痛手をやらかしているここ数日の過ちを思い出しながら自分を戒めていると、思ったよりダメージが深く、思わずこめかみを抑える。
その様子を見て本当に具合が悪いと勘違いしたのか「ほんとに大丈夫?」と顔を覗き込んできた。ええい、無駄にいい顔を近づけてくれるな。不本意ながらドキドキしちゃうじゃないか。こっちは現実のイケメンに耐性なんぞないんだからな。

「だ、大丈夫です大丈夫です!こう見えて頑丈なので」
「でも、目の下隈出来てる。眠れてないの?」
平静を保つのに必死になっていることを知ってか知らずか、追い打ちをかけるように遠慮などない狂った距離感のまま、頬に手を添えられ目の下を親指の腹をするりと撫でられる。身体を後退させて逃れようとしても後頭部にこつりと無機質な壁が当たるだけで差して十分な距離を取ることは出来ない。エレベーターの角に身を置いたのが仇となってしまった。

「ああああの?杉元くん」
「ん?どした?」
「あの、些か、近すぎや、しませんか?」
この状態じゃ「マジでキスする5秒前」を地で行くというか、今この体制を保ったままの状態のところに別階から誰かが乗ってきたら確実に勘違いされる。
ふと先日「覚悟しとけよ」と言われたことが脳裏を過ぎる。あの言葉はアプローチの仕方を改めるという意図が隠されていたんだあろうか。改めるという言葉には改善する、良いものにするという意味があるが今回の場合は絶対にあてはまらない。私にとっては改悪なアップデートにしかならないと私の中の本能がそう叫んでいる。


「そうかな?」
あくまで惚ける気でいるらしい天使の顔をした大魔王様に今日は途中で折れてたまるものかと心に誓い、負けじと噛み付く。
「そうです…!誰かに見られでもしたら、」
「見たいやつには見せつけててやればいいよ」
「んなもん見たいやつなんて何処にもいませんってば!」
美男美女同士の絵になる絡みならともかく。杉元くんは間違いなく美男だが私は違う。需要などない。ふしゃー!!と威嚇するように窘めるとからからと笑うだけで「苗字さんってこっちが素に近いでしょ?」とむしろどこか嬉しそうな表情で返されてしまって拍子抜けする。

「素、とか別に意図して切り替えているわけでは…」
確かに職場の人とは親しい人を除いて、必要最低限の話をしたことがあまりない。杉元くんも以前はそういった関係だったのだがここ数日でうんと話す機会が(不本意ながら)増えてしまい普段張っている外面向けATフィールドが崩れかけてしまったのだろうか。
いや待てよ。ひょっとしたら、ここを上手く利用すれば私の得する方向に転ぶのではなかろうか。ぽこん、と一つ名案が浮かび内心にやりとほくそ笑む。

「いや、そうなんですよ。実は私裏表が激しいタイプで。会社以外だとくそほどだらしないし口も悪いし、よく引かれることが多いんですよー」
人付き合いも得意じゃないし愛想笑い浮かべるのも疲れちゃって。話の合わない人と会話をうまく合わせて相槌打ったりするのって面倒くさいですよねぇ。杉元くんが思ってるほど素敵な人間じゃないんですよ。むしろイメージと真逆。どうです?結構性格悪いんですよ私。軽蔑しました?と早口で追い立てるように尋ねる。流石に嫌いになっただろう。そう踏んで内心ドヤ顔をかましていると予想外の反応が返ってきた。

「いんや?むしろもっと好きになったよ」
「すっ、」
好きという単語に思わずかぁっと顔に紅を差す結果になってしまった。杉元くんってやはりちょっと変わった人なんだろうか。性格の悪い人が好きなんて随分と変わった趣味嗜好の持ち主なんだなと考えると逆にこっちがドン引きしてしまう。
「強気になってもそーやってすぐ顔赤くなっちゃう所とか、すげーかわいい」
「んな!?か、かわ、」
かわいいわけがない!!と声を荒らげて否定しようと試みるも頭の上に置かれた大きな掌の感触によって妨げられる。
「俺の前ではいつもそんな感じでいてよ。無理に気張らないでそのままの苗字さんと話してみたいんだ。」
俺デスクこっちだから。またね、
「倒れそうになる前に誰かに声掛けるんだよ?」
そういって髪型を崩さない程度の軽い力でぽんぽん、と元気づけるように撫でられる。
頭ぽんぽんとか、少女漫画か。一歩間違えれば、現実で実際にやったら笑いものになるような行為も彼の手にかかれば、女性をときめかせる武器の一つでしかない。私ではなくて、杉元くんに好意のある女性社員だったら発狂ものなんだろうなこれ。そうなる気持ちは分からんでもない。実際私も生まれて初めての頭ポンポンだったしちょっとドキッとした。これが推しにでもやられもしたら発狂しながら卒倒してもおかしくはないレベルのイベントだ。そう考えながら今の一連の流れを最推しキャラで脳内再生させたおかげでだいぶメンタルが回復された。

それにしてもここまで言っても杉元くんが手を引かなかったのは予想外だったな。作戦変更。今まで通り、いや、今までよりもより分厚く、対一般人向けの愛想笑い全開ATフィールドを常に張り付けて立ち向かおう。杉元くんのお願いなんか聞くもんか。心に決めた。
まず杉元くんは私が超ド級のオタクであることを知らないからあんなことを言えるのだ。そのままの私?そんなもの見せたらドン引かれるに決まってる。好きになってからでは遅いのだ。もし仮に、万が一でも有り得る展開ではないが、私と彼が両想いになってお付き合いするとしよう。
付き合った当初は幸せかもしれないが私の普段の生活や、素を見たら幻滅するのは間違いないだろう。愛想をつかれて捨てられるのは私。結局、悲しい思いを思いをして傷付くのはこちらの方だ。最初から傷付くことがわかっていて近付くなんて、そんなの自殺行為でしかない。

朝から少女漫画よろしく、お花のエフェクトが飛び交いそうな甘酸っぱい雰囲気に呑まれそうになっている脳内にこもった靄を振り払うように頭をぶんぶんと横に振る。仕事に切り替えるため新鮮な空気を肺に取り込み「よし、」と軽く気合を入れて杉元くんが進んだ方向とは真反対にある自分の机に向かって歩を進めた。






「おはよう名前。なんか既に疲れてないか?」
自席まで辿り着くと社内でも数少ない私の親しい友人兼同僚の1人でもある明日子ちゃんが既に仕事の準備を始めていた。
「おはよう明日子ちゃん、もう私はイケメンが怖いよ…」
ぐったり、とした表現がこれほどに似合う女がいただろうか。そう思うくらいまだ電源のついていない真っ暗なPCの液晶に映る自分の分身は疲労困憊、といった様子だった。
「はぁ、女の子最高。もう私女の子と結婚する。ねぇ、明日子ちゃん、嫁をとる気はないかい?」
「?名前は嫁になりたいのか。それなら杉元のところにでも嫁いだらいい。」
「明日子ちゃんまでそんな不気味なこと言わないで!」
忘れようと必死に努めていた名前が不意に飛び込んできて思わずいつもより大きな声が出てしまう。
「どうしてだ?杉元なら喜んで貰ってくれるのに」
「いやいやいや、冷静に考えても見てよ明日子さん。杉元くんは皆の人気者でいわゆる輪の中心にいるような人だよ?片や私は社内の人間に名前を覚えられてるのかも定かではない日陰に生きるような地味で目立たない人間だよ?そんなの釣り合いが取れるわけないじゃない。」
「そんなの、なってみなくちゃわからないじゃないか」
「いや、なってみなくてもわかるよ、」
「そうか、」
そういうものなのか、
表情豊かでなにを考えているかわかりやすい。素直で嘘がない、清廉とした性格が表情に出てしまう彼女はとてもかわいらしいものだが、「納得がいかない」と顔にまざまざと書いてあり、
手に取るようにわかってしまう彼女の思考と、羨ましいと感じてしまうほどの素直さに思わず苦笑してしまう。

「そういうものなんだよ、」
現実から目を背けるように明日子ちゃんの真っすぐな瞳から目を逸らし、起動中を示すPCモニターの中に視線を潜り込ませる。こちらをじっと見つめる明日子ちゃんの視線に気付かないふりをしながら。


なかなか外されない視線に耐えきれずちらりと彼女の方を盗み見ると、やはりまだこちらを見据えていたようで。邪気を振り払ってくれる神性の高い護り石のような瑠璃色の瞳に吸い寄せられる。もしかしたら、なにもかもを見透かされているのではないか。そんな畏れさえも抱いてしまう。

「名前、お前、なにをそんなに」
怯えているんだ?

「っ、」
明日子ちゃんの真っすぐで、それでいてぐさりと真意をつく言葉に耐えるよう頬の内側を強く噛み締める。「なにそれ、」と笑い飛ばすことも、「怯えてなんかないよ」と否定することも出来たはずだ。でもそれが今の私には出来なかった。何か言わなければ、なにか適当な言葉がないかと考えれば考えるほど口の中が乾いていき、唾を飲み込むことすらままならない。あれ、息ってどうやって吸って、吐いてたっけ。
結局何も答えられないままようやっと息を吸い込んだタイミングで始業を知らせるチャイムが鳴る。
その合図からしばらくたっても私は仕事に身が入らないでいた。手元だけはそれなりに機能しているように見えるが実際頭の中は業務より先程明日子ちゃんから指摘された言葉だけがぐるぐると頭の中を堂々巡りしている、

怯えている。

言い得て妙だ。
そうか、私は、私は怯えているんだ。
開いた隙間にすとんとなにかが嵌るように、妙なほどまで納得が行く。
たぶん怖いんだ。こわい。杉元くんを好きになるのも、杉元くんから嫌われることも、そうやって傷付くことも。傷付きたくないから自分の気持ちに見ないふりしてずっと逃げていくんだ。それはたぶん、この先ずっと。結局は全部自分の為だ。いろんなことに理由をつけて、言い訳して、逃れられる道を常に確保してる。弱くて卑怯で、結局は自分本位な人間なんだ。喉が忙しなく上下し、目の奥から熱っぽいものが込み上げてくる。少しでも油断したら、なにかがそのまま溢れ出てきそうだ。そうして弱虫で卑怯者な私はまた溜まりに溜まったダムを塞き止めると同時にその「得体の知れない未知の感情」にすら蓋をして見ないふりだ。
今はまだ、気付かなくていい、知らなくていい。この歳になってそれはまずいだろって?そんなの自分が一番よく知ってる。いつまで経っても与えられるのをただただ待つばかりの子供と同じ。
××を知らないまま生きていくのかと問われれば、捻くれ者の私は迷わずYESの札をあげるだろう。


ねぇ杉元くん、やっぱり私は君が思ってるような「かわいい人」じゃないよ。


Modoru Main Susumu
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