食堂攻防戦

あの飲み会から数日。
未だに杉元くんとまともに会話出来ないでいる。
お昼時で人が多く、喧騒に紛れるのを良いことに「はぁ…」と大きなため息をつく。
決して避けている訳ではない。ただなんとなく「あ、この流れだと杉元くんと話すことになる」と感じたときにそれとなーくお手洗いに行ったり、それとなーく別の部署に書類を回しに行くために席を外したり、普段より急いで業務をこなしてみたりと、あたかも「今忙しいです」オーラを醸し出しているだけであって。

自分では自然と立ち振る舞ってるつもりなのだがやっぱり避けられてる側からしたら勘付くものなのだろうか?本人に言及されてないということはまだセーフと考えられるか?あ、いや別に避けてるわけでは。
これであからさますぎて「うわ、こいつちょっと話しかけただけでめっちゃ意識してるじゃん」とか思われてたらどうしよう。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないか。いやこれは違うんだよ意識してるわけじゃなくてこう、今まで生きてきた人生の中で男の人と接する機会なんてまぁなかったしその、好意を表立って伝えられるような好感度分岐ルートになんてリアルで遭遇したことなかったからどうしたらいいかわからなくてだな。どうして現実というのはこんなにも生きづらいんだろう。いや、リアルで顔の横に好感度ゲージやらハートが飛び散られても困るんだが。あ、でもあの選択肢画面は助かるかも。いつもどう対処したらわかんなかったり会話の続け方に迷ったりしたときに選択肢があったら便利だなぁ。口下手で人付き合いが下手くそな私からしたら喉から手が出るほど欲しいお助けアイテムだ。

さて、本題に戻るがここまで深く考えて悩むのが馬鹿なのだろうか?あの飲み会の夜からというもの四六時中頭の隅の方には常に杉元くんの顔がちらついてしまって妙に意識をしてしまう。忘れよう忘れようと思えば思うほどくっきりとあのときの熱っぽい表情や、優し気な声色とは裏腹に獲物を狩るような鋭い瞳を思い出してしまって勝手に顔に熱が集まってきてしまう。私ぐらいの他の年頃の人たちは常にこんなややこしい感情に囚われながら「恋愛」をしているものなんだと思うと素直に称賛の拍手を送りたい。私なんて「恋」に発展する前のこの状態でお手上げだというのに。

出口のない問いに半ば自暴自棄になり私は一つの結論を出した。

「これは私の勘違いだ」、と。

元々「名前は深く考えすぎ」と友達から指摘されるような性格ではある。だから今回も「もしかしたら杉元くんに好意を持たれているのかもしれない」という私の思い込みに違いない。
冷静に考えてもみろ。杉元くんは性格もよければ顔もいい。ここが会社ではなく学校であれば間違いなくクラスの中心やクラスの人気者に位置するタイプの人間だ。それに比べて私は雲泥の差。比べることも憚られるくらい地味で愛想もなければ花もない。そんな真逆の人間が交わることなんて「ありえない」ことなのだ。業務のことで会話出来るだけでも奇跡に等しいというのに、色恋沙汰なんて、ちゃんちゃらおかしな話だ。
思い起こせば彼も顔を赤らめるほどには、かなりアルコールを流し込んでいた状態だったように見えた。あれはやはり本心ではないだろう。
やっぱり私が勝手に舞い上がっていただけか。画面の中を含めないとすると彼氏いない歴は歳の数と同じ女の妄想力を舐めないでほしい。うっかり勘違いして虚しい気持ちになるところだったじゃないか全く。ちょっと残念な気持ち二割。どこかほっとした安心感八割で自分の気持ちに区切りをつけ、食堂の隅にある人が少ないいつもの定位置に腰を下ろす。今日のメニューは唐揚げ定食だ。揚げ物の香ばしい香りとホカホカのごはん、味噌の香りと温かさを目で感じられる湯気。視界と香りから空腹によく効く暴力に耐えているとぎゅううとお腹の虫が鳴く。こんなに悩み苦しんでいるというのにお腹は空くんだから人間の体は欲に忠実だ。

いつも一緒に食べている同期の友達は少し立て込んでいるらしく一緒に食べられないとLINEが来てしまったため今日はぼっち飯。
一人でいうのもなんだか恥ずかしい気もするが、どうせこんな端っこの席で寂しく食べる奴気にも留めないし見向きもしないか、とこれまた気にしない方針で行こうと決め、一応日本人として「いただきます。」といつもより格段に小さく呟く。


「隣、いいかな」
まずは汁物から頂こうと、一口啜ったところで左隣からここ数日嫌に考えさせられてきた人物の声が聞こえたような気がして思わず咽そうになる。皮肉にもあの日と同じ言葉、似たような状況だ。デジャヴってこういうことのことを言うんだきっと。非常に残念なことに私の予想は当たってしまい、想像していた通りの人物が椅子を引いて腰を掛けようとしていた。いいかな?と聞いて了承を得る前に座る動作に入ろうとしているのはいかがなものか。爆モテ街道まっしぐらな人生を歩んできたであろう彼は断られるという反応をされたことがあまりないんだろうなと嫌味たらしく偏見を含んだ色眼鏡でつい見てしまう。他の席もちらほらと空いてるので隣じゃなくてもいいんじゃないですか?という言葉も味噌汁と一緒に意気地なしの腹の中に吸い込まれていき、代わりに「どうぞ、」という短い肯定の言葉が引き摺り出された。


この状況は非常にまずい。同じ言葉に、同じ言葉、二人きり。あの日の出来事を台本に沿ってなぞられているような感覚に陥ってしまい、否が応でも意識してしまう。私は思春期真っ盛りの中学生かと自分自身を叱咤し、「平常心、平常心」と心の中で呪文のように唱える。とにかく会話を強いられる前に食べ終わってしまおう。早食いは褒められることではないが背に腹は代えられん。恥を忍んでいつもより大きな口を開けて唐揚げを頬張る。いつもは大好きなボリュームたっぷりな噛み応えのある好物も今となっては逃げ口を塞ぐ忌々しい肉の塊だ。

「こうしてるとなんだかこの前の飲み会を思い出すなぁ。」

はいきた開口一番で聞きたくなかったお言葉。なんなんだろう杉元くんは私の考えてることがわかるんだろうか。思考を読むエスパーじゃあるまいなと疑うほどにピンポイントで触れてほしくない話題に会話の舵を取るもんだから思わず勘弁してくれと杉元くんから見えづらいであろう右手でこめかみを抑える。

あれからなかなか会う機会がなかったけどあんときは楽しかったね。そう言って邪気の全くない笑顔ではにかむ杉元くんを見て罪悪感がどっとこみ上げる。数秒前にしてしまった自分の行動を恥じた。ごめんよ、杉元くん。
そして「全く楽しんでなかった社会不適合でコミュ障な自分」と「会う機会をことごとく潰してきたこと」を謝罪をした。もちろん、口にはせず心の中で。
否定も肯定もせずへらり、と愛想笑いを浮かべながらで箸をすすめ続ける。



そして、なんというかその、視線が、痛い。
今私が左に首を捻ったら確実に彼の視線と交わってしまう。杉元くんの視線は自分のご飯ではなく、右隣に座っている私に向けられているのだ。食べづらいことこの上ない。そんな中大口を開けて物を食べるのも気が引けてしまい、それに伴って、食べるペースが格段に遅くなってしまう。遅いというよりいつもの食べ方に戻っただけなのだが。

「あ、あの杉元くん…」
非常に食べづらかったため、耐え切れずこちらから声をかけてしまった。その先の言葉をはっきりと告げることはなかったが察しのいい彼には意図することが正しく伝わったらしい。
「ああ、ごめん見すぎてたか」
食べづらかったよね、と眉を下げて軽く謝る彼に「自覚があるならやめていただきたい」と心の中で毒づく。さっきから自分の心の中で留めておくことが多すぎやしないか。胃をキリキリさせながら得意の愛想笑いで乗り過ごそうとしていると、懲りずに杉元くんは話しかけてきた。

「美味しそうに食べてたから、つい。好きなの?唐揚げ。」
「え、ああ、そうですね。」
「うまいよなぁ、俺も唐揚げ食べたくなってきた」
今日の晩飯は唐揚げにでもするかなぁ、と呟く杉元くんにどう相槌をうったらいいかわからず「よかったら一個食べますか?」と謎のお誘いをしてしまった。口に出してしまったあとに気付いたけどこれは流石に馴れ馴れしすぎただろうか。思わず親しい友人とやる「一口食べる?」みたいなテンションでやってしまったけどあまり親しい間柄でもない異性に持ちかけるような内容ではなかったのかもしれない。ああほら、杉元くんもポカンとしてしまっているじゃないか。
「あああの、あれです。我が家の味のものしか受け付けないぜ。みたいな感じだったら、全然いいんですけど、あの」
すみません…と自分でもなにに対しての謝罪だかわからないが謝り癖が露見した。
「っはは、なにそれ、別に謝んなくていいよ。」
変なことを言ってしまった自覚大ありな上に笑われてしまって恥ずかしさで死にたくなる。ええい、顔に集まってくれるな全身の血液。
「食っていいの?」
ええ、もうなんかお腹いっぱいなので好きなだけ持ってって下さい…と蚊が鳴くようなかすかな声で伝えると「んじゃ、遠慮なく。」お皿から少し小ぶりなものが一つ、杉元くんの口の中に消えていく。遠慮なく、とは言ったものの気は使っているんだろうな。どうってことない些細なことだけどこういう細かな普段の積み重ねが「モテ」に繋がってんだろうな。と俯瞰的な考えで一連の動作を盗み見る。口元から視線を落とすとテーブルの上には私のような定食の乗ったお盆ではなく丁寧にハンカチで包まれたお弁当箱のようなものが見えた。

「杉元くんはお弁当なんですね」
「ん?あぁ、俺、よく食べるからさ。食費が馬鹿にならなくて。」
だから出来るだけ節約になるように自炊してんの。そう言いながら包みをほどいていくと、本当によく食べるのか大き目なお弁当箱が顔をのぞかせた。蓋を開けるとよく本屋で見かけるお弁当のレシピ本に載っている写真のような完成度の高いものが出てきて思わず目を見開く。今どきの成人男子ってこんなにお料理上手なものなの…?

「え、これまさかの杉元くんの手作りですか?」
「うん、そうだよ」
「え、すご…」
「手が込んでる訳じゃないからそんなに褒められたもんじゃないよ」
夜ごはんの余りとかほとんどだしさ。
ということは常に自炊をしているということか。残り物とは言うもののきちんと彩りも考えられているように見える。たこさんウインナーもあってかわいらしい感じだからてっきり彼女さんが作っているのかと思ったが杉元くん自身の女子力がそうとう高いのかもしれない。少なくとも枯れ果てたわたしよりは確実に高いと思う。

「いやいや、まず自炊する時点ですごいですし、早起きして毎朝お弁当を詰めるっていう行為ができる時点で尊敬に値しますよ…」
「尊敬のハードル低くない?」
「いやぁ…私は朝ギリギリ限界まで寝ていたいタイプの人間なので…お弁当を作ろうと思えるその精神に感服します。」
「朝弱いの?意外だな」
「そうですか?見たまんまだともいますけど」
「仕事もきっちりこなすし私生活もきっちりかっちりしてんのかと思った」
「あ、はは、そのイメージ今すぐにぶち壊した方がいいと思いますよ。想像してるのと違いすぎてドン引きします絶対。」

THE自堕落を文字通りこなしている私生活をみたら杉元くんに限らず皆ドン引きするだろう。自炊はするけど自分がおいしければそれでいい、栄養バランスなんて毛ほども考えていないものばかりだし、休日なんて家から一歩も出ずにアニメや漫画を見たりサイトをめぐって二次創作を楽しんだり、推しを思って大号泣したりととオタクとして充実した日々を過ごしている。私個人としては非常に満足のいく生活を送っているのだが世間一般の私生活とはかけ離れている自覚はある。

「へぇ、見てみたいな。」
「え゛っ、!?っと…おすすめは出来ませんね…」
会社の同僚にあの姿を見られたら人間として終わるなと思っていたところに思わぬ反応をされ、この世のものとは思えない汚い音を口から発してしまった。

「冗談だよ、冗談。あ、そうだ。さっき一個貰っちまったし俺のおかずもなんか食うか?」
「あ、じゃあいただきます。」
ここで遠慮するのも失礼に値するかなと思い卵焼きを一つ頂く。
「どぉ?」
「美味しい…!これも杉元くんの手作りなんですか?」
「そーだよ。グラタンだけは冷食だけどその他は全部俺」
「へー、すごい…いつでもお嫁さんになれますね杉元くん。」
「お婿さんのが嬉しいんだが…まぁ、苗字さんが貰ってくれるって言うならどっちでもいいぜ?」
「へっ!?あ、あは、やだなー杉元くん。そういうのは彼女さんに言ってあげないと!」
というか!そのお弁当も彼女さんが作ってくれたんだと思ってましたよー!あ、もしかして彼女さんの分は杉元くんが作ってあげてる感じですか?いやーこんな美味しいお弁当毎日食べられるなんて彼女さんは幸せですねあははーと動揺の余り早口でそう捲し立てるとみるみるうちに表情が曇っていく杉元くん。まずい、私なんか地雷踏んだか。

「苗字さん、俺今彼女いないから」
「えっ!あ、そっか…」
それは、失礼しました…とこれまた小さな声で謝罪すると、それからの会話は続くことなく、空白の時間がただただ続いていく。冷や汗を垂らしながら食事を喉から淡々と流し込む作業に専念していると、後から食べ始まったはずの杉元くんがいつの間にか食べ終わっていたようで静かに「ごちそうさまでした」と呟く。
ごちそうさま、といった手前すぐこの居辛い空間から立ち去るだろうと踏んでいた私の予想はあっけなく壊され、食べ終わっても彼の姿は左隣から消えることはなかった。もしかして私が食べ終わるのを待っているのだろうかとふと思い、残りの数口を慌てて掻き込む。

「ごちそうさまでした、」
少し前に彼がしたように両手を軽く合わせて食べ物に感謝の礼をする。恐る恐る目線だけをちらりと左に傾けると、ばちりと視線がかち合う。私はこの目を嫌というほど知っている。ここ数日の私を悩ませ続けた「あの日の夜」と同じ瞳だ。

「苗字さんはさぁ、俺が彼女いるのに他の女口説くような不埒な奴だと思ってる?」
先ほどの己の発言に苦言を申し立てるような口ぶりに思わずぎくりと表情をこわばらせる。相手のプライドを傷つけるような発言をしてしまった後ろめたさから彼の視線から逃げてしまい、空になったご飯茶碗と睨めっこする。きっと、いや、これは確実に杉元くんを、怒らせてしまった。

「それとも、あの日のことは酔った勢いの冗談だったと本気で思ってんか?」

さっきまで考えていたことをぴたりと言い当てられてしまい、ひゅっと息を呑む。その態度は肯定の意味と捕らえられたのか端正な顔立ちを少し歪ませ、悪人面にも見える要因の一つである眉間の皺をより深くさせた。美人を怒らせると怖いとよく聞くがそれは男前にも通じることであったようで。「図星みてぇだな、」低く唸るように呟かれた短い言葉にどこか凶器のような鋭さが感じられて「怖い」という感情で蝕まれていく。いつもの人当たりのいい爽やかな笑顔の彼はどこに消えてしまったんだろうか。こんなぎらついた野犬のような恐ろしい獣の姿を見たら社内の面食い女子は恐れおののいて離れて行ってしまうのではなかろうか。ああ、それともワイルドで危ういところも素敵!と目にハートマークをうかべて大喜びするかもしれないな。目の前のことから逃避するように暢気で場違いなことを考えていると地を這うような凄みのある声によって現実に引き戻される。


「冗談だとか、からかわれてるとかまだ思ってるなら、そいつは間違ってる。」


「俺は惚れた女には真っすぐでありたい。」
文字通りストレートな言葉をぶつけられがつんと鈍器で頭部を殴られるような衝撃が走る。殴られた部分からにじみ出た血液は不思議なことに外部ではなく内に広がっていきじわり、じわりと全身を廻っていく。さっきまで冷や汗をかいていた身体が嘘のように熱い。


「こんだけ言っても、自分はからかわれてるとか、異性として見られてないとか、んな馬鹿な事考えるような鈍感娘なら、こっちにも考えがある。」

「か、考えって…?」
からからに乾いた喉からようやく形になって出てきた問いの答えは嫌味なくらいにっこりとした笑顔によって誤魔化されてしまい、明確な答えは返ってこなかった。その代わりに聞いた時のない、「これは本当にあの杉元くんなのか」と疑うような低い声で

「覚悟しとけよ」

と囁かれてしまい「ひっ、」と悲鳴が零れてしまった。なんだ、今のは。背筋がゾクゾクと痺れて脳漿からなにかやばいものが分泌されているのではないかと錯覚するくらい頭がくらくらする。囁かれた言葉が左耳の奥で永遠とハウリングされ、顔が赤く色づいていく感覚に襲われる。熱を帯びた耳を片手で押さえながら彼の方を見やると情報処理が追い付かず慌てふためく私の様子を見て満足したのか、口の端を釣り上げて薄く笑い、「じゃあ、またね、苗字さん」急がないと昼休憩終わっちまうぜ、と飄々と言ってのけ一足先に食堂を後にした。


どうしよう、
どうなってしまうんだろう、私は。
そんな恋愛初心者の自分には到底一人じゃ抱えきれない大きな悩みを突然突き付けられ、残りの休憩時間なんてお構いなしにテーブルに顔を伏せることしか出来なかった。

こんな状態で午後の業務に集中できるわけもない。待ち構えている仕事の山と向き合える猛者がいたら是非ともお会いしたいものだ。そんな強靭な精神を持ち合わせている訳もなく、どちらかと言えば常人よりもほんの些細なことでヒヨってしまう紙メンタルな私は「今日は残業確定かな」と遠い目をしながらどうやって思考回路を蝕んでいく大ボス杉元くんを倒せるのか考えあぐねるのだった。


Modoru Main Susumu
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