押して駄目なら諦めて

なぜ私はお酒の楽しいはずの席でこんな緊張感を味わっているのだろう。その原因の九割は主に私の左隣にいる人物であることは考えなくてもわかってしまうのだが。

まず第一に飲み会という文化自体が自分と言う人間には適していないんだ。アルコールはそんなに強くないしなんなら一杯以上飲めば眠くなる。だから周りに合わせてお酒をたくさん煽ることなんか出来ないし飲みニケーションなんて以ての外だ。別に楽しい雰囲気が嫌いという訳では無い。ただ私には適していないだけであって。飲み会にお金を落とすぐらいだったら課金して画面の向こうの推しを愛でたい。そういえば推しのピックアップガチャが明日から始まる。帰りに魔法のカードを買っていかねば。



いい歳して人見知りを拗らせ、人付き合いが苦手な私は極力人と関わらなくていい様な端っこの席を陣取っていた。右側には壁、左側には社内で数少ない気軽に話せる女友達に座って貰い、我ながら完璧な布陣で参加していた。あくまで「いた」のだ。つまり過去形。私とは正反対で社交的な性格と人に愛されるタイプ彼女は他部署の先輩や後輩の席を転々としているようで、飲み会開始十分と持たずに私の隣を旅立ってしまった。△△△ちゃんに誘われたから渋々参加したものの、当の本人が居ないんじゃ肩身が狭いじゃないか。そう少しぶすくれた表情を浮かべながら離れた席で後輩と楽しそうに談笑する同期に向かって恨めしげに視線を投げていると「隣いいかな?」お酒のせいなのかいつもより幾分かゆるーく、優しげな声が不意に聞こえてきて思わず「へ?」と情けない声を上げる。なんでこの人が隣に。

「あ、いや、どうぞ」
どうぞ、と言ったはいいものの内心心臓がバクバクだ。この場合の胸の鼓動はときめきとか恋慕的なものではなく単純に緊張から。人気者が何故こんな日の当たらない場所に。
皆思い思いに移動してることもあって空いてる席はここ以外にもちらほら見受けられるのにわざわざこんな奴の隣にやってきた物好きな人は杉元くん。自分とは同じ部署に所属しているのだが仕事も出来る、顔も良し、性格も良し、誰にでも分け隔てなく優しくて紳士的。彼の明るい雰囲気に惹かれる人は少なくなく、男女ともに社内でも人気のあるうちのエース様だ。そんな彼と業務的な事で何言か交わす事はあっても、いつでも部内の話題の中心に居る明るい太陽のような杉元くんと、私みたいな日陰で生きてきた卑屈で特別スタイルが良くもかわいくもない、クソモブオタクを極めたような女が会話をするような日が来るとは思ってもいなかった。

変に話しかけて不快な思いをさせてはいけないと思い極力気配を消すように心がけテーブルに置かれているウーロン茶をちびちび飲み、おつまみを少しずつ頬張る。この流れをゆっくり何往復も繰り返した。空席だった左隣が杉元くんで埋められてからどれくらい経ったのだろう。十分、いや下手したら五分と経っていないのかもしれない。それでもこのなんとも言えない居た堪れない謎のプレッシャーを感じている私にとっては一時間くらいの体感時間があった。
一向に移動する気配のない杉元くんの様子を伺うために伏せていた視線を上げ、ちらりと盗み見ると丁度そのタイミングでこっちを向いていたのかばちりと目と目があってしまう。ひくりと口の端が歪む私とは正反対ににこりと人当たりの良い笑顔を浮かべる杉元くん。これが光属性の力といったものか。眩しくて若干目が霞んできた気がする、疲れてんのかな

「苗字さん飲まないの?」
ウーロン茶をちびりちびりと飲んでいたのがバレていたのか、なんかお酒取ろうか?と気を利かせて訪ねてくれる杉元くん。こんな地味で目立たないやつにまで気にかけてくれるなんてやっぱり出来る人は人との接し方もすごいんだなぁと素直に感心してしまう

「あ、えっと、お酒あんま飲めないので」
それに対して私と来たら少しの返答にもすんなり堪えられず必ずと言っていいほど吃ってしまう。素っ気ない言い方になってしまっただろうか、気を悪くしていないかなとビクビクしながら「お気になさらず、」と聞こえるか聞こえないかの声で小さく返すと苗字さんお酒弱いんだ?とこれまたにこにこしながら訪ねてくる。
…私なんかと話していて楽しいのだろうか。特別話が続くわけでも面白い返しが出来るわけでもないのに嬉しそうに話しかけてくれる杉元くんの人当たりの良い笑顔が、段々無理しているように感じてきてしまってなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。一人寂しくぽつんと座る私に気を使ってくれてるのではないかと不安になった私は勇気を出して自分から話しかけて見ることにした



「あの、杉元くんはあっち行かなくていいんですか?」
あっちと言いながら同じ部署の白石さん、明日子ちゃん、隣の部署の鯉登さんや月島さんを始め、普段からもよく目立つ無駄に顔が良い集団が居る賑わった席を見つめる。本来ならこんな端っこではなくあそこの中心に居るような人だから。私のことは気にせず飲み会を楽しんで下さいっという意味も込めてやんわりと席を離れることを促してみる


「んー、隣に居たら迷惑かな?」

「いや、そんなことは」
意外な返答に言葉を詰まらせる。

「ありがと」

そんな些細なアピールも聖人杉元くんの前では通用しなかったのか優しさで跳ね返されてしまった。てっきり「じゃあ明日子さんとこ行ってくるね」とでも言われると思っていたから拍子抜けしてしまった。やっぱり優しいんだな…飲み会の端の席で一人寂しく見えてるんだろうけどそんなに気を使わなくても私は1人でも全然平気なんだけどな。むしろ一人にさせて下さいめちゃくちゃ精神力使うから。杉元くんは気付いてないだろうけどさっきから他部署の女性社員の目が痛い。大層おモテになる彼の隣の席は皆喉から手が出るほど羨むものなんだろう。ごめんなさい私もなりたくてなったわけじゃないんですよ!!代われるものなら代わってあげたい!かと言ってこの状態で席を立てるほど度胸がないんだごめんな!!

そう脳内で葛藤してると「おい杉元ー!そんな端っこ居ないでこっち来いよ」とお呼びの声がかかった。あ、やっとこのいろんな意味でのプレッシャーから開放されると胸を撫で下ろそうとしたとき。杉元くんの一声でその平穏は崩された

「今楽しくおしゃべり中だからあとでなー」

開いた口が塞がらないとはこの事か。驚きを隠しきれなくて思わず杉元くんの方をガン見すると我関せずと言った感じで変わらずにお酒を煽っている。
納得のいかない返答だったのか少しムッとした杉元くんの同僚と思わしき男性社員が

「なんだ杉元、苗字にお熱かー!?」と少し大きな声を上げる。勘弁してくれ。思わぬ種火に女性社員の瞳が嫉妬の炎の色を濃くしてしまったじゃないか。やっと職務に慣れてきたと思ったらいじめが原因で退職とか嫌だよ私。杉元くんもなんとか言ってやってくださいという念じを込めて腹立つ程端正な横顔を見つめてみる


「そ、だから苗字さんと俺の時間邪魔すんなよー」
思わず口に含んでいたお茶を吹き出しそうになった。淡々とした口調で何を言ってくれちゃってるんだこの人は。2人だけの時間を邪魔すんなという解釈も出来るような言い回しをされてお世辞だろうが恋愛経験に乏しい私の心を乱すには十分な殺し文句だった。乙女ゲームやアニメの中の世界でしか聞いた時の無い言葉に思わずドキリとしてしまう

「す、杉元くん…?」

「んー?」
あ、また目が合った。まず成人済の男性が首を傾げてかわいいってどういうことなんだ。イケメン罪深いけしからん……っじゃなくて!


「今みたいなの、否定しないと変な噂広まっちゃいますよ」

「噂?」

「あー、あのあれです。ただでさえ噂話が回るの早いんですから…私みたいな地味な女と付き合ってるんじゃ、みたいな噂されたら杉元くん困るんじゃないですか?」

「別に困らないけどなぁ?」

「え?」

「えぇ?」
今日は何回間抜けな声を出せば済むんだろうか。なにかおかしいことを言っただろうかと言い出さんばかりに不思議そうな顔を浮かべるのはやめて欲しい。


「…すみませんちょっと最近耳が遠くなったみたいで」
今なんと?と聞き直すと「別に困らないよ。苗字さんと、付き合ってるーって。噂されても。」生徒に言い聞かせる先生のように一呼吸置きながらゆっくりと伝えてくれる杉元くん。噛み砕いてわかりやすく言ってくれたのかもしれないが申し訳ないことに、容量の悪い頭の私はあまり理解が出来なかった。処理しきれず困惑の表情と頭上にはてなマークを浮かべる


「あは、苗字さんのが困ったような顔してるじゃん」

「あ、いや、すみません…?」

「いや、いいよ。困った顔もかわいい」

「はい!?」
聞き慣れない自分に対する「かわいい」という評価に思わず体温が上がるのを感じた。

「お、今度は赤くなった」

「杉元くん、からかわないで下さいよ…」
面白いおもちゃを見つけた子供のような顔で薄く笑う。この笑い方は初めて見たかもしれない。オフィスで良く見る万人受けするにっこりとした笑顔とは少し違う笑い方。私だけが違う一面を見つけてしまったかのような錯覚に陥りまた胸が少し高鳴るのを感じた


「からかってなんかないさ。本心だよ、」
テーブルに肘をつきながらグラスを煽る姿がやけに色っぽくて。時間が経って少し汗のかいた透明なグラスを覆う筋張った男らしい手、アルコールが流し込まれている最中であろう喉がゴクリと揺れる一連の流れに思わず目を奪われる。ぼーっと眺めていると少し前屈みになり猫背気味の私の視線と合わせるかのような体勢をとりわざわざ顔を覗き込んで見せる杉元くん。
熱に浮かされたかのようにじっとりと色気を含んだ目線で見つめ返されあと数秒交わしていたらこっちまで熱にあてられてしまいそうだ

「わかりました、酔ってるんですねお水持ってきます!」
うん、今ので確信に変わった。杉元くんは酔っ払っていらっしゃる。まるで本当に楽しいと思ってくれてるのかと錯覚しそうなくらい嬉しそうに笑みを浮かべるのも、言葉を素直に受け取ってしまうと好意とも読み取れるようなその態度も、全部。きっと、全部酔っ払ってるせいだ。




「お水持ってくるので待っていてくださいね!」
そう言って半ば無理やり席を立ち足早に座敷の外へ出る。待っていてくださいと言った手前で申し訳ないのだがこのまま帰ってもいいだろうか。この精神状態のまま杉元くんの隣に戻って平静を保てる自信が無い。アルコールを飲んだわけでもないのに顔が熱いのは、飲み会の雰囲気に酔ったせい。杉元くんのせいじゃない。そう言い聞かせながら外の冷たい空気を求めて帰路を急いだ。「ごめん、先帰るね」とお詫びのLINEを送る。「なんで先帰っちゃったの!?」と怒りだてない同僚の顔を浮かべながら。







「残念、逃げられちゃった」
アルコールを喉に流し込んだ拍子に水滴が口の端から零れる。それを逃がさないように舌でぺろりと掬いとるとアルコールに混じって果実の甘い香りがした。

「全然残念そうには見えないけどな!」
一部始終を見られていたのか否か、甘さなんて微塵もないような日本酒片手にドカリと座る白石

「見てたのか?」
「見てたんじゃねーよ、見えちゃったの!」
「一緒じゃねえか」
「まぁ、なんでもいいけど。社内でイチャつくのはやめろよ腹立つから。」
「んー、」
「ちょっとぉ、聞いてんの?」
「聞いてる。ただ…我慢出来なかったら、わからん。」
「やだぁ、杉元ったら獣ぉ!」
酒のおかげで力加減まで馬鹿になってるくそ坊主にがははと笑いながら叩かれるけどそんな痛みなんか感じないくらい今の自分は機嫌が良い。
朱色に染まった苗字さんの頬と羞恥からうっすらと水で膜を張ったうるんだ瞳を思い出すとぞくりと興奮するのがわかる。私なんか、と自分を卑下する彼女だけど俺はそんな風に思ったことは一度もない。俺にとっては赤く熟れた禁断果実と同等、いやそれ以上に魅力的なんだから


純粋無垢なあの子が欲に塗れた俺の手で、俺の色に染まっていくところが早く見たい。それにはまだまだ時間がかかりそうだけど



Modoru Main Susumu
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